2019年7月11日木曜日

変事出来二付心得覚記 その238




 P.140 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
聞入不申、   同 国 飯 能 村 押 出し
ききいれもうさずどうこくはんのうむらおしだし

候   二付、右 之趣   不取敢  御支配
そうろうにつきみぎのおもむきとりあえずごしはい

岩 鼻 御役 所 江相 届 ヶ置
いわはなおやくしょへあいとどけおき

候   処、 其 後村 内 百  姓  紋 二郎 豊 五郎
そうろうところそのごそんないひゃくしょうもんじろうとよごろう

儀御召 捕 二相 成、同 人 共 義近 来
ぎおめしとりにあいなりどうにんどもぎきんらい

穀 物 ヲ始  物 価高 直二而窮  民
こくもつをはじめぶっかたかねにてきゅうみん

とも営 方 差 支  候   迚而徒黨
ともえいかたさしつかえそうろうとてととう


(大意)
(説得を)聞き入れることはなく、飯能村へ押しかけ
てしまいました。そのためこの現状を取りあえずご支配
岩鼻御役所へお届け致しました。
がその後村内の百姓紋二郎と豊五郎
が召し捕らえられました。同人たちは最近
穀物をはじめ物価が高騰したため貧しい
ものたちの日常の生活が差し支えていたとはいえ、徒党


(補足)
「同国飯能村」、この表現は今まであまりなかったようにおもわれます。いつもはたんに「飯能村」。
「不取敢」、わたしの父や祖父も手紙の最後の決まり文句でこのまま使っていました。勿論現在でも使われていますが、今では平仮名でしょうか。
「近来」、はじめての表現です。
「物価」、書き込みが愉快。左側のカタカナの「ブッ」を書き損じて右側に、「價」を楷書でくずし字の右側に書いています。きっと後世の人が書き足したのではと想像します。
 これまでの頁にも同じように書き込みがありました。それらも同じように後世の人達のものだとおもいます。つまりこの覚記は長いこと蔵の隅に放置されたままではなく、源左衛門さんの息子や孫くらいまでは読まれていたのではないかとそれほどの根拠もなく想像してしまいます。

「高直」、「相届ヶ置」、の「直」のくずし字が同じになっていることに注意です。
「迚而」、「迚も」とくれば(とても)と読みますが、「而」がつくと、なんと読むのかハテ?

 キレのある手跡で全体がスッキリです。


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