P.162 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」
(読み)
右 二付 新 組 二而太次郎 殿
みぎにつきしんぐみにてたじろうどの
古組 二而啓 之助 殿 両 人 罷 出
こぐみにてけいのすけどのりょうにんまかりで
被仰渡 候 次第
おおせわたされそうろうしだい
太次郎 殿 申 口 留 置 候 紋 二郎
たじろうどのもうしぐちとめおきそうろうもんじろう
豊 五郎 儀昨 年 六 月 打 毀 二付
とよごろうぎさくねんろくがつうちこわしにつき
頭 取 罷 出候 趣 於府中宿二
とうどりまかりでそうろうおもむきふちゅうしゅくにおいて
申 立 二依而 御奉行 所 江差 立
もうしたてによりておぶぎょうしょへさしたて
相 成 夫 二相 違 ハないか太二郎 殿
あいなりそれにあいちがいはないかたじろうどの
相 違 無之 趣 申之 然 ル依 而
あいちがいこれなくおもむきもうししかるよりて
(大意)
(御用状に)したがって新組では太次郎殿
古組では啓之助殿の両人がでかけました。
次のように仰せ渡されました。
太次郎殿の話。留め置いている紋二郎
豊五郎は、昨年6月打ち壊しの
首謀者としてでかけたようである。府中宿で
出頭要請により、お奉行所へ連れてくることに
なった。それに違いはないか(との尋ねに)太次郎殿
相違はございませんと答えた。それでは(申し渡す)、
(補足)
源左衛門さんの手跡のようです。
濃い墨汁で筆致に元気がある。体調が戻ったかな。
「太次郎」、終わりから2行目行末では「太二郎」となってます。やはり間違いやすいんですね。
「太次郎殿」「啓之助殿」、「殿」のくずし字が異なってます。また「啓」の「口」が旁の方にいってます。
「昨年」、「年」のくずし字はほとんど丸印。
「於」このくずし字はわかりやすい。
「依而」、この頁に2回でてきてます。全文検索してみるとP.84とこの頁だけです、計3回。
読みは(よって)(よりて)だとおもいますが、さて。
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