P3P4 国文学研究資料館蔵
P3
(読み)
いのちといふものふとくじやうぶ尓ミへ
いのちというものふとくじょうぶにみえ
てもミじ可起あり本そくて
てもみじかきありほそくて
よ王\/志多る丹毛奈可゛き
よわよわしたるにもなが き
ありみ可け尓ハよらぬ
ありみかけにはよらぬ
もの奈り
ものなり
「一 代 の満もり本んぞん
いちだいのまもりほんぞん
王可゛あ川゛可り能子の
わが あず かりのこの
うまれる多び尓いの
うまれるたびにいの
ちのとんやへき多り
ちのとんやへきたり
玉 ひそれ\/の
たまいそれぞれの
いんゑん尓志多可゛ひて
いんえんにしたが いて
あるいハ奈可゛くあるい
あるいはなが くあるい
ハミじ可起いのち
はみじかきいのち
を可いとりてさ
をかいとりてさ
づけ玉 ふ春こ
ずけたまうすこ
しもゑこひ
しもえこひ
いきハ奈され
いきはなされ
春゛と可く奈可゛
ず とかくなが
ミし可ハさ多゛
みじかはさだ
まれるいんゑん
まれるいんえん
奈り
なり
(大意)
命というものは、太くて丈夫に見えても短いのもあり、細くて弱々しくしていても長いものがあり、見かけにはよらぬものである。
「人間の守り本尊が、おのれの預かりし子の生まれるたびに、命の問屋へおいでになって、それぞれの因縁に従って、長い命やあるいは短い命を買い取って授けられる。少しもえこひいきはなされず、いずれにせよ命の長短は定まった因縁なのである。
(補足)
「満もり本んぞん」、『人はそれぞれの生まれ年の干支によって、守り本尊が決まっていて』、ここに出てらっしゃた普賢菩薩は辰・巳、虚空蔵菩薩は丑・寅とありました。
「あるいハ奈可゛くあるいハミじ可起」、『② (「あるいは…あるいは…」の形で)同じような事柄を列挙して,さまざまな動作が行われたさまを表す。「―海山に遊んで休養をはかり,―勉学にいそしむ者もある」〔漢文訓読に由来する語法。古く「あるひは」と書かれることもあったが,「あるいは」が本来の形〕』
「よ王\/志多る丹毛」、ここの変体仮名「毛」(も)はこのあとのものとかたちがことなっていますが、両方とも同じように使われます。
日除け暖簾に染め抜いてある字は「大丈夫請合」、P4の箱看板のと同じでした。
それにしてもにぎやかすぎる店前です。
0 件のコメント:
コメントを投稿