P72 東京国立博物館蔵
(読み)
廿 七 日 天 氣六 過 ニ大 坂 丸 清 方 を出 立
にじゅうしちにちてんきむつすぎにおおさかまるせいかたをしゅったつ
して安 道 寺町 筋 を東 能方 へ行キ山 ニ
してあんどうじまちすじをひがしのほうへゆきやまに
入 クラガリ峠 を越へ亦 向 フ能山 ニ至 りモ
いるくらがりとおげをこえまたむこうのやまにいたりも
ロノ木山 より南 都塔 及 ヒ大 仏 殿 見(ミ)
ろのきやまよりなんととうおよびだいぶつでん み
え(ヘ)る山 を下 レハ春 日能社 誠 尓大 社 ナリ
え るやまをくだればかすがのやしろまことにたいしゃなり
亦 大 佛 を見る猿 沢 の池 の邊 尓泊 ル
まただいぶつをみるさるさわのいけのあたりにとまる
廿 八 日 曇 ル椿 木町 古梅 園 へ参 り天 覧 能
にじゅうはちにちくもるつばきちょうこばいえんへまいりてんらんの
墨 を見る亦 墨 の形 を見る妙 工 なり夫 より
すみをみるまたすみのかたちをみるみょうこうなりそれより
南 都を出テ七 里伏 見尓至 ルニ其 路 小倉
なんとをでてしちりふしみにいたるにそのみちおぐら
堤 アリ是 ハ京 より南 都ヘ宇路を廻 里
つつみありこれはきょうよりなんとへうじをめぐり
(大意)
略
(補足)
「廿七日」、寛政1年2月27日 1789年3月22日。
「クラガリ峠」、暗峠。大阪を出立してほぼ真東へ。
更に東へ、
猿沢の池です。
猿沢の池は春日大社、大仏の西にあります。見学してから西へ戻ったのでしょうか?なんか変です。
「椿木町古梅園」、「椿木町」ではなく「椿井町(つばいちょう)」のようです。古梅園は今でもあって、「1577年(室町時代末期)創業で、440年以上の歴史を持つ老舗の墨メーカーです。徳川幕府の御用達も務めた歴史を持ち、「奈良墨」の代名詞とも言える存在です」とありました。
「小倉堤」、『おぐらのいけ 【巨椋池】
京都市伏見区・宇治市・久世郡にまたがってあった周囲約16キロメートルの湖沼。一九三三(昭和八)~41年干拓によって消滅。現在は水田・住宅地帯。巨椋の入江。おぐらいけ』のようです。
「宇路」、宇治。
かなりの道を、それも暗峠(くらがりとおげ)という非常に難所の山越えをしてからも、歩み続けています。健脚!




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