2020年8月31日月曜日

豆本 舌切雀 その7

 


P.3左半分


(読み)

どうし多と

どうしたと


者奈せバぢゞいハ

はなせばじじいは


奈げ起可奈

なげきかな


志ミけりその

しみけりその


あくるひぢゞいハ▲

あくるひじじいは


▲起を

 きを


とり奈をし

とりなおし


春゛ゞめの

す ずめの


やどをさ可゛

やどをさが


さんと

さんと



(大意)

どうした(何か悪いことをしたか)と

話したところ、

爺いは嘆き悲しみました。

そのあくる日は爺いは

気をとりなおし

雀の宿を探そうと



(補足)

 文章はくっきりはっきり摺られていて難しい箇所はありません。


P2P3見開き。


見開きになると、左右の絵柄がずれたり色が異なったりするものですが、

頁をまたがっている何色もの色もほぼ完璧に描かれています。




2020年8月30日日曜日

豆本 舌切雀 その6

 


P.3右半分


(読み)

尓てぢゞい尓

にてじじいに


む可いて

むかいて


春゛ゞめ可゛

す ずめが


これゝ

これこれ


い多づら

いたずら


をし多

をした


可ら▼

から


▼志多を

 したを


きつて

きって


尓可゛

にが


し多可゛

したが


(大意)

(腹を立)てて、爺に向かって

雀がこれこれいたずらをしたから

舌を切って逃したが、


(補足)

 右半分は▼印でつながります。

文章は読みにくいところはありません。


 爺さん手ぬぐいを目にあて、嘆き悲しむこと涙があふれている様子。

青と渋黄色の漆喰壁に点々をつけてそれらしくしています。

柱も敷居もきちんと描き、外の赤の景色も前頁に合わせています。




2020年8月29日土曜日

豆本 舌切雀 その5

 


P.2


(読み)下段

「ぜん多い

 ぜんたい


春゛ゞめハ

す ずめは


奈んのやく

なんのやく


尓も奈らぬ?

にもならぬ?


????を

????を


可つて

かって


おく

おく


とハ

とは


者゛可

ば か


ばか


しい

しい



(大意)

「もともと雀は何のやくにもならぬ。

?????を飼っておくとは

ばかばかしい。



(補足)

 婆さんの左足の下部分がかすれていて読めません。

拡大してみます。

ならぬ(わあや?)のようにも見えますがさてさて・・・


2020年8月28日金曜日

豆本 舌切雀 その4

 


P.2


(読み)上段

かいお起多るすゞめ可゛その

かいおきたるすずめが その


のりを奈め多とて者゛ゞア

のりをなめたとてば ばあ


者らを多ち春゛ゞめの

はらをたちす ずめの


志多をきり尓可゛し

したをきりにが し


けれバぢゞいハ

ければじじいは


やまより可へりて

やまよりかえりて


春゛ゞめのおらざる

す ずめのおらざる


ことをとなりの

ことをとなりの


者゛ゞア尓きけバ

ば ばあにきけば


者゛ゞアハ

ば ばあは


者ら

はら


多ち

たち



(大意)

飼っていた雀がその糊をなめたので

婆は腹を立て、雀の舌を切り、逃しました。

爺は山から帰ってきて雀がいなくなっていたので

隣の婆に聞いたところ

婆は腹を立てて


(補足)

 婆の着物は前頁では青地に紺の格子柄でしたが、ここでは卍模様になってます。

髪の毛はリーゼントばりで後方をながしまとめて爺に放言している表情とあっています。

爺にくってかかる元気があるのか婆の尻のカーブは丸く若々しい。

左手に持っているのは長い煙管か。


「かいお起多る」、「お」が「な」に見えます。「る」が「も」に見えますが、それでは意味がおかしくなります。出だしが平仮名「か」になってます。


「春゛ゞめ」、なぜか「春」(す)に「゛」があり、このあとにでてくるのもみなそうなってます。

「志多」(した)とかかれると「舌」の感じがありません。


 柱の二面を塗り分け、さらに敷居の色も変えています。丁寧な仕事ぶりです。




2020年8月27日木曜日

豆本 舌切雀 その3

 

P.1


(読み)

む可しゝ

むかしむかし


あるとこ尓

あるとこに


正  ぢ起奈るぢゞいあり

しょうじきなるじじいあり


そのと奈り尓

そのとなりに


与くふ可起

よくふかき


者゛ゞア

ば ばあ


ありし可゛

ありしが


ある

ある


とき者゛ゞア

ときば ばあ


せん多くを

せんたくを


奈さんと

なさんと


のりを

のりを


おきし尓かのぢゞいの

おきしにかのじじいの



(大意)

昔むかしあるとこに

正直な爺がおりました。

そのとなりに欲ふかな婆が

おりました。

あるとき洗濯をしようと

糊(のり)を置いておいたところ

となりの爺の


(補足)

「与くふ可起」、「よ」の変体仮名「与」。

「者゛ゞア」、「は」の変体仮名「者」は、平仮名「む」の後半が上がらないで平らかもしくは右下に流れます。ここでは「゛」がついて「ば」。

「かのぢゞいの」、平仮名「か」を使っているのはめずらしい。ほとんどは変体仮名「可」です。


 頁の四隅どこをみてもしっかり丁寧に描き込んでいます。配色も渋くすばらしい。

輪郭線はやや太めの黒です。

右手に和鋏をもつ婆の表情、口を半開きにし白髪の髪の毛は海のうねりのように逆立っています。

手足の力のこもりようと指先までもこまかく描き、縁側の板を踏み抜いてしまいそう。

着物にたすき掛け、裾は端折って血気盛んな欲深婆さんの荒々しさが雀を追って縁側から飛び降りそうです。

雀は左上やや大きく描き、婆さんとの対比で遠近感をだしています。

右側、壁にひびが入り下地の竹組が見えて住まいが荒れています。



2020年8月26日水曜日

豆本 舌切雀 その2

 


見返し


(読み)

舌 切 春ゞめ

したきりすずめ


(大意)


(補足)

 表紙とは異なり、「雀」が「春ゞめ」となってます。

変体仮名「春」は「す」+「て」のような形。


 鈴のついた和鋏(わばさみ)が怖い。これで雀の舌がチョッキンと切られてしまうのですから。

鋏も雀も置物もみな太い縁取りの黒線で描かれています。

雀の茶色の濃淡も丁寧。

鋏の青も鉄の肌さわり感が伝わります。

天の渋赤、地の淡緑も柔らかく流れる優しさをかもしだしています。



2020年8月25日火曜日

豆本 舌切雀 その1

 

表紙


(読み)

舌切雀

したきりすずめ


(大意)


(補足)

 なんでこんなところにラベルをはるのか気がしれません。

?????画。わからないじゃありませんか。


糸綴じは白くてきれい。あとからの補修です。


丸眼鏡をかけた母親があぁ~~んしてごらんと、(舌を切られた)娘の口の中をみています。

娘さんは痛そうじゃないし、母親も滑稽な様子です。

母娘共々、手のひらの表情がやけにリアルであります。

娘の着物柄やちゃんちゃんこ、母親の着物柄も腕から出している薄桃色もこだわりでしょう。

背景は笹柄で臙脂色(えんじいろ)で塗りつぶしています。


 やや太めの黒で輪郭をはっきりさせ使っている色も派手さをおさえています。



2020年8月24日月曜日

豆本 兎のかがみ山 その19

 

裏表紙

(読み)

なし

(大意)

なし

(補足)

 扇面をそのままの形で図案化したもの。

このような図案はそれこそ千も万もあり、先人の図案化にかける執念やセンスの良さに惚れぼれするとともに、誇らしくもあります。

日本の意匠の財産であります。



2020年8月23日日曜日

豆本 兎のかがみ山 その18

 


奥付


(読み)

明治十三年 三月二十二日 御届


東京府平民 價壹錢

編輯兼

出版人 服部為三郎


下谷區

上野西黒門町五番地


(大意)


(補足)

 これだけの豆本が1銭なのですから、驚きをこえて出版業や書籍などの文化は江戸時代から盛んであったにもかかわらずその地位の低さ位置づけにため息がでます。

 江戸時代後期・明治時代に日本にやってきた諸外国人が浮世絵などその出来栄えに比べて価格の異常な安さに驚き、買いあさったのも無理はありませんでした。

外国人の当時の日記には日本の書籍・出版業にたずさわる人たちの地位は低く稼ぎも悪いとあります。




2020年8月22日土曜日

豆本 兎のかがみ山 その17

 


P.12


P12下段


(読み)

さしあげ

さしあげ


志ゆつせ

しゅっせ


い多し

いたし


めで多し

めでたし


ゝゝゝ

めでたしめでたしめでたし



(大意)

差し上げ、

出世いたし

めでたし

めでたしめでたしめでたし



(補足)

「志ゆつせ」、そのまま平仮名通りに読むと、「しゆつせ」です。

上段でも「志ゆひ可く」(しゆひよく)があります。喋る言葉(口語体)と書き言葉(文語体)が一致しているというか一致させたくれた現代がありがたい。


 上部の1本or2本の横線ですが、板木の大きさが異なったためかもしれません。多色刷りですので数枚の板木を使うわけです。その大きさが普通ならみな同じなのですが、なぜか異なってしまった。

でもそんな初歩的な間違いはしないとおもうのでうけど。

うーん、やはりわかりませんね。



2020年8月21日金曜日

豆本 兎のかがみ山 その16

 

P.12

P12上段

(読み)

お者く

おはく


志ゆひ可く

しゅびよく


主人  の可多

しゅじんのかた


きをうち

きをうち


そんぞうを

そんぞうを


て尓いれお可ミへ

てにいれおかみへ



(大意)

お白

首尾よく

主人のかたきをうち

尊像を

手に入れお上へ



(補足)

「志ゆひ可く」、「よ」の変体仮名は「与」ですが、どうみても「可」です。

「きをうち」、かすれていて読みづらいです。すぐ左の行の一番下が「を」で、それとくらべるとたしかに「を」と読み取れます。

「そんぞうを」、いきなり「尊像」がでてきましたが、歌舞伎かがみやまでは主人の書き置きとこの尊像が要となっています。

「お可ミへ」、「ミ」が「を」に見えてしまいました。「へ」も「つ」に見えます。


 上部にある2本線がこの頁にもあります。何なんでしょうか。

尊像をもつ裃姿の武士は直線的に、灯りをもつお白は曲線的にと対比を明確にしてしっかりした線で描かれています。やはり後半からは親方がでてきて描いているようです。



2020年8月20日木曜日

豆本 兎のかがみ山 その15

 


P10P11見開き


(読み)

なし


(大意)

なし


(補足)

 文章はありません。

上部の2本線、気になりますねぇ。

さらさは右肩もろ肌脱ぐようにし、両手で黒傘で岩藤の剣を防いでいます。

構図もいいですね。


 黄色と赤の縦縞柄の筆の使い方が、以前と違ってからだの流れにそって自然で動きに見合っています。何回か述べてきましたが以前描いていたのが弟子なら、師匠の出番のようにみえます。


 背景の上部は枝ぶりや雰囲気から梅だとおもいますが、左側の豚の鼻のような赤い花はなんでしょうか。寒椿には似ていないし・・・



2020年8月19日水曜日

豆本 兎のかがみ山 その14

 


P.10


(読み)

「奈尓を

 なにを


こ志や

こしゃ


く奈

くな


「主人の

 しゅじんの


可たきおもい

かたきおもい


しれ

しれ



(大意)

「何をこしゃくな

「主人の敵(かたき)

おもいしれ



(補足)

 岩藤が刀を振り上げ、傘で防いでいるのは「主人の敵」を討とうとしている白。


他の頁にもありましたが、上部の横線がここにもあります。何のためかわかりません。


 やはり前頁から絵師がかわったのではないでしょうか。

岩藤の描き方も着物に柄を入れたり、耳に赤を加えたり、筆のはこびが丁寧です。

背景の梅?や藁垣根なども手抜きしてません。

傘も立体感や質感がありしっかり描いてます。


「主人」、「人」が「へ」にみえるので、この2文字平仮名でなんと読むか悩みますが

漢字でした。「主」のくずし字を見たことがないとちょっと難しい。

「可たき」、ここでも「た」が平仮名です。変体仮名「多」ではありません。



2020年8月18日火曜日

豆本 兎のかがみ山 その13

 

P.9

(読み)

ミち

みち


尓て

にて


くせ

くせ


もの尓

ものに


であい

であい


者可らづ

はからず


志ゆじん

しゅじん


のふバこの

のふばこの


可きお起

かきおき


をミて

をみて


びつ

びっ


くり春る

くりする



(大意)

道にて曲者に出会い

おもいもよらず

主人の文箱の書き置きをみて

びっくりする



(補足)

「者可らづ」、これは難しい。すぐにわかるのは「づ」。「は」の変体仮名「者」は「む」のクルッとまわったあと右下にくにょくにょっと下がるのですが、ここのは「む」はそうはなってません。

前後の文章の流れからいろいろあてはめていくしかありあせん。


「春る」、変体仮名「春」は「す」+「て」のような形。


P8P9見開き


 今までの頁と違って、まるで絵描きや彫師摺師がかわってしまった感じの頁です。

背景の石垣白壁や窓、遠近感をもって描いています。


 左の裃の右肩を脱いでいる曲者、この人が強かったとわかります。右はその曲者の供でした。

この曲者の両耳、内側が赤く塗られています。

白の右手には「はからずも見てしまった主人の書き置き」を握っています。


 一番左端の赤い窓があるのはなんでしょうか。籠のようでもあるし・・・

わかりません。




2020年8月17日月曜日

豆本 兎のかがみ山 その12

 


P.8


(読み)

「たん満りの者゛

 だんまりのば


「お者く

 おはく


志ゆじん

しゅじん


のやどへ

のやどへ


つ可い

つかい



ゆく

ゆく



(大意)

「だんまりの場

「お白

主人の宿へ使いに行く



(補足)

「たん満りの者゛」とあり濁点がありませんが「だんまり」です。平仮名「た」になってます。

「者゛」のほうには濁点があるのに「た」のほうにはありません。


 歌舞伎の「だんまりの場」、辞書には

「(「暗闘」とも書く)歌舞伎で,暗やみの中で,登場人物が無言でさぐりあいをするさまを様式化したもの。また,その場面。」とあります。

ここでは、お白が暗闇で曲者に襲われ、主人の文箱の書き置きがそとに出てしまって内容も見てしまったのか、驚いている場面です。


「志ゆじん」「やどへ」「ゆく」、「や」と「ゆ」がまぎらわしい。書き順まで同じです。


 お白の黄色と赤の縦縞の着物は、前頁の岩藤との乱闘のときに着ていたものと同じです。

胸の前に文箱がとび、左手は提灯でしょうか、手にしています。

岩藤をも打ち負かすほどの腕前のお白が暗闇で急襲されたとはいえ、これほど簡単にやられてしまうのも解せぬませぬが、相手がよほどのてだれだったのでしょう。


 暗闇の空が裏写りではなく何か模様が入ってますけど、何でしょうか。

前半の絵の乱雑さがみられなくなりました。



2020年8月16日日曜日

豆本 兎のかがみ山 その11



P.7

(読み)

「いハぶち

 いわぶち


おもいの本可

おもいのほか


こりや

こりゃ


ちつと

ちっと


可ん志゛や

かんじ ょ


う可゛ち可

うが ちが


つた

った


「と天も可奈ハぬ ゝゝ

 とてもかなわぬ かなわぬかなわぬ


(大意)

「岩藤

思いの外

こりゃ

ちょっと

勘定がちがった


「とてもかなわぬ

かなわぬかなわぬ



(補足)

 腕におぼえのある岩藤も、さらの予想外の(勘定が違った)強さに打ちのめされてしまいました。

女中も四つん這いになってほうほうの体で逃げ出しました。


「ち可つた」、変体仮名「多」ではなく、平仮名「た」が使われています。


「と天も」、しばしながめて、やっとわかりました。でだしの「と」がなやむし、「天」もカタカナ「ア」にみえてしまうし・・・


P6P7見開き

 竹刀か木刀の色が異なってます。まぁこれは豆本ではよくあることです。

岩藤の立ち姿を少し弓なりにして浮世絵の基本はふまえているようです。渋緑の帯にも茶黄色をちらしてます。

 見せ場のひとつなので力を入れて描いたようです。



 



2020年8月15日土曜日

豆本 兎のかがみ山 その10

 



P.6下段


(読み)

「いき

 いき


可゛つ

が つ


まつて

まって


くる

くる


しや

しや


ゝゝ

くるしやくるしや



(大意)

「息がつまって

苦しいくるしいくるしい



(補足)

 なんとも乱暴な絵です。

着物の線などメチャクチャ。頭の描き方も。

乱闘効果をだそうとしたとはおもえません。



2020年8月14日金曜日

豆本 兎のかがみ山 その9

 



P.6



P.6上段後半


(読み)

めし

めし


つかへ

つかへ


者く

はく


「いハぶちさ満

 いわぶちさま


者バ可り奈可゛ら

はばかりなが ら


おあいて尓く多゛

おあいてにくだ


さりませう

さりませう


奈らバあり

ならばあり


可゛とうぞんじ升

が とうぞんじます



(大意)

召し仕え白


「岩藤様

はばかりながら

お相手に

くださりましたならば

ありがたく存じます



(補足)

中老さらさは剣の心得がなく

その召し仕い白が代わって岩藤の相手をする場面です。


「つかへ」、「か」が変体仮名「可」ではありません。めずらしいです。


「おあいて尓」、「尓」は英文字筆記体の「y」です。「あ」は現在の「あ」とは印象が異なります。「お」に「丶」がないような形。


「升」、「ます」を「〼」と記号のような形で表すことはよく目にします。ここではそのまま漢字の「升」です。



2020年8月13日木曜日

豆本 兎のかがみ山 その8

 



P.6


P.6上段前半

(読み)

「これハた満

 これはたま


らぬ

らぬ


て可゛

てが


本れ

ほれ


そうだ

そうだ



(大意)

「これはたまらぬ

てがしびれてきた


(補足)

「これハた満らぬ」、平仮名の「た」は珍しい。江戸後期明治前後の豆本ではほとんど使われてません。


「本れそうだ」、ここでも平仮名「だ」が使われています。「本れる」を調べると、頭がぼんやりするぼける耄碌するなどとあります。手の感覚がなくなってきた表現でしょう。


 縦縞の着物が召使いの白(はく)です。

右手は竹刀を相手に突き出し、左手は右後ろの女中の右手を脇に抱え込み、左膝でもうひとりの女中を押さえつけています。大活躍というか乱闘です。


 白の目のアップをよく見ると、薄く青く色が入っているようなないような、鋭い視線です。

頭は髷の部分に柄が描かれています。右上の女中の髪も同様です。


 この絵をみて、兎とわかる人はあまりいないでしょうね。




2020年8月12日水曜日

豆本 兎のかがみ山 その7

 


P.5


(読み)

「ひ奈も

 ひなも


あろう尓

あろうに


ぞうりを

ぞうりを


もつ天

もって



(大意)

「ひなもあろうに

草履をもって



(補足)

「ひなもあろうに」がわかりません。「ひな」は「雛」「鄙」がありますが、意味が通じません。

台詞の意味合いとしては「こともあろうに草履でもって(たたくとは)」「まわりの目もあろうに」のような感じでしょう。


 表紙の構図と同じです。有名な場面なのではずせません。

中老さらさの目は耐え忍ぶという眼差しではなく、

クソババ〜〜〜ァ、この辱めッ、おぼえておけ〜、顔の部分を拡大するとよくわかります。


 岩藤と同じように耳が短いので兎ではなく白ネズミです。

着物姿の絵は岩藤よりよほどまし。


P4P5見開き



 P4とP5は描いた人が違うようです。

人物もそうですが、背景の御簾の描き方も異なっています。

P5のほうがよりまともです。



2020年8月11日火曜日

豆本 兎のかがみ山 その6

 



P.4


(読み)

「コノいハぶち可゛

 このいわぶちが


ぞうりのせつ

ぞうりのせっ


可ん奈んと本ねミ

かんなんとほねみ


尓こたへ多可ア

にこたえたかぁ



(大意)

「この岩藤の草履の折檻

どうだ骨身にこたえたかぁ



(補足)

出だしの「コノ」がカタカナなのか漢字なのか最初わかりませんでした。

最後の「可ア」も「可」が「り」の可能性もあって悩む。


 岩藤の耳が折れているのか小さいのかわかりませんが、これでは白鼠ですね。

岩藤の表情もよくわかりません。

怒りに燃えているためか激しい折檻で着物が乱れているのか絵が荒い。


 背景の御簾も含めて、どこをみても色がはみ出していたり色の使い方が平面的だったりして、

雑です。


 草履の折檻なのだから、もっと草履を丁寧に描かなければいけないとおもうのですが。



2020年8月10日月曜日

豆本 兎のかがみ山 その5

 


P.3


(読み)

ちう

ちゅう


ろう

ろう


さらさ

さらさ



「ミ奈ゝ

 みなみな


いらせ

いらせ


られ

られ


ま志よ

ましよ



(大意)

中老さらさ


「皆々

行きましょう



(補足)

「ちうろう」、普段使わない言葉なので読めたとしても自身がありません。

「う」「ら」「可」「ろ」はほとんど同じなので前後の流れから判断することが多いのですが、たった4文字ではそれもできません。4文字目の「う」の一画目がなくなっているのでよけいに悩みます。


 兔の群れを中老さらさが従えています。

着物がなんだかだらしなく見えるのはどうしてなのでしょうか。


P2P3見開き


 上部のところの横線はなんでしょうか。他の頁にもあります。

見開きで見ると、傘をくるくる回し上下に上げ下げして、デモ隊のようです。

おごそかさやしずしずと花見に向かっているようには見えません。

皆さん避けて通り過ぎるでしょうね。



2020年8月9日日曜日

豆本 兎のかがみ山 その4

 




P.2


(読み)

「きよミづ

 きよみず


者奈ミの

はなみの


ところ

ところ



大 つき

おおつき


ひめ

ひめ



ろう志よいハふち

ろうしょいわふち



(大意)

「清水花見のところ

大月姫

老女岩藤


(補足)

 文章は絵の説明です。

老女岩藤を先頭に、

大月姫が大勢の供を連れて

清水の花見にでかけた場面です。


 絵全体が、もっさりとキリッとしまってなく見えるのは彫師か摺り師の腕ではないとおもうですが、絵かきの腕がいまいちの感じ。どうも線が多いようです。その線も切れがない。傘も雑。




2020年8月8日土曜日

豆本 兎のかがみ山 その3

 

P.1


(読み)

「大つき

 おおつき


ひめぎミ

ひめぎみ


のおさき

のおさき


ども

ども


ぎやう

ぎょう


れつの

れつの


てい

てい



(大意)

「大月姫君のお先共

行列の体



(補足)

 読みにくいところはなさそうです。


この豆本は摺った後に、数箇所筆で色を加えているような感じがします。


お先共の脚先はちゃんと兔の脚になってます。




2020年8月7日金曜日

豆本 兎のかがみ山 その2




見返し

(読み)
末廣版
すえひろばん

兔  能可ゞ美山
うさぎのかがみやま


(大意)


(補足)
「末広版」の「広」はフォント「廣」で代用。

表紙では「兔の可ゞミ山」、見返しでは「兔能可ゞ美山」と雰囲気をかえています。

うさぎの頭と耳は赤青2色で立体視ができそう。

「兔能可ゞ美山」の文字以外がどことなく雑な仕上がりに感じるのはなぜでしょうか。




2020年8月6日木曜日

豆本 兎のかがみ山 その1




表紙

(読み)
兔  の可ゞミ山
うさぎのかがみやま

(大意)


(補足)
 歌舞伎の加賀見山の名場面を選りすぐった絵本。
もとの加賀見山の話は簡単にはまとめられないので、御存知のない方は調べてください。
当時の子どもが絵本として読んでも、いきなりは理解が難しかったはずです。
年長の兄さん姉さんやおじさんおばさん父親母親などに聞きながら頁をめくったことでしょう。

 明治13年3月22日出版。價1銭。ほんとにこんなに安かったのでしょうか。

 「兔」は「兎」の異体字。「兎」の漢字は読めても書けるかどうかは不安な漢字のひとつです。
「ミ」、平仮名「み」はほとんどつかわれることはありません。
「山」の書き順が、左の小さな「L」のあと、「ろ」のように書いています。

 表紙絵は御殿での「草履打ち(ぞうりうち)」の場面。
草履を振り上げてうちすえているのは、姫お付きの筆頭お女中岩藤。
いたぶられているのは歌舞伎ならお女中尾上(おのえ)ですが、この豆本では「さらさ」です。

 岩藤、左手の拳を強く握り、分厚い草履を力いっぱい、表情も恐ろしげ。
さらさ、ひたすら忍従の様、いまに見てろとクソババアと青い目がこれまた怖い。

 絵の輪郭線が水色でなぞってあるところが何箇所かあって、赤緑のメガネで立体に見えそう。


2020年8月5日水曜日

的中地本問屋 その53(最終回)




裏表紙

(読み)
帝国図書館蔵


(大意)


(補足)
 陽刻か陰刻かそれとも透かし文字かはわかりませんが「乙」の字の書き順で「帝国図書館蔵」とあるのでこの裏表紙は享和2年のものではありません。

 文中登場人物の口語体の会話が約220年前のものとはおもえないほど、現代にもってきても違和感がありませんでした。またくずし字などもこの後の時代のものより読みやすい印象があったのはどのようなわけでしょうか。

 最終ページにご苦労さんと蕎麦が振る舞われていました。
本屋さんで働く人たちや彫師摺師絵師作家など職人さんの手当についてはふれられていませんが、稼ぎはよくなかったようです。

 江戸時代後期から明治にやってきた外国人たちが一様に、彼らの稼ぎや地位が低いことに驚いていたとあります。

 今後ますます、本屋さんは少なくなり書籍類も紙媒体でなくなってゆくでしょう。
15世紀のグーテンベルクの活版印刷技術の発明は学校で習うところですけど、それ以来約500年以上出版業界は基本的に変化していませんでした。活版印刷技術がそれほどに優れていたためかそれともそれに変わる印刷技術が発明されなかったのかは不明ですが、現在電子出版の台頭で変わろうとしていることだけは確かなようです。
しかし紙媒体は少なくなるでしょうがなくなることは決してないはずです。

 一方で過去の貴重な古文書や書籍は電子アーカイブすることを加速させ、公開してゆくことを願っています。




2020年8月4日火曜日

的中地本問屋 その52




P.19



P.19 後半


(読み)
い多つてのこうぶつ
いたってのこうぶつ

いくらでもくひし多゛い
いくらでもくいしだ い

ことし可ら志ん多゛いも
ことしからしんだ いも

このそ者゛のとふり尓
このそば のとうりに

のびる春゛いそふ
のびるず いそう

まづハめで多く
まずはめでたく

いち可゛さ可へ多
いちが さかえた


者んもと
はんもと

もめで
もめで

多い
たい

おいらも
おいらも

めで多い
めでたい

めでたい


(大意)
大好物の蕎麦を
おおいに食っていると
今年から身代も
この蕎麦のようにのびてゆくのではないかという
瑞相(ずいそう)だ。
まずはめでたく
市が繁盛した。

版元もめでたいし
おいらもめでたい
めでたい


(補足)
やはり「う」や「ら」の区別がなやましいですが、前後からの意味でなんとかなります。

「い多つてのこうぶつ」、今ではこういった言い回しはしませんけど、ちょっと使ってみたい。

「春゛いそふ」、瑞相。吉兆、めでたいことの起こるきざし。辞書であぁそうだったと思い出した。


左の箱は最初、本を入れる箱とおもったのですが、蕎麦のそばにあるので出前箱でしょう。
調べてみるとありました。
文化六年刊 「江戸職人歌合」に天秤棒の出前姿の絵です。



箱がにてますよね。

さらにしつこく検索すると、錦絵がありました。



「そば屋のかつぎ市村羽左衛門」文久二年(1862) 歌川国貞。


 蕎麦はどうやら皿に盛ったぶっかけのようです。
一九さん、目尻を下げてうまそうに食ってます。


2020年8月3日月曜日

的中地本問屋 その51




P.19



P.19 前半


(読み)
くささうしの
くさそうしの

うり多゛し尓ハ
うりだ しには

そ者を可つて
そばをかって

い王ふこと
いわうこと

いづれの者ん
いずれのはん

もと尓ても
もとにても

きハまり多る
きわまりたる

きちれい也
きちれいなり

一九 うり
いっくうり

多゛し尓
だ しに

むら多ヤへ
むらたやへ

よ者゛れて
よば れて

そ者゛の
そば の

ちそう尓あづ可る
ちそうにあずかる


(大意)
草双紙の売出しの日には蕎麦を
買って祝うことは
いずれの版元でも
きまりごとになっている
吉例である。
一九、売出しの日に
村田屋へ呼ばれて
蕎麦の馳走にあずかった。


(補足)
売出しの日に蕎麦を振る舞う。
細くとも草双紙が途切れずに切れることなく売れるようにとの縁起担ぎでありましょう。

 読みにくいところはありません。

 背景はお正月なのでいろいろお飾りが賑やかであります。
当時年越しそばの習慣があったかどうかは不明ですが、ほんの4,5日でまた蕎麦を食う、年明け蕎麦といっても、趣旨は異なりますが、いいもんです。



2020年8月2日日曜日

的中地本問屋 その50




P.18



P.18 下段


(読み)
ヲツト
おっと

こゝへ
ここへ

ここへ


(大意)
おっと
こっち
こっち


(補足)
カタカナの「ヲ」の途中がちょっとかすれているだけで、なんと読むかとちと悩む。
「こゝへ」も「へ」がとても小さくてはてこれはなんだと悩む。普通「へ」は他の字に比べて大きいのだが。

 拡大してみても、御婦人の髪、七つと半分のちょんまげ頭は手抜きなどまったくなし、どれも生え際まで見事です。

P17P18見開き。



 およそ200年前の本屋さんの店頭はもっともっと賑やかだったに違いありません。
現在の本屋さんからは想像もできません。


2020年8月1日土曜日

的中地本問屋 その49




P.18



P.18 上段

(読み)
く多゛されと
くだ されと

もつて行 バ
もってゆけば

これこちらへハ
これこちらへは

どふして
どうして

く多゛さるイヤ
くだ さるいや

今 春つておりま春と
いますっておりますと

いふ尓いヤゝ 春らずと
いうにいやいやすらずと

よふござるそのまゝで
ようござるそのままで

く多゛セへと
くだ せえと


大 き尓
おおきに

もふ可り
もうかり

个るぞ
けるぞ

いさ起゛
いさぎ

よし
よし


(大意)
くだされと
持ってゆけば
これ、こちらへはどうしてくださる
いや、今摺っておりますと言うと
いやいや摺らずともようござる
そのままでくだせえ

大いに儲かってるぞ、
気持ちが良い。


(補足)
 大意は必要なく、原文のままで意味がすべて通じます。
「行バ」、「行」のくずし字を知らないと読めません。

6,7行目に変体仮名「春」(す)が3箇所ありますが、4つ目は「ず」と平仮名に「゛」。

「いさ起゛よし」、大いに売れまくって気分がよいことをいっているのでしょうけど、現代ではピンときません。

 摺らないでいいから、そのままくれとはただの紙をくれといっているわけで、バカバカしいほど売れているということなのでしょう。

 左の丁稚はうれてうれて嬉しくてにこやかですが、その隣のあにさんは顔つきがどこか殺気立って怖い。

 正月店頭販売はほんとにこんな感じだったのかも・・・