P100 東京国立博物館蔵
(読み)
おもしろき処 と云 亦 開 帳 あり故 ニ参 ル弁 天 也
おもしろきところというまたかいちょうありゆえにまいるべんてんなり
見せ物 喰 店 あり大 雨 故 参 詣 なし池 ニ
みせものしょくてんありおおあめゆえさんけいなしいけに
橋 を掛ケ瀧 おつる寺内 ニてせ者゛き処 なれど
はしをかけたきおつるじないにてせば きところなれど
能キ処 なり雨 ま春\/降り夫 より河 の邊 りを
よきところなりあめますますふりそれよりかわのあたりを
行く事 なかし漸 く七 時 比 釜 戸と云 宿 ニ泊 ル
ゆくことながしようやくななつどきころかまどというやどにとまる
今 日より十 日を過 シハ江戸へ帰 ルとて指 を屈
きょうよりとおかをすごしばえどへかえるとてゆびをおっ
ていそぐ山 \/花如綿
ていそぐやまやまはなわたのごとし
五 日上 天 氣明 六 時 過 ニ出て追 分 ニ至 り
いつかじょうてんきあけむつどきすぎにでておいわけにいたり
大 井能間 西 行 塚 アリ北 の方 を望 メハ飛弾
おおいのあいださいぎょうづかありきたのほうをのぞめばひだ
の国 御 嶽 千 峰 皆 雪 夫 より中 津ヘニ里
のくにおんたけせんぽうみなゆきそれよりなかつへにり
(大意)
略
(補足)
「飛弾」、飛騨。
「五日」、寛政1年4月5日 1789年4月29日。
「追分ニ至り大井能間西行塚アリ」、槇ケ根追分(まきがねおいわけ)をすすんで、大湫宿(おおくて)から大井宿の間にあって、『「伝西行塚」とも呼ばれ、この地で西行法師が亡くなり埋葬された、あるいは供養のために建てられた塚だと伝えられています』とありました。
「今日より十日を過シハ江戸へ帰ルとて指を屈ていそぐ」、やはり江戸に近くなるにつれて、先をせく気持ちが強くなってきているようです。


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