2024年2月29日木曜日

九替十年色地獄 その34

P16P17 国文学研究資料館蔵

P16

(読み)

小まものや

こまものや


「王多し

 わたし


可゛本んの

が ほんの


すいぎ う

すいぎゅう


て於まへ尓

でおまえに


かし

かし


多可゛

たが


べ川

べっ


可う

こう


可多可゛つきませぬ

かたが つきませぬ


ぞう

ぞう


げそん

げそん


奈こ川

なこっ


ちやァ

ちゃぁ


らちやァ

らちゃぁ


あくめへ

あくめぇ

(大意)

小間物屋「わたしがほんの水牛(粋筋(すいすじ))で、お前に貸したが、鼈甲(まったく?)方がつきませぬ。象牙(どうせ)そんなこっちゃあ、らちぁ、あくめぇ」

(補足)

 この場面ではセリフの話し手がかかれています。小間物屋は高価な水牛・鼈甲・象牙の借金催促を地口にのせて、とりたてます。鼈甲の部分が何を洒落ているのかがわかりません。 

2024年2月28日水曜日

九替十年色地獄 その33

P16P17 国文学研究資料館蔵

P16

(読み)

中 でもとうらく奈

なかでもどうらくな


女 郎 ハいろとさけと

じょろうはいろとさけと


くらひもの尓

くらいものに


志んしやうを

しんしょうを


いれあけもの日の

いれあげものびの


ミあ可゛りへ八重可り

みあが りへやえがり


のそん里やう可

のそんりょうが


つもり\/ てつまら

つもりつもりてつまら


奈く奈りこふくや

なくなりごふくや


こまものやそん

こまものやそん


里やうやきのしや

りょうやきのじや


まで尓可しやく

までにかしゃく


せられ可んの

せられかんの


うちても

うちでも


すつ者多゛可で

すっぱだ かで


いるこれを

いるこれを


者川可んぢごくと

はっかんじごくと


いふ

いう

(大意)

 なかでも道楽な女郎は、色と酒と食い物にすっかり入れあげ、物日の身上がりや積もりつもった損料で、どうしようもなくなった。呉服屋・小間物屋・損料屋・喜の字屋までに責め立てられ、寒の内でも素っ裸でいる。これを八寒地獄という。

(補足)

「中」、「ゆ」に見えるのは、筆順が同じだからでしょう。

「もの日」、五節句やその他特別な祝いの日。廓では紋日(もんび)ともいう。

「ミあ可゛り」、『みあがり 【身上がり・身揚がり】

遊女が自分から抱え主へその日の揚げ銭を払って休むこと。金のない情人と会うためにする場合が多い。「此三年が間の―買ひ懸り済させて」〈浮世草子・好色一代男7〉』

「そん里やう」、『そんりょう ―れう【損料】

衣服・道具などを借りたとき,使用料として支払う金銭』

「そん里やうや」、『そんりょうや ―れう―【損料屋】

料金をとって衣服・夜具・器具などを貸す商売。また,その商売の人』

「きのしや」、『きのじや 【喜の字屋】

① 吉原の遊郭内で,「台の物」と呼ばれる料理の仕出し屋の通称。享保(1716〜1736)年中,喜右衛門という者が評判をとったことに由来するという。「―の名も高く」〈洒落本・遊子方言〉』

「者川可んぢごく」、『はちかんじごく ―かんぢごく【八寒地獄】

〘仏〙 寒さに苦しめられる八種の地獄。すなわち,頞部陀(あぶだ)・尼剌部陀(にらぶだ)・頞唽陀(あせちだ)・臛臛婆(かかば)・虎虎婆(ここば)・嗢鉢羅(うはら)・鉢特摩(はどま)・摩訶鉢特摩(まかはどま)の称。氷の地獄』

 この頁の人物や物品・建具などの輪郭が太めでくっきり彫られていて鮮明です。

 

2024年2月27日火曜日

九替十年色地獄 その32

P15 国文学研究資料館蔵

(読み)

「まち奈んし

 まちなんし


奈可゛しへ

なが しへ


由びの王を

ゆびのわを


於としんし多

おとしんした


と川てきて可ら

とってきてから


せめら連ん

せめられん


しやうと

しょうと


志んぞう

しんぞう


へいき

へいき


奈り

なり


「あんまり多゛

 あんまりだ


可う

こう


せ須゛ハ

せず ば


きく

きく


まひ

まい


「これ可ら

 これから


ともべやへ

ともべやへ


尓けこまふ

にげこもう

(大意)

「待ってくれぬか。流しへ指の輪を落としてしまった。取ってきてから責められるだろう」と、新造平気で逃げてゆく。

「あんまりだ。こうしなければ言うことを聞くまい」

「これから供部屋へ逃げ込もう」

(補足)

「ともべや」、遊客のお供の者などが控えている部屋。

 新造の表情に切羽詰まった感がないのは、毎度のことだからでしょう。

 竈(かまど)にはでっかい釜があります。お湯はどんなときにも必要なものでしたからたっぷり沸かしておいたのでしょうか。蓋の上にはこれまた立派な灯り台。地獄の閻魔様が使っているようなものに似ています。

 

2024年2月26日月曜日

九替十年色地獄 その31

P15 国文学研究資料館蔵

(読み)

ま多いけづるひ志んそう奈ぞハ

またいけずるいしんぞうなぞは


やりて可゛もゝつ多ぶらへ小可゛多奈

やりてが ももったぶらへこが たな


者りを多てゝせめる

ばりをたててせめる


づるひきの女 郎 を

ずるひきのじょろうを


可しやくする由へ

かしゃくするゆえ


これをづるきの

これをずるきの


山 といふ

やまという

(大意)

 また、クソずうずうしい新造なぞは、遣り手が、股のあたりへ小刀針を

たてて責める。づるひきの女郎をきびしく責めるので、これを「づるきの山」という。

(補足)

「いけ」、さてなんだこれはと調べると『卑しめののしる意を表す形容詞・形容動詞などに付いて,さらにその程度を強める意を表す。「―ずうずうしい」「―好かない」「―ぞんざい」「―しゃあしゃあ」〔近世以降の語。近世前期の上方語では,名詞に付いて用いられた。「―腰抜け」「―年寄り」など〕』とあって、例文を読んで納得。

「小刀針」、鍼灸師が用いる「三稜鍼(さんりょうしん)」のこと。『鍼術に用いられる鍼(はり)の一種で,三稜(かどが三つあること。また,三つのかど。三角)のあるもの。腫(は)れ物の切開や瀉血に用いる』。安永年間(1772〜81)、吉原で遊女が小刀針で折檻死したという事件があり、その話題にふれたのではとありました。

「づるひき」、遊郭では夕方営業開始の際、店先で顔見世と三味線演奏(すががき(清搔・菅搔)『④ 江戸吉原で張り見世を開くとき,店先の格子の中で遊女たちが弾いた,歌を伴わない三味線曲。見世菅搔。』)をした。新造がその役割とものの本にはありました。

「づるきの山」、地獄の「剣山」のしゃれ。

 短い文章ですが吉原に通じてないと、よくわかりません。

 三稜鍼を持つ遣手婆から走って逃げる新造の着物柄が素敵です、ずいぶん凝った柄を描いたものです。 

2024年2月25日日曜日

九替十年色地獄 その30

P14 国文学研究資料館蔵

(読み)

「又 ことハら

 またことわら


連る可

れるか


馬 \/しひ

うまうましい


「あのきやく人 ハきりの

 あのきゃくじんはぎりの


あるの多志ん本゛うし

あるのだしんぼ うし


奈せへ

なせえ


「者゛可らしひ

 ば からしい


ざしきでハ

ざしきでは


人 のやう多゛可゛

ひとのようだ が


とこの内 てハ

とこのうちでは


馬 多ものを

うまだものを


どうして

どうして


あ王れるもの可

あわれるものか


「きやく人 ハ馬

 きゃくじんはうま


於めへハ

おめえは


あし可

あしか


こゝの

ここの


二可いへ

にかいへ


个多゛もの

けだ もの


ミせを

みせを


多゛し多

だ した


やう多゛

ようだ

(大意)

「また、ことわられるか、うまうましい」

「あの客人には義理があるのだ。辛抱してくれ」

「馬鹿らしい。座敷では人のようだが、床のなかでは馬のようなものを、どうして会わなくちゃいけないのか」

「客人は馬、お前はあしか、ここの二階に獣(けだもの)の店を出したようじゃないか」

(補足)

「馬\/しひ」、もちろん「いまいましい」のしゃれ。

「於めへハあし可」、若い新造はよく居眠りをするので、アシカにたとえられていたとありました。

 角のある若い者がなだめてます。左手に持つのは酒の提子(ひさげ)ではなく、座敷を見回りながら行灯などに灯油を注ぐ油差しとものの本にはありました。左下隅に箱膳の脇におなじ形のものが見えています。

 禿から新造になったばかりで経験も浅いため、客の馬並みをみて驚き泣く姿はお手の物、うまいです。

 

2024年2月24日土曜日

九替十年色地獄 その29

P14 国文学研究資料館蔵

(読み)

ちく

ちく


しやう

しょう


とうの

どうの


くるしミハ

くるしみは


ふりそで

ふりそで


志んぞうの

しんぞうの


ミのうえ尓

みのうえに


ありさし

ありざし


きでハきやく

きではきゃく


尓ミへとこの

にみえとこの


内 へ者い川て

うちへはいって


ミると馬 の

みるとうまの


やうなきやく

ようなきゃく


多び\/

たびたび


ある事 也

あることなり


これら尓も

これらにも


志ん本うして

しんぼうして


あハ年ハ奈ら須

あはねばならず


そのくるしミ

そのくるしみ


ふて尓のへ可多し

ふでにのべがたし

(大意)

 畜生道(遊郭で働くものたち)の苦しみは、振袖新造の身の上にある。座敷では客に見えるが、床のうちに入ってみると、馬のような(巨根の持ち主の)客がたびたびあるのである。これらにも辛抱して会わねばならず、その苦しみは筆だけで述べるのは難しい。

(補足)

「馬」のくずし字は「マ」につづけて「る」のようなかたち。

「事」のくずし字は「る」。

「也」のくずし字は1,2画目が短い横棒で、3画目だけ強調するように「し」。

「ふて尓のへ可多し」、濁点が全部省略されていて、一読では???

 春画では男女の性器が強調されて迫力満点なのですが、さすがここは黄表紙ですから寝床には馬そのものでした。しかしそれではものたらぬと見た京伝、首から上は鼻のでかい旦那に仕上げました。鼻の大きな男は巨根の持ち主だという俗信です。

 ところで、司馬江漢の江漢西遊日記に、遊郭の記述がかなりあります。西へ旅しながらひなびた宿に泊まるのですが、こんな数件の旅籠宿でも遊女がいると、なかば呆れなかば嘆いています。

 

2024年2月23日金曜日

九替十年色地獄 その28

P12P13 国文学研究資料館蔵

P13

(読み)

作 者 曰 「くいもの

さくしゃいわくくいもの


可らハ

からは


ひ可゛

ひが


もへる

もえる


きやくハ

きゃくは


き可゛

きが


もめ

もめ



多゛らう

だ ろう

P12

「里て ふちつと奈んぞ

 りちょうちっとなんぞ


く王つせへ

くわっせぇ


おいらア

おいらぁ


ま多゛

まだ


ハら可゛

はらが


よしさ

よしさ


マァぬし

まぁぬし


く王つし

くわっし


「ちと

 ちと


奈んそ

なんぞ


めし

めし


上 りまし

あがりまし


「ナニ

 なに


王川ちらハ

わっちらは


や川ハり袮き

やっぱりねぎ


ま可゛おい

まが おい


しひよ

しいよ


「そうで

 そうで


於す

おす


ぞく尓

ぞくに


もろこし

もろこし


奈ぞ可゛

なぞが


与う

よう


す与

すよ


「もし

 もし


おいらん

おいらん


ちよつと

ちょっと


ミゝを

みみを


於多゛し

おだ し


奈んし

なんし


竹 村 の

たけむらの


上  あん

じょうあん



まん

まん


ざらで

ざらで


奈い

ない


袮へ

ねぇ

(大意)

作者いわく「食べ物からは火が燃える。客は気がもめるだろう」

「里蝶(客の名前)、少し何か食ったらどうだ」

「おいらはまだ腹がへってねぇ、まぁ、あなたが食ってくれ」

「ちと何ぞ召し上がってください」

「なに、わっちらはやっぱり葱鮪(ねぎま)がおいしいよ」

「そうですねぇ。ありふれたとうもろこしなどがいいですよ」

「もし花魁(おいらん)、ちょっと耳をかしてください。竹村の上餡も、まんざらでないねぇ」

(補足)

「ぞく尓」、ありふれた。世間普通の。高雅でない。上品ぶらずに。

 遊客の会話、花魁の会話とあちこちにとびますが、適当につなげます。

 文献を読むと、吉原のどの遊女屋の自前の料理は高いばかりでまずいことで有名だったそうです。なので吉原の外のうまいと評判の料理店から仕出しをとって花魁を喜ばせたそうであります。

 一番左端の若い者にはやはり角が生えています。

 

2024年2月22日木曜日

九替十年色地獄 その27

P12P13 国文学研究資料館蔵

P12

(読み)

奈女 郎 奈ぞ

なじょろうなぞ


尓ハくいもの

にはくいもの


可らひ可゛

からひが


もへるやう

もえるよう


尓ミ由る

にみゆる


奈り又

なりまた


きやく

きゃく



ミへ

みえ


本う

ぼう


尓て

にて


P13

くひ多くッても

くいたくっても


く王須多可゛い尓

くわずたが いに


尓らミ

にらみ


つけて

つけて


いる

いる


これ

これ


可き

がき



うの

うの


くるしミ奈り

くるしみなり

(大意)

(下卑蔵(げびぞう『くいじのはった下卑』))な女郎なぞには、食べ物から火が燃え上がっているように見えるのである。また、客も見えっ張りな連中であるから、食いたくっても食わず、互いににらみあって牽制している。これは餓鬼道の苦しみである。

(補足)

「これ可き多うのくるしミ」、「可き多うの」がわからず、しばらくして餓鬼道とわかり、苦しんだ。

 遊女たちの前に三つ並んでいます。一番左側は煙草盆でしょう。あとのふたつは蒔絵のようなもので飾られていて豪華そうです。何でしょか。

 料理の方は炎が上がっています。提子の前にあるのは、これが竹村の上餡こと菓子屋竹村伊勢の上等な餡ころ餅の詰まった重箱でしょうか。

 

2024年2月21日水曜日

九替十年色地獄 その26

P12P13 国文学研究資料館蔵

P12

(読み)

志よく王い奈ぞ

しょか いなぞ


尓ハさしきへ

にはざしきへ


いろ\/

いろいろ


うまさふ

うまそう


奈もの可

なものが


出ても

でても


ミ多ハ

みたば


可りで

かりで


くふ事

くうこと


奈ら須゛

ならず


アゝそんじよ

あぁそんじょ


それをくつ

それをくっ


多らさぞうま可らふ

たらさぞうまかろう


多れそれを多へ多ら

たれそれをたべたら


於いし可ろふと

おいしかろうと


思 へとも

おもへども


まん

まん


ざらめ

ざらめ


のまへ尓

のまえに


あり奈可ら

ありながら


く王れぬ

くわれぬ


由へげびぞう

ゆえげびぞう

(大意)

 初会(遊女と遊客の初顔合わせ)なぞには、座敷へいろいろうまそうなものが出ても、見るばかりで食べることはできない。

「あぁ、目の前のそれらを食べたら、さぞうまかろう。あれやこれを食べたらおいしいだろう」と思えども、まったくほんとうに目の前にありながら食うことができないので、下卑蔵(げびぞう『くいじのはった下卑』)(な女郎なぞには)

(補足)

 全く豪華な初会の宴席ですが、もちろん大金持ちのなせることであります。この中でわたしが一番目をひかれるのが、支柱の長い燭台です。こんなの作りたい。

 司馬江漢の「江漢西遊日記」の天明9(1789)年3月11日にこんな記述があります。

 そして江漢は絵師でもありましたから、京都は嶋原の花魁。

 この黄表紙は寛政3(1791)年刊ですから、ほぼ同時期ということになります。

 

2024年2月20日火曜日

九替十年色地獄 その25

P11 国文学研究資料館蔵

(読み)

「者゛可らしひこんやの

 ば からしいこんやの


やう尓於ち合 多

ようにおちあうた


者゛んハ袮へい川そ

ば んはねぇいっそ


き可゛まよふよ

きが まようよ


「ヲゝ者多゛さむひ

 おぉはだ さむい


もふ八ツ多゛

もうやつだ


そふ多゛

そうだ


いろきやくミち

いろきゃくみち


多め尓なるきやくミち

ためになるきゃくみち


名  代 のきやくミち

みょうだいのきゃくみち

(大意)

「ばからしい。今夜のように落ち合った晩はねぇ。まったく、気がきじゃない。

「おぉ肌寒い。もう八ツごろか

色客道

ためになる客道

名代の客道

(補足)

「い川そ」、ここの「いっそ」は『② ほんとうに。まったく。「大屋さんのおかみさんへ―追従ばかりいつて」〈滑稽本・東海道中膝栗毛•発端〉』。

「多め尓なるきやくミち」、遊女のためなら、金銭的なことなどなんでも言うことをきいいてくれ万事頼りになるお客様。

 

2024年2月19日月曜日

九替十年色地獄 その24

P11 国文学研究資料館蔵

(読み)

「これ可ら名  代

 これからみょうだい


ミちへ与こ尓

みちへよこに


由こふ可いや\/

ゆこうかいやいや


さしきの

ざしきの


者つきやく

はつきゃく


し由もいゝ

しゅもいい


於とこ多゛志可し

おとこだ しかし


きやくいろの

きゃくいろの


本うへ行かふ可

ほうへゆこうか


多ゞし

ただし


あふミやの

おうみやの


きやくし由の

きゃくしゅの


本うへ行かふ可と

ほうへゆこうかと


うハき尓て

うわきにて


き可゛於ゝき由へ

きが おおきゆえ


らう可を

ろうかを


由きつもとりつ

ゆきつもどりつ


するこれを

するこれを


六 多゛うの

ろくど うの


つぢ尓まよふとハ

つじにまようとは


申  奈り

もうすなり

(大意)

 「これから、名代(みょうだい)の道へ横へゆこうか。いやいや座敷の初の客もいい男だ。しかし、色の客(好きな情人)のほうへ行こうか。それとも、近江屋の客のほうへ行こうか」と、あれこれうつり気で気がおおいため、廊下を行きつ戻りつする。これを六道の辻に迷うと申す。

(補足)

「多ゞし」、現在は「しかし。だが」の意味がほとんどですが、ここでは『④ それとも。あるいは。ただしは。「酒が飲れぬか,せめてひとり成とも出ぬか,―かへれといふ事か」〈浮世草子・好色一代女〉』

「名代の客道」、好きでもない客を新造や仲間に接待をまかせる部屋への道。

「行」のくずし字は特徴的ですけど何だっけと悩むこともある漢字。「ヽ」をうって重ねるように「し」、右に流れて「了」。

 「らう可を由きつもとりつする」花魁、脚は前、腰は横、顔は後ろ向きと心の中を描くのがうまい。

 

2024年2月18日日曜日

九替十年色地獄 その23

P11 国文学研究資料館蔵

(読み)

扨 ミつあけすミ見せへ出てもざしきもち奈ぞハ

さてみずあげすみみせへでてもざしきもちなぞは


者じめ一 両  年 ハ奈いしやうのせ王尓奈り

はじめいちりょうねんはないしょうのせわになり


者んじハ可゛し由う尓ハ奈ら袮ど

ばんじわが じゆうにはならねど


そろ\/いろ可゛してミ多く奈り

そろそろいろが してみたくなり


者゛んとう女 郎 のめを志のひ

ば んとうじょろうのめをしのび


六 どうのつぢ尓まよひ

ろくどうのつじにまよい


くるしむ女 郎 すく奈

くるしむじょろうすくな


可ら須゛

からず

(大意)

 さて、水揚げがすみ、見世へ出ても、座敷持などは、はじめの一、二年は店の主人の世話になり、万事が自分のおもいどおりにはならない。しかし、そろそろ(好きな客と)色ごとしてみたくなる。番頭(先輩)女郎の目をぬすみ、六道の辻(色と金の間)で迷い苦しむ女郎は少なくない。

(補足)

「者んじハ可゛し由う尓ハ奈ら袮ど」、何度か繰り返し読んでも???「者んじ」は濁点をたして万事、「ハ可゛」はハがわで我が、「し由う」は濁点をつけて自由、こりゃ〜難しい。

 三つの立て札を眺めくらべ、さてどうしましょうと迷う遊女は八頭身。袖をつまむ左手がチラリとのぞき、迷う足は草履を履く。

 

2024年2月17日土曜日

九替十年色地獄 その22

P10 国文学研究資料館蔵

(読み)

「此 川 を王多れハ

 このわかをわたれば


それ\/の

それぞれの


き里やう尓て

きりょうにて


中  三 尓も

ちゅうさんにも


遍やもち尓も

へやもちにも


志んさう尓も

しんぞうにも


奈る奈り

なるなり


「王つ

 わっ


ちやァ

ちゃあ


ミ川゛あげハ

みず あげは


いやで

いやで


ざんす

ざんす


本うい

ほぉい


\/

ほぉい


於めへの

おめえの


つらの

つらの


可ハも

かわも


とん多゛

とんだ


あつい

あつい


可ハ多゛ぞ

かわだ ぞ


於しい

おしい


もの多゛

ものだ


きん

きん


ちゃく尓

ちゃくに


ぬつて

ぬって


もら

もら


ハふ

おう

(大意)

 この川を渡れば、それぞれの器量で、中三(昼三)にも部屋持ちにも、新造にもなれるのだ。

 「わっちゃぁ、水揚げは嫌でざんす。ほういほうい」

「おめえの面の皮も、とんだ厚い皮だぞ。惜しいものだ。(この皮で)巾着に縫ってもらおう」

(補足)

 脚をハの字に広げ、女郎に詰め寄り面の皮を剥がそうとする遣手婆の「志ぶい可保」、こりゃ怖い、「本うい\/」と泣いてしまうな。

 この遊女の着物柄は桔梗のようです。「永遠の愛」「誠実」という意味があるそうで、前頁「新造菩薩」をうけての着物柄でしょうか。

 

2024年2月16日金曜日

九替十年色地獄 その21

P10 国文学研究資料館蔵

(読み)

それより多゛ん\/

それよりだ んだん


せいしんして

せいじんして


飛川こミ

ひっこみ


可ぶろと奈り

かぶろとなり


本ど奈く

ほどなく


者゛可らしう

ば からしう


ざんすの川 と

ざんすのかわと


いふ尓い多り

いうにいたり


此 川 尓て

このかわにて


水 あげをされて

みずあげをされて


ミせへ出るそれを

みせへでるそれを


いや可゛るときハ

いやが るときは


やりて者゛ゝア

やりてば ばあ


つらの可ハを

つらのかわを


者ぐ

はぐ


ざん春の川

ざんすのかわ


やりて一 名

やりていちめい


志ぶい可保の

しぶいかおの


者゛ゝア

ば ばあ

(大意)

 それからだんだん成人すると、引込み禿となり、ほどなく、バカバカしく聞こえるかもしれぬが、「ざんすの川」というところに行き着く。この川で水揚げをされて見世へ出る。それを嫌がるときは、遣手婆が面の皮をはぐ。

ざんすの川(看板)

遣手一名

渋い顔の婆

(補足)

「飛川こミ可ぶろ」、『ひっこみかぶろ【引っ込み禿】遊女見習いの少女。江戸吉原で,禿が一三,四歳ぐらいになると遊郭の主人付きとして,芸事を習わせたりして部屋持ち以上の遊女になるための準備をさせた者』と辞書にもありました。

 地獄では釜茹でにされたり皮をはがされたり舌を抜かれたりする。遣手婆が同じことをする。襖絵はもちろん三途の川。「三途(さんず)」と遊女言葉「ざんす」の引っ掛け。

「ざん春」、変体仮名「春」(す)は「十」+「て」のようなかたち。いまでも変体仮名「者」(は)とよく間違えてしまいます。

 

2024年2月15日木曜日

九替十年色地獄 その20

P8P9 国文学研究資料館蔵

(読み)

P8

「今 用 をしてくる可ら

 いまようをしてくるから


おれもしん尓

おれもしんに


入 てく多゛せへ

いれてくだ せえ


「おらハ

 おらは


きさ満ハ

きさまは


いや多゛いのふ

いやだ いのう


志げミ

しげみ


どん

どん

P9

奈尓やつ

なにやつ


あ多り奈

あたりな


もの可

ものか


本ん

ほん


とう尓

とうに


あ多つ

あたっ


多ハ

たは

(大意)

「今、用事をすませてくるから、おれもあたらしく入れてくだせぇ」

「おらは、貴様はいやだぃ。のう、しげみどん」

「なに、八つ当たりなものか。本当に当たったは」

(補足)

「用」のくずし字を調べると、「司」の中が「夫」のようなものがあります。ここのは「冂」+「夫」のような感じ。

「いや多゛い」、「や多゛」がわかりずらい。

 京伝は奥さん(元花魁)から、この場面にあるような話しを聞いたのでしょうか。大黒柱に結わえ付けられ「新造菩薩客をとれ建立」と叱られるなんていうのは序の口だったのかもしれません。

 

2024年2月14日水曜日

九替十年色地獄 その19

P8P9 国文学研究資料館蔵


P9

(読み)

「又 可多て尓ハ

 またかたてには


玉 子やきの

たまごやきの


四角 をふ多

しかくをふた


ちや王ん尓

ちゃわんに


入 てもち給 ふ

いれてもちたもう


これ女 郎 の

これじょろうの


まことといふ

まことという


ミせ可け奈り

みせかけなり


「又 此 志んそう

 またこのしんぞう


本゛さつもあん

ぼ さつもあん


まりきやくを

まりきゃくを


ふるときハ

ふるときは


やりて可゛大

やりてが だい


こく者しらへ

こくばしらへ


由ハへつけ

ゆわへつけ


志んそう

しんぞう


本゛さつきやく

ぼ さつきゃく


しろこん

しろこん


里 うとぞ

りゅうとぞ


志可り个る

しかりける

(大意)

 また片手には、四角く焼いた玉子焼きを蓋茶碗に入れて持ってくださっている。これは女郎にも誠はあるのだぞという見せかけである。

 また、この新造菩薩もあんまり客を断っていると、遣手婆が新造を大黒柱へ結わえ付け、新造菩薩客をとれ建立と、叱るのである。

(補足)

「玉子やきの四角をふ多ちや王ん尓入てもち給ふこれ女郎のまこと」、明和五年(1768)十一月作詞:初代 桜田治助 作曲:富士田吉治・杵屋作十郎の吉原雀という長唄のなかに『女郎の誠と玉子の四角 あれば晦日に月も出る』とあります。意味は歌詞のそのままで、女郎に誠があり四角い玉子があったなら、晦日(みそか)に月が出てしまうと、そんなことはありゃしない。

 部屋の縁に立つ、新造菩薩。右手に鉄棒(金棒を引き鳴らして大声で「火の用心」などと町中にふれあるくところから) ちょっとしたうわさを大げさに言い、ふれあるく人)、左手に四角い玉子焼きを入れた茶碗を持ち、説明がないと意味がわかりません。

 どの着物の柄も、大きな花のようにみえます。

 

2024年2月13日火曜日

九替十年色地獄 その18

P8P9 国文学研究資料館蔵

P8

(読み)

「此 所  の可き大 しやうを

 このところのがきだいしょうを


志んぞう本゛さつと

しんぞうぼ さつと


申  奉   り

もうしたてまつり


可多て尓

かたてに


可奈本うを

かなぼうを


P9

もち多ゝせ給 ふ

もちたたせたもう


これハ可ふろの

これはかぶろの


王るひ事 を

わるひことを


ミ多゛して

みだ して


於いらんへ可奈本゛うを

おいらんへかなぼ うを


ひ可んとの御せい

ひかんとのごせい


ぐ王ん奈り

が んなり

(大意)

 ここで遊ぶ禿たちの餓鬼大将を新造菩薩と申しまつりあげ、片手に鉄棒(かなぼう)を持ち、立たせていらっしゃる。これは禿の悪さを見つけ、花魁へあることないことの告げ口をさせようとの願いがこもったものなのである。

(補足)

「申奉り」、「奉」のくずし字が「在」のようにみえます。

「可奈本゛うをひ可ん」、『かなぼうひき【金棒引き・鉄棒引き】② ちょっとしたことを大げさにふれまわること。また,その人』

 禿は男の子もいて、まったく女の子とおなじ髪型の子もいましたし、ここの左から二人目のような髪型の子もいました。禿になって間もない女の子で日本髪をまだ結えない子は頭のてっぺんでまとめていたのでしょう。

 

2024年2月12日月曜日

九替十年色地獄 その17

P8P9 国文学研究資料館蔵

P8

(読み)

きめ うて うらいそれよりハさいの可ハらの

きみょうちょうらいそれよりはさいのかわらの


ことく尓て今 ハ可ふろの奈可満入り

ごとくにていまはかぶろのなかまいり


志゛や个ん奈女 郎 尓つ可ハれて可ら多゛

じ ゃけんなじょろうにつかわれてからだ


中  ハあざと奈りま多竹 村 の

じゅうはあざとなりまたたけむらの


あきぢ う者゛こいちぢ うつんでハちゝこひし

あきじゅうば こいちじゅうつんではちちこいし


二ぢ うつんてハ者ゝこひし又 ハ

にじゅうつんではははこいしまたは


用 多春そのひま尓あき

ようたすそのひまにあき


ざしきへあつまりてきしやご

ざしきへあつまりてきしゃご


者しきやいし奈ご尓すこしハ

はじきやいしなごにすこしは


うきを王春る連ど

うきをわするれど


多ちまち

たちまち


やりて可゛

やりてが


ミつけ多゛し

みつけだ し


志可り

しかり


ちら

ちら


すぞ

すぞ


あハれ

あはれ


奈り

なり


なむ

なむ


や本゛多゛ん

やぼ だ ん


ぶ川

ぶつ


奈むや本゛多

なむやぼ だ

(大意)

帰命頂礼。さてそれからは賽の河原のごとくである。今は禿(かぶろ)の仲間入りをし、邪険な女郎に使われ、体中は痣となる。また竹村の空き重箱を、一つ重ねては父恋し、二つ重ねては母恋いしとおもい、または用を足す(便所に行く)そのすきに、あき座敷に集まって、細螺(きしゃご)のおはじきや石投子(いしなご)で遊び、少しは憂さを忘れるが、たちまち遣手婆が見つけ出して叱り散らす。哀れなことである。南無野暮陀仏。南無野暮だ。

(補足)

「きめうてうらい」、出だしから読めず、「い」が「ハ」にも見えるし。目玉を何度も上下させるも???。「帰命頂礼」なんていう四字熟語しりませんでした。読めるわけなし。『きみょうちょうらい【帰命頂礼】① 仏に信順し,仏の足を自分の頭に戴き,あるいは戴く形をとって礼拝すること。仏教の最敬礼。② 仏に祈念するとき,その初めに唱える語。』

「竹村のあきぢう者゛こ」、吉原江戸町の菓子商竹村伊勢が突出しのお披露目に用意する蒸籠のからになったもの。とものの本にありました。

「きしやご者しき」、『きさごはじき【〈細螺〉弾】キサゴの貝殻を指ではじき当てて勝負を争う遊戯』

「きしやご者しきやいし奈ご」で憂きを忘れて遊ぶ禿たち。廊下には早くみなと遊びたくてあわてて入ってきたのか、草履のひとつが裏返し。

 

2024年2月11日日曜日

九替十年色地獄 その16

P6P7 国文学研究資料館蔵

P7

(読み)

「もしお可ミさんへう王きのさんハ

 もしおかみさんへうわきのさんは


此 己ろいせやのきやく人 尓本れて

このごろいせやのきゃくじんにほれて


す川者゜多可尓奈ん奈す川多と

すっぱ だかになんなすったと


お者りし由可゛者奈しまし多よと

おはりしゅが はなしましたよと


ひる年可む者奈お者むき尓いろ\/奈事 を志やべる

ひるねかむはなおはむきにいろいろなことをしゃべる


P6

「ていし由

 ていしゅ


大 王 女 郎 の

だいおうじょろうの


きやく尓

きゃくに


P7

あ可゛るをいち\/

あが るをいちいち


くろ可゛年の

くろが ねの


かん者゛ん

かんば ん


い多尓つける

いたにつける


志゛やうッ者゜りの鏡(可ゞミ)

じ ょうっぱ りの  かがみ


昼寐(ひる袮)

   ひるね


かむ鼻(者奈)

かむ  はな 


P6

「此 本うこう

 このほうこう


人 ハ於や

にんはおや


者んを

はんを


通 して

とおして


めへり

めえり


やし多

やした


王つちらハ

わっちらは


ふミ玉

ふみだま


奈ざア

なざあ


つ可川多事 ハ

つかったことは


ごさりやせん

ござりやせん


マアむ奈くらの

まあむなくらの


五両  も

ごりょうも


可して

かして


於くん奈

おくんな


せへし奈

せえしな

(大意)

「もし、おかみさんへ、浮気の誰かさんはこの頃、伊勢屋の客人に惚れて、すっからかんになんなすったと、お針衆が話していましたよ」と昼寝・かむ鼻がコソコソといろいろなことを告げ口している。

 亭主大王は女郎にあがる客をいちいち手堅く帳面につけている。

じょうっぱりの鏡 昼寐 かむ鼻

「この奉公人(女郎)は、親の判をちゃんともらってきました。わっちらは、踏み玉などは使ったことはございやせん。まあ手付に五両も貸しておくんなせえ」

(補足)

「お者りし由」、『〘名〙 遊女屋などに雇われて遊女たちの着物を縫ったり、つくろいものをしたりする女。おはりし。※洒落本・青楼昼之世界錦之裏(1791)「わたくしが袖をばおやぶんなんすし又お針衆(ハリシュ)に小言をいはれんすは」』

「お者むき」、『おはむき 【御歯向き】「はむき」を丁寧にいう語。おせじ。へつらい。「浮世に追従軽薄あれば,参会(であい)に座なり―あり」〈滑稽本・根無草後編〉』

「ふミ玉」、借金などを踏み倒してよその遊所に替わろうとする女郎や芸者。

「む奈くらの」、胸ぐら金、手付金。

 前頁の駕籠かきふたり、女衒、ここのおかみさん、みな鬼の角がはえています。

 

2024年2月10日土曜日

九替十年色地獄 その15

P6P7 国文学研究資料館蔵

P7

(読み)

じんを

じんを


ふるのと二可い

ふるのとにかい


中  の事 を

じゅうのことを


ミ多゛し可ぎ

みだ しかぎ


出しして

だしして


いつ付 口 を

いつつげぐちを


するこれハ

するこれは


いつでも

いつでも


こしもとの

こしもとの


やく奈り

やくなり


「此 かゞミを

 このかがみを


じやうッ者゜りの

じょうっぱ りの


かゝミと奈つくる

かがみとなずくる


由ゑんハと可く

ゆえんはとかく


女 郎 ハ志やうッ

じょろうはじょうっ


者゜り奈こんじやうで

ぱ りなこんじょうで


な个れハ与き

なければよき


おいらん尓

おいらんに


なられぬ由へ尓

なられぬゆへに


可く奈川゛くと奈り

かくなづ くとなり

(大意)

(よく客)人を振るとか、二階中のことを見つけ嗅ぎ出しして、ひとつつげ口をする。これはいつでも腰元の役目である。

 この鏡をじょうっぱりの鏡と名付けるいわれは、とかく女郎は情っ張りな根性でなければ、よき花魁になることができないために、このように名付けられたのである。

(補足)

「いつ付口を」、この「いつ」は『① ひとつ。「その生活は―の秘密だといふことであつた」〈青年•鷗外〉』でしょうか。う〜ん。

 

2024年2月9日金曜日

九替十年色地獄 その14

P6P7 国文学研究資料館蔵

P6

(読み)

於可ミさんといふ可゛つきそひ

おかみさんというが つきそい


ゐる於尓の女  本う尓ハきしん

いるおにのにょうぼうにはきじん


といへとゑてハこの於可ミさんと

といへどえてはこのおかみさんと


いふや川ていし由大 王 より

いうやつていしゅだいおうより


む年き奈もの尓てつ年尓

むねきなものにてつねに


王可゛飛ざもと尓

わが ひざもとに


飛る袮可む者奈と

ひるねかむはなと


いふ二 人の

いうふたりの


ものをつけ

ものをつけ


於き多れ

おきだれ


さんハこの

さんはこの


ころぢいろ可゛

ごろじいろが


でき多の

できたの


多゛れさんハ

だ れさんは


よくきやく

よくきゃく

(大意)

(またそばに、)おかみさんというのが付き添っている。鬼の女房には鬼神といえども、えてして、このおかみさんというやつは亭主大王よりたちが悪い。つねにわが膝元に、昼寝・かむ鼻という二人のものをそばに置き、誰かさんはこの頃、情夫ができたとか、誰かさんはよく客(人を振るとか、)

(補足)

「む年き」、『むねき【胸気】不愉快なこと。気にさわること。また,そのさま。むなけ。「誰だつて余り―な事を云はれるとぐうつと癪に触つて」〈くれの廿八日•魯庵〉』

「二人のものをつけ於き多れさんハこのころぢいろ可゛でき多の多゛れさんハ」、「多れさん」と「多゛れさん」が「誰かさん」とわかるまで、区切りがわかりませんでした。

「ぢいろ可゛」、『【地色】② 花街の女が情夫にした土地の男。「どうだ,―でもできたか」〈洒落本・辰巳之園〉③ 素人娘との色事。「いや,おらは―はきらいだ。比丘尼(びくに)がええ」〈咄本・聞上手〉』

「飛る袮可む者奈」、地獄閻魔の庁にいるとされる「見る目・嗅ぐ鼻」のひっかけ。昼寐(ひる袮)・かむ鼻(者奈)の髪型が特徴的です。ちょっと沖縄風。

 

2024年2月8日木曜日

九替十年色地獄 その13

P6P7 国文学研究資料館蔵

P6

(読み)

さて可の於尓のやうなせ个゛ん尓

さてかのおにのようなぜげ んに


いさ奈ハれいろぢこくのあるじ

いざなわれいろじごくのあるじ


ないしやうのていし由大 王 のまへゝ

ないしょうのていしゅだいおうのまえへ


出れハま川゛志゛やうツ者゜りの

でればまず じ ょうっぱ りの


かゞミといふ尓うつし者奈すじ可

かがみというにうつしはなすじが


とをる可とをらぬ可ミの志奈へ可゛

とおるかとおらぬかみのしなへが


よい可王るひ可をミさ多゛めよび多゛し

よいかわるひかをみさだ めよびだ し


つけま王し中  三 遍やもちまハり

つけまわしちゅうさんへやもちまわり


とそれ\/のつミをきハめる

とそれぞれのつみをきわめる


かゝミ奈りぢごくのさ多も

かがみなりじごくのさたも


可本志多゛い奈り又 そハ尓

かおしだ いなりまたそばに

(大意)

 さて、かの鬼のような女衒(ぜげん)に連れてゆかれ、色地獄の主である、居間に控える亭主大王の前へ出れば、まず、(浄玻璃(じょうはり)の鏡ならぬ)情っ張り(じょうっぱり)の鏡というものに写し、鼻筋が通っているか通っていないか、身のこなしが美しいか悪いかを見定める。それによって、呼出し・付廻し・中三・部屋持・廻りと、それぞれの罪を見極める鏡なのである。地獄の沙汰も顔次第である。またそばに、

(補足)

「志奈へ」、「しな・う しなふ【撓う】〔「しなやか」の「しな」と同源〕③ しなやかに美しい姿である」

「呼出し・付廻し・中三・部屋持・廻り」、大見世(高級遊女屋)の遊女の階級。吉原最高級の遊女が「呼出し」、新造付きで揚代は金一両一分。「中三(昼三)」は昼夜通しで三分。昼または夜だけの片仕舞は一分二朱。「付廻し」は昼夜をとわず二分(一両の半分)。「部屋持」は座敷持ちの遊女で一分。「廻り」は自分の部屋はなく共用の廻し部屋で最下級の女郎。とものの本にはありました。

 情っ張り(じょうっぱり)の鏡はもちろん閻魔大王が持つ浄玻璃(じょうはり)の鏡の

しゃれです。その鏡なんとも黒漆の立派なこしらえです。細かいなとおもうのが、鏡の手持ちの部分の支えの隙間の向こうに着物の柄をちゃんと描いているところ。

 

2024年2月7日水曜日

九替十年色地獄 その12

P4P5 国文学研究資料館蔵

P5

(読み)

P4

コレ於むすあんまり

これおむすあんまり


奈きやん奈なミだて

なきやんななみだで


可ご可゛

かごが


ふや个る

ふやける


「さき本゛う

 さきぼ う


志つ可り可上 るぞ

しっかりかあげるぞ

P5

二 人の志うき

ふたりのしゅき


づ可いさつしやん奈

づかいさっしゃんな


於つゝけきん

おっつけきん


とし多

とした


於いらん尓奈ると

おいらんになると


今 のくらしでハ

いまのくらしでは


まもりふくろ

まもりぶくろ


尓もも多れぬ

にももたれぬ


やう奈与ぎ

ようなよぎ


ふとんをきて

ふとんをきて


袮る

ねる


ぞや

ぞや

(大意)

「これ、お娘、あんまり泣くんでねぇ。涙で駕籠がふやける」

「先棒、大丈夫か、上げるぞ」

(女衒)「二人の衆、きづかいはいらねぇよ。そのうち、きれいなおいらんになれば、今の暮らしでは守り袋(の生地)にも使われないような、夜着・蒲団を着て寝ることができるのだぞ」

(補足)

「二人の志うきづ可いさつしやん奈」、初見ではどこで区切るか、わかりません。

「きんとし多於いらん」、「きん」は「錦」でしょうか。美しいの意。

「まもりふくろ」、守り袋。神社や寺で授ける護符を入れて身につけるための袋。錦(にしき)や金襴(きんらん)など高級な布地で華美につくられたものが多い。庶民も布地はわずかでよいので高級なものを古着屋や端布で求め、各自肌身離さず持っていたようです。

「尓もも多れぬ」、最初の「も」は「し」+「こ」。もうひとつは変体仮名「毛」です、一画目が縦棒の下部で筆先を左回りにグニャリと返しながら「の」のようなかたちにします。

 この場面、このBlogでたくさん紹介している豆本の中の一頁のように見えてしまいます。この黄表紙からおよそ90年後が1881年、明治14年ですので、明治時代の豆本が盛んになり始めるときになります。豆本の作者たちはこのような黄表紙の頁を参考にしたのではないかと想像します。娘や二親がおいおいと泣く仕草や、犬が別れに吠えている様子など、豆本の頁を見ているようです。

 

2024年2月6日火曜日

九替十年色地獄 その11

P4P5 国文学研究資料館蔵

P5

(読み)

可の川 柳  和尚  の

かのせんりゅうおしょうの


う多尓

うたに


「こう\/尓うられ

 こうこうにうられ


ふこう尓うけ出され

ふこうにうけだされ


とハむへ奈る可奈\/

とはむべなるかなむべなるかな


アゝ奈むや本゛だ

ああなむやぼ だ


ふつ\/

ぶつなむやぼだぶつ


「ふ多り可゛奈ミ

 ふたりが なみ


だの於ちる

だのおちる


於と本゜た\/

おとぽ たぽた


\/\/

ぽたぽた


本゜多り

ぽ たり


\/

ぽたり

(大意)

かの川柳和尚の歌に

「孝行に売られ不孝に請け出され」とあるが、もっともなことであるぞ、もっともであるな。あぁ、南無野暮陀仏なむやぼだぶつ。

「ふたりの涙の落ちる音。ぽたぽたぽたぽた、ぽたりぽたり。

(補足)

「孝行に売られ不孝に請け出され」、貧乏な家の娘が親『孝行』のために廓へ『売られ』、客は親『不孝』を重ね廓通いで散財し、ついには遊女を『請け出す』。

「ふ多り可゛奈ミだの於ちる於と」、ここは芝居の二番目の狂言(しんみりした風情の世話物狂言の場面から始まる)のように、たいていは舞台全体が薄暗い中、ほのかに灯りがともるあばら家が舞台。

「本゜た\/\/\/本゜多り\/」、半濁点「゜」があります、「゛」よりは目にする頻度は小さそうです。

 二人して泣きくれる家の様子は、とても貧乏所帯には見えません。庭に出るための踏み石のそばの土壁が一部剥げ落ちていますが、これは土壁を絵にするときのおきまりで、他の部分に目をやると、なかなかの小洒落たおうちです。

 

2024年2月5日月曜日

九替十年色地獄 その10

P4P5 国文学研究資料館蔵

P4

(読み)

いハゝ志での多び

いわばしでのたび


いき王可れの

いきわかれの


門 出尓てそのミ尓ハ

かどでにてそのみには


ぜ个゛んのつら

ぜげ んのつら


つきも本ん多゛尓由う多

つきもほんだ にゆうた


於尓と思 ハれむ可い

おにとおもわれむかい


の四ツ手可ごハひのくるまの

のよつてかごはひのくるまの


やう尓ミへ

ようにみえ


ますじや尓

ますじゃに


よつて飛゛ん本゛う

よってび んぼ う


奈事 を火の車  と

なことをひのくるまと


申 スハこのゐん

もうすはこのいん


ゑんでごさる

えんでござる

(大意)

たとえて言えば死出の旅、生き別れの門出である。売られる身には、女衒の風体は本田に結った鬼に見え、迎いの四つ手駕籠は火の車のように見える。であるからして、貧乏なことを火の車と申すのは、これが元になっているのでござる。

(補足)

「いハゝ」、「ゝ」が「く」のように見えてしまいます。

「ぜ个゛んのつらつき」、とても「ら」のかたちに見えませんが、前後の流れから判断。

「四ツ手可ご」、籠の構造がよくわかるように描いてくれています。一番下にそりのような台二本があり、そこに底の浅い大きな笊(ざる)をとりつけ、そこに筵(むしろ)かゴザ、上等なものは座布団を敷き、それら全体を特大のトングのような形状のもの(売られてゆく娘の右手が触れているのがその支柱)、竹四本でできあがり。

「ミへます」、急にですますになって、なんとも変な感じ。

「ゐんゑん」、因縁。「ゐ」の元字は「為」、「ゑ」は「恵」。

 江戸後期の欧州文明国にも籠はありました。馬車の印象が強いのですが、同版画や写真で確かめることができます。またなぜ日本では馬車のような乗り物が牛車どまりだったのか、板倉聖宣氏が論考しています。

 

2024年2月4日日曜日

九替十年色地獄 その9

P4P5 国文学研究資料館蔵

P4

(読み)

此 いろちこくへ於ちるものゝ者じめを

このいろじごくへおちるもののはじめを


多づぬる尓身をすてるやぶさへ

たずぬるにみをすてるやぶさへ


志らぬびん本゛う人 の娘  尓て

しらぬびんぼ うにんのむすめにて


志者ゐてもするとをり

しばいでもするとおり


ゑてハ於や者ら可らの

えてはおやはらからの


多め尓志つミし

ためにしずみし


こひのふち尓んじん

こいのふちにんじん


のミか王り尓此 いろじ

のみがわりにこのいろじ


こくへおちる事 尓て

ごくへおちることにて


うら連て行 ときハ

うられてゆくときは


四鳥(して う)の王可れ尓

   しちょう のわかれに


ひとしく多とへて

ひとしくたとえて

(大意)

 この色地獄に落ちる者のきっかけというと、身を捨てるところさえ知らぬ貧乏人の娘が、芝居にもある通り、よくあるはなしである。親・兄弟姉妹のために廓の深い淀みに沈み、人の身代わりになって、この色地獄へ落ちるのである。売られて行くときは、まさに『四鳥の別れ』のようであり、たとえて言えば

(補足)

「娘」のくずし字がなんとなく変です。

「ゑてハ於や者ら可らの」、読めてもどこで区切ったらよいものか・・・

「於や者ら可らの多め尓志つミしこひのふち」、長唄『もみぢ葉』寛保四年(1744)作詞 不明 作曲初代杵屋新右衛門。「こ」は変体仮名「己」でしょうか。この『もみぢ葉』の歌詞を読むと、京伝のこの黄表紙がいくらか影響されているのがわかります。

「尓んじん」、「人参」ではなく「人身」です。

 

2024年2月3日土曜日

九替十年色地獄 その8

P2P3 国文学研究資料館蔵

(読み)

P2

「狂  傅 於しやう

 きょうでんおしょう


者奈の下 の

はなのしたの


こん里 うて

こんりゅうで


こさる

ござる


こめの

こめの

P3

ぜ尓を

ぜにを


上 られ

あげられ


ませ う

ましょう

P2

「於やぢの

 おやじの


於多゛んぎと

おだ んぎと


ち可つて

ちがって

P3

おもしろひ

おもしろい


自笑(じせ う)可

   じしょう が


きん多んき

きんたんき


この可多の

このかたの


せ川本う

せっぽう


じや

じゃ


「アァあり可゛たふ

 あぁありが とう


ごせへす

ごぜぇす


奈むや本゛多ふつ

なむやぼ だぶつ


\/\/

なむやぼだぶつなむやぼだぶつ

(大意)

「狂傅和尚の鼻の下の建立でござる。米の銭をあげられましょう

「親父の説教と違っておもしろい。(八文字屋)自笑の『禁短気』風の説法じゃ

「あぁありがとうごぜぇやす。南無野暮陀仏南無野暮陀仏南無野暮陀仏

(補足)

「こめのぜ尓を上られませう」、ここのセリフは柄杓を持って銭を集めまわる者の言葉ですが、銭が集まれば和尚に米の代金としてあげることができるという意味なのでしょうか?どうもピンときません。

「自笑(じせう)可きん多んき」、八文字屋自笑作の浮世草子『傾城禁短気』(正徳元年(1711)刊)のこと。色物講釈物で女色と男色の優劣について論じ議論するが、女色が優ると説く作品。とありました。

 

2024年2月2日金曜日

九替十年色地獄 その7

P2P3 国文学研究資料館蔵

P3

(読み)

じやと可く本んぷ可゛つう尓

じゃとかくぼんぷが つうに


奈り多可゛る可於いらん上  人 の

なりたが るがおいらんしょうにんの


於しへハ多ゞ一 心 いつ可う尓奈むや本゛

おしへはただいっしんいっこうになむやぼ


多゛ふつ\/     と申 せとの事 てごさる

だ ぶつなむやぼだぶつともうせとのことでござる


これ可らいろぢこくのありさ満を

これからいろじごくのありさまを


ときましやうミ奈

ときましょうみな


ゆる里つとちやう

ゆるりつとちょう


もんさ川しやれや

もんさっしゃれや

(大意)

とかく凡夫が通になりたがるが、おいらん上人の教えは、ただ一心ひたすらに、南無野暮陀仏なむやぼだぶつと申せとのことである。これから色地獄のありさまを説きましょう。皆、ゆるりとお聴きなされや。

(補足)

「本んぷ可゛つう尓」、濁点「゛」、半濁点「゜」が省かれていることは普通ですので、前後を何度か通して読むしかありません。

 

2024年2月1日木曜日

九替十年色地獄 その6

P2P3 国文学研究資料館蔵

P3

(読み)

せつちんくらひ

せっちんくらい


ても奈く

でもなく


く可゛い十  年 の

くが いじゅうねんの


かしやくの

かしゃくの


せめハぢこくの

せめはじごくの


しやううつして

しょううつしで


ごさる可ゝる

ござるかかる


くるしき

くるしき


女 郎 の

じょろうの


ミの

みの


うへを

うえを


志り奈可ら

しりながら


ミあ可りを

みあがりを


させ引 て

させひきて


あそぶをつう

あそぶをつう


しやと思 ふ志由じやう

しゃとおもうしゅじょう


そうハとらの可ハのふん

そうはとらのかわのふん


どしを志めぬ者可りの於尓

どしをしめぬばかりのおに

(大意)

雪隠(便所)にもなりゃしない。苦界十年の責めの苦しみは、地獄をまさにそのまま写し取ったものに他ならぬ。かかる苦しき女郎の身の上を知りながら、遊女に自腹を切らせる「見上り」をさせ、「引き」て遊ぶのを通じゃとおもう人々よ、そうは虎の皮のふんどしを締めぬばかりの鬼じゃ(そうは問屋が卸さぬよ)。

(補足)

 ペペンペンとハリ扇ならす京伝和尚の鼻はなるほど、見事な団子っぱな。着物の柄のほうが気になります。

 講釈台まわりの文字が読めそうで読めません。