P78 東京国立博物館蔵
(読み)
管弦(クワンゲン)能氣取 なり寺 能門 ニ至 ルと止メる也
か んげん のきどりなりてらのもんにいたるととめるなり
誠 尓飴 賣 能如 し唐 人 下官 ノ者 多 し其
まことにあめうりのごとしとうじんげかんのものおおしその
内 能キ人 ハ十 人 之(コレ)を船 頭 と呼フ宋 敬 庭
うちよきひとはじゅうにん これ をせんどうとよぶそうけいてい
と云 人 尓知己(シルヒト)ニなる是 ハ五十 位 尓見へ髭(ヒケ)少々
というひとに ひるひと になるこれはごじゅうくらいにみえ ひげ ショウショウ
あり其 餘 ハひげなし亦 西 湖と云 人 ハ四十 位
ありそのほかはひげなしまたせいこというひとはしじゅうくらい
ニして是 は肥(コヘ)多る人 なり顔 色 利口 そふ尓見
にしてこれは こえ たるひとなりかおいろりこうそうにみ
由予カ製 春る銅 版 画能覗(ノソキ)目か年を見セ
ゆよがせいするどうはんがの のぞき めがねをみせ
けれハ皆 々 感 心 春るシツポコ臺 四人 結(ツメ)ニて
ければみなみなかんしんするしっぽこだいよにん つめ にて
吾 も共 尓喰ヒ个り住 僧 唐 人 尓無心 を申 故
われもともにくいけりじゅうそうとうじんにむしんをもうすゆえ
数 十 人 呼(ヨヒ)多り唐 人 の云フニハ寺 も大 破ニ及 べ里
すうじゅうにん よび たりとうじんのいうにはてらもたいはにおよべり
(大意)
略
(補足)
「宋敬庭」、宋敬亭。南京船主。平賀源内が明和元(1764)年に秩父で石綿を発見し、すぐに火浣布(かかんふ)をつくった。宋敬亭はこれを非常に珍しがり、注文したが、まだ小片しかつくれず源内を困らせた、とありました。
「西湖」、費 晴湖(ひ せいこ、生没年不詳)は清の商人・画家。江戸時代中期、日本に渡来し南宗画様式の画技を伝える。わが国の画壇に寄与すること甚だ大きかった、とありました。
「結(ツメ」、詰め。
0 件のコメント:
コメントを投稿