2025年7月3日木曜日

江漢西遊日記四 その46

P53 東京国立博物館蔵

(読み)

廿 日雨 天鍛冶(カチ)町  荒木(アラキ)為 之進 と云フ

はつかうてん   かじ ちょう   あらき ためのしんという


者 能処  ヘ行ク之 ハ画(ヱ)鑑定(メキゝ)能役 ニて夫

もののところへゆくこれは  え    めきき のやくにてそれ


故 画も春こし描(カク)なり一 向 能下手爰 ニて昼

ゆええもすこし  かく なりいっこうのへたここにてちゅう


喰  ヲ出春夫 ヨリ大 徳 寺尓行キ和尚  尓

しょくをだすそれよりだいとくじにゆきおしょうに


逢ひ酒 食  を出ス庭 尓かひでと云 唐(カラ)

あいしゅしょくをだすにわにかえでという  から


楓(モミチ)あり之(コレ)ハ黄色 尓なる能ミ尓して紅 葉

  もみじ あり  これ はきいろになるのみにしてこうよう


ハせぬも能なり此 節 紅(ベニ)能如 クなり和尚

はせぬものなりこのせつ  べに のごとくなりおしょう


の云 今年 初 メて紅 葉 春と云 さて庭 ヨリ

のいうことしはじめてこうようすというさてにわより


見おろせバおらん多出嶋 唐 人 蔵 屋し

みおろせばおらんだでじまとうじんくらやし


き十  善 寺目能下 尓見ユ夫 よりして

きじゅうぜんじめのしたにみゆそれよりして

(大意)

(補足)

「廿日」、天明8年10月20日。西暦1788年11月17日。

「荒木(アラキ)為之進」、『荒木 元融(あらき げんゆう、享保13年(1728年)〜寛政6年4月18日(1794年5月17日))は、江戸時代中期の長崎派画家』。江漢は「一向能下手」と酷評していて、それは「秘伝のガラス絵の技法を教えてもらえなかったことへの鬱憤晴らしと捉えられている」とウィキペディアにありました。

 おだてられると調子にのり、願いが叶えられないとふてくされる。いい歳をしてガキのようですけど、年をとってもその性格はかわりませんでした。昼食をごちそうされているのにな・・・

「画(ヱ)鑑定(メキゝ)能役」、唐絵名利。長崎奉行のもとにおかれ、洋画・唐絵を鑑定し、値付け・買い入れにあたった役。

「庭ヨリ見おろせバおらん多出嶋唐人蔵屋しき十善寺目能下尓見ユ」、なるほど地図にある大徳寺のすぐ西に十善寺があり、入江の向こうには出島阿蘭陀屋敷があります。


「唐楓(カラモミジ)」、中国が原産のカエデなのでトウカエデ(唐楓)という名が付き、日本には江戸時代に渡来、切れ込みのある葉の形をカエルの手に見立てたことによる。

 

0 件のコメント:

コメントを投稿