2019年1月31日木曜日

変事出来二付心得覚記 その77




 P.28 最初〜5行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
申  、其 内 又 々 松 太郎 参 り、
もうす、そのうちまたまたまつたろうまいり、

先 の御噺 し申  上 候   者小前 もの、
さきのおはなしもうしあげそうろうはこまえもの、

志゛やうたん二も有之  遍く蛭 子
じょう だんにもこれあるべくえびす

講 の様 成 事 あて古とも那以、
こうのさまなることあてこともない、

只 今 私  に用 向 有之  と申  事 二付
ただいまわたしにようむきこれありともうすことにつき


(大意)
(もうす、)そうこうするうちに再度松太郎がやってきた。
先程の小前百姓がお話をいたしました件ですが
冗談にしたって、まさか蛭子講のようなことになって
とんでもないことをしてしまいました。
私に用事があるということなのでまいりましたが、


(補足)
 この頁全体から漂っている雰囲気(筆圧、筆の細さ、とめやはらい、ながれ具合、墨汁の量など)はもう源左衛門さんのものではありません。女性でしょう。奥様でしょうか。
とてもきれいで筆の運びが手に取るようにわかります。

「志゛やうたん」、冗談(だとおもいます)。
「蛭子講」(えびすこう)。「ひるこ」としても間違いではないようです。
「あて古とも那以」(当て事も無い)、とんでもない、途方もない、見込みはずれだ。

この部分の大意は上記のとおりとしましたが「蛭子講の様成事」が??です。

 とても丁寧に書かれていて、くずし字の部分も流れるように、ごちゃごちゃして文字がつぶれるということもなく筆先をなぞることができてしまいます。


2019年1月30日水曜日

変事出来二付心得覚記 その76




 P.27 8行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
右 二付 太次郎 殿 申  様 、古組 人
みぎにつきたじろうどのもうすさま、こぐみにん

私  世話致 スといふ事 不相成  候   、
わたしせわいたすということあいならずそうろう、

先 々 御立 腹 なく御世話被下  と 申  、
さきざきごりっぷくなくおせわくだされと(もうす、)


(大意)
そのような話をしている中で太次郎殿が言うには、古組の者を
(新組の名主である)私が面倒を見るということはできません。
この先も腹を立てずにかれらの面倒をみてやってくだされと
いうのであった。


(補足)
 頭に血が上ってしまっている滝之助をなだめる場面が続きます。

 丸山美季 氏による次の史料がダウンロードできます。
「武州一揆関係史料 ―上名栗村名主町田瀧之助より江戸で材木問屋を営む父への書状―」

 滝之助は十代の大半を江戸で過ごしたとのことで、喧嘩っ早いことも肌に染み込んだのかもしれません。

 特に難しい字はないようにおもいます。
読みやすいきれいな頁でした。


2019年1月29日火曜日

変事出来二付心得覚記 その75




 P.27 4〜8行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
森 川原
もりがわら

前 通 りゟ 御製 札 前 通 リニ
まえどおりよりごせいさつまえどおりに

居 候   者 下モヘ引 取 世話被下  、
おりそうろうものしもへひきとりせわくだされ、

太次郎 さん聞 人 だよと度々
たじろうさんぶんじんだよとたびたび

噺、
はなし、


(大意)
森川原前通りから御製札前通りの
者たちを下へ引き取って面倒を見てやって下さい、
太次郎さんは地元の名士じゃないですかと何度か
繰り返し話した。


(補足)
 大意をまとめるのに何度も前後を読みました。フィクションの可能性大であります。
滝之助がもう勝手にしろとキレまくっての続きの噺だとおもいます。
「聞人」(ぶんじん)、名の聞こえた人。有名人。

古組名主滝之助の管理するあたりが森川原前通りから御製札前通りで、
そこを、新組名主の有名人の太次郎さんが世話してくれよと、滝之助がクダをまいている
場面なのでしょうか。

「森川原」が行末につめられていて二文字のように見えます。

「被下」(くだされ)、二文字セットで覚えます。

2019年1月28日月曜日

変事出来二付心得覚記 その74




 P.27 最初〜4行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
夜 四ツ頃 、右 之趣   滝 之助 殿 江
よるよつごろ、みぎのおもむきたきのすけどのへ

噺 し候   処  、大 立 腹 、名主 世話も今 者゛ん
はなしそうろうところ、だいりっぷく、なぬしせわもこんば ん

より以多し不申  候   、家 も古王し
よりいたしもうさずそうろう、いえもこわし

度 盤勝 手二以多させ申  候
たくはかってにいたさせもうしそうろう


(大意)
夜四ツ(22時)頃、ここまでの事情を滝之助殿へ
説明したところ、大激怒された。名主のお役目も今晩より
しないと言い、家も壊したければ
勝手にそうすればよいと申された。


(補足)
 この頁も書き手は源左衛門さんではなさそうです。
変体仮名の箇所が目立ちます。
「今者゛ん」(こんばん)、「以多し」(いたし)、「古王し」(こわし)、「盤」(は)、
「以多させ」(いたさせ)。

「夜」、「亠」が偏の一部になってしまってます。

「候処」、「処」はじっと見るとなるほど元の字が見えてきますが、ほとんど「m」です。

 滝之助さんはこのとき、33才でした。まだまだ血気盛んです。
またちょうど、体の具合が悪いときでもあったようです。
あっちの村からこっちの村へと数十キロも歩き、体力的にも精神的にもまいってしまっていたはずです。そんなところへ、夜の10時をすぎて、施金内容をつめなければなりません。

「大立腹」とありますから、口角泡飛ばしの様子だったのではないでしょうか。
「名主なんかもうやってられません。家も壊しかったら一揆勢の好きにさせればいい。」
周りの村役人たちが、まぁまぁとこれまたなだめる様子が見てとれるようです。

 しかし、滝之助さんが強気に怒った背景には、飯能からの文書に一揆勢はこちらまで押しかけて来ることはなさそうだとの連絡が入っていたともいわれています。

 確かなことは真っ赤になってか真っ青になってかはわかりませんが、「大立腹」したのだけは事実であるようです。

 それにしても、きれいな筆跡です。

2019年1月27日日曜日

変事出来二付心得覚記 その73




 P.26 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
太次郎 殿 申  様 、是 二而ハ新 立 江
たじろうどのもうすさま、これにてはにったちへ

帰 り噺 し天見遍しと、源 左衛門
かえりはなしてみべしと、げんざえもん

二も同 道 致  可参   様 申  候   二付 、無拠
にもどうどういたしまいりべくようもうしそうろうにつき、よんどころなく

新 立 迄 立 帰 り、是 二而者小殿・
にったちまでたちかえり、これにてはこどの

秋 津へも沙汰致 し、新 立 ま天゛
あきづへもさたいたし、にったちまで

可参   様 申  事 二付 、御迎  ニ私  し
まいりべくようもうすことにつき、おむかえにわたくし

可参   と良  助 参 り、小殿 之儀者
まいりべくとりょうすけまいり、こどののぎは

酒 二酔 候   間  今 晩 者不参  と之
さけによいそうろうあいだこんばんはまいらずとの

噺 し、秋 津勇 蔵 新 立 へ参 る、
はなし、あきずゆうぞうにったちへまいる、


(大意)
太次郎殿が言うには、このようなことならば新立へ
戻り相談すべきである。源左衛門にも
一緒に来てはくださらぬかとのことで、仕方なく
新立まで帰った。それならばと小殿や
秋津へも連絡して新立まで
来てもらおうと、良助が私が迎えにゆくと出かけた。小殿については
酒を飲み酔っているので今晩は出かけられずとの
はなしで、秋津勇蔵が新立へ来た。


(補足)
 この頁は特にきれいに書かれているようにおもわれます。
源左衛門自身のやや太めで小さめの筆跡とは明らかに異なり、女性の字ではないかと想像してしまいます。何度か述べていますが、この覚記は源左衛門が記録したものに間違いはないとおもいますが、書き手は数人(男女)いるようにおもわれます。この後のP.28、P.29では平仮名が女性っぽく感じてしまいます。

 同じ漢字や表現が何度もあらわれます。
「新立」「帰り」「噺」「可参」「様」「是ニ而ハ」

「無拠」(よんどころなく)、行末に押し込められてますが、ちゃんと読み取れます。

「御迎」、「卯」の偏と旁が上下に位置してます。

「今晩」、やさしそうで難しい。


2019年1月26日土曜日

変事出来二付心得覚記 その72




 P.25 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
一 金五千両    代 八
          だいはち

一 金三千両    幸 次郎
          こうじろう

一 金千両     武 助
          たけすけ

一 金五百両    庄  右衛門
          しょうえもん

一 金三百両    惣 次郎
          そうじろう

一 金三百両    良  硯
          りょうけん

一 金百両也    角 太郎
          かくたろう

(大意)
略

(補足)
 引き続き、金額と署名が記されます。

千両、百両と日本の記数法では壱が省略されてます。
「両」がこれだけ出てくると、しっかり覚えられてよし。
最後の行は、「也」があります。

 名前は難しい。
しかし、ここでは丁寧に書かれているとおもいます。
「良硯」(りょうけん)としましたが、わかりません。

 村役人たちの資産状況に応じて(「振合」)、施金の持ち分を決めたのでしょう。

合計すると23200両となりました。

2019年1月25日金曜日

変事出来二付心得覚記 その71




 P.24 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
返 ス、此 振 合 二而者上 名栗 村 分
かえす、このふりあいにてはかみなぐりむらぶん

弐万 両  余  と申  事 二付 、私  し義者
にまんりょうあまりともうすことにつき、わたくしぎは

あき連帝酒 ぐらへ入  、多葉粉
あきれてさかぐらへはいり、たばこ

呑 居 候   所  へ松 太郎 参 り申  様 、
のみおりそうろうところへまつたろうまいりもうすさま、

大 勢 見込 二者弐万 三 千 両  余  と申  事
たいせいみこみにはにまんさんぜんりょうあまりともうすこと

一   金 五千 両   源 左衛門
ひとつ きんごせんりょう げんざえもん

一   金 四 千 両   滝 之助
ひとつ きんよんせんりょう たきのすけ

一   金 四 千 両   伴 次郎
ひとつ きんよんせんりょう はんじろう


(大意)
返却、この割合で考えれば上名栗村の分は
およそ二万両ということになるから、わたくしなどは
あきれて酒蔵へ入り、タバコを
吸っていたところ、松太郎がやって来てこんなことを言った。
大体のところは見込みで二万三千両あまりになります。

一 金五千両 源左衛門
一 金四千両 滝之助
一 金四千両 伴次郎


(補足)
最初の二行に出てくる「者」(は)のくずし字の形が今までとは異なっています。

「私し義」、「儀」を使ってません。

「あき連帝」(あきれて)、変体仮名。
「多葉粉」、こんなあて字ははじめて見ました。「粉」の旁が「分」のくずし字にちゃんとなってます。

「大勢」(たいせい)としましたが、?。意味は「現状では、現在の情勢では」でしょう。

「両」、楷書のような字体とくずし字が混在しています。

「五」は特徴的で、これが読むことができるとなんか自信がつきます。

「伴次郎」の「半」、「手」と同じ書き順です。「|」を書いてから上に戻ってのこり二本の横棒を書いてます。