P.153 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」
(読み)
八月三日 砂 川 泊 リニ而帰 る
はちがつみっか すながわとまりにてかえる
四日 病 気二而休
よっか びょうきにてやすむ
五日 休
いつか やすみ
五日 直吉 増太郎 平 助 江戸へ行
いつか なおきちますたろうへいすけえどへゆく
六日 源左衛門 寅 二郎 新 立 江行
むいか げんざえもんとらじろうにったちへゆく
六日 留 吉 連 立
むいか とめきちつれだち
七日 寅 二郎 兵 三 郎 両 人
なのか とらじろうへいさぶろうりょうにん
新 立 ゟ 柏 屋江行
にったちよりかしわやへゆく
同日 古組 之儀者柏 屋組 ゟ 小物 迄
どうじつ こぐみのぎはかしわやぐみよりこものまで
不残 打 寄セ入 用 拵 候 趣
のこらずうちよせいりようこしらえそうろうおもむき
新 組 二而も右 之趣 被成候 由
しんぐみにてもみぎのおもむきなされそうろうよし
(大意)
8月3日 砂川に泊まり帰宅
4日 病気にて休む
5日 休
5日 直吉、増太郎、平助江戸へ行く
6日 源左衛門、寅二郎新立へ行く
6日 留吉を連れて
7日 寅二郎、兵三郎の両人
新立より柏屋へ行く
同日 古組の件は柏屋組より小物まで
残らずやってきて???
新組でも古組と同じようにされるとよい
(補足)
この頁から4頁続けて日付と文章がこの書式で記されます。最後は8月16日。
日付に従って時系列で箇条書きにその日の出来事をまとめたようですが、なんかかえって分かりづらい。日付を思い出しながら書いたのか、間違えての訂正も重ね書きしていて見にくい。
七日の次は同日としましたが、これは翻刻にそうあったからで、よく見ると八日を消して上書きしてあり、同日とは読めません。
源左衛門さんの動静はP.127にもあるように、砂川に出かけましたが病気になって帰宅し休みました。その後回復して寅次郎と一緒に新立へとなります。
「不残打寄セ入用拵候趣」、読みも?、意味もよくわかりません。
手跡がやや乱暴に感じられます。うーん、あの日には何があったっけなと言う感じで日がだいぶ立ってから思い出しだししながらの作業だったかもしれません。
どうもよくわからない頁です。
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