P4P5 国文学研究資料館蔵
P5
(読み)
P4
コレ於むすあんまり
これおむすあんまり
奈きやん奈なミだて
なきやんななみだで
可ご可゛
かごが
ふや个る
ふやける
「さき本゛う
さきぼ う
志つ可り可上 るぞ
しっかりかあげるぞ
P5
二 人の志うき
ふたりのしゅき
づ可いさつしやん奈
づかいさっしゃんな
於つゝけきん
おっつけきん
とし多
とした
於いらん尓奈ると
おいらんになると
今 のくらしでハ
いまのくらしでは
まもりふくろ
まもりぶくろ
尓もも多れぬ
にももたれぬ
やう奈与ぎ
ようなよぎ
ふとんをきて
ふとんをきて
袮る
ねる
ぞや
ぞや
(大意)
「これ、お娘、あんまり泣くんでねぇ。涙で駕籠がふやける」
「先棒、大丈夫か、上げるぞ」
(女衒)「二人の衆、きづかいはいらねぇよ。そのうち、きれいなおいらんになれば、今の暮らしでは守り袋(の生地)にも使われないような、夜着・蒲団を着て寝ることができるのだぞ」
(補足)
「二人の志うきづ可いさつしやん奈」、初見ではどこで区切るか、わかりません。
「きんとし多於いらん」、「きん」は「錦」でしょうか。美しいの意。
「まもりふくろ」、守り袋。神社や寺で授ける護符を入れて身につけるための袋。錦(にしき)や金襴(きんらん)など高級な布地で華美につくられたものが多い。庶民も布地はわずかでよいので高級なものを古着屋や端布で求め、各自肌身離さず持っていたようです。
「尓もも多れぬ」、最初の「も」は「し」+「こ」。もうひとつは変体仮名「毛」です、一画目が縦棒の下部で筆先を左回りにグニャリと返しながら「の」のようなかたちにします。
この場面、このBlogでたくさん紹介している豆本の中の一頁のように見えてしまいます。この黄表紙からおよそ90年後が1881年、明治14年ですので、明治時代の豆本が盛んになり始めるときになります。豆本の作者たちはこのような黄表紙の頁を参考にしたのではないかと想像します。娘や二親がおいおいと泣く仕草や、犬が別れに吠えている様子など、豆本の頁を見ているようです。
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