P58 東京国立博物館蔵
(読み)
持 渡 ル者 廣 東 邊 能産 物 薬 種 砂糖
もちわたるものかんとんあたりのさんぶつやくしゅさとう
類 なり亦 金 銀 とも持 渡 ル也 程 赤 城
るいなりまたきんぎんとももちわたるなりていせきじょう
ハ十 五年 此 方 渡海 春と云
はじゅうごねんこのほうとかいすという
廿 三 日 天 氣時雨 上 玄とて家 ゴトニ餅 を
にじゅうさんにちてんきしぐれかみいとていえごとにもちを
舂(ツク)昼 より田口 氏へ行 薬 園 を見 物 ス
つく ひるよりたぐちしへゆくやくえんをけんぶつす
夫 より梅 カ﨑 と云 処 唐 船 かゝ里てあるを
それよりうめがさきというところとうせんかかりてあるを
乗り見 物 春亦 唐 人 往 来 春るを見る
のりけんぶつすまたとうじんおうらいするをみる
帰 り尓上 村 徳 太郎 是 もおらん多掛 りの者
かえりにうえむらとくたろうこれもおらんだかかりのもの
之 へよる酒 吸 物 を出ス夜 ニ入 四 時 ニかえる
これへよるさけすいものをだすよるにいりよつどきにかえる
廿 四 日天 氣時 \/雨 おらん多毛唐 人 モ共 尓館(クワン)
にじゅうよっかてんきときどきあめおらんだもとうじんもともに か ん
(大意)
略
(補足)
「廿三日」、天明8年10月23日。西暦1788年11月20日。
「上玄(かみい)」、『旧暦10月(現在の11月頃)の最初の亥の日を指し、亥の子(いのこ)の行事が行われる日です。亥の子は、無病息災や子孫繁栄を祈る行事で、特に西日本では盛んに行われます』、と、ここまではグーグルのAI(調べ物をしていると、ここのところAIによるものが急激に増えてきました)による概要から。ここからは辞書『また江戸時代には,この日に炉やこたつを開き火鉢を出す習慣があった』。
「梅カ﨑と云処唐船かゝ里てあるを乗り見物」、「西遊旅譚三」に精密な支那船(トウセン)の図があります。
「唐人往来春るを見る」、同じく「西遊旅譚三」より。
やはり江漢は絵師で、いつもとは全く異なる絵筆運びで、ものの形を精細に写しとっています。うまいです。
「夜ニ入四時」、夜の10時頃。
0 件のコメント:
コメントを投稿