P103 東京国立博物館蔵
(読み)
亀 屋と云 宿 尓泊 ル八ツ時 比 なり裏 ニ温 泉 アリ
かめやというやどにとまるやつどきころなりうらにおんせんあり
湯尓入 ル一 人吾可僕 弁 㐂尓聞ク見多る人 也
ゆにはいるひとりわがしもべべんきにきくみたるひとなり
と云 弁 㐂性 名 を云ヘハ手を打ツてなる程 と云フ
というべんきせいめいをいえばてをうってなるほどという
毛 利石 見守 臣 と云ヒき諏訪能池 (湖 )ノ向 フ尓城
もうりいわみのかみしんといいきすわのいけ みずうみ のむこうにしろ
見ユ冨士此 日ミへ春゛初 メて田を少 シ見ル
みゆふじこのひみえず はじめてたをすこしみる
九 日天 氣爰 より駕籠ニて出 立 し和田峠
ここのかてんきここよりかごにてしゅったつしわだとうげ
五里あり峠 尓雪 消 残 ル手ニ取 て見ル七 曲 坂
ごりありとうげにゆきすこしのこるてにとりてみるななまがりさか
アリ寒 ウして麦 も不生 能地なり夫 より下 りて
ありさむうしてむぎもふしょうのちなりそれよりくだりて
何 と可云 処 ニて日 光 勅 使御休 ミアリ其 傍 ラ尓
なんとかいうところにてにっこうちょくしおやすみありそのかたわらに
駕籠を下 シ个連ハ下部(シモベ)乗りうちし多るとて
かごをおろしければ しもべ のりうちしたるとて
(大意)
略
(補足)
「亀屋」、現在も営業している「聴泉閣かめや」はこの宿と同じででしょうか?中山道で温泉が湧くのはここの下諏訪だけだったようです。
「性名」、姓名。
「九日」、寛政1年4月9日、1789年5月3日。
「和田峠」、標高1600m、中山道最大の. 難所とされた。
「日光勅使」、日光例幣使。天皇の代理として、朝廷から神への毎年のささげものを指す例幣を納めに派遣された勅使のこと。
「乗りうち」、『のりうち【乗り打ち】馬やかごに乗ったまま,貴人・神社・仏閣などの前を通り過ぎること。下乗(げじよう)の礼を欠く行為。「早馬三騎,門前まで―にして」〈太平記•11〉』
中山道最大の難所を駕籠で5里(約20km)、駕籠代もさることながら、駕籠かきも二人では無理で、交代するひと二人で交互に運んだのではとおもうのですけど、それにしても重労働です。


















































