2025年7月19日土曜日

江漢西遊日記四 その62

P72 東京国立博物館蔵

(読み)

妙  なる人 と云 とぞ西 国 長 崎 近 邊 能大 名  衆

みょうなるひとというとぞさいごくながさききんぺんのだいみょうしゅう


一 代 ニ一 度此 嶋 へお入  有 とぞ其 外 ハなら春゛

いちだいにいちどこのしまへおはいりありとぞそのほかはならず


廿   六 日 少  々  雨天 向  地稲 佐悟真 寺ニ行キ

にじゅうろくにちしょうしょううてんむかいちいなさごしんじにゆき


唐 人 おらん多能墳(ハカ)を見る皆 臥(フシ)多るまゝ

とうじんおらんだの  はか をみるみな  ふし たるまま


尓葬(トムロウ)蘭 人 ヅール。コツプ。と云 人 能塚 石 ヲ

に  とうろう らんじんずーる こっぷ というひとのつかいしを


カマボコ形リ尓して何 やラ蘭 字を彫り

かまぼこなりにしてなにやららんじをほり


金 箔 を入レ上 ニ砂 時計 を彫ル是 ハ漏(ロウ)

きんぱくをいれうえにすなどけいをほるこれは  ろう


刻 ツキ多る譬 へなり宿 ヘ帰 りて牛 能生 肉 ヲ

こくつきたるたとえなりやどへかえりてうしのなまにくを


喰フ味  ヒ鴨(カモ)能如 しおらん多此 節 出  舩 前 ニ

くうあじわい  かも のごとしおらんだこのせつしゅっこうまえに


ニて牛 を数 \/死して塩 ニ春其 牛 皆赤(アカ)

にてうしをかずかずししてしおにすそのうしみな あか

(大意)

(補足)

「廿六日」、天明8年10月26日。西暦1788年11月23日。

「悟真寺」夜景で有名な稲佐山の麓、浄土宗・悟真寺の境内にあり、歴代住職によって守られてきた世界的にも珍しい国際墓地。元和から寛永初年にかけて、長崎で病死した唐人の墓地として境内に百間四方の土地を設定して、朱印をえたとされる。西遊旅譚三に図があります。 

「蘭人ヅール。コツプ。」、Hendrik Godfried Duurkoop(ヘンドリック・ゴドフリート・デュールコープ、ドルヌム(ドイツ)、1736年5月5日-1778年7月27日)。ドゥールコープは日本でいわゆるオランダ人墓地に埋葬された。1778年、彼は確かにそこに埋葬された最初の人ではなかったが、彼の墓石は現在、この場所で最も古い墓標となっている。と、オランダ版のウィキペディアにありました。西遊旅譚三の図。 

「漏(ロウ)刻」、『ろうこく【漏刻・漏剋】

水時計の一種。水を入れた器(漏壺(ろうこ))から常時一定量の水を落とし,その水位変化によって目盛りが時刻を示す装置。時の刻み』

 鴨と牛肉は見た目も味も確かに似ています。しかし牛肉は鴨肉とちがって、やはり獣臭い。個人的には鴨肉に軍配があがります。

 出島の図に、左上の部分に牛が引っ張られている画がありました。

 

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