P70 東京国立博物館蔵
(読み)
ツキ来 ル者 ヘ与 ヘ个り此 かひ多んハ江戸ヘ五度
つききたるものへあたえけりこのかぴたんはえどへごど
参 多る者 ニて知ル者 なり名ヨハン。ネス。カスパル。
まいりたるものにてしるものなりなよはん ねす かすぱる
ロンベルグと云 亦 一 人能かひ多んハ二階 住居(スマイ)ニ
ろんべるぐというまたひとりのかぴたんはにかい すまい に
てハなし路 ニ花 畠 と云 アリ地(イケ)能上 ニ橋 アリ
てはなしみちにはなばたけというあり いけ のうえにはしあり
其 上 ニ涼 ミ所 アリ玄 関 能様 なる処 より入 て
そのうえにすずみどころありげんかんのようなるところよりいりて
坐しきへ通 り夫 より玉 津きと云 処 を見 物
ざしきへとおりそれよりたまつきというところをけんぶつ
春是 ハ碁双 六 なと春る様 なる者 ニて戯(タワムレ)
すこれはごすごろくなどするようなるものにて たわむれ
なり四 尺 尓七 尺 程 ニ羅紗 を張りて机(ツクエ)の如 シ
なりよんしゃくにななしゃくほどにらしゃをはりて つくえ のごとし
夫 ニ玉 を置き馬 を打 ムチ能如 キ棒(ホウ)ニて
それにたまをおきうまをうつむちのごとき ぼう にて
津くる也 四所 ニ玉 能落 ル所 ありてそれ
つくるなりししょにたまのおちるところありてそれ
(大意)
略
(補足)
「玉津き」、『「射玉為賭図」石崎融思 1797年11月11日制作』とあるので、江漢がみたのはこの画と同じものかもしれません。
「かひ多ん」、江戸時代,長崎の出島に置かれたオランダ商館の館長。慶長14(1609)年〜安政3(1856)年までの166代を数える。カピタンは毎年正月、長崎より江戸におもむき、将軍に拝謁し、土産ものと海外事情を記した「風説書」提出した。貿易許可の謝意を表すためでありました。
ビリヤード台についての細かい文章の説明はありますが、画にするほどの興味はひかなかったようで、西遊旅譚にも画は描かれていませんでした。
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