2025年7月1日火曜日

江漢西遊日記四 その44

P51 東京国立博物館蔵

(読み)

ハ大 友 能真 鳥哥(カ)婦゛妓(キ)なりより処  なく見

はおおとものまとり  か ぶ   き なりよりどころなくけん


物 して夜 の九   時 過 尓帰 りぬ

ぶつしてよるのここのつどきすぎにかえりぬ


十  七 日 曇 ルおらん多出嶋 へ入 ル尓ハ坊  主惣

じゅうしちにちくもりおらんだでじまへはいるにはぼうずそう


髪ハなら春゛と云 爰 ニ於 て剃(ソツ)て野郎 となり

ははならず というここにおいて  そっ てやろうとなり


江 助 と名を改  ム一 人も江 助 と云 者 なしとかく

こうすけとなをあらたむひとりもこうすけというものなしとかく


江 漢 先 生 と呼フ又 利助 と槐 庵 と共 尓

こうかんせんせいとよぶまたりすけとかいあんとともに


木 庵 開 基能福 済 寺へ行ク寺中  永 笑

もくあんかいきのふくさいじへゆくじちゅうえいしょう


院 尓参 り酒 出 日暮 帰 ル額 在 大 雄 宝 殿 ト

いんにまいりさけだすひぐれかえるがくありだいゆうほうでんと


温 陵  鄭 泰 印 コレハ国 性 爺ノ事 なりとぞ

おんりょうていしんいんこれはこくせんやのことなりとぞ


十  八 日 クモル此 日灸  治春る此 地ニ切 モクサ

じゅうはちにちくもるこのひきゅうじするこのちにきりもぐさ

(大意)

(補足)

「より処なく」、とくに見るべきところもないものだった、といった感じでしょうか。

「十七日」、天明8年10月17日。西暦1788年11月14日。

「坊主」、「主」のくずし字が「丶」の下が「王」なので、そのくずし字「己」の形になっています。

「国性爺」、近松門左衛門の「国性爺合戦(こくせんやかっせん)」で有名。『人形浄瑠璃。時代物。近松門左衛門作。1715年初演。明朝から亡命した鄭芝竜(ていしりゆう)と日本女性との間に生まれた子鄭成功(ていせいこう)(和藤内)が,明朝再興に活躍した史実をもとに,国姓爺(和藤内)を中心に脚色したもの』。

 江漢さん、髪の毛を剃っていよいよ出島に入る準備をします。