P3前半 東京都立中央図書館特別文庫室所蔵
(読み)
流遍゛し萬 物 の霊 多る人 登生 れ天畜 類 尓まどハさ
者゛んもつ 連い ひと う満 ちくる以
るべ しば んもつのれいたるひととうまれてちくるいにまどわさ
るゝこと己 れ虚 愚尓し天心 尓誠 奈き可゛故 也世尓狐
をの きよぐ こゝろ まこと ゆへ よ きつ年
るることおのれきょぐにしてこころにまことなきがゆえなりよにきつね
つき或 ハ狐 尓化 され抔 春る人 をミる尓多 くハ愚どん
阿るい きつ年 者゛可 奈ど ひと 於本 ぐ
つきあるいはきつねにば かされなどするひとをみるにおおくはぐどん
なる者 可ま多ハ婦人 女 子の多ぐひ奈り仁 人 君 子ハ云
もの ふじん尓よし 志゛ん\゛/くんし いふ
なるものかまたはふじんにょしのたぐいなりじ んじん くんしはいう
(大意)
(いない)だろう。万物の霊長たる人として生まれながら畜類に惑わされることは、自分が心に隙があり愚かであり誠がないために起こるのである。世に狐に取り憑かれたり或いは狐に化かされるなどする人を見ると多くは愚鈍な者であるか又は婦人女子たちである。仁徳をそなえた人や君子はいう(までもなく)
(補足)
「流遍゛し」、変体仮名「流」(る)ははじめてみると、とまどってしまいます。「遍゛し」はセットで覚えやすい。
「誠」のくずし字の旁は「成」ですが、このくずし字がここにあるような形です。「厂」は上部にあって、「戈」(ほこ)が縦長になってます。
「故」のくずし字は特徴的で英小文字「m」のようにみえます。
「多ぐひ」、「く」が英文字「L」のようになってます。
この当時は儒教思想におおわれていましたから、ここにあるようにまったくもって好き勝手に述べています。福沢諭吉などがこれらの儒教的な事柄を徹底的に叩くのはあと少し明治維新になってからです。それにしても「愚鈍なるもの」と「婦人女子」を並列させていることを読者はどんなおもいで読んだのでしょうか。
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