P12P13 国文学研究資料館蔵
P12
(読み)
志よく王い奈ぞ
しょか いなぞ
尓ハさしきへ
にはざしきへ
いろ\/
いろいろ
うまさふ
うまそう
奈もの可
なものが
出ても
でても
ミ多ハ
みたば
可りで
かりで
くふ事
くうこと
奈ら須゛
ならず
アゝそんじよ
あぁそんじょ
それをくつ
それをくっ
多らさぞうま可らふ
たらさぞうまかろう
多れそれを多へ多ら
たれそれをたべたら
於いし可ろふと
おいしかろうと
思 へとも
おもへども
まん
まん
ざらめ
ざらめ
のまへ尓
のまえに
あり奈可ら
ありながら
く王れぬ
くわれぬ
由へげびぞう
ゆえげびぞう
(大意)
初会(遊女と遊客の初顔合わせ)なぞには、座敷へいろいろうまそうなものが出ても、見るばかりで食べることはできない。
「あぁ、目の前のそれらを食べたら、さぞうまかろう。あれやこれを食べたらおいしいだろう」と思えども、まったくほんとうに目の前にありながら食うことができないので、下卑蔵(げびぞう『くいじのはった下卑』)(な女郎なぞには)
(補足)
全く豪華な初会の宴席ですが、もちろん大金持ちのなせることであります。この中でわたしが一番目をひかれるのが、支柱の長い燭台です。こんなの作りたい。
司馬江漢の「江漢西遊日記」の天明9(1789)年3月11日にこんな記述があります。
そして江漢は絵師でもありましたから、京都は嶋原の花魁。
この黄表紙は寛政3(1791)年刊ですから、ほぼ同時期ということになります。
0 件のコメント:
コメントを投稿