P5 国文学研究資料館蔵
(読み)
とう本゛うさく可゛命 ハ九 千 丈 うらしま太郎 ハ
とうぼ うさくが いのちはきゅうせんじょううらしまたろうは
八 千 丈 三浦 大 介 百 六 丈 ミ奈これ天 より
はっせんじょうみうらおおすけひゃくろくじょうみなこれてんより
さ多め玉 へる命 尓て可ミ本とけのおさ以
さだめたまえるいのちにてかみほとけのおさい
く尓毛のびちゞミので起尓くきもの
くにものびちじみのできにくきもの
ハいのち奈り志かし奈可゛ら善 を奈せ
はいのちなりしかしなが らぜんをなせ
バみじ可起も奈可゛く奈り悪 を
ばみじかきもなが くなりあくを
奈せバ奈可゛起もみじかく
なせばなが きもみじかく
なると可く一 心 のもちやう
なるとかくいっしんのもちよう
尓てのびちゞミも又
にてのびちじみもまた
奈起尓
なきに
あらず
あらず
(大意)
東方朔がもつ命の棒は九千丈、浦島太郎は八千丈、三浦大介は百六丈、これらはみな天より定めたまわった命である。神仏でも伸び縮みの細工ができないのが命である。しかしながら、善をなせば短いものも長くなり、悪をなせば長いものも短くなる。いずれにしても、心の持ちようで、また伸びも縮みもないことではない。
(補足)
「丈」、『一〇尺。1891年(明治24)100メートルを三三丈と定めた』
「東方朔」、『[前154頃〜前93頃]中国,前漢の文人。字(あざな)は曼倩(まんせん)。武帝の側近として仕えた。奇言・奇行で知られ,後世,仙人的存在とされ,西王母の植えた桃の実を盗んで食べ八千年の寿命を得たなど種々の説話が残る。「答客難」「非有先生論」などの文章がある』
「三浦大介」、『みうらよしあき 【三浦義明】
[1092〜1180]平安末期の武士。相模三浦の人。大介と称す。頼朝の挙兵に応じたが平家方の畠山重忠に三浦衣笠城を包囲され,子の義澄らを脱出させて戦死』
着物の柄、三浦と浦島は日本の伝統的ものですが、東方朔は唐風(襟も靴も)を意識しているので、柄がとても複雑です。これは彫師なかせであったでしょう。うまいもんだ。
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