P4 東京国立博物館蔵
(読み)
十 間 土蔵 付 之(コレ)ニて一 年 借り代 十 両 位 ヒ
じっけんどぞうつき これ にていちねんかりだいじゅうりょうくらい
土蔵 なきハ五六 両 なり此 地ハ借 家ニて竃
どぞうなきはごろくりょうなりこのちはしゃくやにてかまど
金 とて一 年 尓三 十 匁 宛 上 ヨリ被下 と云 地主
かねとていちねんにさんじゅうもんずつかみよりくださるというじぬし
ハ三 四百 目上 ヨリ被下 亦 勝 屋町 ニおらん多
はさんしひゃくめかみよりくださるまたかつやちょうにおらんだ
舩 の圖唐 人 屋しき能づなど賣ル者 之(コレ)も二
ふねのずとうじんやしきのずなどうるもの これ もに
人 扶持ヲ取 と云 総 て此 類 イ多 し是 ハ昔 シ唐
にんぶちをとるというすべてこのたぐいおおしこれはむかしとう
人 おらん多尓直 商 ヒせし時 尓其 後直キ尓
じんおらんだにじかあきないせしときにそのごじきに
交 易 春る事 を禁 し多る尓其 者 共 渡世(トセイ)
こうえきすることをきんじたるにそのものども とせい
なり兼 故 ニ其 者 を色 \/役(ヤク)人 として扶持を
なりかねゆえにそのものをいろいろ やく にんとしてふちを
下 され多り此 日おらん多乗 切り夜 ニ入 石 火矢
くだされたりこのひおらんだのりきりよるにいりいしひや
(大意)
略
(補足)
「おらん多舩の圖唐人屋しき能づなど賣ル者」、長崎絵(ながさきえ)は、江戸時代に長崎で版行された浮世絵版画である。長崎版画ともいわれる。18世紀半ばから幕末にかけて版行された。
「三四百目」、『め。㋐ 秤(はかり)で計った量。重さ。「―減り」㋑ 重さの単位。匁(もんめ)。「百―」』
「役(ヤク)人」、役が彼にみえます。
江漢さん、長崎絵にはあまり関心がなさそうです。江戸の錦絵に比べると、紙が粗悪で色使いも数色で、華やかさにかけたところがあるのでしょうけど、絵師たちの腕が今ひとつだったこともあるかもしれません。
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