P74 東京国立博物館蔵
(読み)
鍋 嶌 黒 田と呼フ古 へ能屋しき能跡 と
なべしまくろだとよぶいにしえのやしきのあとと
見ユ其 畑 のウ子\/尓梅 桃 を植 て其
みゆそのはたけのうねうねにうめももをうえてその
比 梅 能花 さか里なり臺 より見下 セハ皆
ころうめのはなざかりなりだいよりみおろせばみな
梅 村 小倉 能沼 堤 向 フ方 ハ春 日山 八幡
うめむらおぐらのぬまつつみむこうかたはかすがやまやわた
山 遥 尓吉 野能方 金 剛 山 を望 ム左 ハ黄檗(ヲーハク)
やまはるかによしののほうこんごうさんをのぞむひだりは おうばく
山 宇治の方 なり臺 を下 レハ御香 の宮
さんうじのほうなりだいをおりればごこうのみや
とて鎮 守 なり門 ハ古 へ能臺 所 能門 と云フ
とてちんじゅなりもんはいにしえのだいどころのもんという
画馬堂 尓大 釜 ニ菊 桐 の紋 アリ
えまどうにおおがまにきくきりのもんあり
三 月 朔 日 天 氣寒 シ宇治の方 へ行ク尓宮
さんがつついたちてんきさむしうじのほうへゆくにみや
乃前 を通 り梅 畑 を過 て城 址を左 ニ見テ
のまえをとおりうめばたけをすぎてじょうしをひだりにみて
(大意)
略
(補足)
「ウ子\/」、いままでずっとこの「ウ子」の「子」を「ネ」としてきましたが、「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥」の「子」が字の形として正解のようです。
「小倉」、巨椋。この古地図を見ると大池の右に小倉村とありますので、正しいのかも。
「画馬堂」、絵馬堂。
「三月朔日」、寛政1年3月1日 1789年3月27日。
見学するところ、見学したいところがたくさんあるのでしょう。精力的に近辺を歩き回っています。



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