2019年7月10日水曜日

変事出来二付心得覚記 その237




 P.139 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
此 段 当 村 之儀者村 高 四 百  石 余
このだんとうそんのぎはむらだかよんひゃくこくあまり

名主 弐人、年 寄 壱人、組 頭  八 人
なぬしふたりとしよりひとりくみがしらはちにん

有之  取 締  向 心  附 罷  在 候   所、
これありとりしまりむきこころつけまかりありそうろうところ

当 六 月 十  三 日 暮 方 村 内 并  最寄
とうとくがつじゅうさんにちくれかたむらうちならびもより

村 々 窮  民 共 騒  立 候   風 聞 承
むらむらきゅうみんどもさわぎたちそうろうふうぶんうけたまわり

候   二付、村 役 人 共 一 同 申  合、 精々
そうろうにつきむらやくにんどもいちどうもうしあわせせいぜい

申  諭  取 鎮  方 罷  在 候   内、夜中
もうしさとしとりしずめかたまかりありそうろううちよなか

殊 二追 々 多人 数 相 成、中々  以 
ことにおいおいたにんずうあいなりなかなか


(大意)
つきましては、当村は村高四百石あまり
名主二人、年寄一人、組頭八人
で(村内の)取締を心していたところではありますが
当6月13日暮れ方、村内と最寄りの
村々で生活に困った者たちが騒ぎを起こしているとの知らせを耳に
しましたので、村役人たち全員で話し合い、できる限り
説得し取り締っていたところでした。しかし夜中に
ことに少しずつ人数が増えてまいりました。なかなか

(補足)
「名栗の歴史 上」(P426)によると、名栗村村役人は
名主: 町田滝之助 原田太次郎
組頭: 代八 半次郎 久吉 仙太郎 忠太郎 吉田伴次郎 平沼源左衛門
年寄: 軍蔵
とあり、組頭の人数があいません。

「暮」、この字はいつも二文字のように書かれていますが、ここではそれが顕著。
「諭」、くずし字の辞典を調べましたがのっていませんでした。

 この頁は源左衛門さんの手跡ようです。


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