2025年12月17日水曜日

江漢西遊日記六 その75

P89 東京国立博物館蔵

(読み)

とぞ時 の鐘 あり宵(ヨイ)の中(ウチ)二三 町  の間  植(ウヘ)

とぞときのかねあり  よい の  うち にさんちょうのあいだ  うえ


木其 外 喰 物 諸 道 具捅 ざる様 能物

きそのほかくいものしょどうぐおけざるようのもの


小道 具等 を賣る是 ヲ夜市 と云ツて皆

こどうぐとうをうるこれをよいちといってみな


買ヒ尓行 夫 故 昼 ハ野菜 其 外 世代(セタイ)道

かいにゆくそれゆえひるはやさいそのほか   せたい どう


具賣リ歩 く者 なし此 市 所  々  尓あり

ぐうりあるくものなしこのいちところどころにあり


四条  橋 結メの町 ハ毎 夜なり其 外 寺 町

しじょうはしづめのまちはまいよなりそのほかてらまち


の丸 太町  堀 川 立 賣 の邊  なり

のまるたちょうほりかわたちうりのあたりなり


十  九日 天 氣六 右衛門 頼 ミの画認  メる

じゅうくにちてんきろくえ もんたのみのえしたためる


廿 日天 氣暖 色  小袖 一 ツニて宜 し閑院(カンニン)の宮(ミヤ)

はつかてんきだんしょくこそでひとつにてよろし   かんにん の  みや


様 へ銅 版 江戸の圖八 景 能目か年御覧 尓

さまへどうはんえどのずはっけいのめがねごらんに

(大意)

(補足)

「捅」、桶。原文の漢字の読みは(トウ)。「世代」、世帯。「橋結」、橋詰。いつもながら誤字をまったく気にしてない様子。

「十九日」、寛政1年3月19日 1789年4月14日。

「閑院(カンニン)の宮(ミヤ)」、閑院宮(かんいんのみや)。日本の皇室における宮家の一つ。世襲親王家の四宮家の一つ。家領千石。当時の主は第二代典仁親王。他三家は伏見・有栖川・桂(八条・京極)。

 

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