2024年2月21日水曜日

九替十年色地獄 その26

P12P13 国文学研究資料館蔵

P12

(読み)

志よく王い奈ぞ

しょか いなぞ


尓ハさしきへ

にはざしきへ


いろ\/

いろいろ


うまさふ

うまそう


奈もの可

なものが


出ても

でても


ミ多ハ

みたば


可りで

かりで


くふ事

くうこと


奈ら須゛

ならず


アゝそんじよ

あぁそんじょ


それをくつ

それをくっ


多らさぞうま可らふ

たらさぞうまかろう


多れそれを多へ多ら

たれそれをたべたら


於いし可ろふと

おいしかろうと


思 へとも

おもへども


まん

まん


ざらめ

ざらめ


のまへ尓

のまえに


あり奈可ら

ありながら


く王れぬ

くわれぬ


由へげびぞう

ゆえげびぞう

(大意)

 初会(遊女と遊客の初顔合わせ)なぞには、座敷へいろいろうまそうなものが出ても、見るばかりで食べることはできない。

「あぁ、目の前のそれらを食べたら、さぞうまかろう。あれやこれを食べたらおいしいだろう」と思えども、まったくほんとうに目の前にありながら食うことができないので、下卑蔵(げびぞう『くいじのはった下卑』)(な女郎なぞには)

(補足)

 全く豪華な初会の宴席ですが、もちろん大金持ちのなせることであります。この中でわたしが一番目をひかれるのが、支柱の長い燭台です。こんなの作りたい。

 司馬江漢の「江漢西遊日記」の天明9(1789)年3月11日にこんな記述があります。

 そして江漢は絵師でもありましたから、京都は嶋原の花魁。

 この黄表紙は寛政3(1791)年刊ですから、ほぼ同時期ということになります。

 

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