2025年4月3日木曜日

江漢西遊日記三 その35

P35 東京国立博物館蔵

(読み)

浦 上 方 と同 シ事 也

うらがみかたとおなじことなり


十 日雨天 絹 地尓蘭画(ヲランタヱ)ヲ認  メル粋  吾カ側(ソハ)

とおかうてんきぬぢに   おらんだえ をしたためるせがれわが  そば


を不離  歓  フ事 限 リなし明(ミン)の季唐 カ画

をはなれずよろこぶことかぎりなし  みん のりとうがえ


軸 ニして精 妙  ナル者 也 亦 文 微  明 皆ナ以 テ

じくにしてせいみょうなるものなりまたぶんちょうめいみなもって


真 物 なり之 を珍 蔵 春

しんぶつなりこれをちんぞうす


十  一 日 雨 石 関 を出  立 して行キ个る向 フへ

じゅういちにちあめいしぜきをしゅったつしてゆきけるむこうへ


兵  右衛門来 リ先 々 滞 畄  い多し候  得と云 不畄

ひょうえもんきたりさきざきたいりゅういたしそうらえというとどまらず


して行ク尓往 来 ニ非  ミカドと云 処  へ出て

してゆくにおうらいにあらずみかどというところへでて


夫 より四里を過 て足 守 ニ行ク路 吉備(キヒ)

それよりしりをすぎてあしもりにゆくみち   きび


津の宮 アリ参 詣 春又 行 て備 中  能

つのみやありさんけいすまたゆきてびっちゅうの

(大意)

(補足)

「十日」、天明8年九月十日。1788年10月9日。

「粋」、倅。

「粋吾カ側(ソハ)を不離歓フ事限リなし」、江漢さんウホウホ喜んでいるのがわかります。

「明(ミン)の季唐」、宋の李唐。李唐(りとう、生没年不詳)は、宋の画家。

「文微明」、文徴明『ぶんちょうめい 【文徴明】[1470〜1559]中国,明の文人。名は璧,号は衡山など。詩・書・画に長じた。師の沈周とともに南宗画風の再興に尽くした』

「ミカドと云処へ出て夫より四里を過て足守ニ行ク」、岡山駅から吉備線で西へひとつ目の駅が備前三門、六つ目が足守。 

「往来ニ非」、前後のながれから意味を考えましたが、どうもよくわかりません。

う〜ん🤔

 

2025年4月2日水曜日

江漢西遊日記三 その34

 

P34 東京国立博物館蔵

(読み)

十  六 七 能娘  出て杓  を取 其 娘  能物 云ヒ

じゅうろくしちのむすめでてしゃくをとるそのむすめのものいい


ハキ\/として甚  タ異  リ

はきはきとしてはなはだことなり


九  日雨 今 日佳節 なり藤 井を五  時 出  立 して

ここのかあめきょうかせつなりふじいをいつつどきしゅったつして


二里岡 山 ニ至 ル城  下町 能し二町  程 隔  リて

にりおかやまにいたるじょうかまちよしにちょうほどへだたりて


橋 二 ツ掛 ル石 関 町  と云 処  尓赤穂 屋喜左

はしふたつかかるいしぜきちょうというところにあこうやきざ


衛門 と云 者 吾 を知ル者 と聞 夫 ヘ参 ル父子

えもんというものわれをしるものとききそれへまいるふし


共 尓好 事の者 ニて甚  タ歓  ひ爰 尓畄(トゝマ)ル

ともにこうずのものにてはなはだよろこびここに  とどま る


其 日浦 上 兵  右衛門甚  タ好 事家ニて先ツ

そのひうらがみひょうえもんはなはだこうずかにてまず


之 ヘ尋  ル酒 飯 を出し又 石 関 尓かえ(ヱ)りぬ

これへたずねるさけめしをだしまたいしぜきにかえ   りぬ


豆 府(フ)尓かまぼこヲ入 さ以として飯 を出春

とう  ふ にかまぼこをいれさいとしてめしをだす

(大意)

(補足)

「杓」、酌。

「九日」、天明8年九月九日。1788年10月8日。

「佳節」、『かせつ

めでたい日。節供。唐・王維〔九月九日、山東の兄弟を憶ふ〕詩 獨り異に在りて、異客と爲る 佳にふに、倍(ますます)親を思ふ』

「浦上兵右衛門」、延享二年(1745)〜文政三年(1820)。江戸後期の著名な文人画家。浦上玉堂。玉堂へ江漢から「富岳遠望図」を送るなど、その親交はあつかった。 

 この絵は「相州鎌倉七里浜図」とまったく構図が同じですが、質はまったく異なります。当時こんな透明感のある画を描いたとはとてもおもえぬほどに素晴らしい。漁師?の老人と孫が日本昔話に出てくる今風でなんともかわいらしい。欧文でKookanのサインがあります。

 銭湯の壁絵で見てみたい。

 

2025年4月1日火曜日

江漢西遊日記三 その33

P33 東京国立博物館蔵

(読み)

の如 し樵夫 ニ之 を聞 ハ何 レ能時 作 リ多る者

のごとしきこりにこれをきけばいずれのときつくりたるもの


ニヤ知ル者 ナシあな多能方 ニハ二間 三 間

にやしるものなしあなたのほうにはにけんさんけん


一 枚 石 を以 テ造 ル者 多 し之 を塚 と申  なり

いちまいいしをもってつくるものおおしこれをつかともうすなり


爰 ハ大 路 と申  所  なりとぞ夫 ヨリ十  余町

ここはおおみちともうすところなりとぞそれよりじゅうよちょう


行キ寺 アリ観 音 堂 アリ瀧 ハ埒 もなき只

ゆきてらありかんのんどうありたきはらちもなきただ


谷 ノ流 レなり又 あとへ帰 り藤 井と云 間 ノ

たにのながれなりまたあとへかえりふじいというあいの


宿 尓泊 ル爰 ヨリ備前 岡 山 ヘ二里と云 播

やどにとまるここよりびぜんおかやまへにりというばん


州  までハ京  ニ属 して人 の物 云 事 此

しゅうまではきょうにぞくしてひとのものいうことこの


備前 ニ入 と江戸能音 ニなりぬ彼 ヒロイシ

びぜんにいるとえどのおんになりぬかのひろいし


茸 を吸 物 として其 夜酒 を呑 个り宿 尓

たけをすいものとしてそのよさけをのみけりやどに

(大意)

(補足)

「あな多能方ニハ」、『遠称の指示代名詞。《彼方》㋐ 遠くの方・場所をさす。あちらのほう。むこう。かなた。「山の―」「―の岸に車引立てて」〈更級日記〉』

「藤井」、地図の右上。

 お城の絵のある「松平上総介居城」が岡山城。どうしてこの名前なのか不明です。

 備前に入ると、言葉が江戸と同じ調子になるとありますが、どうなのでしょうねぇ。