P57 東京国立博物館蔵
(読み)
廿 二日 天 氣昼 ヨリ元 大 工町 唐 人 通 詞吉
にじゅうににちてんきひるよりもとだいくちょうとうじんつうじきち
嶋 佐十 郎 方 ヘ行 酒 吸 物 出ス吾 ホ製 作
じまさじゅうろうかたへゆくさけすいものだすわれらせいさく
能目か年ヲ見セる唐 人 今 渡海 春る舩 ハ
のめがねをみせるとうじんいまとかいするふねは
私 ニスル商 人 なり皆 蘇州 と云 処 ヨリ来 ル則
わたくしにするしょうにんなりみなそしゅうというところよりきたるすなわち
蘇州 ハ日本 ノ大 坂 の如 し南 京 第 一 繁(ハン)
そしゅうはにほんのおおさかのごとしなんきんだいいち はん
昌 能地なり王 命 尓て渡海 春る者 昔 しハ
じょうのちなりおうめいにてとかいするものむかしは
范(ハン)氏なり中 比 ニてハ王 氏来 ル今 ハ銭 氏也
はん しなりなかごろにてはおうしきたるいまはせんしなり
外 尓十 二家とて是 ハ自分 一 己能商 ニ交易(ヱキ)
ほかにじゅうにかとてこれはじぶんいっこのあきないにこう えき
春るなり其 舩 五六 艘 来 ルなり日本 より交 ヱき
するなりそのふねごろくそうきたるなりにほんよりこうえき
能代 物 ハ銅 十 萬 斤 を高 と春彼 国 ヨリ
のしろものはどうじゅうまんきんをたかとすかのくにより
(大意)
略
(補足)
「廿二日」、天明8年10月22日。西暦1788年11月19日。
「酒吸物」、江漢が接待されるときの酒の記述は「酒肴」or「酒吸物」が多いです。いろいろ調べますと『汁と吸物は同じような汁物ですが、飯に添えるのが汁で、酒の肴として供するのは吸物と定義されています。江戸時代料理書には、汁の部と吸物の部は区別して記載されており、汁は飯に添える副菜なので味は濃いめにし、吸物は酒に合うよう軽く薄めの味にして綺麗につくり、供する時機を大切にするとしています』とありました。現在でも日本料理店の腕を確かめるにはその店の吸物(椀もの)をみればわかるといいます。
江戸時代の輸出入品を調べると、たとえば『主な輸入品としては、中国産の生糸、絹織物、砂糖、香木、胡椒、鮫皮、薬品など、輸出品として初期は銀(1668年以降は輸出禁止)、金(おもに小判。 1763年輸出禁止)、その後は銅(棹銅)が主体で、陶磁器、漆器などの工芸品もあった』とあります。更に調べてみると銅が重要な輸出品であったことがわかります。
「十二家」、官商とともに長崎貿易を独占したいわゆる十二家額商。一定の員数に限られた官許の民間商人のこと。
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