P98 東京国立博物館蔵
(読み)
江戸へ状 を出春
えどへじょうをだす
四月 朔 日曇 予(ワレ)惣 髪 なりしに長 﨑 ニて
しがつついたちくもり われ そうはつなりしにながさきにて
おらん多唐 人 能館 内 ヘ入 ニハなら春故 ニ頭
おらんだとうじんのかんないへいるにはならずゆえにあたま
を剃(ソリ)江 助 と云 平 戸邊 迄 よりソロ\/髪 を
を そり こうすけというひらどあたりまでよりそろそろかみを
能者゛し又 爰 ニて落 髪 して坊 主となりぬ
のば しまたここにてらくはつしてぼうずとなりぬ
二 日曇 朝 飯 過 尓日永 を出 立 して亀 六
ふつかくもりあさめしすぎにひながをしゅったつしてかめろく
四 日市 御瀧 川 能橋 の上 迄 送 ル三 英 と亀
よっかいちおたきがわのはしのうえまでおくるさんえいとかめ
石 亭 へより桑 名銭 屋と云 ニ参 里爰 ヨリ
いしていへよりくわなぜにやというにまいりここより
舟 かり切 三 百 文 何 \/風 景 よし佐屋
ふねかりきりさんびゃくもんなかなかふうけいよしさや
尓至 ル舟 よりあか里番 場尓泊 ル一 向 能
にいたるふねよりあがりばんばにとまるいっこうの
(大意)
略
(補足)
「四月朔日」、寛政1年4月1日 1789年4月25日。
「佐屋」、画像中央。東はすぐ名古屋です。
「番場(ばんば)」、滋賀県米原の東にある中山道の旧宿場町ですけど、ここではありません。なんでしょうか。
江戸へ手紙を出し、現在地と江戸到着予定日時をしらせたのでしょう。江戸に向かって足早になっているようです。


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