2025年7月4日金曜日

江漢西遊日記四 その47

P54 東京国立博物館蔵

(読み)

筑 町 服 部 甚 兵衛方 尓宮 嶋 尓て別 レ

つきまちはっとりじんべえかたにみやじまにてわかれ


し春 木門 弥と云 者 爰 尓滞 畄  して居ル

しはるきもんやというものここにたいりゅうしている


と云フ故 尓一寸  よりぬ宿 元 へ手紙 を頼 ム

というゆえにちょっとよりぬやどもとへてがみをたのむ


廿   一 日 曇  て雨 昼 より亦 大 徳 寺へシツ

にじゅういちにちくもりてあめひるよりまただいとくじへしっ


ボク尓呼ハレ馳走 ニなる夜 ニ入 江戸宿  老 ト

ぽくによばれちそうになるよるにいりえどしゅくろうと


云 人 来 リ知ル人 ニなる夫 より田口 惣 八 郎 と

いうひときたりしるひとになるそれよりたぐちそうはちろうと


云 人 之(コレ)もヲトナと云 役 人 なり之(コレ)と共 尓

いうひと  これ もおとなというやくにんなり  これ とともに


丸 山 揚 屋河 さきやと云 家 尓至 り太夫

まるやまあげやかわさきやといういえにいたりたゆう


を揚 る名は半 太夫 と云フ田口 ハ小式 部と

をあげるなははんだゆうというたぐちはこしきぶと


云フ衣装  ハ絹 縮 面 なり亦 何 ヤラ金

いういしょうはきぬちりめんなりまたなにやらきん

(大意)

(補足)

「廿一日」、天明8年10月21日。西暦1788年11月18日。

「ヲトナ」、ここでは長崎各町の代表者。町民の選挙により選ばれた。

「絹縮面」、縮緬。

 さて何度目かの揚屋。江漢さん目がキラキラしてきます。

 

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