P51 東京国立博物館蔵
(読み)
ハ大 友 能真 鳥哥(カ)婦゛妓(キ)なりより処 なく見
はおおとものまとり か ぶ き なりよりどころなくけん
物 して夜 の九 時 過 尓帰 りぬ
ぶつしてよるのここのつどきすぎにかえりぬ
十 七 日 曇 ルおらん多出嶋 へ入 ル尓ハ坊 主惣
じゅうしちにちくもりおらんだでじまへはいるにはぼうずそう
髪ハなら春゛と云 爰 ニ於 て剃(ソツ)て野郎 となり
ははならず というここにおいて そっ てやろうとなり
江 助 と名を改 ム一 人も江 助 と云 者 なしとかく
こうすけとなをあらたむひとりもこうすけというものなしとかく
江 漢 先 生 と呼フ又 利助 と槐 庵 と共 尓
こうかんせんせいとよぶまたりすけとかいあんとともに
木 庵 開 基能福 済 寺へ行ク寺中 永 笑
もくあんかいきのふくさいじへゆくじちゅうえいしょう
院 尓参 り酒 出 日暮 帰 ル額 在 大 雄 宝 殿 ト
いんにまいりさけだすひぐれかえるがくありだいゆうほうでんと
温 陵 鄭 泰 印 コレハ国 性 爺ノ事 なりとぞ
おんりょうていしんいんこれはこくせんやのことなりとぞ
十 八 日 クモル此 日灸 治春る此 地ニ切 モクサ
じゅうはちにちくもるこのひきゅうじするこのちにきりもぐさ
(大意)
略
(補足)
「より処なく」、とくに見るべきところもないものだった、といった感じでしょうか。
「十七日」、天明8年10月17日。西暦1788年11月14日。
「坊主」、「主」のくずし字が「丶」の下が「王」なので、そのくずし字「己」の形になっています。
「国性爺」、近松門左衛門の「国性爺合戦(こくせんやかっせん)」で有名。『人形浄瑠璃。時代物。近松門左衛門作。1715年初演。明朝から亡命した鄭芝竜(ていしりゆう)と日本女性との間に生まれた子鄭成功(ていせいこう)(和藤内)が,明朝再興に活躍した史実をもとに,国姓爺(和藤内)を中心に脚色したもの』。
江漢さん、髪の毛を剃っていよいよ出島に入る準備をします。