2025年12月4日木曜日

江漢西遊日記六 その62

P73 東京国立博物館蔵

(読み)

てハ遠 し堤  湖   能半(ナカハ)尓あり太 閤 之(コレ)を

てはとおしつつみみずうみの  なかば にありたいこう  これ を


築(キツカ)レしとぞ岸 \/尓疎栁  植(ウユ)栁 キ䇭(コリ)

  きづか れしとぞきしきしにそやなぎ  うゆ やなぎ  ごり


を作 ル堤  長 サ三 十 町  其 半  尓漁 村 両

をつくるつつみながささんじっちょうそのなかばにぎょそんりょう


三 軒 アリ京  町 近 江屋ニ至 ル

さんげんありきょうまちおうみやにいたる


廿   九日 雨天 夜 尓入 イヨ\/降ル此 日偶 然

にじゅうくにちうてんよるにいりいよいよふるこのひぐうぜん


として暮 春

としてすごす


三 十  日 雨 ヤム曇 ル隣 家九  兵衛と云 人 亦

さんじゅうにちあめやむくもるりんけきゅうべえというひとまた


佐兵衛と共 尓宇治見臺 と云 所  へ登 ル太

さへえとともにうじみだいというところへのぼるたい


閤 庭 の跡 と云 其 行 路を昔 シ大 和街

こうにわのあとというそのこうろをむかしやまとかい


道 と云 今 ハ左右 畑  なり其 畑  の名あり

どうといういまはさゆうはたけなりそのはたけのなあり

(大意)

(補足)

「廿九日」、寛政1年2月29日 1789年3月25日(どこかで1日ずれていました)。

「栁キ䇭(コリ)」、柳行李。

「偶然」、寓然。

「宇治見臺」、AIの概要がしばらく考えてました。

『京都の伏見(現在の京都市伏見区桃山町付近)にあったとされる歴史的な眺望地(展望台)の名称です。現在の宇治市内の正式な住所や地名としては存在しません。 

 江戸時代の紀行文などによると、宇治見台は豊臣秀吉が築いた伏見城の庭園跡の一角にあったとされ、そこから宇治方面の眺めを楽しんだことが記されています。

 司馬江漢の『江漢西遊日記』にも、寛政元年に宇治見台からの眺望を楽しんだという記述があります。 

 現在、宇治市内で眺めの良い場所としては、宇治川や平等院を一望できる大吉山(仏徳山)展望台などが知られています』とありました。

 「西遊旅譚五」にそこからの眺望の画があります。「堤湖能半(ナカハ)」とあるように、なるほど湖を左右に分けています。 

 季節季節できれいだったでしょね。

 

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