P79 東京国立博物館蔵
(読み)
五十 位 爰 ニ十 四 日滞 畄 春る
ごじゅうくらいここにじゅうよっかたいりゅうする
八 日曇 さ武し荻 野左衛門 方 へ行ク頗 ルおらん
ようかくもりさむしおぎのさえもんかたへゆくすこぶるおらん
多を好 ム人 ニて窮 理談 を春酒 肴 を出して
だをこのむひとにてきゅうりだんをすしゅこうをだして
よろこぶ
よろこぶ
九 日宿 の弟 を連レ北 野天 神 へ行ク天 曇
ここのかやどのおとうとをつれきたのてんじんへゆくてんくもり
て雪 降 出春此 日さ武し大 霜 厚ツ氷 リハル
てゆきふりだすこのひさむしおおしもあつごおりはる
十 日朝 霜 氷 ル天 氣京 ハめつらしき故 尓
とおかあさしもこおるてんききょうはめずらしきゆえに
所 々 を歩ス祇園 より金 毘羅参 り人 多 し
ところどころをほすぎおんよりこんぴらまいりひとおおし
僕(ホク)弁 喜大 坂 へ遣 ス
ぼく べんきおおさかへつかわす
十 一 日 大 雨 晩 方 雷 鳴 伏 見六 右衛門来 ル
じゅういちにちおおあめばんがたらいめいふしみろくえもんきたる
(大意)
略
(補足)
「八日」、寛政1年3月8日 1789年4月3日。
「窮理談を春」、江漢はこの長崎西遊の後、寛政5(1793)年〜文化6(1809)年に以下の科学書を次々に刊行した。『銅版地球全図』『地球全図略説』『銅図』『和蘭天説』『和蘭通舶』『刻百爾(コッペル)天文図解』『地球儀略図解』。『春波楼筆記』には「小子は天文地理を好み、わが日本にはじめて地転の説をひらく」と自負し、地動説の紹介と普及に功績をあげた。
1792年に発刊した『地球全図』、
「雪降出春此日さ武し大霜厚ツ氷リハル」、1789年は世界中で異常気象の年でした。現在でも4月上旬春先の爆弾低気圧でこのようなことはありますので、なんとも判断がつきかねます。
「祇園」、なんども日記にでてきてます。日記では「祇」が「祗」となっています。


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