P.154 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」
(読み)
夜 二入 福松 間 地江行 巳代松 ら
よるにはいり ふくまつはざまちへゆく みよまつら
大 嵐 我野 江行 巳代松 村 方 へ
おおかぜ あがのへゆく みよまつむらかたへ
廻 文 を以 廻 ル
かいぶんをもってまわる
八 日 源左衛門 義ハ太二郎 殿 相 頼 置
ようか げんざえもんぎはたじろうどのあいたよりおき
川 又 江行、
かわまたへゆく
五 ツ 秋 津五両 貸し、横 王ん
いつつ あきつごりょうかし よこわん
朝 迄 弐両 弐分、平 下 弐両 也
あさまで にりょうにぶ たいらしもにりょうなり
原 松 弐分、〆 拾 両 也
はらまつにぶ しめてじゅうりょうなり
大 風 小殿 之儀者一 日 ゟ 病 気二而
おおかぜ こどののぎはついたちよりびょうきにて
御座候 間、 組 下 者 遣 し候 間、
ござそうろうあいだ くみしたものつかわしそうろうあいだ
宣 敷 相 頼 と申 事 二而不参
よろしくあいたよりともうすことにてまいらず
(大意)
[上段]
夜に入り
大嵐
八日
朝五ツ迄
大嵐
[下段]
福松間地へ行く。巳代松たちは
我野江へ行く。巳代松は村方へ
廻文をもって廻る。
源左衛門は太二郎殿を頼り
川又へ行く。
秋津五両、横王ん
二両二分、平下弐両也。
原松弐分〆拾両也。
小殿は1日より病気で
ある。組の使いのものを手配したので
宜しく頼むとのことで来ず。
(補足)
この頁はいっそう乱暴で投げやりな手跡で下書きのようです。
「秋津五両貸し横王ん」の部分はまだなんとかなりますが、「弐両弐分」となると難しい。
「原松弐分」もおなじく乱暴。
「遣し候間」、「遣」=「キみたいな感じ」+「一」。その「一」につながって「し」。
「〆拾両也」の内訳が秋津、横王ん、平下、原松の四名に貸したのでしょう。
確かに五両+二両二分+二両+二分で拾両です。
小殿は吉田伴次郎(36才)。
前頁と同様で、日付とその日の主だったことのメモのようでいまひとつ?です。
0 件のコメント:
コメントを投稿