P13 国文学研究資料館蔵
(読み)
明 じん
みょうじん
の百
のひゃく
まへも
まいも
てんじんの
てんじんの
五十 まへも
ごじゅうまいも
一 ツめの七 十 枚
ひとつめのななじゅうまい
も可んのうじ
もかんのうじ
の五十 枚 可゛
のごじゅうまいが
五十 者ん
ごじゅうばん
奈可らミ奈
ながらみな
あ多りまし多
あたりました
一 可らとめ
いちからとめ
まで
まで
あり多け
ありたけ
でまし多
でました
一 まいも
いちまいも
む多ハ
むだは
ごさり
ござり
ま
ま
せ
せ
ぬ
ぬ
本んニ
ほんに
あ多るいんく王
あたるいんが
奈ら者奈
ならはな
者可りて
ばかりで
於け者゛いゝニ
おけば いいに
一 までとるとハ
いちまでとるとは
あんまり多゛
あんまりだ
王た
わた
くしども可゛ふ者多らき申 上げやうもこさ(り)ませぬ
くしどもが ふばたらきもうしあげようもござ り ませぬ
(大意)
(手代一)「(神田)明神の百枚も、(湯島)天神の五十枚も、一ツ目の七十枚も、感応寺の五十枚が五十番ながら、みな当たりました。一等から末等まで、全部当たりました。一枚も無駄はござりませぬ」
(萬々)「こんなに当たる運があるのならば、花くじの少しの当たりでよかったのに。一等まで当たってしまうとはあんまりだ」
(手代二)「わたくしどもが不働きで、申し上げようもござりません」
(補足)
「明じんの百まへもてんじんの五十まへも」、「まへ」が何かとわからぬまま読み進めると「一ツめの七十枚」で「まい」のことかとわかった次第。「明」のくずし字は基本中の基本。
「可んのうじ」、谷中の天王寺。三富(くじ)のひとつとして有名。
「者奈者可りて」、「者奈」は『④「花籤(はなくじ)」の略。「ほんに当る因果なら,―ばかりでおけばいいに」〈黄表紙・莫切自根金生木〉』『はなくじ【花籤】頼母子講(たのもしこう)などで,本くじのほかに,若干の金銭を分けるために設けたくじ。花』
手代の前には当たってしまった小判の山。萬々は半畳の畳のようなものの上に立て膝で座り困った困ったと頭をかいています。部屋はいかにもお大尽の居間といった様子。
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