2019年7月25日木曜日

変事出来二付心得覚記 その252




 P.154 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
夜 二入   福松  間  地江行  巳代松 ら
よるにはいり ふくまつはざまちへゆく みよまつら

大 嵐  我野 江行  巳代松 村 方 へ
おおかぜ あがのへゆく みよまつむらかたへ

    廻 文 を以  廻 ル
    かいぶんをもってまわる

八 日 源左衛門  義ハ太二郎 殿 相 頼  置
ようか げんざえもんぎはたじろうどのあいたよりおき

    川 又 江行、
    かわまたへゆく

五 ツ 秋 津五両  貸し、横 王ん
いつつ あきつごりょうかし よこわん

朝 迄  弐両  弐分、平  下 弐両  也
あさまで にりょうにぶ たいらしもにりょうなり 

    原 松 弐分、〆  拾  両  也
    はらまつにぶ しめてじゅうりょうなり

大 風  小殿 之儀者一 日 ゟ 病  気二而
おおかぜ こどののぎはついたちよりびょうきにて

   御座候   間、  組 下 者 遣  し候   間、
   ござそうろうあいだ くみしたものつかわしそうろうあいだ

   宣 敷 相 頼  と申  事 二而不参
   よろしくあいたよりともうすことにてまいらず


(大意)
[上段]
夜に入り
大嵐

八日

朝五ツ迄
大嵐

[下段]
福松間地へ行く。巳代松たちは
我野江へ行く。巳代松は村方へ
廻文をもって廻る。

源左衛門は太二郎殿を頼り
川又へ行く。
秋津五両、横王ん
二両二分、平下弐両也。
原松弐分〆拾両也。
小殿は1日より病気で
ある。組の使いのものを手配したので
宜しく頼むとのことで来ず。


(補足)
 この頁はいっそう乱暴で投げやりな手跡で下書きのようです。
「秋津五両貸し横王ん」の部分はまだなんとかなりますが、「弐両弐分」となると難しい。
「原松弐分」もおなじく乱暴。

「遣し候間」、「遣」=「キみたいな感じ」+「一」。その「一」につながって「し」。

「〆拾両也」の内訳が秋津、横王ん、平下、原松の四名に貸したのでしょう。
確かに五両+二両二分+二両+二分で拾両です。

小殿は吉田伴次郎(36才)。

 前頁と同様で、日付とその日の主だったことのメモのようでいまひとつ?です。


0 件のコメント:

コメントを投稿