2025年12月9日火曜日

江漢西遊日記六 その67

P78 東京国立博物館蔵

(読み)

路 雨 降 出春

みちあめふりだす


六 日大 雨 扇 面 ニ画を描ク伊賀の商  人 昨

むいかおおあめせんめんにえをかくいがのしょうにんさく


夜より爰 ニ居ル銅 版 目か年を見セる其 者

やよりここにおるどうはんめがねをみせるそのもの


云 私   兄 画を好 ム是 より吉 野ノ方 へお出

いうわたくしあにえをこのむこれよりよしののほうへおいで


ならハ必  ス相 待 申  と云 九  兵衛津の者 を

ならばかならずあいまちもうすというきゅうべえつのものを


連レ来 ル亦 佐兵衛方 ニて小倉 能沼 の蜆(シゝミ)

つれきたるまたさへえかたにておぐらのぬまの  しじみ


至  て大 キシ吸 物 ニして酒 を呑ム

いたっておおきしすいものにしてさけをのむ


七 日天 氣さ武し伏 見京  町 より京  冨 の

なのかてんきさむしふしみきょうまちよりきょうとみの


小 路姉 カ小 路日野屋方 へ引 越ス主 人 ハ廿   二

こうじあねがこうじひのやかたへひっこすしゅじんはにじゅうに


三 能若 者 弟   十  六 七 能キ人 物 なり母 親 アリ

さんのわかものおとうとじゅうろくしちよきじんぶつなりははおやあり

(大意)

(補足)

「六日」、寛政1年3月6日 1789年4月1日。

「吉野ノ方へお出ならハ」、江漢はその後、文化9(1812)年、吉野へ観光旅行をして、『吉野紀行』をあらわしています。

 伏見京町に2月28日〜3月6日まで泊まって、この日7日に姉カ小路日野屋へ引っ越しました。

 

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