2026年4月20日月曜日

日本山海名物圖繪巻之二 その15

P28P29 国文学研究資料館蔵

(読み)

江戸四 日市 ノ蜜柑 市

えどよっかいちのみかんいち


江戸の市中  尓賣 ハお本く駿 河ゟ

えどのしちゅうにうるはおおくするがより


出紀州  み可んも大 坂 より舟 廻 し

できしゅうみかんもおおさかよりふなまわし


尓て下 る也 江戸四 日市 の廣 小 路尓籠 入 のみ可ん山 のごとく

にてくだるなりえどよっかいちのひろこうじにかごいりのみかんやまのごとく


尓高 くつミて毎 日 \/  賣 買 の商  人 群 集 春江戸ハ日本

にたかくつみてまいにちまいにちうりかいのしょうにんぐんじゅすえどはにほん


㐧 一 の都 會 尓て繁 昌  の津奈れバ京  大 坂 尓まさりて賑 ハへ里

     とくハい  者んしやう                 尓ぎ

だいいちのと かいにてはんじょうのつなればきょうおおさかにまさりてにぎわえり

(大意)

(補足)

「江戸四日市」、『古くは日本橋と江戸橋の間、川より南の大路をいい、毎月四の日に市がたつ町でした。明暦(めいれき)の大火(1657年)の後、町屋(まちや)を移転させ、川沿いに二町半(約272.5m)にわたり石を積んで、高さ4間(約7.2~7.8m)の土手蔵(どてぐら)を築いて防火壁としました。その後、この地を元四日市町(もとよっかいちちょう)、川沿いを四日市河岸(よっかいちがし)と呼び、様々な市が立つなど、繁盛(はんじょう)の地となりました』。 

 江戸名所図会四日市長谷川雪旦(はせがわせったん)画 天保5~7年(1834~1836)。

 この本は宝暦4(1754)年に出版されているので、ここの画は四日市河岸。

 すべて籠で運搬したのですから、いったいどれくらいの籠が使われたことか!河岸のあわただしい賑やかさが伝わってきます。

 

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