2020年11月9日月曜日

豆本 かち\/山(佐藤新太郎)その17

奥付

(読み)

御届明治十八年六月一日

めいじじゅうはちねんろくがつついたち


編輯画工兼出板人

へんしゅうがこうけんしゅっぱんにん


定價壱銭五厘

ていかいっせんごりん


東京日本橋區馬喰町二町目七番地

とうきょうにほんばしくばくろうちょうにちょうめななばんち


佐藤新太郎

さとうしんたろう


(大意)

(補足)

 明治10年の西南の役が終わってようやく明治時代らしさがはじまったなどとものの本にはあります。明治18年出版ですからそろそろ明治中期になる頃でも、読んできたとおりまだまだ江戸時代を引きずった書き言葉や表現があり、そう簡単になくなるものではないことがわかります。

「変体仮名とその覚え方」板倉聖宣著 仮説社 には次のようにあります。

p124_9.

文部省は明治33年にいったん変体仮名の教育を廃止したが、・・・

明治33年、文部省は、小学校令施行規則を定めて小学校での変体仮名の教育を廃止したが、そのとき「棒引き仮名遣い」もさだめたこともあって、猛烈な反対運動が起きて、明治41年に変体仮名の教育を復活した。そこで、第二期の国定国語読本には二六種の変体仮名を教えるようになった。小学校の教科書から変体仮名が完全に姿を消すのは、大正11年以後のこと。

 こんな教育事情でありますから、社会・文化に根強く根深く潜り込んでいるものを明治政府が強く指導しようとしてもなかなか手ごわいのでありました。

 この豆本壱銭五厘とあります。

日銀のHPには「1円未満の紙幣(お札)や貨幣(硬貨)については、1953年(昭和28年)に制定された「小額通貨の整理及び支払金の端数計算に関する法律」(いわゆる小額通貨整理法)により、発行が停止されました。また、それまでに発行されていた1円未満の紙幣や貨幣も、同年12月31日限りで通用力を失いました。」とあり、「現在、1円未満の紙幣や貨幣は通貨として使用できませんが、「銭」と「厘」は「1円未満の金額の計算単位」として、「銭は円の百分の一をいい、厘は銭の十分の一をいう」と定められています(通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律第2条第2項)。

したがって、現在も、利息や外国為替の計算などには1円未満の単位が使われています。」となってます。

後半の説明にあるように、日常の通貨紙幣としては使用できませんが利息・外国為替計算には使われているということであります。

明治39年石川啄木22才は岩手県渋民村尋常高等小学校で代用教員で月俸8円でした。

調べてみると

●東京国立博物館観覧料

明治5年 2銭  昭和56年 250円  →1銭≒125円

●銭湯入浴料

明治5年 1銭2厘 昭和62年 270円  →1銭≒225円

となって、ずいぶんと幅があります。他の料金との比較もありますが、わたしの感覚としては子どもが親戚や親にねだるなり、親などが買ってあげられる価格帯に設定するわけですから、壱銭五厘は現在の価格にすると200円〜300円くらいのような気がします。


 

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