P54 東京国立博物館蔵
(読み)
筑 町 服 部 甚 兵衛方 尓宮 嶋 尓て別 レ
つきまちはっとりじんべえかたにみやじまにてわかれ
し春 木門 弥と云 者 爰 尓滞 畄 して居ル
しはるきもんやというものここにたいりゅうしている
と云フ故 尓一寸 よりぬ宿 元 へ手紙 を頼 ム
というゆえにちょっとよりぬやどもとへてがみをたのむ
廿 一 日 曇 て雨 昼 より亦 大 徳 寺へシツ
にじゅういちにちくもりてあめひるよりまただいとくじへしっ
ボク尓呼ハレ馳走 ニなる夜 ニ入 江戸宿 老 ト
ぽくによばれちそうになるよるにいりえどしゅくろうと
云 人 来 リ知ル人 ニなる夫 より田口 惣 八 郎 と
いうひときたりしるひとになるそれよりたぐちそうはちろうと
云 人 之(コレ)もヲトナと云 役 人 なり之(コレ)と共 尓
いうひと これ もおとなというやくにんなり これ とともに
丸 山 揚 屋河 さきやと云 家 尓至 り太夫
まるやまあげやかわさきやといういえにいたりたゆう
を揚 る名は半 太夫 と云フ田口 ハ小式 部と
をあげるなははんだゆうというたぐちはこしきぶと
云フ衣装 ハ絹 縮 面 なり亦 何 ヤラ金
いういしょうはきぬちりめんなりまたなにやらきん
(大意)
略
(補足)
「廿一日」、天明8年10月21日。西暦1788年11月18日。
「ヲトナ」、ここでは長崎各町の代表者。町民の選挙により選ばれた。
「絹縮面」、縮緬。
さて何度目かの揚屋。江漢さん目がキラキラしてきます。
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