P5 国文学研究資料館蔵
(読み)
本うそ可命 ハくじらさし
ほうそがいのちはくじらさし
尓て七 百 丈 可゛んく王い可゛い
にてななひゃくじょうが んか いが い
のちハ可川゛さもめん
のちはかず さもめん
尓てじやう奈し
にてじゃうなし
奈可いも
ながいも
あれバ
あれば
みじ
みじ
可以も
かいも
あるハ八百や
あるはやおや
のゑんのし
のえんのし
多と人 の
たとひとの
命 奈り
いのちなり
「おれ可゛いのちを
おれが いのちを
やりに多とへ多ハ命
やりにたとえたはいのち
を多゛以じ尓志ろやり者゛奈し尓春る奈と
をだ いじにしろやりぱ なしにするなと
いふこと多゛
いうことだ
命 ハ多゛以じの多゛うぐ
いのちはだ いじのど うぐ
(大意)
彭祖(ほうそ)の命は鯨尺で七百丈、顔回の命は上総木綿で一丈にも及ばない。長いのもあれば短いのもあるのは八百屋の縁の下と人の命である。
(東方朔)「おれの命を槍にたとえたのは、命を大事にしろ、やり(槍)っぱなしにするなということだ。
命は大事な道具
(補足)
「本うそ」、『ほうそ はう― 【彭祖】
中国古代伝説上の長寿者。帝顓頊(せんぎよく)の玄孫。常に桂芝を食し,導引の術をよくし,夏(か)を経て殷(いん)末には七百余歳に達したという』
「くじらさし」、「可゛んく王い」、ここの「く」はほとんどカタカナ「ム」、このあとの「人の命奈り」の「人」とほとんど同じかたちでもあります。
「可゛んく王い」、『がんかい ―くわい 【顔回】
[前514〜前483]中国,春秋時代の魯(ろ)の学者。孔門十哲の第一。字(あざな)は子淵(しえん)。貧家に生まれたが,学問を好み孔子に重んじられた。早逝し,孔子を嘆かせた。顔淵』
「奈可いもあれバみじ可以もあるハ八百やのゑんの多」、ものの本には「もと深川遊里からはやりだした流行歌」とありました。この頃にはさつまいもがあったので、この芋(いも)を引っ掛けたのでは。
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