2024年6月30日日曜日

莫切自根金生木 その25

P14 国文学研究資料館蔵

(読み)

で者へりの

ではいりの


ふ志゛由う二

ふじ ゆうに


奈いやう二や

ないようにや


志゛りをバ大 きく

じ りをばおおきく


き里やれそして

きりやれそして


可年ハとり

かねはとり


よいやう二

よいように


まとめて

まとめて


於く可゛いゝ

おくが いい


まんまと

まんまと


ぬすひと可゛

ぬすびとが


くれハいゝ可゛

くればいいが


これを

これを


志まつ多ら

しまったら


とうぞくよけの

とうぞくよけの


まもりをひつ者゜奈して

まもりをひっぱ なして


おこふ

おこう


アゝま可゛ある奈ら

ああまが あるなら


尓ごしらへ

にごしらへ


をして

をして


可つく

かつぐ


やう二

ように


春る

する



いゝ

いい


可年ぐらの

かねぐらの


ミち\/へハまき

みちみちへはまき


ちらしおきまし多

ちらしおきました


尓本ひを

にほいを


可き

かき


\/

かき


ぬ春

ぬす


ミ尓

みに


者いるで

はいるで


ござろふ

ござろう

(大意)

(萬々)「出はいりの不自由のないように、蔵裏の壁に大きな穴を切っておいてやれ。そして、金は盗りやすいように、まとめておくといい」

(手代一)「これをしまったら、盗賊よけのまもりを引っ放しておこう」

(萬々)「あぁ、間に合うなら、荷ごしらえをして、かつげるようにしておくといい」

(手代二)「金蔵への道々には、まき散らしておきました。匂いをかぎながら、盗みに入るでござりましょう」

(補足)

 カスレやかけもおおく読みづらいですけど、やっていることがはっきりしているので大意はつかめます。

「や志゛りをバ大きくき里やれ」、『家尻を切・る① 裏手の壁に穴をあけて盗みにはいる。「倉の―・つたれ」〈浄瑠璃・ひぢりめん卯月の紅葉•中〉』『やじり 0【家尻】

家・蔵などの裏手。「初雪の降り捨ててある―哉」〈おらが春〉』

「ぬ春ミ尓」、「ぬ春」は前後からの予想です。

 のこぎりで切っているのは「とうぞくよけのまもり」、のこぎりは現在のものとまったく同じ。「尓ごしらへ」をしている手代、荷拵えの紐のかけ方も今と変わりません。

 家から人がいなくなって、蔵を開け放すだけにしないところが萬々に金が集まってしまう持ち前の器量か。

 

2024年6月29日土曜日

莫切自根金生木 その24

P14 国文学研究資料館蔵

(読み)

此 うへハ

このうえは


ぬす人 二

ぬすびとに


とらせる

とらせる


より

より


本可ハ奈しと

ほかはなしと


くらより

くらより


可年

かね


をとり多゛し

をとりだ し


いゑを

いえを


あけ

あけ


者゛奈し二

ぱ なしに


して

して


ふう

ふう


婦ハ

ふは


もち

もち


ろん

ろん


て多゛い

てだ い


下女

げじょ


者し多

はした


まで

まで


いつく

いずく


ゑ可

えか



ゆく

ゆく

(大意)

 もうこうなったら、盗人に盗らせるよりほかなしと、蔵より金を取り出し、家を開けっ放しにして、夫婦はもちろん、手代・下女・端た女までが、どこかへと家を出ていった。

(補足)

 盗人が入りやすく、また金を持ち出しやすいように、あれこれ忙しいの図。

萬々はこのようなときにも、右手には煙管を持っています。

 

2024年6月28日金曜日

莫切自根金生木 その23

P13 国文学研究資料館蔵

(読み)

明  じん

みょうじん


の百

のひゃく


まへも

まいも


てんじんの

てんじんの


五十  まへも

ごじゅうまいも


一 ツめの七 十  枚

ひとつめのななじゅうまい


も可んのうじ

もかんのうじ


の五十  枚 可゛

のごじゅうまいが


五十  者ん

ごじゅうばん


奈可らミ奈

ながらみな


あ多りまし多

あたりました


一 可らとめ

いちからとめ


まで

まで


あり多け

ありたけ


でまし多

でました


一 まいも

いちまいも


む多ハ

むだは


ごさり

ござり





本んニ

ほんに


あ多るいんく王

あたるいんが


奈ら者奈

ならはな


者可りて

ばかりで


於け者゛いゝニ

おけば いいに


一 までとるとハ

いちまでとるとは


あんまり多゛

あんまりだ


王た

わた


くしども可゛ふ者多らき申  上げやうもこさ(り)ませぬ

くしどもが ふばたらきもうしあげようもござ り ませぬ

(大意)

(手代一)「(神田)明神の百枚も、(湯島)天神の五十枚も、一ツ目の七十枚も、感応寺の五十枚が五十番ながら、みな当たりました。一等から末等まで、全部当たりました。一枚も無駄はござりませぬ」

(萬々)「こんなに当たる運があるのならば、花くじの少しの当たりでよかったのに。一等まで当たってしまうとはあんまりだ」

(手代二)「わたくしどもが不働きで、申し上げようもござりません」

(補足)

「明じんの百まへもてんじんの五十まへも」、「まへ」が何かとわからぬまま読み進めると「一ツめの七十枚」で「まい」のことかとわかった次第。「明」のくずし字は基本中の基本。

「可んのうじ」、谷中の天王寺。三富(くじ)のひとつとして有名。

「者奈者可りて」、「者奈」は『④「花籤(はなくじ)」の略。「ほんに当る因果なら,―ばかりでおけばいいに」〈黄表紙・莫切自根金生木〉』『はなくじ【花籤】頼母子講(たのもしこう)などで,本くじのほかに,若干の金銭を分けるために設けたくじ。花』

 手代の前には当たってしまった小判の山。萬々は半畳の畳のようなものの上に立て膝で座り困った困ったと頭をかいています。部屋はいかにもお大尽の居間といった様子。

 

2024年6月27日木曜日

莫切自根金生木 その22

P13 国文学研究資料館蔵

(読み)

春る

本ど

の事

可゛ま

ち可゛ひ

け連バ

よの

中ニハ

とミで

志ん多゛い

をし

まふも

ある可ら

さらハ

これ

可ら

つけて

ミんと

そのミハ

もちろん

て多゛い

ども

まで二

いゝ付

けんとくの

王るいゆめ

をいくらも

可いむ

せう二ふ多゛を

とゝのへる

(大意)

 やることなすことすべてが見当ハズレで、世の中には富くじで破産することもあるというから、ならばこれをやってみようと、自分自身はもちろん、手代どもまでに言いつけて、当たらぬようにと願いながら富くじを買いまくり、ただひたすらくじ札を並べた。

(補足)

「本どの事可゛」、「事」のくずし字はひらがな「る」のようなかたちですが、ここのはさいごの丸の部分が大きくて下に流れているかたちのようです。

「けんとく」、『けんとく 【見徳】

① 富くじの当たりはずれを予測させる前触れ。また,富くじのこと。「第六天の―にええの」〈黄表紙・見徳一炊夢〉

③ 江戸時代,天明(1781〜1789)頃に流行した,もぐりの富くじの一種』

 縁側に面する障子は障子紙をはってなくて夏向きにおしゃれにしています。でもここの四人のなりをみると単衣ではないし、しっかりと着ています。さてどういうこと?

 

2024年6月26日水曜日

莫切自根金生木 その21

P11P12 国文学研究資料館蔵

(読み)

P12

あき

あき


めへ

めへ


\/  とい

あきめへとい



けれバ

ければ


志多ゝ可

したたか


どうへ

どうへ


ひゐて

ひいて


ぞんじ

ぞんじ


の本可

のほか


もう

もう


ける

ける

P11

ちつとうけつこと

ちっとうけつこと


いつて

いって


多゛れぞ

だ れぞ


てを

てを


多゛




せへ

せへ


きのき可ねへ

きのきかねへ


多゛い可ひんで

だ いがぴんで


ひつきり可゛

ひっきりが


ソレ

それ


六 多゛

ろくだ


よし可

よしか


この者゛く

このば く


ちハ一 可ら

ちはいちから


六 まで

ろくまで


者れバ

はれば


そんハ

そんは


ねへ可゛

ねへが


そふ

そう


いふ

いう


者りハ

はりは


ミん奈

みんな


きら

きら


い多゛

いだ


この

この


やう奈

ような


いめへ

いめへ


ましい

ましい


よとう

よとう


者゛くちハ

ば くちは


ねへ

ねへ

P12

一 者゛んも

いちば んも


うけねへ

うけねへ


多゛ん奈ハ

だ んなは


どう多゛

どうだ




そふ可

そうか


それでハ

それでは


ま多

また




けん可゛

げnが


王る

わる



ろう

ろう

(大意)

あき目へ、あき目へと目が出てしまうので、なんども親の勝ちとなって、予想外の儲けとなってしまった。

(萬々)「ちっとは親と勝負するやつはいねぇのか。気のちいせぇやつらだ」

(博打打ち一)「一番の出目にはピン(一)をはって、押さえは、ソレ、六だ。これでどうだ」

(博打打ち二)「この博打は一から六までまんべんなくはれば損はねぇが、そういうはりはみんなきらいでやらねぇ」

(博打打ち三)「こんな気の滅入る盗人まがいの博打はねぇ。一番もうけねぇ」

(萬々の妻)「旦那はどうか。よさそうか。それではまたご機嫌が悪かろう」

(補足)

「多゛い可ひんでひつきり可゛ソレ六多゛」、一番の出目だと思うのはピンで、「ひっきり」は「押さえ」のことで、六であたればまぁよしとする。

 会話の雰囲気で大意をつかむしかありません。どんな博打なのかも、会話からはサイコロ博打のようではありますが、絵にはサイコロがみあたらないし、貼り札みたいなのがあるだけです。

 まぁこの場面、萬々が蔵から千両箱をへらすために、わざと胴(親)が不利な配当にして博打をしたが、因果といい加減な張り方が災いして、逆に思いのほか儲けてしまったということはわかりました。

 ところで女中さんが用意しているお茶碗は五つ、博打打ち五人へでしょうけど、萬々は?

 

2024年6月25日火曜日

莫切自根金生木 その20

P11P12 国文学研究資料館蔵

P11

(読み)

者゛く

ば く


ちを

ちを


うつ

うつ



ミ可゛

みが


もて

もて


ぬと

ぬと


いふ

いう


ことを

ことを


きいて

きいて


これ

これ


くつきやうと

くっきょうと


大 ぜい

おおぜい


てつく王

てっか


うち

うち



あつめ

あつめ


四 王り八 分を

よんわりはちぶを


七 王りくらい二して

ななわりくらいにして


どうをとり

どうをとり


者らひ可け

はらいかけ


け連ども

けれども


いんぐ王と

いんが と


者り可゛

はりが


可多つ徒り二

かたっつりに


奈つ

なっ


(大意)

 博打を打つと身上(しんしょう)をつぶすということをきいて、これは好都合と大勢の博打打ちをあつめ、四割八分を七割ぐらいの胴(親)に不利な配当にして、博打をし始めたのだが、張るところとツキが片寄ってしまって、

(補足)

「いふことを」、「こと」は合字でこれでひと文字。

「くつきやう」、『くっきょう ―きやう【究竟】〔「くきょう」の促音添加〕

② たいへん好都合な・こと(さま)。「手古摺(てこず)つた関係から逃げるには這般(こん)な―な事はない」〈復活•魯庵〉

「てつく王うち」、ここの変体仮名「王」(わ)は「と」にしかみえません。このあと9行目「いんぐ王と」で、「王と」が並んで比較できます。

「どうをとり」、『どうとり【胴取・筒取】

博打(ばくち)の席を貸して,その上がり高に応じて歩合を取ること。また,その人。胴元』。or サイコロを振る役。

「可多つ徒り二」、「片っ釣り」とでも漢字で表現するところでしょうか。片方によってしまうことだとおもうのですけど。

 どの頁も毎度のことですけど、隅々まで書き込んでいる上に、その物品もとても丁寧です。

 萬々はどこにいるかとさがすと、左肩に「萬」とあって、頬被りしている御仁でありました。

 

2024年6月24日月曜日

莫切自根金生木 その19

P10 国文学研究資料館蔵

(読み)

ひ多ち

ひたち



い王

いわ


きの

きの


みず


ある

ある


まじ里を

まじりを


両  二

りょうに


五升  て

ごしょうで


可い於き

かいおき


まし多

ました


その

その


さうバ

そうば


奈らミのや

ならみのや


於王りハ

おわりは


二三 升

にさんしょう


ぐらいの事 多゛ろう

ぐらいのことだ ろう


奈んでも者多らいて

なんでもはたらいて


多可くうつてくりや連

たかくうってくりやれ


これで金 ぐらも

これでかねぐらも


ちつとせき可゛

ちっとせきが


てきやう

できよう


うれしや\/

うれしやうれしや

(大意)

(手代)「常陸(ひたち)や磐城(いわき)の水をふくんだ混じり米を五升一両のものを買い置きました」

(萬代)「その相場なら、美濃や尾張では二三升ぐらいのものだろう。いろいろ工夫して高く売ってしまってくれ」

(妻)「これで金蔵も少しは隙間ができるでしょう。うれしやうれしや」

(補足)

「ひ多ちヤ」、「ヤ」はかすれてしまっていてカタカナ「マ」のようになって、「ヤ」とも「や」ともいずれか不明ですが、「くりや連」の「や」と比べると、ひらがなのようです。

「水」のくずし字はよくでてきますけど、つかみどころのない特徴的なかたち。

「まじ里」、「ま」の中央がかけています。

「両二五升て」、「両」や「升」のくずし字は基本。

「多可くうつてくりや連」、「く」の中央がかすれかけています。次の「く」は「ム」のようなかたちの「く」。

 なんとか金をへらしたい萬々、米の相場が一番高いときに買い置きをして、その米を安くうれば、損をして金は減るはずですけど、ここでは「高く売れ」と萬々。どこかでわたくしは読みちがえていそうです🤔

 

2024年6月23日日曜日

莫切自根金生木 その18

P10 国文学研究資料館蔵

(読み)

ことしハ

ことしは


よの中

よのなか


も於多゛

もおだ


や可奈れバ

やかなれば


多くさん

たくさん


こめの

こめの


可い

かい


於き

おき


をして

をして


下 りを

くだりを


ミて

みて


うり

うり


ハらひ

はらい


そんを

そんを


せんと

せんと


於もひ

おもい


つき


て多゛い

てだ い


どもへ

どもへ


いゝ

いい


つけ


志与

しょ


こくの

こくの


こめを

こめを


可い於きを

かいおきを


春る

する

(大意)

 今年は世の中もおだやかであるから、たくさん米の買い置きをして、相場を見て売り払い、損をしようと思いつき、手代どもへ言いつけ、諸国の米の買い置きをした。

(補足)

 枠外上部には山型に蔦の葉のマークがあって、蔦屋重三郎が出版したことを示す版元印です。

「下りをミて」、米相場の下がった(安くなった)ときをみはからって、の意でしょう。「下」が読めませんでした。

 このような大きな障子の小窓付き目隠し衝立なんて今でもあるのでしょうか。衝立の脇から顔を出せばすみそうなものと考えるわたくしは「粋」の心がなさそうであります。

 

2024年6月22日土曜日

莫切自根金生木 その17

P9 国文学研究資料館蔵

(読み)

いら

いら


ねへといふ奈ら

ねえというなら


志やつ徒らへ

しゃつつらへ


ふつ付 て

ぶっつけて


可へれ

かへれ


せ う志゛き奈ことを

しょうじ きなことを


いへバひと可゛

いえばひとが


こ王可゛ると

こわが ると


於もつて

おもって


けつ可る可

けつかるか


志りも

しりも


せぬ

せぬ


ものを

ものを


ひと尓

ひとに


いゝ

いい


可け

かけ


をする

をする


本そい

ほそい


や川ら多゛

やつらだ

(大意)

(駕籠かき右)「いらねぇというなら、そいつの面を殴ってやれ」

(駕籠かき左)「正直に言えば、こっちが怖がるとおもってるのか(これだけの金をねこばばしたら死罪になる)」

(萬々)「なんにも事情を知らないのに、人に難癖をつけて、肝っ玉の小さいやつらだ」

(補足)

「志やつ」、『しゃつ【奴】(代)〔「そやつ」の転。武士詞〕三人称。人をののしっていう語。あいつ。きゃつ。「―ここへ引きよせよ」〈平家物語•2〉』とありました。武士言葉とありますが、ここは駕籠かきのセリフ、はて?

 ところで、ここにでてくる萬々の顔、京伝の肖像画にそっくりです。

 京伝30代の頃だったそうです。

 

2024年6月21日金曜日

莫切自根金生木 その16

P9 国文学研究資料館蔵

(読み)

まん\/ハさだめの者゛より

まんまんはさだめのば より


於りてゑどふし奈ど

おりてえどぶしなど


可多り奈可゛らゆき

かたりなが らゆき


うしろ可ら

うしろから


いぜんの可ごかき

いぜんのかごかき


可ごの中 二於ちて

かごのなかにおちて


ありし可年を

ありしかねを


も川て

もって


於つ可け

おっかけ


むりむ多い二

むりむたいに


於つ付 るゆへ

おっつけるゆへ


いろ\/

いろいろ


いゝ王けを

いいわけを


すれどもきゝいれず

すれどもききいれず


のち尓ハけんく王

のちにはけんか


と奈る

となる

(大意)

 萬々はたのんだところで駕籠から降りて、江戸節などを歌いながら行き、うしろから乗った駕籠の駕籠かきが、駕籠の中に落ちていたと金を持って追いかけてきた。無理矢理押し付けるので、いろいろ言い訳をしたのだが聞き入れてはくれず、そのうち喧嘩となってしまった。

(補足)

「うしろ可ら」、「し」以外、かたちが似ているので、まぎらわしい。

「於つ可け」、「於」がつぶれていてよくわかりませんが、二行あとの同じ位置に「於つ付るゆへ」の「於」と比べると同じ字とわかります。

 右奥の背景は橋のよう。とすると、萬々のうしろの立派な小屋は橋門番でしょうか?屋根は檜皮葺(ひわだぶき)のようですし瓦の重しものっています。それに雨樋もある。壁の銀杏の葉のような意匠は、これはなんだろう。

 

2024年6月20日木曜日

莫切自根金生木 その15

P8 国文学研究資料館蔵

(読み)

王多くしどもハ

わたくしどもは


あらぜにを

あらぜにを


とります

とります


可ら

から


そのやう尓

そのように


い多ゝ起ますと

いただきますと


め うり可゛

みょうりが


王るふごさり

わるうござり


ます

ます


御ぢひで

おじひで


ござり

ござり


ます可ら

ますから


モウさ可てハ

もうさかては


御めん奈され

ごめんなされ


まし

まし


ソレても

それでも


てめへのる

てめえのり


ときさ可てハ

ときさかては


やり志多゛いと

やりしだ いと


きめ多可ら

きめたから


奈んといつても

なんといっても


やらねバ

やらねば


奈らねへ

ならねえ


本゛う

ぼ う


ぐミ

ぐみ


く多゛

くだ


さらぬ

さらぬ


やう二於ね可゛い申 しやれ

ようにおねが いもうしやれ

(大意)

(駕籠かき右)「わたくしどもは日銭で稼いでおりますから、そのようにいただきますと、バチがあたります。お慈悲でございますから、もう心づけの金は勘弁してくださいまし」

(萬々)「それでもてめえ、乗るときに心付けはいくらでもやり放題と決めていたから、なにを言われようともやらなくてはいけねぇ」

(駕籠かき左)「相棒、くださらぬようにお願い申し上げてくれや」

(補足)

「めうり可゛王るふ」、『冥利が悪・い 神仏の加護が受けられない。ばちがあたる。「墓参りでもしてやらなければ―・いから」〈塩原多助一代記•円朝〉』

「本゛うぐミ」、『ぼうぐみ ばう―【棒組み】② 駕籠(かご)かきの相棒。また,駕籠かき。「ままよ,―まけてやらあず」〈滑稽本・東海道中膝栗毛•4〉』

 この駕籠かきたち(ふたりともはだし)はどうやらまともなようで、走るのを仕事にしていた人たちは冬でも褌いっちょだったようです。

 右の駕籠かきのもみあげがこだわりのようで、絵師もまたこだわっているようであります。

 

2024年6月19日水曜日

莫切自根金生木 その14

P8 国文学研究資料館蔵

(読み)

女 郎 や

じょろうや



志うち二

しうちに


ぐつと

ぐっと


ふさいで

ふさいで


よの

よの


あける

あける


をまち

をまち


可年

かね


かへる

かえる


とち うゟ

とちゅうより


可ご二のれバ

かごにのれば


さき二のりし

さきにのりし


ひとの

ひとの


王すれて

わすれて


於とせしと

おとせしと


ミへて

みえて


四五百  両

しごひゃくりょう


もさいふ二

もさいふに


可年可゛有

かねが あり


ける可゛

けるが


めつ多奈

めったな


口 をきい

くちをきい


多ら又

たらまた


こいつも

こいつも


くゝり

くくり


付 られん

つけられん


と志らぬ

としらぬ


可保ゝして

かおをして

(大意)

 女郎屋での仕打ちにひどく落ち込んで、夜の明けるを待ちかねて帰宅した。途中より駕籠(かご)にのると、先に乗った人のものとおもわれる忘れ物があり、四五百両もの財布があった。うかつに口出しをしてこれにかかわったら、またこいつも引っ付けられるそうなので、そ知らぬ顔をしてやりすごした。

(補足)

「可年かへる」、ここはもちろん「金返る」と洒落ている。

「四五百両」、一から十までの漢数字のくずし字のなかでは五が一番特徴的。

 駕籠が隅々まで細かく描写されていてこのまま博物館に展示できそうです。

 背景の壁がどうしてこんな上部で立派なものを選んだのか、興味のあるところ。土台に大谷石のような基礎があり、その上には瓦状のものを積み重ね、土と漆喰をはさんで積み上げ、屋根は家紋入りの瓦屋根。どうやら武家屋敷の塀でしょうか。

 

2024年6月18日火曜日

莫切自根金生木 その13

P7 国文学研究資料館蔵

(読み)

ソレ御めへ様 も ソレつうと可 何 と可 ソレよし可へ

それおめえさまも それつうとか なんとか それよしかへ


ところをずつとね ソレ可へる可ね

ところをずっとね それかえるかね


ソレ


よし可へ

よしかへ


へゝゝゝ

へへへへ


てめへの

てめえの


いふとをり

いうとおり


於れもソレナソレ

おれもそれなそれ


徒つと

づっと


ソレ多尓よつて

それだによって


可へりハ

かへりは


可へらふ可゛

かえろうが


可年ハ奈ん志゛う

かねはなんじゅう


多゛の

だ の


王つち

わっち


どもも

どもも


い多ゝ

いただ



とうハ

とうは


ござり

ござり


やす可゛

やすが


こん奈二

こんなに


御もらひ

おもらい


申  やしても

もうしやしても


内 志よで

ないしょで


や可ま

やかま


志うござり

しうござり


やす

やす

(大意)

(男)「ソレおめえ様も、ソレつうとか何とか、ソレよしかへ、ところをずっとね、ソレかえるかね(金)、ソレよしかへ、へへへへ」

(萬々)「てめえの言うとおり、おれもソレナソレ、づっとソレだによって、かえりは帰ろうが、金は難渋だの」

(遣り手婆)「わっちどもも、いただきとうはござりやすが、こんなにおもらい申しやしても、内所でやかましゅうござりやす」

(補足)

 遊女屋の男が「王けも奈いことぐし\/いつて」いる内容はわからないながらも「あのぉ〜御めえ様も、えぇ〜通というかなんというか、そのぉ〜やめてですね、まぁでもずっとそのままでもね、う〜ん返すのかね、いやぁ〜やっぱしそうじゃないか、ははははは」のようなことなのかと、やはりわけのわからないぼやきになりました。

 萬々は「てめえのいうとおりだ。おれもそれそれそれだよ、ずっとそれなのさ。帰るは帰るが、金はやっかいだの」のような感じ。

「御めへ様」、ここの「様」のくずし字は「満」のくずし字の右側だけににています。

「何と可」、「何」がそれらしくみえなくて、違う字かもしれません。変体仮名「於」のようなかたち。

 萬々は、まいた小判をざるに集めて返されてのけぞっています。

 

2024年6月17日月曜日

莫切自根金生木 その12

P7 国文学研究資料館蔵

(読み)

初 会 の

しょかいの


いりめ

いりめ


うらやく

うらやく


そく

そく


三 会 目

さんかいめ


のとこ

のとこ


者奈

ばな


く王ん於ん

か んのん


のあげ

のあげ


ものもゝ

ものもも


のせ川く

のせっく


やあやめ

やあやめ


ふく

ふく


のきの

のきの


とう

とう


ろう

ろう


二どの

にどの


月 と

つきと


可多り奈可゛ら

かたりなが ら


是 でハよつ

これではよっ


本゜といき

ぽ どいき


つきそふ

つきそう


奈ものと

なものと


於もひ

おもい


の本可

のほか


奈ミ尓

なみに


者づ連

はずれ


て大 金

てたいきん


をつ可うゆへ

をつかうゆえ


志りても

しりでも


こよう可と内 志よ可らさしつして

こようかとないしょからさしずして


まきちらし多可年をとりあつめ王けも

まきちらしたかねをとりあるめわけも


奈いことぐし\/いつてのこらず可へす

ないことぐしぐしいってのこらずかえす

(大意)

 初会の費用、裏約束、三会目の床花(ご祝儀)、観音様へのお供え(にくわえて)、「桃の節句やあやめふく軒の燈籠、二度の月」(とさらに金がかかる)と語りながら、このままでは、確実に財産を使い果たしてしまい、尻拭いをしなければならなくなると、内所(遊女屋の主)からの指図で、まき散らした金をかき集め、グジグジとわけのわからないことを言って、残らず返してしまった。

(補足)

「いりめ」、『いりめ【入り目】

① 費用。かかり。「初会の―,裏約束」〈黄表紙・莫切自根金生木〉』

「とこ者奈」、『とこばな【床花】

江戸時代,遊里でなじみ(馴染(三会目))になったしるしとして遊女に床で与えた祝儀の金』

「く王ん於んのあげもの」、ここでは吉原のすぐ南側の浅草観音(浅草寺の通称)。

「二どの月」、『にどのつき 【二度の月】

8月十五夜の月と9月十三夜の月。昔はこのうちの一方の月見をして他方の月見をしないと不吉な事があるとして忌んだ』

「志りてもこよう」、『尻が◦来る

苦情や談判を持ち込まれる。他人の尻ぬぐいをする羽目になる』

「いきつきそふ」、『ゆきつ・く【行き着く】

④ 財産をすっかり使い果たす。いきつく。「これではよつぽど―・きさうなものと思ひのほか,なみはづれて大金を使ふゆゑ」〈黄表紙・莫切自根金生木〉』

 ふぅ〜、読むのもなかなか大変、金をまくのはもっと大変。

屏風の絵は谷間に流れる小川と岸辺の木、でしょうか。こんなのをササッと描いてしまうのでしょうね。でもセリフの侵入は許さないという強い意志を感じます。

 

2024年6月16日日曜日

莫切自根金生木 その11

P5P6 国文学研究資料館蔵

(読み)

ヱ奈んとへ

えなんとぇ


きんざん

きんざん


さん可゛

さんが


ちよつと

ちょっと


こいとへ

こいとへ


アイいきい

あいいきい


しやう

しょう


ふくハ

ふくは


そとへまき

そとへまき


ちらしの

ちらしの

P6

於尓ハうちへ

おにはうちへ


\/

おにはうちへ


ひろう多可゛

ひろうたが


可んじんへ

かんじんへ


とふる所 化

とふるしょけ


のそう

のそう


あの可年ハきの者でハ

あのかねはきのはでは


あるめへ可多ゞしハ

あるめえかただしは


ぬすミもの可どちら二

ぬすみものかどちらに


志てもいや奈きミ多゛

してもいやなきみだ


これハ

これは


ありが多

ありがた


山 ぶきいろ

やまぶきいろ

(大意)

(女郎)「え、なんだい、金山さんがちょっと来いとですって。あい、行きやしょう」

(萬々)「福は外へまき散らしの、鬼は内へ鬼は内へ」

(金を拾う人)「拾うたが肝心(勧進)へ通る所化の僧」

(のぞいている遊客)「あの金は木の葉ではあるめいか。それとも盗みものか。どちらにしても気味が悪い」

(金を拾う人)「これはありがたい。山吹色(小判)」

(補足)

「所化」、『しょけ㋒ 僧侶の弟子。修行僧』

「ひろう多可゛可んじんへとふる所化のそう」、いまひとつ理解できないのですけど、さあさあ拾うのが一番とかき集めつつも、所化の僧が拾ったものまで(なかば無理やりに)寺社へ寄付させることを皮肉ったのか。

「多ゞしハ」、『④ それとも。あるいは。ただしは。「酒が飲れぬか,せめてひとり成とも出ぬか,―かへれといふ事か」〈浮世草子・好色一代女•5〉』

 木目の見事な板戸のふすまも豪華ですが、わたしが一番気に入っているはふたつある灯り台。炎までちゃんと描かれています。丸い台に細い支柱、その上にろうそくと単純ですけどいいですねぇ。

 

2024年6月15日土曜日

莫切自根金生木 その10

P5P6 国文学研究資料館蔵

P6

(読み)

けい

けい


せい可い二

せいかいに


志可ずと

しかずと


尓王可尓

にわかに


せいろうの

せいろうの


あそびと

あそびと


こゝろざし

こころざし


おもてハ

おもては


里つ

りっ


者゜で

ぱ で


内 しやうハ

ないしょうは


くるしい

くるしい


よくの

よくの


ふ可そふ

ふかそう


奈女 郎

なじょろう


をミ多て

をみたて


志よく王い

しょか い


可らやま

からやま


ぶきを

ぶきを


ふらし

ふらし


三 百

さんびゃく


六 十  日 二

ろくじゅうにちに


閏  月 を

うるうつきを


そへて

そえて


のあげ

のあげ


つめと

つめと


志ろの

しろの


於ちる

おちる


を多のしミけり

をたのしみけり

(大意)

遊女と遊興することにまさるものはないと、妓楼で遊ぼうときめ、見栄えは良いが内実は苦しい、欲の深そうな女郎を選び、初会から小判をまきちらした。三百六十日に閏月を加えて通い詰め、財産が失われていくことを楽しんだ。

(補足)

「せいろう」、『【青楼】

② あげや。女郎屋。妓楼。江戸では官許の吉原を私娼街と区別していった』

「志よく王い」、『しょかい【初会】

① はじめて出会うこと。特に,遊郭で,遊女が初めてその客と会うこと』。二会目を「裏」といい、登楼(とうろう)することを「裏をかえす」という。三会目の登楼で「馴染(なじみ)」になるという。萬々はそんな約束事に頓着せず最初からやり放題というわけです。

「志ろの於ちる」、遊女を傾城ということから、文字通り、城=財産を失うこと。

 やまぶき(小判)を撒き散らす萬々が手に抱え持つのは見慣れぬかたちをしてますけど、袋でしょうか。

 萬々の左側の花魁は左膝を立てての姿にも見えます。正座もしましたが、立て膝も失礼な座り方ではなく、身分のある方々もする座り方の一つであったそうです。

 

2024年6月14日金曜日

莫切自根金生木 その9

P5P6 国文学研究資料館蔵

P5

(読み)

すゝ

すす


者き

はき


志゛ぶん

じ ぶん


の切

のきり


於とし

おとし



ことく

ごとく


可りて

かりて


のいりハ

のいりは


於ち

おち


けれども

けれども


可年

かね


くらハ

ぐらは


ひやくぶ

ひゃくぶ


一 もあ可ず

いちもあかず


これでハ

これでは


奈らぬと

ならぬと


ま多\/

またまた


くふう

くふう


をめぐ

をめぐ


らし

らし


ける可゛

けるが


む可し

むかし


より

より


可年

かね


もちの

もちの


可ミこ

かみこ


す可゛多二

すが たに


奈るハ

なるは

(大意)

 煤払いの時期の芝居小屋の切り落としのように、借り手がやってくることも少なくなったが、金蔵は百分の一にも減ってはいない。これではならぬと、ふたたびいろいろな工夫をしたものの、昔からの金持ちがやることのひとつである紙子(和紙で仕立てた衣服)姿になってみたりしたが、

(補足)

「すゝ者き」、『すすはらい【煤払い】

②年末,正月の準備に家の内外を大掃除すること。江戸時代には,12月13日が恒例であった。すすはき。すすとり』

「切於とし」、『きりおとし【切り落とし】

① 江戸時代の劇場で,平土間に設けた大衆席。桝席(ますせき)とせず,客を何人でも詰めこんだので追い込み場ともいう。大入り場。〔古くは舞台であった部分を切り落として作ったところからの名という〕』

「可ミこす可゛多二奈るハ」、紙子姿になって落ちぶれみすぼらしくみせるのでしょうけど、金を散在するなら豪華な衣装を身に着けたほうがへるのではと、何か読み違えていそうな気がする、う〜ん🤔

 十人もの人たちを描いていますが全員の所作が少しずつことなっていて絵が動いているようです。うまいものです。

 

2024年6月13日木曜日

莫切自根金生木 その8

P3P4 国文学研究資料館蔵

P4

(読み)

可やう二申

かようにもうし


ます可らハ

ますからは


御可へし

おかえし


申  と

もうすと


いふ

いう


やう奈

ような

P4

人外

じんがい


奈義二

なぎに


い多し

いたし


ませぬ

ませぬ


これで

これで


けさ可ら

けさから


八 百  廿   八

はっぴゃくにじゅうはち


までハ

までは


かぞへ多可゛

かぞえたが


あとハ

あとは


於本゛へぬ

おぼ えぬ


こ者多゛

こはだの


のすし

のすし


あじの

あじの


すし

すし


奈んと

なんと


きつい可

きついか

(大意)

(借り手の盲人)「そのようにおっしゃられては、お返し申すというような、人の道に外れた行いはいたしませぬ」

(下女)「これで今朝から、八百二十八までは数えたが、もうそのあとはおぼえていない」

(下男)「小鰭(こはだ)の寿司、鯵の寿司。あぁ大変だ」

(補足)

 中央の剃髪にしているふたり、こちら向きの人を拡大してみると目が見えないようです。また衣装からもそのようであるとわかります。江戸時代、盲人は鍼灸あんまで生計をたてている人や、(高利)金貸しをしている人も多かったそうです。萬々のところでただ同然に借りて、高利でさらに金貸しとなって稼いでいる人たちを暗ににおわせたのかもしれません。

 背丈をこえる立派な屏風というか間仕切りというか衝立というか、とにかく豪勢です。竹が描いてあるように見えますが、千両箱を運ぶ二人(下女は着物の裾を引きずっていますし、下男は足袋をはいています)はあたかもその竹藪の奥から出てきたような趣になっています。ここの千両箱、時代劇で見るものとはことなっていて実際にこのようなものもあったのでしょう。

 この千両箱の箱が、寿司箱のようなので、この下男は物売りのように「こはだの〜すしっ、あじ〜〜のすしっ」と掛け声をまねてます。

 

2024年6月12日水曜日

莫切自根金生木 その7

P3P4 国文学研究資料館蔵

P3

(読み)

御へん

ごへん


さいの

さいの


御あて

おあて


こと可゛

ごとが


ござつてハ

ござっては


御しやく

ごしゃく


やうハ

ようは


御むやうで

ごむようで


御さる

ござる


王多くしハ

わたくしは


おん奈で御ざります

おんなでござります


可らせ う人 をつれて

からしょうにんをつれて


まいりませ う可

まいりましょうか


きつとし多せ う人 可゛あつてハ

きっとしたしょうにんが あっては


御可し申 されませぬ

おかしもうされませぬ


ずいぶん

ずいぶん


申  ふらし

もうしふらし


まして

まして


大 ちやく奈

おおちゃくな


かりてを

かりてを


あげませ ふ

あげましょう

(大意)

(萬々)「ご返済の見込みがあるのでござれば、お金をお貸しすることはできません」

(借用の女)「わたくしは女でござりますから、証人をついれてまいりましょうか」

(萬々)「たしかな証人がいましたら、お貸しすることはできません」

(借用の男)「ずいぶん言いふらしまして、ずるい借り手を連れてきましょう」

(補足)

 萬々の前にある二段に積み重ねられた箱は千両箱のようです。

そばにある衝立に羽織をひっかけ、衝立の下側には萩のようなしゃれた絵があります。またその上半分は面格子のようになっていて、さらにきっとスライドさせて開閉できるようになっている上等なものだとおもいます。

 萬々とやり取りしている借り手たち、会話もですが、物腰が伝わってきます。

 

2024年6月11日火曜日

莫切自根金生木 その6

P3P4 国文学研究資料館蔵

P3

(読み)

まん\/ハ

まんまんは


志んゞん

しんじん



きとく

きとく


もミへねバ

もみえねば


いろ\/と

いろいろと


くふう

くふう


をめくらし

をめぐらし


奈んでも

なんでも


や多ら二

やたらに


可しかけ

かしかけ


てせ上

てせじょう


の人 二

のひとに


ぶさ多

ぶさた


をさせ

をさせ


た奈らバ

たならば


可年

かね


ぐらも

ぐらも


くつろぐ

くつろぐ


遍゛しと

べ しと


かし金

かしがね


せ川多ひ

せったい


のこう札

のこうさつ


を可ど口 二

をかどぐちに


かけて

かけて


いさい

いさい


可ま

かま


王ず

わず

P4

くる

くる


ひ登

ひと


ごと二

ごとに


かし

かし


い多゛す

いだ す

(大意)

 萬々は信心の効力もみえないので、いろいろと工夫をめぐらした。むやみやたらに金を貸し付け、世間の人から取り立てもせずにしたのならば、金蔵も窮屈でなくなるだろうと、貸金接待の高札を門口にかけて、詳しい事情も聞かずに来る人それぞれに貸し出した。

(補足)

 借り手の女性が前帯にしています。もうこの頃にはみな後ろだったような気がするのですが。

 この本の絵師喜多川(喜田川)千代女は女性で歌麿の門弟でもあり奥様らしい。人の描き方もうまいし、部屋の隅々まで気配りのある細かい筆使いです。

 

2024年6月10日月曜日

莫切自根金生木 その5

P1P2 国文学研究資料館蔵

(読み)

P1

多゛ん奈の

だ んなの


於可をも

おかおも


このごろハ

このごろは


ひんそう

ひんそう


於奈り

おなり


奈され多

なされた


されバで

さればで


ござります

ござります


これでハ御いへ

これではおいえ


御すいびのもとい

ごすいびのもとい


於めで多う

おめでとう


ござります

ござります


すて

すて


られる

られる


可ミ

かみ


あ連バ

あれば


多すけ

たすけ


られ

られ



可ミ

かみ



あり

あり


可゛てへ

が てえ


P2

をん本゛ろ

おんぼ ろ


\/

おんぼろ


ひん本゛う

びんぼ う


奈り多や

なりたや


そ王可

そわか


於とゝい

おととい


こい\/

こいおとといこい

(大意)

「旦那のお顔も、この頃は貧相におなりになられた」

「さようでござります。これでお家はご衰微は確実、おめでとうござります」

「捨てられる神(大黒様)もあれば、助けられる神(貧乏神)もありがてえか」

「おんぼろおんぼろ、貧乏なりたや、そわか」

「おとといこい、おとといこい」

(補足)

 かすれているところもあって読みにくいがなんとか、適当です。

最初のセリフは妻、次は煙管をくわえている手代、その次は振り返っている手代、その次が主人である萬々、で最後が下女。まだ吹き出しがないときだったので、人物の上下左右近いところへセリフを書いています。

 下女がうちわで追い払っているのは大黒様(米俵が車輪のよう)。

「をん本゛ろ」、薬師如来のご真言「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」を引っ掛けたもの。

 なんのへんてつもない一場面ですが、登場人物五人はそれぞれ別の所作をして、大黒様もあたふたと逃げるところ、画面に動きを与えています。また部屋はさすが大金持ちだけあって凝った作り、縁側の左奥、庭に出るところなどなかなかであります。

 

2024年6月9日日曜日

莫切自根金生木 その4

P1P2 国文学研究資料館蔵

P2

(読み)

ひん本゛う

びんぼ う


せば

せば


いま

いま



おもひハ

おもいは


あるまいと

あるまいと


いへ二伝  る

いえにつたわる





だい


こく

こく




きづり

きずり


のけて

のけて


びん

びん


本゛う神

ぼ うかみ



ゑぞう

えぞう



とゝ

とと


のへ

のへ


こよミ

こよみ


の内 の

のうちの


大 の

だいの


あく日を

あくびを


ゑん日

えんにち


として

として


志ん\゛/

しんじん


奈しける

なしける

(大意)

今のような思いをすることはなかろうと、家に伝わる出来の良い大黒様を引きずり下ろして、かわりに貧乏神を絵にした掛け軸をととのえた。暦のうちで一番の悪日を縁日(特別な功徳ご利益がある日)として信心した。

(補足)

 よく「満願成就」などと右から左へと書かれて額装されたものがかかげられているようなものを目にします。ここの文章の「さくの大」と同じで、一行一文字と考えれば納得。

 床の間のようにしたてて、貧乏神の掛け軸を飾り、手を合わして拝んでいるのは、背中に「萬」とある、この方が萬々先生か。

 

2024年6月8日土曜日

莫切自根金生木 その3

P1P2 国文学研究資料館蔵

P1

(読み)

こゝ尓

ここに


御ぞん

ごぞん


じの

じの


きん\/

きんきん


せん

せん


生 の

せいの


ま多

また


と奈り

となり



まん\/

まんまん


せん

せん


生 と

せいと


いふ

いう


もの

もの


あり

あり


七 珍

しっちん


万 宝

まんぽう


くら尓

くらに


ミち

みち


\/

みち



代 \/

だいだい


ゑよふニ

えように


くらし

くらし


个る可゛

けるが


もの

もの


ごと

ごと


志゛ゆう二

じ ゆうに


ての

ての


ま王る可゛

まわるが


志きりと

しきりと


うるさく

うるさく


三 日奈り共

みっかなりとも

(大意)

 ここにご存知の身なりのととのった先生の家のその隣に、萬々先生という者が住んでいた。多くの宝物が蔵にあふれ、代々富み豊かに暮らしていたが、何でも自由し放題にできて、それがかえってうっとおしく、三日程度でも

(補足)

「きん\/」、『きんきん 【金金】〔江戸時代中期の流行語〕

当世風でしゃれていること。また,身なりを立派にこしらえた状態。「あんまり―が過ぎたから」〈黄表紙・啌多雁取帳〉』

「七珍万宝」、『しっちんまんぽう【七珍万宝】〔「まんぽう」は古くは「まんぼう」〕

〘仏〙 七宝と多くのたからもの。「家々の日記,代々の文書,―さながら塵灰となりぬ」〈平家物語•1〉』

「ゑよふ」、『えよう ―えう【栄耀】〔「えいよう」の転〕

① 権力を得て,富み,栄えること。「栄花にも―にもげにこの上やあるべき」〈謡曲・邯鄲〉

② ぜいたくをすること。気ままかってなこと。おごり。「お前のお蔭で―する今夜の人も大ぜい有に」〈浄瑠璃・淀鯉出世滝徳•上〉』

 部屋の奥のすみに積み上げてあるたくさんの箱、何かとおもえば太い字で「千両」とある。蔵に入りきれないほどあふれているということ。

 

2024年6月7日金曜日

莫切自根金生木 その2

序 国文学研究資料館蔵

(読み)

王れ可゛於連可どちらへ張 多ら与かん平゛何 可

           者つ       奈尓

われが おれかどちらへはったらよかんべ なにか


難 波のあし早 く挊  尓追 付 びん本゛う物 尓足る

奈尓者   者や 可せぐ 於ひつく     もの

なにわのあしはやくかせぐにおいつくびんぼ うものにたる


こと越おしへんと一 寸 一 部の此 そうしハ友 人

              ぶ

ことをおしえんといっすんいちぶのこのそうしはゆうじん


唐 来 参 和可゛か王らぬ春 の出放 題  奈る事 越

             者る で本う多゛い

とうらいさんなが かわらぬはるのでほうだ いなることを


口 もと尓あや奈すのミ

くちもとにあやなすのみ


和光 同 人 角印小

わこうどうじん

(大意)

われが俺か。どちらへはったらよかんべえ」。(そんなことはどうでもよくて)少しでも早く、毎日よく働いていれば貧乏しないこと、それで十分なことを教えようと、わずかではあるがこの草紙は、友人唐来参和がいつもながらの新春の出るにまかせた戯言を、口先でうまいことを言っているだけである。

和光同人

(補足)

「与かん平゛」、「与勘平」で調べるといろいろありますが、「どちらへ張多ら」とありますので、ここでは『① 安永(一七七二‐八一)から寛政(一七八九━一八〇一)の頃、江戸市中を流し歩いた二人連れの膏薬売り。また、その膏薬。泉州信田(しのだ)の森の与勘平と称する奴(やっこ)姿の二人が挟箱を持ち、「稲荷御夢想、かたやかいなのいたみに付けたらよかんべい」「疝気寸白(すばこ)にはったらよかんべい」などと言って売り歩いたところからいう』のことでしょうか。

「一寸一部」、一寸一分金のこと。一分金は一両の四分の一。よくわからないのですが、刊行するこの草紙の一部という意味でしょうか。

 この手の草紙の序(文)は、本の命と言ってもよいほどの大事なつかみですから、著者はすべての力を込めて限られた文字数で押し込めます。そのため使われる言葉や単語や言い回しには含みが多く、理解に苦しむということになります。当時の読者はニヤニヤ笑いながらも、著者の言わんとしていることが理解できていたとしたら、彼らのレベルはかなりのものだったとなりましょう。

 

2024年6月6日木曜日

莫切自根金生木 その1

序 国文学研究資料館蔵

(読み)

じょ


諺   尓貧 の病  あり。持 多可゛病  あり。金 可゛か多起登云ふ

こと王ざ ひん やまひ   もつ   やまひ   か年      い

ことわざにひんのやまいあり もったが やまいあり かねが かたきという


側 可ら多川多三 百  両  とはこい川ハありか多以と

そハ

そばからたったさんびゃくりょうとはこいつはありがたいと


感 心 してあ万里有礼とも算 用 してハ

可んしん         さんやう

かんしんしてあまりあれどもさんようしては


ふ足 たら希そこの所  ハ入  我我入  於連可゛王禮可

 そく          尓 う可

ふそくだらけそこのところはにゅうががにゅうおれが われか

(大意)

 ことわざに、「貧乏は病気のひとつである」というのがある。金を持つことが病気になるのである。金は敵である。あれば身を滅ぼすというそばから、「金がたった三百両とはこいつぁありがたい」と感心することしきりであるのだが、出入りを勘定してみると不足だらけである。そこのところは足るも不足(たらず)も我が身一つ。「俺がわれか、

(補足)

「莫切自根金生木」をなんと読むかわかりませんが、漢字の字面をながめているとなんとなく意味はわかるような気がしてきます。中国語の新聞を見てなんとなくわかるような気がするのとにています。もっとも、歌舞伎の演目や黄表紙や江戸時代の様々な書物の題名はなんであんあへんてこりんなのかといつも見るたびにおもいます。

 読みは「きるなのねからかねのなるき」と読んで、すぐ気がつきますが回文になっています。「莫逆の友(ばくぎゃくのとも)」の「莫逆」は漢文のように下から読んで「逆らうことなし」の意ですが、これと同じで「莫切」で「きることなし」つまり「きるな」。「自根」で「ねから」、あとの「金生木」はそのままです。ちょっと凝りすぎで、自己満足感一杯の鼻につく題名です。

 唐来参和(1744~1810)著、喜多川千代女(歌麿の門人)画、版元は蔦屋重三郎。天明五年(1785年)刊行。

 枠上部のあるのは蔦重の印。

「多川多三百両とは・・・」、「ひらがな盛衰記」四段目梅が枝の詞。山東京伝の黄表紙でも何度か同じセリフが出てきました。

 

2024年6月5日水曜日

延命長尺御誂染長壽小紋 その70

P29 国文学研究資料館蔵

(読み)

「奈る本ど此 本

 なるほどこのほん


ハ命  の能びる

はいのちののびる


本ん多゛

ほんだ


お可しい\/

おかしいおかしい


あハゝ\/ \/

あははあははあはは


\/

あはは


と王らふ

とわらう


多び尓

たびに


命  可゛

いのちが


のびる

のびる


や川さ

やつさ


京  傅 戯作

きょうでんげさく


哥 麿 画

うたまろが


清覚世



道人傅方



讀書丸(とくしよく王ん)

    どくしょが ん


一 包 代 一 匁  五分

いっぽうだいいちもんめごぶ


きこんを徒よくしものお本゛へを

きこんをつよくしものおぼ えを


よくし可゛ン里きをつよくしもの尓

よくしが んりきをつよくしものに


多いく川志多る尓よし又 う川き越

たいくつしたるによしまたうつきを


者らいきぶんをさ王や可尓春きよ志やう

はらいきぶんをさわやかにすきょしょう


可川しやうの人 用  てよし又 旅 行 尓多く王へて

かっしょうのひともちいてよしまたりょこうにたくわえて


ゑ起お本しくハしくハ能う可゛き尓あり

えきおおしくわしくはのうが きにあり


賣 弘  所   京  傅 店

うりひろめどころ きょうでんだな

(大意)

「なるほど、この本は命の延びる本だ。おかしいおかしい、あははあははあははあはは」と、笑うたびに命が延びるやつさ。

京傅戯作

哥麿画

清覚世道人傅方

讀書丸(とくしよく王ん)

一包代 一匁五分

以下略

(補足)

「賣弘所」、ネットで調べると『「売弘所」「弘所」「取次所」などの記載がある. が、これらの呼び方の違いについて詳しくはよく. わからないが、問屋・取次・小売を意味するもの. のようである』とありました。明治になるとこのような本の奥付に宣伝とともに売捌人・売捌所などとあります。

 寛政11年(1799)京伝39歳のとき、父伝左衛門が78歳で亡くなっています。当時としては長命でした。京伝自身は文化13年(1816)56歳で亡くなりました。

 命を延ばすにはといろいろ講釈していますが、この本の最後に笑いこそ一番の薬であるとしたのは、自身の一番納得できることだったからでもありましょう。

 わたしもなんどもウンウンとうなずくのでありました。

 

2024年6月4日火曜日

延命長尺御誂染長壽小紋 その69

P29 国文学研究資料館蔵

(読み)

[命  可゛どこまでものびる]

 いのちが どこまでものびる


命  のく春りといふハ王ら川て

いのちのくすりというはわらって


くら春本どのく春りハ奈し

くらすほどのくすりはなし


此 ゑぞうしをごらんじて王らひ

このえぞうしをごらんじてわらい


玉 ふことも志由ハ命  可゛能びて

たまうこどもしゅはいのちが のびて


奈可゛くなり命  のおきどころ

なが くなりいのちのおきどころ


尓こ満り玉 ひ多このやうに

にこまりたまいたこのように


命  の志川本゜をいとま起

いのちのしっぽ をいとまき


尓満以天おく本どのこと

にまいておくほどのこと


那りされバ者川者る能御志ん

なりさればはつはるのごしん


も川おんとし玉 尓もこの

もちおんとしだまにもこの


うへのめでた起さうしハ

うえのめでたきそうしは


奈く満こと尓ゑんめい

なくまことにえんめい


長  寿 のけさくなり

ちょうじゅのげさくなり


こひやう者゛ん\/

ごひょうば んごひょうばん

(大意)

[命がどこまでものびる]

 命の薬というものは、笑って暮らすほどよい薬はない。この絵草紙を御覧になって、笑ってらっしゃるお子様方は命が延びて長くなり、命の置く場所がなくなって困ってらっしゃるだろう。凧のように命の尻尾を糸巻きに巻いておくぐらいになっていることだろう。であるからして、初春の御進物やお年玉にも、これ以上のめでたき草紙はない。まことに延命長寿の戯作である。ご評判ごひょうばん。

(補足)

「王らひ玉ふことも志由ハ」、子ども衆となかなか読めませんでした。

「こひやう者゛ん」、ここもはて?濁点がないだけで悩んでしまいます。

「那り」、たまに変体仮名「那」(な)はでてきます。

「長寿」、「長」のくずし字の筆順は最初に「∠」を、次に「L」のような感じ。

 命の七変化、今度は凧の尻尾(凧の糸ではなく)になってしまいました。しかし、最後は「笑いにまさる命の薬はない」として「ゑぞうし」を、「こひやう者゛ん\/」とおもいっきり売り込んでいます。

 

2024年6月3日月曜日

延命長尺御誂染長壽小紋 その68

P27P28 国文学研究資料館蔵

P28

(読み)

[命  をやし奈ふ]

 いのちをやしなう


「松 ハつらひとミ奈

 まつはつらいとみな


お志やん春けれ

おしゃんすけれ


ど奈命  の奈可゛

どないのちのなが


いハ松 のこと

いはまつのこと


多゛


「命  といふ木ハ多可゛うへ多

 いのちというきはたが うえた


志ろミ川゛可けてみせ

しろみず かけてみせ


さんせあゝあん

さんせあああん


まり奈と

まりなと


此 ぢい

このじい


さ満

さま


江戸ぶし

えどぶし


をもち川と

をもちっと


ハう奈川多

はうなった


人 なり

ひとなり

(大意)

[命をやしなう]

「松(待つ)はつらいと皆おっしゃるけれども、命の長いのが松ということなのだよ。

「命という木はだれが植えた。白水かけてみるがよい。あぁあんまりな」とこの爺様、江戸節を少しはかじったことがある人のようである。

(補足)

「命といふ木ハ多可゛うへ多志ろミ川゛可けてみせさんせあゝあんまり奈と」、この本の冒頭の出だしと同じセリフ。所作事浄瑠璃の代表作河東節(かとうぶし)「乱髪夜編笠(みだれがみよるのあみがさ)」の「命という字は誰が書いた、白無垢脱いで見せさんせ、あゝあんまりな面憎や」のもじり。爺様はこの部分を語って、喉を披露している。とものの本にはありました。江戸節はこの河東節のこと。

 この爺様、メガネをかけています。眼鏡のガラスの日本国内での生産は19世紀末とありました。しかしそれ以前に眼鏡は大量に輸入されていたようですから、高価なものだったとはいえ、手に入れることはそれほど難しいことではなかったようです。

 若かりし頃イタリアの片田舎の屋敷にお世話になったことがあります。そこの女主人はもう歳で二階の寝室の上り下りができなくなって、一階の居間にベッドを移していました。そのベッドサイドテーブルに本が一冊ありました。表紙をなにげなくみてみると「長生きをするには」とあって、ガツンときたのをおもいだしました。

 この本の爺様は命の松の木に白水を掛け、わしと同じように長生きしろよと願っているわけで、自分がその長寿にあやかろうとはこれっぽっちもおもってなく、待つということを知っている江戸節だけでなく人生の達人なのでありました。

 松葉が上の方では薄く下の方が濃いように変化をつけているのが、できそうでできません。うまいものです。

 

2024年6月2日日曜日

延命長尺御誂染長壽小紋 その67

P27P28 国文学研究資料館蔵

P28

(読み)

「せんど志よく王以

 せんどしょか い


のミ多て能と起客

のみたてのとききゃく


乃金 越せしめんと

のかねをせしめんと


こ多川の可げ尓

こたつのかげに


より玉 ふこの

よりたまうこの


きやく尓和可尓

きゃくにわかに


だいそくと

だいぞくと


奈りへとをつき

なりへどをつき


てを奈らし志ん

てをならししん


ぞ可ふろとふざ

ぞかぶろとふざ


けしより客  を

けしよりきゃくを


きや本と申

きやぼともう


春と可や

すとかや


「それハ老 松

 それはおいまつ


のもぢりこ川

のもじりこっ


ちハ命  といふ

ちはいのちという


じの松 乃木

じのまつのき


可゛ね川゛よく奈つ

が ねづ よくなっ


てどん奈可せ可゛ふい

てどんなかぜが ふい


天もを連るきづ可ひハ

てもおれるきづかいは


奈い\/つふり多゛

ないないつぶりだ

(大意)

「せんだって、最初の客との顔合わせでどのような方なのか品定めしたときのこと、客の金をせしめてやろうと、炬燵のかげからうかがっていた。この客が突然えげつなくなって、反吐(へど)をして手を打ち鳴らし、新造・禿とふざけはじめた。こんな客をまさに野暮天と申すのだろう。

 それは(「せんど志よく王以のミ多て能と起〜」の部分)常磐津の老松からのもじりだが、こっちは命という字の松の木が丈夫に根をはって、どんな風が吹いても、折れる心配はないないつぶりだ。

(補足)

 出だしから、どこで区切るのか、また意味もチンプンカンプン😤

「せんど」、「せんど【先度】さきごろ。せんだって。このあいだ。以前。先日」

「だいそく」、「だいぞく【大俗】(僧に対して)世俗の人。また,非常に俗なこと。「―の身でそのやうな事がなるものか」〈狂言・花子〉」

「きや本」、生野暮。野暮まるだしということ。生醤油・生糸・生娘・生真面目など「生」は接頭語。

「せんど志よく王以のミ多て能と起〜」、常磐津の老松からのもじり。その歌詞は「秦の始皇の御狩のとき、天俄にかきくもり大雨しきりふりしかば。帝、雨を凌がんと小松の蔭に寄り給ふ此の松、たちまち大木となり、枝をたれ葉を重ね木の間すき間をふさぎて、雨をもらさゞりしかば帝太夫といふ爵を、おくり下し給ひてより松を太夫と申すとかや」とあって、ほぼそっくり歌詞の流れやリズムをそのまま、単語を変えているだけでなぞっています。

「奈い\/つふり」、「まいまいつぶり」(かたつむり)の洒落。

 命を松の幹と枝ぶり(だけではなく松の木の常緑長寿の象徴)に引っ掛けたのはお見事であります。文章の言葉遊びよりおもしろい。

 

2024年6月1日土曜日

延命長尺御誂染長壽小紋 その66

P27P28 国文学研究資料館蔵

P27

(読み)

里よくのあぶらむし

りよくのあぶらむし


ミやうもんのけむしを

みょうもんのけむしを


さり心  をもちひてやし

さりこころをもちいてやし


奈へバ命  よくそ多゛ちのび\゛/

なえばいのちよくそだ ちのびのび


としてさい王ひ能者奈さ起

としてさいわいのはなさき


ふうきのみのり志そんの

ふうきのみのりしそんの


ゑ多゛者志げり千 ざい乃

えだ はしげりせんざいの


老 松 のごとく

おいまつのごとく


とき王の

ときわの


大 木 と奈り

たいぼくとなり


名 木 の本まれを

めいぼくのほまれを


能こ春ことう多可゛ひ

のこすことうたが い

P28

奈しゑ多゛もさ可へて

なしえだ もさかえて


者も志げるちよのこ

はもしげるちよのこ


おめで多やとハ此 こと

おめでたやとはこのこと


なり

なり

(大意)

利欲の油虫・名聞の毛虫を取り除き、心を込めて育てれば、命はよく育ち、のびのびとして幸せの花が咲き、富貴の実がなり、子孫の枝葉が茂り、千歳の老松のように常磐の大木となり、銘木の誉れとなって残ることは疑いがない。枝も栄えて葉も茂る。千代の子おめでたやとはこのことである。

(補足)

「とき王の」、「とゝさ王の」と誤読。これでは意味が通じません。

「ミやうもんのけむし」、世間の評判を求め、繕う毛虫

「ちよのこ」、子々孫々。

 この本あと1ページを残すのみ。全頁にわたって教訓的に述べる部分はどこか徒然草をおもいおこさせます。京伝の愛読書だったのかもしれません。

  囲炉裏の奥、二つ折りの屏風の絵はどこかの何とか浦の風景。壁を切りとって窓からの実際の眺めのようにも見えます。部屋の奥行きをねらったのでしょうか。