P.4 1〜5行目まで。「飯能市立博物館所蔵」「平沼家文書」
(読み)
御座候 、滝 之助 殿 ・太次郎 殿 外 村 役 人
ござそうろう、たきのすけどの・たじろうどのほかむらやくにん
申 様 、何 様 之事 申 来 り候 共 、決 而出向
もうすさま、なにようのこともうしきたりそうろうども、けっしてでむき
候 而者不相成 、隣 家栄 左衛門 ・同 寅 次郎
そうろうてはあいならず、りんかえいざえもん・どうとらじろう
江も右 の段 申 聞 セ控 遍く由 申 候 得ば、
へもみぎのだんもうしきかせひかえべくよしもうしそうらえば、
(大意)
滝之助殿、太次郎殿やほかの村役人が
言うには、どのようなことを言ってきても、
決してこちらから出向くことをしてはならず、隣の栄左衛門や寅次郎へも
同様のことを説明し控えているようにすべきことを申し伝えると、
(補足)
この頁は前頁までとは墨の濃さや筆の太さが異なります。このあと数頁後にまた戻ります。
この覚記のところどころで、書き手が変わったのではないかと思われるところが何箇所かあります。
口述筆記か下書きを渡し書いておくように命じたのかわかりませんが、源左衛門さんがすべてをご自身で記してないような気がします。
書かれている筆跡はたいへんに明瞭できれいで読みやすい。行末になって文字が詰まり小さくなることもなく全体のバランスもとれています。
「殿」が2度出てきますが、字体が異なります。
「決」、くずし字は漢字の部品の配置が変わってしまっています。元の字の右下の「人」部分が、くずし字では下部にきて「又」のようになってます。
「候而者」、「者」(は)変体仮名。
「不相成」(あいならず)、下から返っての読み方はごく普通に使われます。当時の人達はいちいちレ点で下から返って読むのだなんていうこは意識せずに、スラスラと筆を進めたはずです。