2025年12月25日木曜日

江漢西遊日記六 その83

P97 東京国立博物館蔵

(読み)

ゼネラル能官 ニなり多ると夫 より日野へ行ク孫 三

ぜねらるのかんになりたるとそれよりひのへゆくまごさぶ


郎 助右衛門 ニ逢ヒ昼  喰 して程 なく立 テ山 越へ

ろうすけえもんにあいちゅうじきしてほどなくたちてやまごえ


三 里土 山 宿  へ七 ツ過 ニ出爰 ニ泊 ル

さんりつちやましゅくへななつすぎにでここにとまる


廿   八 日 土 山 を立 て鈴 鹿山 筆 捨(ステ)山 桜

にじゅうはちにちつちやまをたちてすずかやまふで  すて やまさくら


能咲 残 りて天 氣能ク亀 山 庄  野追 分

のさきのこりててんきよくかめやましょうのおいわけ


迄 ハ初 メて通 ル路 故 珍  し追 分 より半 路ニ

までははじめてとおるみちゆえめずらしおいわけよりはんろに


して日永 村 ニ至 ル七 ツ時 前 なり清水 源 兵衛

してひながむらにいたるななつどきまえなりしみずげんべえ


方 なり道 中  能者なし不盡 参 りし時 ハ廿 日ほ

かたなりどうちゅうのはなしつきずまいりしときははつかほ


と畄  リし尓此 度 明後日 出  立 せんと春

どとどまりしにこのたびあさってしゅったつせんとす


廿   九日 朝 少 シ雨 後 ヤム四 日市 三 英 参 ル

にじゅうくにちあさすこしあめのちやむよっかいちさんえいまいる

(大意)

(補足)

「日野」、往路では8月9日〜14日まで滞在しました。

「廿八日」、寛政1年3月28日 1789年4月23日。

「日永村」(ひながむら)、「参りし時ハ廿日ほと畄リし」、来るときに(7.3~15,7.23~8.2)と長く留まりました。ここから四日市まではすぐです。左隅が亀山、右隅に日永村と四日市があります。 

 大津からここまではずっと山道のはずで、季節と天気に恵まれたのか、江漢さん、気分よく難路を東へ歩みます。

 

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