2023年9月30日土曜日

桃太郎発端話説 その38

中P6P7 東京都立図書館蔵

中P7

(読み)

むくハんと心  の多けを

むくわんとこころのたけを


つくしてちそうし

つくしてちそうし


可ヘリ尓ひとつの

かえりにひとつの


徒ゞらをミやげ

つづらをみやげ


尓あ多ゆる志やう

にあたゆるしょう


志゛起ふう婦ハよくの

じ きふうふはよくの


奈起ものゆへ可ろ起

なきものゆえかろき


つゞらをもらう

つづらをもらう


このところハ

このところは


こどもし由可゛

こどもしゅが


よく御ぞんじ

よくごぞんじ


奈り

なり


「おやすゞめ

 おやすずめ


「春ゞめバ

 すずめば


ミやことハ

みやことは


よくいふ多もの

よくいうたもの


じややま能奈可

じゃやまのなか


尓もこのやう奈

にもこのような


ざしき可ある

ざしきがある


「これハ

 これは


い可い

いかい


御ちそう

ごちそう


じや

じゃ

(大意)

かえそうと、精一杯の心尽くしで料理をふるまい、

帰りにひとつの葛籠を土産にもたせました。

正直夫婦は欲のない人たちでありましたから、

軽い葛籠をもらいました。ここのところのいきさつは

お子様型のよくご存知なところであります。

親雀。

「雀(住め)ば都とはよくいったもじゃ。

山の中にもこのような座敷がある」

「これはすごいごちそうじゃ」

(補足)

「心」のくずし字が「公」のような形になっています。だいたいこのような形が多い。

「御ぞんし」「御ちそう」、「御」のくずし字は変化自在です。

 じいさんばあさんの表情がやけにくっきりはっきり描かれていてどこか現代的であり近所でみかけるお年寄りという風情。

 床の間の飾り台にのっかているのは雀のようなおしどりのような、置物か本物?!

 

2023年9月29日金曜日

桃太郎発端話説 その37

中P6P7 東京都立図書館蔵

中P6

(読み)

「志多きり

 したきり


すゞめおやどハ

すずめおやどは


どこじや

どこじゃ


ちよつ\/ ち与

ちょっちょっちょ


「志ら起尓するめ

 しらきにするめ


ゆいのハむこじや

ゆいのはむこじゃ


「志多ぎ尓

 したぎに


すミれ

すみれ


おゑどハ

おえどは


者でじや

はでじゃ


者志゛めお者り

はじ めおわり


奈起ものハ多し可

なきものはたしか


奈らずと可や

ならずとかや


志やうじ起

しょうじき


ふう婦ハ志多

ふうふはした


きりすゞめの由(く)

きりすずめのゆ く


ゑを多づ年尓いて

えをたずねにいで


个る可゛おもふこゝろ能

けるが おもうこころの


まこととゝきて

まこととどきて


すゞめのかくれ

すずめのかくれ


ざと尓多づ年

ざとにたずね


あ多り个れバすゞめ

あたりければすずめ


ども志やうじ起

どもしょうじき


ふうふ可゛大 おんを

ふうふが だいおんを

(大意)

「舌切雀、お宿はどこじゃ。ちょっちょっちょ」

「白木にするめ、結納は婿じゃ」

「下着にすみれ、お江戸は派手じゃ」

 はじめ終わりなきものは確かならずというそうだ。

正直夫婦は舌切雀の行方を尋ねに出かけたのだが、

その心の願いが届き、雀の隠れ里を尋ね当てることができた。

 雀たちは正直夫婦の大恩を

(補足)

「おやど」「おゑど」「お者り」、変体仮名「於」が平仮名「か」にそっくりです。そして「おもふこゝろ」の左二行となりの「かくれ」の「か」と比べてもやはりそっくり。

「志ら起尓」「志多ぎ尓」は「志多きりすゞめおやどハどこじや」と同じ調子の台詞で言葉遊び、洒落です。結納には白木とスルメを縁起物として添える。すみれは紫色、京の紅に対して江戸名産の江戸紫の下着で江戸は派手好み、とものの本にはありました。

 縁側の外、遠くの山間に正直夫婦の、〽お宿はどこじゃと、探し訪ねる小さな姿が見えます。爺さんの右袖には「正」の字がご丁寧に記されています。

 

2023年9月28日木曜日

桃太郎発端話説 その36

中P5 東京都立図書館蔵

(読み)

「奈可満のすゞめも

 なかまのすずめも


きのどく尓思 ひ

きのどくにおもい


せんごりをとりて

せんごりをとりて


すゝめのミやをいのりし

すずめのみやをいのりし


ゆへすゞめのせんごり

ゆえすずめのせんごり


志゛つのひとこへといふ

じ つのひとこえという


事 ハこのと起よりぞ

ことはこのときよりぞ


者しまり个る

はじまりける


「さて\/おゝき尓くろう

 さてさておおきにくろう


し多ことじやもふ

したことじゃもう


こ連可らハち川とも

これからはちっとも


く王奈のや起者満ぐり

くわなのやきはまぐり


じや

じゃ

(大意)

 仲間のすずめたちも気の毒におもい

(無事に出てくるように)千垢離(せんごり)をして

雀の宮を祈願していたので、

「雀の千垢離実の一声」というのは

このときより始まったのである。

「さてさて、大変な苦労をしたものじゃ

もうこれからは、ちょっとでも

桑名の焼蛤にしよう」

(補足)

「すゞめのせんごり志゛つのひとこへ」、諺「雀の千声(せんこえ)鶴の一声」のもじり。

「せんごりをとりて」、ここの「ご」と「と」はよく似ています。

「このと起より」、こちらの「こ」「と」は一画目の違いがはっきりとわかります。

「こ連可らハ」、変体仮名「連」(れ)がずいぶんとくずれています。

「ち川とも」、平仮名「つ」は横に平らになめらかになってしまっていて縦棒三本のなごりはまったくありませんが、カタカナ「ツ」は「川」のかたちそのままです。

「桑名の焼蛤」、「食わない」の洒落。

 うちわで扇ぎ送る親雀の仕草やたたずまい、着物の着崩した感じがとても自然でうまいなぁとおもいます。

 

2023年9月27日水曜日

桃太郎発端話説 その35

中P4P5 東京都立図書館蔵

中P4

(読み)

い志やすゞめい王く

いしゃすずめいわく


「くすりめん个んせずんバその

 くすりめんけんせずんばその


やまいいへずといへり

やまいいえずといへり


秦泰伯出猟至咸陽(しんの多い者く可り尓いてゝ可んやう尓い多り)

         しんのたいはくかりにいでてかんようにいたり


有流火下化為白雀(り うく王ありく多゛りけして志ろ起すゝめと奈る)

         りゅうか ありくだ りけしてしろきすずめとなる


こ連もひのせい尓よつてもとの

これもひのせいによってもとの


すゞめとけす者てよふ尓多この

すずめとけすはてようにたこの


者゛のありさ満じや奈ア

ば のありさまじゃなあ


「や連\/うれしや可いの

 やれやれおれしやかいの


者しらでひ多いでも

はしらでひたいでも


うちハせ奴可

うちはせぬか


「おやすゞめ

 おやすずめ

(大意)

医者雀が言うには「薬瞑眩せずんば、その病(やまい)癒えずといわれている」。

秦泰伯出猟至咸陽

有流火下化為白雀

とあるように、これも火の性によって元の雀に化した。

はてさて、よく似たこの場の有様ではないか。

「やれやれ嬉しいことじゃ、

貝の柱で額を打ちはしないか心配じゃ」

(補足)

 ついたてに京伝の弟子鬼武(きたけ)の絵と署名があります。

「くすりめん个んせずんバそのやまいいへずといへり」、「瞑眩」はめまいのことと辞書にありますが、ここでは漢方治療のことで、好転反応ともいい、漢方薬を服用しはじめるとごく稀に一時的にいま出ている症状が悪化したり発熱・下痢・発疹・倦怠感などが出る症状。

「可いの者しら」、パックリあいた蛤から子雀が飛び出すときに、貝柱におでこをぶつけはしないかとの心配か?それよりも熱いほうがもっと心配なんですけど。

 

2023年9月26日火曜日

桃太郎発端話説 その34

中P4P5 東京都立図書館蔵

中P4

(読み)

ち う\/ と奈起し可゛

ちゅうちゅうとなきしが


者゜つくりとくちあ起て

ぱ っくりとくちあきて


志んきろうの志りご

しんきろうのしりご


多゛満ともいひそう奈

だ まともいいそうな


きをふ起うちより

きをふきうちより


志多きりすゞめとび

したきりすずめとび


いづ連バおやすゞめ

いずればおやすずめ


うれし奈ミ多゛の

うれしなみだ の


すゞめ奈起こそどうり奈り

すずめなきこそどうりなり

(大意)

ちゅうちゅうと泣き(鳴き)、パックリと口を開けて

蜃気楼の尻子玉とばかりに気を吹き出し、中から

舌切雀がとび出した。親雀はうれし涙の

雀泣きは至極もっともなことであった。

(補足)

「者゜つくり」、パックリ。濁点「゛」はついたりつかなかったり、ついても次の字についたりといい加減ですが、半濁点「゜」はもっといい加減で、使われることは使われてもあまり目にしません。

「志んきろうの志りご多゛満」、諺「蛤が蜃気楼を吹く」からか。

 指差す雀衆、一番右の方はちょんまげです。真ん中は着物姿の御婦人日本髷。残る雀は髷の先っちょがちらりと見えます。

 

2023年9月25日月曜日

桃太郎発端話説 その33

中P4P5 東京都立図書館蔵

中P4

(読み)

おやすゞめハこ春ゞめの者満

おやすずめはこすずめのはま


ぐりと奈りしをミつけ

ぐりとなりしをみつけ


多゛してつれ可へり者りや

だ してつれかえりはりや


あんまでやう\/とあ多ゝ

あんまでようようとあたた


めぎ うもとゞ可年バすゞ

めきゅうもとどかねばすず


めいしやさしづして

めいしゃさすずして


と可くつよくあ多ゝめる

とかくつよくあたためる


尓志く奈しとまつかさ

にしくなしとまつかさ


をあつめや起者満ぐり

をあつめやきはまぐり


と奈し个れバ者満ぐり

となしければはまぐり

(大意)

 親雀は蛤となっていしまった子雀を見つけ出し連れ帰り、

鍼(はり)や按摩(あんま)で少しずつそっと温め

灸(きゅう)もしたが効き目がなかった。

 雀医者にたのみ、より強く温めてみたものの

効き目はなく、松かさを集め焼きはまぐりにすると

蛤が

(補足)

 ここの頁はこれまでの頁に比べればはるかに読みやすい。

「やう\/」、「ようよう」はいろいろ意味があります。ここのは「漸う」でしょうか。

「ぎうもとゞ可年バ」、「ぎう」が困りましたが、その前に鍼・按摩とありますので「灸」に決定。

 焼きはまぐりなので七輪かとおもいきや、もっと風流な四角い焼き台に松ぼっくりをたくさんのせて焼いています。おしゃれ!

 

2023年9月24日日曜日

桃太郎発端話説 その32

中P2P3 東京都立図書館蔵

中P3

(読み)

くし可゛い志やとい王れても

くしが いじゃといわれても


あ可がい\/  多゛いじ奈い志可し

あかがいあかがいだ いじないしかし


者満ぐり尓奈つ多ときけバ

はなぐりになったときけば


志本ふ起の可うべ尓か起

しおふきのこうべにかき


やどると御本うべんでいちど

やどるとごほうべんでいちど


ハあ王びでく多゛さ連う貝

はあわびでくだ されうがい


「まつらさ与ひめハいし尓奈つ多

 まつらさよひめはいしになった


可゛王し可むすこハ者満ぐり

が わしがむすこははまぐり


尓奈つ多といの

になったといの

P12

「さつさとござれや

 さっさとござれや


おそいぞ\/

おそいぞおそいぞ


「まへごの\/  あゝ

 まいごのまいごのああ


すこしお奈可ゞ

すこしおなかが


へこつ起やまの

へこっきやまの


可ん可らす多゛

かんがらすだ

P13

「つゞらハ和可い

 つづらはわかい


志由多のミ

しゅたのみ


ますこ連

ますこれ


でハつゞら

ではつづら


すゞめ

すすめ


じや

じゃ

(大意)

たとえ来るのが大変だとしても、全然問題はない。

しかし、息子が蛤になったと聞いたら、

驚かれようぞ。

どんなわけでもよいから、一度は会って下されようのう」

「松浦佐用姫は石になったが、わしの息子は蛤になってしまった」

中P2「さっさと来いや、遅いぞ遅いぞ」

「〽迷子の迷子の、ああちょっと腹がへってきた」

中P3「葛籠は若い者たちに頼みます。これではつづら雀じゃ」

(補足)

 親雀の貝尽くしの洒落の連発のつづきも前回と同様、妄想の産物。貝の名に引っ掛けている洒落がわからぬ自分の頭の硬さは貝の殻より堅し。

「く多゛さ連う貝」、「う」の前に「い」があるようにみえますが、変体仮名「連」(れ)の下の部分が「い」のようにみえているだけです。

「まつらさ与ひめ」、「さ」が変体仮名「多」にみえますけど、小さな横棒がありますので「さ」。

「さつさとござれや」、「れ」のかたちがよくわかりません。

「つゞらすゞめ」、ふくらすずめの洒落でしょう。

 葛籠がちっとも葛籠に見えませんし、葛籠に描こうとおもったら絵師ならばそれらしく描くはず。きっと北斎はそれらに逆らって、無地の葛籠にしてこの見開きの中で目をひこうとした感じ、棺桶も連想させているとおもいます。

 

2023年9月23日土曜日

桃太郎発端話説 その31

中P3 東京都立図書館蔵

(読み)

「さてハこのあさり尓毛せ可゛れ

 さてはこのあさりにもせが れ


めハ保らの可いのうこのつ起

めはほらのかいのうこのつき


ひ可゛い奈でしこ可゛いでそ多゛て

ひが いなでしこが いでそだ て


多ものさくら可゛いの者奈を

たものさくらが いのはなを


ちらし此 やう奈志゛ゝミをミる

ちらしこのようなし じみをみる


くひとハ保多て可゛いも奈い

くいとはほたてが いもない


ことじや和志ハ可多と起

ことじゃわしはかたとき


も和すれ可゛いぞやとおひ

もわすれが いぞやとおい


志んるいよりち可起多尓し

しんるいよりちかきたにし


志゛やさゞいハあるまい可゛多い

じ ゃさざいはあるまいが たい


ら起奈可゛らきさ満多ちも

らぎなが らきさまたちも


まて可゛いの奈いやう尓多づ

まてが いのないようにたず


袮てく多゛さ連や多とへ

ねてくだ されやたとえ

(大意)

「さては息子がこんなアサリのようなものになってしまうとは大嘘だのう。

月日をかけてわが子を育てたのだよ、桜の花をなんどか散らし、このような

小さいしじみを見ることになるとは、身も蓋もないことじゃ。

わしは片時も忘れないぞ。遠い親類より近きの他人じゃ。

贅沢に暮らしてはおらぬが、平穏にやっておるので、お前たちは間違いのないように

尋ねて来てくだされや。たとえ

(補足)

 貝づくしの親雀の台詞。それにしてもてんこ盛り。山東京伝、知っている限りの貝の名前を書き出し、それらをつなぎあわせてこの台詞を考えたのでしょうか。『目八譜(もくはちふ)』という貝類一千種ほどを彩色した大著がありますが、刊行されたのは弘化2年1845年ですので京伝は目にしてません。しかし、似たような書籍があったのではないかとおもいます。

「このあさり尓毛せ可゛れ」、とての判読しずらい。「れ」が「小」にみえます。

「さくら可゛い」、「く」が「つ」にみえます。「く」は縦長のもありますが、このように「ム」のかたちも多い。

「ミるくひ」、「る」が「イ」のようにみえます。下部が欠けていて「る」とかきましたが変体仮名「留」(る)です。

 大意はほぼフィクションでありますので、ご承知の程を。

 浜から葛籠をぐぐ〜っと力いっぱい引っ張り上げる雀、足もやっと人の脚になってよかったよかった。

 

2023年9月22日金曜日

桃太郎発端話説 その30

中P2 東京都立図書館蔵

中P3

(読み)

「こゝハところも尓しの

 ここはところもにしの


うミちくら可゛お起と

うみちくらが おきと


いふ奈れバく連由くとしの

いうなればくれゆくとしの


まめ者゛やし尓やく者らひ

まめば やしにやくばらい


ども可いつ可ミしあくま

どもかいつかみしあくま


けどうをひとまろめ尓

げどうをひとまろめに

P13

奈してふる起つゞら尓おしこめ

なしてふるきつづらにおしこめ


お起奈可へ奈可゛せしをこの者満

おきなかへなが せしをこのはま


尓ふ起つけし可゛つ志王う丸 の

にふきつけしが づしおうまるの


ミづいり可でか王り能者せん

みずいりかでがわりのはせん


可とすゝめどもひ起あげ

かとすずめどもひきあげ


もち可へる奈んの志よせん

もちかえるなんおしょせん


も奈きこと奈連どこれ可゛

もなきことなれどこれが


きやうげんの春し志゛やてや

きょうげんのすじじ ゃてや

(大意)

 ここはところも西の海、どこともわからぬ筑羅が沖である。

歳の暮れの豆囃子(豆まき)のとき厄払いが、悪魔や外道をひとまとめにして

古い葛籠(つづら)に押しこめ沖へ流したのが、

この浜に吹き付けられて揚がった。

 雀どもは、それらを厨子王丸の水入りか出替わり奉公人が入った葛籠(つづら)

の破船かとおもい、引き揚げ持ち帰った。

 あれこれ考えることでもないのだけれど、これが狂言のあらすじ作りというものじゃ。

(補足)

「ちくら可゛お起」、『ちくらがおき 【筑羅が沖】

① 対馬の沖合。朝鮮海峡のあたり。「唐と日本の潮ざかひ,―に陣をとる」〈幸若舞・大臣〉

②  →筑羅に同じ。「和漢まぜこぜ―だ」〈洒落本・辰巳婦言〉

③ 中途半端なこと。あいまいなこと。また,その人。「どちら着ずの―」〈浮雲•四迷〉』とありました。

「やく者らひ」、『② 門付(かどづけ)の一。近世,節分や大晦日の夜,市中を回り,戸毎に厄払いの祝言などを唱えて銭を乞うもの。季冬「声よきも頼もし気也―」太祇』とありました。

「ミづいり」、『③歌舞伎の「助六」で、助六が用水桶の中へ身を忍ばせる件くだりをいい、本物の水を用いる。』でしょうか?

「こゝハところも」、「こ」と「と」はにています。ふたつ並んでいるんで比べるのにピッタシ。

 

2023年9月21日木曜日

桃太郎発端話説 その29

中P2P3 東京都立図書館蔵

中P2

(読み)

「春ゞめハまよひ

 すずめはまよい


こを多づねる尓

こをたずねるに


可袮多いこでハ

かねたいこでは


いでず多けを

いでずたけを


多ゝいていづるゆへ

たたいていずるゆへ


てんとすゞめおどり

てんとすずめおどり


とせ起ぞろの

とせきぞろの


ひや王い(ご)ときいで多ち奈り

ひゃわい ご ときいでたちなり


「せ起そろハすゞめの

 せきぞろはすずめの


王らふで多ち可奈と

わらうでたちかなと


お起奈のくも可んぜん

おきなのくもがんぜん


ていなり

ていなり

(大意)

親雀は迷子の子雀をさがすのに

鉦(かね)・太鼓の鳴り物は使わずに

雀だけに竹をたたいてさがし出す。

なので、まったく雀踊りと節季候の中間といった出で立ちでありました。

「節季候(せきぞろ)は雀のわらう出立(でたち)かな」という

芭蕉翁の句が目に浮かぶようである。

(補足)

「ひや王い」、『ひあわい【廂間】たてこんだ家と家のひさしとひさしの間。日の当たらない場所。ひあい。「芸者家二軒の―で,透かすと,奥に…竹垣が見えて」〈婦系図•鏡花〉』とありました。

「せ起ぞろ」、『せきぞろ【節季候】〔「節季に候」の意〕近世の遊芸門付(かどづけ)の一。歳末に二,三人組で「せきぞろ,せきぞろ」とはやして家々を回り,遊芸をして米・銭を請うた。せっきぞろ。「―や弱りて帰る籔の中(尚白)」〈続猿蓑〉』とありました。

「ひや王い(ご)とき」、合字の「こと」を間違えたのだとおもいます。

 尻を出して両手にしているのは竹の棒でした。そして踊るようにして探し出す様はこれが本当の雀踊りなのでありました。

 わからない言葉も多く、辞書と首っ引き。大変でありました。

 

2023年9月20日水曜日

桃太郎発端話説 その28

中P2 東京都立図書館蔵

(読み)

やけのゝきゞす与る能つる

やけののきぎすよるのつる


こを思 ふ道 ハひと

こをおもうみちはひと


すじ尓て志多きり

すじにてしたきり


すゞめのおやどりハ

すずめもおやどりは


こすゞめ能ミへ奴ゆへ

こすずめのみえぬゆへ


者年の多よりも

はねのたよりも


き可ま本しく奈可

きかまほしくなか


まの春ゞめを多の

まのすずめをたの


ミたつ年尓いつる

みたずねにいずる


ぞやさし个連

ぞやさしけれ

(大意)

「焼野の雉子(きぎす)夜の鶴」と、親の子を思う情は非常に深く

舌切雀の親鳥は子雀の姿が見えないので、

羽の便りも聞き逃さずあつめ、

仲間の雀を頼み、

尋ねに出かけました。

優しい親雀でありました。

(補足)

「まほし」、『(助動)活用まほしから • まほしく • (まほしかり) • まほし • まほしき • (まほしかる) • まほしけれ • ○〔「まくほし」の転〕

希望の助動詞。動詞およびこれと同じ活用型の助動詞の未然形に接続する。

① その動作をすることをみずから希望する意を表す。…したい。

㋐ 話し手の希望を表す。「世の中に多かる人をだに,すこしもかたちよしと聞きては,見まほしうする人どもなりければ」〈竹取物語〉「いくばくならぬこの世の間は,さばかり心ゆく有様にてこそ過ぐさまほしけれ」〈源氏物語•若菜上〉

㋑ 話し手以外の者の希望を表す。「もしまことに聞こし召しはてまほしくは,駄一疋を賜はせよ」〈大鏡•昔物語〉』とありました。

「道」のくずし字は特徴的。そうしてこんな形になったのだろうなどとは考えずにそのまま覚えるべし。

 半ケツの雀の動きがなんか妙です。このあとすぐに事情がわかります。

 「焼野の雉子(きぎす)夜の鶴」の諺、言い回しはP2の(その7)20230830のところにも出てきました。京伝なにか気になるところがあったのでしょうか。


2023年9月19日火曜日

桃太郎発端話説 その27

中P1 東京都立図書館蔵

(読み)

「さね可多のいちねんけし

 さねかたのいちねんけし


多る春ゞめ保とあつて

たるすずめほどあって


ちご可゛ふちのう多をよむ

ちごが ふちのうたをよむ


あ本ものづくし

あほものづくし


「もろこし尓

 もろこしに


ゆり能ね可やと

ゆりのねかやと


やまうども

やまうども


む可ごのいも

むかごのいも


で者多゛奈あぶらけ

ではだ なあぶらげ


「いつそ

 いっそ


このミを

このみを


すゞめ尓

すずめに


可けて

かけて


そう

そう


じや

じゃ

(大意)

實方の一念で化した雀はしばらくして

稚児ヶ淵の青物づくしの歌を詠みました。

「もろこしに百合の根かやと山独活(やまうど)も

零余子(むかご)のいもではだな油揚」

「いっそ、この身をすずめ(沈め(しずめ))に掛けて、いるようじゃ」

(補足)

「けし多る」、平仮名「け」はあまりでてきません。

「保とあつて」、前回もでてきました、変体仮名「保」(ほ)。

 青物づくしの歌はたんに言葉遊びなのか、稚児ヶ淵のを題材にした歌舞伎「桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしょう)」のなかの何かを意識しているのか、わかりません。

 また「零余子(むかご)のいもではだな油揚」の「はだな」は「はだ」が「非常に、たいそう」という意味がありますから、普通、油揚げは大豆からですけどそれをムカゴで作ったということなのかとでたらめな思いつきがうかびます。

 「いつそこのミを〜」は歌舞伎「桜姫東文章」のなかの台詞だとおもいます。

 實方雀、浜から沖へむかってドンブラコとまさに飛び込む仕草、足が妙にリアルでちと怖い。着物の姿だけで雀の体幹が表現されていてうまいなぁ。

 

2023年9月18日月曜日

桃太郎発端話説 その26

中P1 東京都立図書館蔵

(読み)

者まべをさしてまよひき多

はなべをさしてまよいきた


里ちご可゛ふちの志らきく可゛

りちごが ふちのしらきくか


ふるいけの可者づ可といふ志

ふるいけのかわずかというし


うち尓てどんぶらこととび

うちにてどんぶらこととび


こミし可゛から多゛ののりハ

こみしが からだ ののりは


とけし可゛かんのうち奈り

とけしが かんのうちなり


个連バいつしんこ保りて

ければいっしんこほりて


者満ぐりと奈るぞこじ

はなぐりとなりぞこじ


つけらし起ことゞも奈り

つけらしきことどもなり


まことやあさり者満ぐり

まことやあさりはまぐり


の能りうりを春るといふ

ののりうりをするという


ことばもよりどころある

ことばもよりどころある


ことぞ可し

ことぞかし

(大意)

浜辺をめざしさまよい来て、稚児ヶ淵の白菊か古池の蛙かとみまごう仕草でドンブラコと飛び込むと、からだの糊は溶けたが寒の中(かんのうち)だったので、今度は全身凍って蛤となってしまった。諺の「雀海中に入って蛤となる」というたとえとおりのこじつけになってしまった。諺に「浅蜊、蛤が糊売りする」とあるのは、なるほどもっともなことである。

(補足)

「ちご可゛ふちの志らきく」、『江の島の稚児ヶ淵は、建長寺広徳庵の自休和尚に見初められた、稚児の白菊が、断崖から身を投げ、自休もその後を追ったという伝説が残されている場所』とありました。

「可者づ」、かわずですけど「者(は)」になっています。

「いつしんこ保りて」、変体仮名「保」(ほ)はちょっと変体仮名「阿」(あ)ににています。

「ことゞも奈り」、「こ」「と」はにているのでやっかいです。並んでいるので比べます。

「よりどころある」、ここも「と」「こ」が並んでいるので、比べます。

「ことぞ可し」、ここの「こと」は合字。フォントがありません。「より」の合字「ゟ」はありますけど。

「あさり者満ぐりの能りうりを春る」、諺「浅蜊、蛤が糊売りする」。

 アサリやハマグリを行商していた者が、糊売りに転業する、の意から転じて、小さな商売をしていた者が商売替えをしても、所詮は似たようなもので、小さなことしか出来ない、ということ。昔からシジミ売り・アサリ売り・納豆売りは、貧乏人の倅の仕事とされ、その倅は孝子(親によく仕える子供、親孝行な子供のこと)の鏡と称された。とありました。

 松の木をササッと描いてしまう絵師が多いのですが、北斎はやけに念入りに描いています。やや小ぶりですが大王松の葉のようにもみえます。

 

2023年9月17日日曜日

桃太郎発端話説 その25

中P1 東京都立図書館蔵

(読み)

くちハ和さ王ひの可ど

くちはわざわいのかど


志多ハ和さ王ひのもと

したはわざわいのもと


すゞめハけんどん者゛ゝ可゛

すずめはけんどんば ばが


ひめのりをせしめ

ひめのりをせしめ


て志多をきられ

てしたをきられ


いまさらめん本゛く

いまさらめんぼ く


奈くと者゛んとすれ

なくとば んとすれ


どのりを志多ゝ可

どのりをしたたか


奈め个るゆへ者年

なめけるゆへはね


も可ら多゛もい多

もからだ もいた


てんしんときて

てんじんときて


もとのふる春へも

もとのふるすへも


可へり可゛多く志奴

かえりが たくしぬ


与り本可奈しと

よりほかなしと

(大意)

諺に「口は禍の門、舌は禍の元」というが、雀は慳貪婆の姫糊をせしめて舌を切られ

いまさら面目なく、飛ぼうとしても糊をたっぷりとなめていたために、

羽もからだも糊がパリッときいて、板でこしらえた天神様のように四角張って飛ぶことができず、

もとの古巣へ変えることも難しい。

 死ぬより仕方がないと、

(補足)

「くちハ和さ王ひの可ど志多ハ和さ王ひのもと」、諺。変体仮名「和」(わ)と変体仮名「王」(わ)を使い分けています。発音が微妙に異なったのかもしれません。

「者年」、変体仮名「年」(ね)がここではハート型♡にみえます。くずし字はほとんど「◯に丶」のかたち。

「もとのふる春へも」、最初の「も」が「も」に見えませんが、これも「も」の形。「し」のようにかきはじめて一番下のところで左回りに斜め上に今書いてきたところを横切って上がり、上部付近でこんどは右回りになってそのまま下へ。最後の「も」はみなれた「も」、「し」の最後でそのまま左上に上がって、横棒2本です。

 北斎といえば神奈川沖浪裏が有名です。ここの波は沖と浜でかきわけていますが、どの絵師も波を練習するときには同じように学んだようです。

 

2023年9月16日土曜日

桃太郎発端話説 その24

中表紙 東京都立図書館蔵

(読み)

附  り

つけた


作 者  山 東 京  傳

さくしゃ さんとうきょうでん


重(おも)起葛籠(つゞら)の化物(者゛けもの)ハ心(こゝろ)の鬼(お尓)

  おも き   つづら の   ば けもの は  こころ の  おに


慳貪婆(けんとん者゛ゝ)

    けんどんば ば


昔(む可し)〃(\/ )

  むかし   むかし


桃太郎發端話説(もゝ多らう本川多ん者゛奈し)

        ももたろうほったんば なし


正直爺(しやうぢきぢゝ)

    しょうじきじじ


軽(可ろ)幾葛籠(つゝら)能財宝(さい本う)ハ頭(可うべ)尓やどる

  かろ き   つづら の   ざいほう は  こうべ にやどる


并  ニ(中)  板 元 通  油  町  (蔦屋印)徒多や

ならびに ちゅう はんもととおりあぶらちょう     つたや

(大意)

重い葛籠を選ぶものは化物出て心に鬼が巣食う 慳貪婆

軽い葛籠を選ぶものは財宝が頭に満ちあふれる 正直爺

(補足)

 上部の挿絵、打ち出の小槌をふるい小判ザックザックは正直爺であることは確かですけど、

一緒に喜んでいそうな婆さんは慳貪婆には見えません。やはり正直夫婦のようです。

 表題の「昔」の左側、「く」がふたつあるように見えますが、しばし考えました。

左は同じの意味の記号「ゝ」でその振り仮名「\/」と理解しました。

「軽」のくずし字は「軽」の旧字「輕」をくずしていますので、右側の土の上は「一」+「小」のようなかたちになっています。

 変体仮名「幾」(き)はあまり出てきませんが、平仮名「き」の元字です。

他にも変体仮名がたくさん使われています。この程度でしたらようやくつかえずに読めるようになってきました。

 

2023年9月15日金曜日

桃太郎発端話説 その23

P10 東京都立図書館蔵

(読み)

「のりをミん奈せしめ

 のりをみんなせしめ


うるしとで多ふさ\/

うるしとでたふさふさ


しい春ゞめでハある

しいすずめではある


うしのつのゝきりくち

うしのつののきりくち


ふとい能袮つけと

ふといのねつけと


き多ハ

きたは


「てんと志やうづ可能者゛ゝア

 てんとしょうずかのば ばあ


ろくどうのつぢのぶ多い

ろくどうのつじのぶたい


可゛保とき多ハこの志うち

が おときたはこのしうち


ハ故人 天 幸 もと起すゞ

はこじんてんこうもどきすず


め尓う起めをミせる

めにうきめをみせる


可らハ多けのこ者゛ゝア

からはたけのこば ばあ


でハ奈い可いま尓思 ひ

ではないかいまにおもい


志らせてく連ん

しらせてくれん


「奈んとすさまじ

 なんとすさまじ


可ろう可゛やてん

かろうが やてん


志゛やうを

じ ょうを


ミ多可

みたか

(大意)

「のりをみんな食いやがって、ふてぶてしい雀だ。」

「まったく三途の川の婆か、

まるで六道の辻の舞台に現れる悪役の顔ではないか。

この仕草は故人の天幸(二代目中島中島三甫右衛門の俳名)そっくりだ」

雀(七代目中村勘三郎の俳名雀童を暗示)をひどい目にあわせるからには

竹の子婆に違いない。今に思い知らせてくれよう」

「(まだいいのがれをするとは)なんとあきれるほどにひどいうやつだ。

痛い目にあってこりたか」

(補足)

洒落があったり、歌舞伎役者に引っ掛けたりと予備知識がないと理解が追いつきません。

實方雀の台詞がかすれがひどくて、とても読みにくい。

「せしめ(う)る(し)」、せしめるにうるしをたして語呂合わせ。

「うしのつの〜袮つけとき多ハ」、太いにかける洒落。根付には牛の角なども用いる。

「志やうづ可能者゛ゝア」、『しょうずか しやうづ― 【三途河】〔「そうずか」の転〕→三途(さんず)の川に同じ。「―の婆(ばば)(=脱衣婆(だつえば))」』とありました。

「ろくどうのつぢ」、六道の辻。あの世とこの世の境界。

「故人天幸」、1783年没享年58歳。生涯舞台で悪役を演じた。

 慳貪婆の上半身が今ひとつだけど、逃げ去る雀は上手。

 

2023年9月14日木曜日

桃太郎発端話説 その22

P10 東京都立図書館蔵

(読み)

さてもすゞめハ正  じ起ふう婦可゛

さてもすずめはしょうじきふうふが


いつくしみをうけこち うのくるしミも

いつくしみをうけこちゅうのくるしみも


奈く者奈し可い尓奈りてくらし个る可゛

なくはなしがいになりてくらしけるが


あるひのど可奈るまゝひあ多り尓いで

あるひのどかなるままひあたりにいで


て阿そび个る尓と奈りのけんどん

てあそびけるにとなりのけんどん


者゛ゝ可゛せん多くのりとも志らず

ば ばが せんたくのりともしらず


たらい尓ありしひめのりを

たらいにありしひめのりを


志多ゝ可奈め个る可けんどん

したたかなめけるがけんどん


者゛ゝミつけてんこちも

ば ばみつけてんこちも


奈く者らを多ちて

なくはらをたちて


すゞめの志多を

すずめのしたを


ちよ川きりと

ちょっきりと


ミ志らせてこませ个り

みしらせてこませけり

(大意)

 そうして雀は正直夫婦の慈しみを受け

籠の中で過ごすという苦しみもなく、

放し飼いで暮らしていました。

 あるのどかな天気の良い日、日の当たるところに出て遊んでいるとき、

隣の慳貪婆の洗濯糊とも知らずに、たらいにあった姫糊をたっぷりとなめた

ところを慳貪婆に見つかり、

とんでもなく腹を立て、雀の舌をチョッキリと切って

痛い目に合わせてやりました。

(補足)

「姫糊」、やわらかくたいた飯に水を加えて,すりつぶして作った糊。洗い張りや障子張り替えに用いる。

「正じ起ふう婦可゛」、おじき夫婦ではなく正直夫婦。「正」のくずし字が変体仮名「於」にみえます。

「いつくしみを」、「つく」がくっついているので悩みます。ひらがな「み」もたまに使っているようです。

 

2023年9月13日水曜日

桃太郎発端話説 その21

P9 東京都立図書館蔵

(読み)

「く王ん可゛くゐんの

 か んが くいんの


春ゞめハまふぎ うを

すずめはもうぎゅうを


さへづると申  ます可゛

さえずるともうしますが


和多くしハおまへ

わたくしはおまえ


可゛多尓可ん可゛くさ連る

が たにかんが くされる


すゞめでござれバ

すずめでござれば


モウ\/き うの

もうもうぎゅうの


ねもでませ奴てや

ねもでませぬてや


「すゞめの奈んぎを

 すずめのなんぎを


おすくひく多゛

おすくいくだ


され多可らハ

されたからは


ち う\/ の

ちゅうちゅうの


御おんで

ごおんで


ござり

ござり


ます

ます


「あんまりであるひて

 あんまりであるいて


ねこやい多ち尓とられ

ねこやいたちにとられ


まいぞ

まいぞ


可゛てん可\/

が てんかがてんか

(大意)

「『勧学院の雀は蒙求を囀る』と申しますが、

わたしはご夫婦に学問を勧められ育てられた身の上でございますから

モウモウギュウの音もでないくらいに感謝しております。

「わたくし雀の一大事をお救いくだされたこと

チュウチュウの御恩でございます。

「あんまり出歩いて

猫やイタチに捕まる

でないぞ

わかったか、わかったか

(補足)

「く王ん可゛くゐんの春ゞめハまふぎ うをさへづる」、「勧学院の雀は蒙求を囀る」。

『だいがくべっそう ―さう 【大学別曹】平安時代の私立の教育施設。貴族が,その一族出身の大学寮学生のために設置した寄宿施設であったが,のちに大学寮付属機関として公認された』。勧学院はそのひとつで、藤原氏の子弟のために創設された。学生は「蒙求(中国唐代の類書。幼児用の教科書)」を音読するが、それを聞き覚え、やがて囀るようになる。「門前の小僧習わぬ経を読む」と同意。

「モウモウギュウの音」、牛の鳴き声と蒙求をかけている。「チュウチュウの御恩」、雀の鳴き声と忠義の忠をかけている。という洒落だけど、今ひとつです。

 今回の文章はかすれやかけがひどく、判別できなくて前後のながれから内容を予想して読まなければならないところがあります。

「勧学院」は「く和ん可゛くゐん」、「勧学さ連る」では「可ん可゛く」で同じ勧学でも表し方がことなっています。当時の発音が微妙に違ったためなのか、それほどこだわってなかったのか、さて?

「モウ\/きうの」、この部分だけを何度も読んでも判読は難しい。次の「ちう\/の御おん」まで読むと予想がつきます。

 体幹といいますか、体の芯(心)をしっかりととらえて描いているので、少ない何気ない線でも全体として3人の雰囲気がしっかりとでているところ、うまいなぁとおもいます。

 背景にある鳥かごはどことなくやっつけ仕事の感じです。

 

2023年9月12日火曜日

桃太郎発端話説 その20

P9 東京都立図書館蔵

(読み)

志やう志゛起ぢゝ可の春ゞめを

しょうじ きじじかのすずめを


つ連可へり个る可゛いつ多いとりや能

つれかえりけるが いったいとりやの


事 由へさつそく可ご尓いれ

ことゆえさっそくかごにいれ


ゑをあ多へてい多王り个る

えをあたえていたわりける


もとよりさ年可多のいちねん

もとよりさねかたのいちねん


多るすゞめ奈れハ可さ年\/ 能

たるすずめなればかさねがさねの


奈さけを可んじ志やうじ起

なさけをかんじしょうじき


ふうふを志多い个れバ

ふうふをしたいければ


のち\/ハ可ごを

のちのちはかごを


多゛して者奈し可゛い尓

だ してはなしが いに


奈しふう婦こと

なしふうふこと


奈ふ可王ゆ可゛り个り

なうかわゆが りけり

(大意)

正直爺はあの雀を連れ帰りました。

そもそも鳥屋でしたので、早速かごにいれ

餌を与えやさしく飼い始めました。

もともと實方一念の雀でしたから、

深い情けを感じ正直夫婦を慕ってましたので

日を経て籠から出し放し飼いにしていました。

夫婦そろって可愛いがりました。

(補足)

 だんだんかすれがひどくなって読みづらくなってきたような気がします。

木版画ですので何刷も刷れば彫りの縁が丸くなったり擦れてきます。1000枚程度で版木は使えなくなり、それ以上の冊数では新たにまた版木を彫っていたそうです。この本がそれほど売れたかどうかは不明ですけど、まぁ読めないこともありません。

「とりや能」、「可さ年\/能」、変体仮名「能」(の)は英語発音記号のaとeが合体したような形「æ」。変体仮名「年」はほぼ◯に「丶」。

「可ご尓いれ」、「尓」の左側に「氵」があるように見えます。ゴミにしては変。

 正直夫婦の表情がふたりともそっくりです。このまま現代につれてきてもなんの違和感もないようにおもいます。

 

2023年9月11日月曜日

桃太郎発端話説 その19

P8 東京都立図書館蔵

(読み)

「ぶつちめろ\/

 ぶっちめろぶっちめろ


「このすゞめハ

 このすずめは


おいら可とら

おいらがとり


まへ多だれ尓も

まえただれにも


やることハ

やることは


奈らぬ\/

ならぬならぬ


「こどもらをよく

 こどもらをよく


くるめて春ゞめを

くるめてすずめを


多すけてやりませ う

たすけてやりましょう


「こ連\/こども

 これこれこども


このぜゝをやる本ど尓

このぜぜをやるほどに


その春ゞめをおれ尓くれ

そのすずめをおれにくれ


よいこじや

よいこじゃ

(大意)

「おさえろ。おさえろ」

「この雀はおいらが捕まえた。誰にもやらないぞ」

「子どもたちにうまく言って、雀を助けてやりましょう」

「これこれ子どもよ、この銭をやるからその雀をおれにくれ、よい子じゃ」

(補足)

「ぶつちめろ」は辞書にないかとおもいきや、のっていました。

『ぶっち・める 【打っ締める】

① 押さえつける。締めつける。動けないようにする。「まんまと烏はわれら―・めました」〈黄表紙・魚鳥塩梅吉〉

② 手に入れる。奪う。ものにする。「今夜あの娘を―・めて見せやう」〈滑稽本・東海道中膝栗毛•2〉

③ こらしめる。とっちめる。「とてもの事に―・めてやらう」〈歌舞伎・忠臣蔵年中行事〉』

「こどもらをよくくるめて」、最初の「く」の字が欠けてしまっているようです。

正直爺さんが手にしている銭は、バラ銭ではなく銭の穴に紐を通した差し銭、けっこう大金であります。

 

2023年9月10日日曜日

桃太郎発端話説 その18

P8 東京都立図書館蔵

(読み)

さ年可多のいちねんすゞめの

さねかたのいちねんすずめの


こと奈りミやこの可多へと

ことなりみやこのかたへと


古ゝろさし个る可゛ま多゛

こころざしけるが まだ


す者゛奈れのこと由へ者可

すば なれのことゆえはか


ば可しくもとびやらず

ばかしくもとびやらず


さとのこども尓とられて

さとのこどもにとられて


奈んぎ尓あい个る折 可ら

なんぎにあいけるおりから


志やうじ起ぢゝ此 ところへ

しょうじきじじこのところへ


き可ゝ里さ年可多のいち

きかかりさねかたのいち


ねんとも志らず春ゝめの

ねんとおしらずすずめの


奈んぎをミ可年こども

なんぎをみかねこども


ら尓あ多いのぜ尓を

らにあたいのぜにを


やりすゝめをこひとりて

やりすずめをこいとりて


和可゛やへ可へり个る

わが やへかえりける

(大意)

實方の一念の雀は子に成長し、

都へ向かって飛び去ったが

まだ巣離れしたばかりのため

うまく飛ぶことができず

里の子どもに捕まって

大変なことになっていました。

 ちょうどそのとき、正直爺が

このところに通りかかり

實方の一念の雀とも知らずに

雀がいじめられているのを見かねて

子どもらにそれ相応の銭をやって

雀をくれるよう頼み、かかえて

我が家へ帰りました。

(補足)

 何箇所も字がかすれていたりかけていたりするところがありますが前後の流れから予想します。

 金太郎のような子どもが左手に雀を握り、右手の石で叩き殺そうとしている場面。

 江戸末期から明治初年にやってきたたくさんの外国人が日本子どもたちをみて、その健康状態のよさに驚嘆しています。どんなにひいきめにみても、かれらの国の子どもたちよりも栄養状態はよいし、何よりもとても大切にされていると記されています。

 

2023年9月9日土曜日

桃太郎発端話説 その17

P6P7 東京都立図書館蔵

P7

(読み)

「おすゞめごさ満もおち

 おすずめごさまもおち


こゞろも奈ふておめで多いせんぎでござる

ごころものうておめでたいせんぎでござる


「おふくらさ満まあ\/

 おふくろさままあまあ


おくのちくゑんで

おくのちくえんで


さゝでも阿可りませ

ささでもあがりませ


多いのミそずを

たいのみそずを


申  つけまし多

もうしつけました


「よいお子やの

 よいおこやの

(大意)

「お雀御様も、お血心(分娩後の出血)もなく

おめでたいはこびでござる。

「おふくら様、まあまあ奥の竹縁で酒(ささ)でも召し上がられませ。

「鯛の味噌吸を申し付けました。

「よいお子やの

(補足)

「おふくらさ満」、ふくらすずめ【脹雀・福良雀】

① 肥え太った雀。また,寒気のために羽をふくらましている雀。と、辞書にはありました。

 広辞苑に『たい‐の‐みそず【鯛の味噌吸】鯛の味噌吸物。下に「四方よものあか」(酒の銘柄)と続けて明和・安永(1764〜1781)頃に盛んに用いた語。鯛の味噌津「めつたにうりたい、はなしたい。―に四方山の、はなしにひれはなけれども」』とあります。

 挿絵がおもしろい。産湯につかる幼子が雀というよりひよこのよう。ここの3人(羽)の手が雀の脚そのままでちょっと不気味です。頭がちょんまげや髷になっていて、あまり見たことがありません。

 屏風の裏には産婦、やはり日本髪を結っています。

  

2023年9月8日金曜日

桃太郎発端話説 その16

P6P7 東京都立図書館蔵

P6

(読み)

「このと起さ年可多の

 このときさねかたの


あそんおさ奈起と起おやのおん

あそんおさなきときおやのおん


ふかゝりしを思 ひいでゝ可く奈ん

ふかかりしをおもいてでてかくなん


よミ給 ひ个る

よみたまいける


「奈くと多゛尓おやハくすりの

 なくとだ におやはくすりの


きりもくささしも志可り

きりもくささしもしかり


奈春由る思 ひハ此 う多

なすゆるおもいはこのうた


どうけひやく尓んし由尓

どうけひゃくにんしゅに


ミへ多り

みえたり


「おれ可゛奈りハ

 おれが なりは


てつ可い

てっかい


仙 人 可゛が起

せんにんが がき


多゛うへおち多

ど うへおちた


といふ志うち多゛

というしうちだ


「アゝラミやこ

 ああらみやこ


こいしやナア

こいしやなあ


ドロン\/ \/ \/ \/

どろんどろんどろんどろんどろん


ドロ\/\/\/\/

どろどろどろどろどろ

(大意)

このとき實方朝臣は幼かった頃の親の深い恩を思い出し

このような歌を詠まれました。

「泣くとだに親は薬の切艾(きりもぐさ) さしも叱りなすゆるおもいは」

この歌は今は道化百人一首の中に見える。

「おれの今のこのなりは、鉄拐仙人が餓鬼道へ落ちたような仕打ちだ。

「ああら、都が恋しいなぁ、

どろんどろんどろんどろんどろん

どろどろどろどろどろ

(補足)

 百人一首の51番實方の「かくとだに えやは伊吹の さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを」のパロディ、しかし道化百人一首という絵入小冊子歌集は実際に享保年間ころに刊行され、文化元年(1804)の版にはこの歌がそのままのっていると、ものの本にはありました。

「鉄拐仙人」、中国の八仙の一人で医薬の神様といわれる。得意技は「離魂の法」。實方が大きく吹き出しているのは鉄拐仙人が「離魂の法」で見せる技と重ねています。

 北斎の若かりし頃の絵です。雀の部分部分の細かい描写は今ひとつという感じですが、雀全体を見ると飛び去っていくさまが勢いを見せます。また實方も同じように見ると全体から力尽き果てた感がかもし出されています。

 

2023年9月7日木曜日

桃太郎発端話説 その15

P6P7 東京都立図書館蔵

P6

(読み)

ひとむら志げれる多个やぶ尓

ひとむらしげれるたけやぶに


春ゞめ阿つまり春尓つ起て

すずめあつまりすにつきて


たまごを阿多ゝめいるをミ給 ひ

たまごをあたためいるをみたまい


和連このところ尓てむ奈しく

われこのろころにてむなしく


奈るともいちねん春ゝめと

なるともいちねんすずめと


なりてミやこへの本゛り多゛い

なりてみやこへのぼ りだ い


者゛ん志゛与のいゐをく和んと

ば んじ ょのいいをくわんと


こゝろ尓く和んねんし

こころにか んねんし


可のすゝめの多満ごとさね可多

かのすずめのたまごとさねかた


P7

け うのいちねんと可゛つ多いして

きょうのいちねんとが ったいして


いちハのすゞめとけすこ連

いちわのすずめとけすこれ


さ年可多すゞめと申

さねかたすずめともうす


い王れ奈り

いわれなり

(大意)

ひとところに繁っている竹藪に

雀があつまり巣を作って

卵をあたためているいるのを見つけられました。

「わたしはここで死んだとしても

わたしの一念は雀となって

都へ上り(内裏の)台盤所(台所)の飯を

食ってやろう」と

心に念じました。

あの雀のたまごと實方卿の一念が合体して

一羽の雀と化し、

これがのちに「實方雀」といわれる

もとになった。

(補足)

「このところ」、読み間違いそうなひらがながつづいています。

絵は文章のまま、最後の力をふりしぼり、實方雀となって都へ向かう。

實方の顔はわずかの線でその表情を描いていますが、頬をふくらました感じがなんともうまい。

 

2023年9月6日水曜日

桃太郎発端話説 その14

P6P7 東京都立図書館蔵

P6

(読み)

さてもさね可多个 うハ

さてもさねかたきょうは


志やうぢ起ふうふ可゛

しょうじきふうふが


奈さけのもゝ尓て

なさけのももにて


志者゛し能うへを

しば しのうえを


志の起゛給 ひま多

しのぎ たまいまた


ゆくさ起尓

ゆくさきに


おもむ起

おもむき


給 ひし可゛

たまいしが


この本との

このほどの


つ可れ尓や

つかれにや


御こゝち

おここち


連い奈らず

れいならず


奈らず

ならず


ミちの

みちの


可多和ら尓

かたわらに


やミふし多まひ奈つ可し

やみふしたまいなつかし


きミやこのそらハくもと

きみやこのそらはくもと


のみ奈可゛めやりつれ奈起

のみなが めやりつれなき


いのちを可こちかくミちのく能

いのちをかこちかくみちのくの


つちと奈るとも者奈のミやこの

つちとなるともはなのみやこの


志多ハしく奈ミ多゛尓むせび

したわしくなみだ にむせび


多まひし可゛おりふし可多和らの

たまいしが おりふしかわわらの

(大意)

 さて實方卿は、正直夫婦の情けの桃でしばらくは

飢えをしのいでいらっしゃった。ふたたび行く先に

おもむきはしたものの、これほどの疲れはしたことがなく

道のかたわらに病気となってたおれてしまわれました。

 雲ばかりの空を眺めては、なつかしき都の空はをおもい

おもいどおりにはならぬ命をうらみ、この陸奥(みちのく)の土になっても

花の都はこいしく、涙にむせび泣かれる。折しもかたわらの

(補足)

「給」のくずし字が何度もでてきます。変体仮名「奈」(な)と似ていてまぎらわしい。

「連い奈らず奈らず」、奈らずがだぶってしまいました。

「くもとのみ」、ひらがなの「み」としましたが、なんか形がおかしい。

 

2023年9月5日火曜日

桃太郎発端話説 その13

P4P5東京都立図書館蔵

P5

(読み)

「こ連者せど尓奈つ多

 これはせどになった


もゝてござります

ももでござります


こ連でもおせしめ

これでもおせしめ


奈されてうへをお志

なされてうえをおし


の起゛奈されませてんと

のぎ なされませてんと


おい多王しや\/

おいたわしやおいたわしや


「うまいもゝや可王いの

 うまいももやかわいの


もゝやとハ故人

ももやとはこじん


者くゑん可゛おさ多゛

はくえんが おさだ


まり可へ

まりかえ


「こ連ハてんとうま

 これはてんとうま


そう奈もゝ

そうなもも


じや志可し

じゃしかし


大 のい多ごと

だいのいたごと


きんねんの

きんねんの


大 あ多りと

おおあたりと


き多ハ

きたは

(大意)

「これは家の裏になった桃でございます。

これでも召し上がって、飢えをおしのぎなされませ。

ほんとにおいたわしい、おいたわしい。

「うまい桃や、かわいい桃やとは

亡くなった栢莚お定まりの台詞(せりふ)かの

これはじつにうまそうな桃じゃ。

しかし、ここで桃を出したのは、まことにうまい、

近年の大きなおもいつきじゃ

(補足)

 全体にかすれて読みにくいのは変わりませんが、「て」「と」「こ」の区別が大変です。何度も読み返して意味から判断するのが急がば回れのようです。

「うまいもゝや可王いのもゝやとは」、ものの本には次のような説明がありました。

『栢莚(四代目市川団十郎)安永五(1776)年秋、市村座の「菅原伝授手習鑑」で興行し、隠居して木場の親玉と呼ばれる。その狂言中に孫の市川桃太郎が八歳で亡くなる。そのことを惜しみ舞台で落涙したという。この逸話をここで持ち出した。』

 この本は1792年刊ですから栢莚の逸話はやや古いとはいえ世間では知れわたっていたのでしょう。山東京伝自身、ここで桃を出したのはよい思いつきだったと自画自賛しているわけです。

 背景の「深林人不来」は「深林人不知 明月来相照」のパロディか?

 

2023年9月4日月曜日

桃太郎発端話説 その12

 

P4P5東京都立図書館蔵

P5

(読み)P4

志やうじきの

しょうじきの


ふう婦ハこの

ふうふはこの


ていをミて御い多王しく

ていをみておいたわしく


おもひさ年可多を和可゛

おもいさねかたをわが


や尓とも奈ひいろ\/い多

やにともないいろいろいた

P5

和り申  ぞやさしき

わりもうしぞやさしき


「奈んぞあげましとうハ

 なんぞあげましとうは


ござりますれどあつまの

ござりますれどあずまの


者ての山 可ときて

はてのさんがときて


おりますれバひ起のや

おりますればひきのや


のどらや起さつま

のどらやきさつま


いもよもの多き

いもよおのたき


春いといふ者゛し与

すいというば しょ


も奈しのきり

もなしのきり


くちといふせん

くちとうせんさ


さくさ

さくさ

(大意)

 正直夫婦はこの有様を見て気の毒におもい

實方を我が家に招き、いろいろやさしくもてなしました。

やさしい夫婦でありました。

「なにか召し上がって頂きたいのでございますが

東国のはての山奥の家でござりますれば、

ひきの屋のどらやき・さつまいも、天下の銘酒滝水も

ないという次第なのであります。(あなたのお口にあうようなものは

なにもございません)


(補足)

 前頁もこの頁でも言葉遊びが多数出てきます。当時のこれらをまとめて流行語とくくるようですが、これらについては「近世文芸『草双紙における流行語の位置 松原哲子』」にくわしい。

「おもひさ年可多を和可゛や尓とも奈ひ」、「おも」も「とも」も読みづらい。

「よもの」、「四方の」を調べると『天下。諸国。「―に号令する」』とありました。

「せんさく」、『 事の次第。「美濃吊しなど引かれては元が息(こ)になる―」〈浄瑠璃・心中二つ腹帯〉 』とありました。


2023年9月3日日曜日

桃太郎発端話説 その11

P4P5東京都立図書館蔵

P4

(読み)

「こう者ら可へりま

 こうはらがへりま


大 こんときてハふと

だいこんときてはふと


印  とい王れても

じるしといわれても


あとへもさ起へも

あとへもさきへも


由くことハ奈らすの

ゆくことなならずの


もりのミそさゞい

もりのみそさざい


とひとりつ本゛

とひとりつぼ


や起お者し

やきおわし


ます

まうs


「こつちの阿げ

 こっちのあげ


さげさへてんや

さげさえてんや


王やときている

わやときている


ものをけちい満

ものをけちいま


\/しいてんと

いましいてんと


多゛いりび奈の

だ いりびなの


た奈ざらしと

たなざらしと


き多ハ

きたは


「こハ奈さけ

 こはなさけ


奈のひ奈

なのひな


ひヤ

ひや

(大意)

「こう腹がへりましては、ずうずうしいといわれても

あとへも先へも進むことはできません、とひとり

つぶやいているのでありまする。

「こっちが食っていくのも大変だっていうのに

まったく内裏雛の売れ残りのようなのがきて飯をくれとは

くそ腹がたつ。

「これは情けのない田舎人じゃ

(補足)

「へりま大根」はもちろん練馬大根。「ふと印」の太いはふてぶてしい、ずうずうしいの意。成らずの森は糺(ただす)の森のひっかけ。みそさざいは雀みたいな鳥ですけど、次のつぼ焼きのサザエにつながる洒落と食べ物づくしの洒落オンパレード。

「こう者ら可」、「う」は「う」の形になってません。文章の意味から判断するしかなさそう。

「ふと印」、「ふと」とはすぐに読めない。「印」のくずし字は左右の部品が上下になった形。

「由くことハ奈らすの」、カスレが多く判読が難しい。

 中将の前の縁台のような長椅子の脚が曲木の枝を使ったものなのか、なかなかこっています。

囲炉裏の鉄瓶も大きくて立派。

 

2023年9月2日土曜日

桃太郎発端話説 その10

P4P5東京都立図書館蔵

P4

(読み)

こゝ尓又 そのころち うぜ う

ここにまたそのころちゅうじょう


さ年可多といへる人 ちよ く可ん

さねかたといえるひとちょっか ん


を可ふむりミちのく能可多へ

をこうむりみちのくのかたへ


さまよひき多り給 ひ 

さまよいきたりたまい


し可゛さ奈起多゛尓多びハう起

しが さなきだ にたびはうき


もの奈る尓ふミも奈らハ奴

ものなるにふみまならわぬ


山 さ可尓くるしミうへ尓

やまさかにくりしみうえに


のぞミ多まひし由へ

のぞみたまいしゆへ


けんどん者゛ゝ可゛いへ尓

けんどんば ばが いえに


多ちより志よくもつを

たちよりしょくもつを


もとめ給 ひし可もとより

もとめたまいしがもとより


奈さけ奈起もの奈れバ

なさけなきものなれば


志よくを多てまつらず

しょくをたてまつらず


い多王しもおつ多て

いたわしもおったて


申  ぞふて起奈る

もうしぞふてきなる

(大意)

さてそのころ中将実方という人が、天皇からのとがめをうけ

陸奥へとさまよっていらっしゃったのだが、それでなくとも旅はつらいものなのに

誰も踏み入ったことのないような山坂に苦しみ、飢えて苦しんでらっしゃった。

そのため、慳貪婆の家に立ち寄り、食べ物を求められたが

もともと情けのない者であったから、食事を奉じることもなく

気の毒にも追い立てられてしまった。

不敵(な婆あ)である。

(補足)

「さなきだに」、それでなくてさえ。「―広い座敷が愈(いよいよ)広く」〈続風流懺法•虚子〉

 中将実方についてはこのようにものの本にはありました。『一条天皇に仕えた左近衛中将藤原実方は和歌のことで藤原行成と争いになり行成の冠を打ち落とし、天皇に「歌枕を見て参れ」と、陸奥国へ左遷され当地で亡くなり、死後、雀になって殿上にいたという言い伝えがある』

「山 さ可尓くるしミうへ尓/のぞミ多まひし由へ」のようにきってしまうと、意味がおかしくなります。

「き多り給ひ」、「もとめ給ひし可」、「給」のくずし字は螺旋のようにくるくる二回まわっているようなかたちで特徴的。

 慳貪婆の左袖には「惡」、いかにも意地悪く情けなき怒りっぽい感じの風体。実方の左袂には「實」、おでこあたりに公家の化粧の眉が入れてあり、文章ほどには飢えてはいなそう。

 

2023年9月1日金曜日

桃太郎発端話説 その9

P2P3東京都立図書館蔵

P3

(読み)

〽个 ふハてんこちも

 きょうはてんこちも


奈いよいてんきじや

ないよいてんきじゃ


と可くてんや王やの

とかくてんやわやの


あくで奈くてハ

あくでなくては


びん本うぜ多いの

びんぼうぜたいの


あ可ハおち奴志゛つ

あかはおちぬじ つ


ごとしてハ

ごとしでは


ま志やく尓

まじゃくに


あ王奴てや

あわぬてや

(大意)

「きょうはとんでもなく良い天気じゃ。

どんな灰汁(あく)でもよいからたくさんないと

貧乏所帯の垢はおちないものだ。

まじめに(力まかせにゴシゴシこすって)洗濯をしていては

割に合わぬものだ。

(補足)

「てんこちも奈い」、辞書にそのままのってました。『てんこちな・い 【天骨無い】

(形)〔「てんこつない」の転。近世語〕

思いもかけない。とんでもない。善悪両方にいう。「おや―・い,あんとして食はれべいぞ」〈咄本・鯛の味噌津〉』。ここのところこの表現がよくでてきます。

 ここの婆さんのせりふは字のカスレもさることながら、読みづらいところがたくさんあります。全体の意味をつかんで、そこから読めないところを推理してということを繰り返します。

「てんや王やの」、まともによめるのは「の」だけ。

「びん本うぜ多いの」、変体仮名「本」がずいぶんとくずれています。「ぜ」とわかればなるほどとおもいますけど・・・

「ま志やく尓」、「ま」とわかるのは、次の「志やく尓あ王奴」が読めてからでした。

 読本のおきまりで、その人物が誰であるかを記すというのがあります。正直爺さん婆さんには「正」と「善」、慳貪婆には「惡」。

 垣根は藁を束ねたもので囲っています。ところどころをすかすように白い部分があるのがどことなく立体感を与えていますし、奥にいくにつれて藁の縦線の間隔が細かくなっているのも遠近感をだしています。

 着物というか浴衣のような簡単に羽織るものを着る機会がほとんどなくなり、洗い張りという言葉も死語になりつつあります。着物が日常であった頃は単衣重ね綿入れと季節に合わせて縫ってはほどきを繰り返していました。

 わたしが子どもの頃、5月ごろだったでしょうか、単衣を洗い張りして大きな板の上で糊をきかして乾かしているこうけいがアチラコチラで見かけたものです。母の手伝いでしたのも懐かしい記憶です。