2026年9月18日金曜日

大日本物産圖會その89

P89 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P89_1

(読み)

同 國 松 島 景 並   埋  木細 工之図

どうこくまつしまけいならびにうもれぎざいくのず


松 島 ハ日本 三 景(ケイ)の一  塩竃(シオカマ)より

まつしまはにほんさん  けい のひとつ   しおがま より


舟 路二里余  左  ハ磯(イク)つゞき右 ハ

ふなじにりあまりひだりは  いく つづきみぎは


海(カイ)口尓して島 ゝ の数(カズ)を尽(ツク)し後(シリヘ)ニ

  かい ろにしてしまじまの  かず を  つく し  しりえ に


峙(ソバタ)ち前 尓匍(ハラ)ひ或  ハ向 ひま多ハ

  そばだ ちまえに  はら いあるいはむかいまたは


うそむきて松(シヤ)樹 枝 を伸 屈

うそむきて  しゃ じゅえだをのびくっ


て其 首尾(シユヒ)を粧(ヨソホ)ふて風 色  最  も

てその   しゅび を  よそお うてふうしょくもっとも


濃 奈り又 埋  木ハ名取 郡 名取

こくなりまたうもれぎはなとりぐんなとり


川 より産(サンズ)此 ハ年 久 敷 水 中  尓沈

がわより  さんず これはとしひさしくすいちゅうにしず


ミし木尓て純黒(シユンコク)或   白斑(ハクハン)ありその

みしきにて   じゅんこく あるいは   はくはん ありその


質(シツ)ハ烏木 の如 く多 く硯筥枝(スゝリハコシ)

  しつ はうぼくのごとくおおく    すずりばこし


折 菓子皿 其 他(タ)種々(イロ\/)の細 工を奈須

おりかしざらその  た    いろいろ のさいくをなす

(大意)

(補足)

「同國」、陸前国。

「埋木細工」、『約500万年前(地質時代)の樹木が地中で炭化した「埋れ木」を削り出して作る、宮城・仙台・松島地域の伝統工芸品。仙台の青葉山から、約500万年もの歳月をかけて炭化した「埋木」が発見されたのは,1822年(江戸・文政5年)』。

「烏木」、『うぼく【烏木】黒檀(こくたん)の異名』。

 沖に見える山に金花山の札書きあり。これら島々、松の樹の枝々の様を詞書きで形容しているのですが、どうもゴツゴツして文章としては下手くそに感じます。

 黒の埋れ木が欄干に7枚、ガラス障子の腰板に1枚そして欄間の上に1枚あって、当時はこんなに大きいものがあったようです。赤い毛氈のうえにある小さなお盆や小物なども埋れ木のよう。ガラス障子のガラスの表現がうまいですね、埋れ木がガラスをとおしてみえているところは灰色っぽくなっています。

 ここに描かれている御婦人二人は、いままでとことなって日本画風になっています。お二人とも日本髪が丁寧に描かれています。立ち姿の御婦人は十頭身くらい、縦縞の着物のひだを濃淡だけで表現していて上手。

 松島は何度かいきましたが、やはりきれいでした。

 

2026年9月17日木曜日

大日本物産圖會その88

P88 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P88_1

(読み)

陸 前  國 養 蠶  図五

りくぜんのくにようさんのずご


蚕  生 連出てより四度の居起(ヰオキ)あり

かいこうまれでてよりしどの   いおき あり


最 初 獅子(シゝ)の居起 より鷹 の眠

さいしょ   しし のいおきよりたかのねむり


起舟(オキフネ)の居起 庭(ニハ)の眠  ホ 也 右 居起

   おきふね のいおき  にわ のねむりなどなりみぎいおき


の二 日目毎(ゴト)尓尻(シリ)取 可へ𥸮 拵(あつらえ)ハ

のふつかめ  ごと に  しり とりかえくわ  あつらえ は


蚕  尓見合 せ少 しづ   あらく切 て

かいこにみあわせすこしず(つ)あらくきりて


箕(ミ)尓て埃  を去り能(ヨホ)本ど尓して

  み にてほこりをさり  よほ ほどにして


むら奈く喰(クハ)すべしすべて蚕  ハ可ら

むらなく  くわ すべしすべてかいこはから


飼 尓するをよしと須厚(アツ)飼 尓すれ

がいにするをよしとす  あつ がいにすれ


バ虫 少 さくしてま由も少 さしずい

ばむしちいさくしてまゆもちいさしずい


ぶん沢 山 尓𥸮 をくハせし蚕  ハ大

ぶんたくさんにくわをくわせしかいこはおお


ぶり尓して糸 の正  味多 しと云

ぶりにしていとのしょうみおおしという

(大意)

(補足)

「陸前」、1868年(明治1)陸奥(むつ)国を分轄して設置。宮城県の大部分と岩手県の一部に相当。

「四度の居起(ヰオキ)」、それぞれに獅子・鷹・舟・庭とでてきて不思議です。『養蚕秘録』(著者上垣守国。享和3(1803)年)に『天竺霖異大王の事』というのがあります。

少し長いけどこんな話。

『むかし天竺舊中國に霖異(りんゐ)大王といへるあり。后を光契(くわうけい)夫人といふ。一人の姫あり。金色姫(こんじきひめ)といふ。后薨じ給ふて後、大王新たに后妃(こううひ)を具し給ふ。此后妬(ねたみ)ふかく、姫をにくみて父大王に讒言(ざんげん)し、姫を獅子吼山(ししくざん)といふ所に捨(すて)させ給ふ。しかるに天の加護にや有(あり)けん、つゝがなくましまして獅子に乘りて中國に帰らせ給ふ。よつて、また鷹群山(ようぐんざん)といふ所へ捨(すて)給ふ。此時多くの鷹ども來り、肉を供(くう)じて姫を育みける。大王の臣下、此よし遙(はるか)に傳へ聞(きき)、密(ひそか)に姫を供奉して都に帰る。后、又姫の帰るを惡(にく)み、海眼山(かいがんざん)といふ嶋へ流し給ふ。此時、漁夫姫を助けてもとの都に送(おくり)ける。后大きに怒(いかつ)て、臣下に命じ御殿の庭を深く堀(ほり)て姫を埋(うづ)め殺させけるに、其後土中より光明赫(かゝ)やきけるをあやしみ大王堀らせ見給ふに、』。

「能(ヨホ)本ど尓して」、(ヨホ)は(ヨキ)でしょうか。良い具合にといった意味。

 働いているご婦人方、朗らかで楽しそうです。

背景の背の高い竹の垣根、こんな高さのものは見たことがありません。その左脇の葦簀(よしず)はどこでも使われていました。魚屋さんや八百屋さん、商店街では必須の日除けでした。

 奥に蚕棚がみえます。わたしが子どものころ手伝った母の実家ではこんな光景でありました。

 

2026年9月16日水曜日

大日本物産圖會その87

P87 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P87_1

(読み)

磐 城 國 野馬 捕 之圖

いわきのくにのうまとりのず


馬 ハ當 国 相馬(サウマ)三春 の諸 所

うまはとうこく   そうま みはるのしょしょ


尓牧場(マキバ)ありて産(サン)春゛春 秋 両  度

に   まきば ありて  さん ず はるあきりょうど


馬 とり阿り狩(カリ)の十 日も前 より

うまとりあり  かり のとおかもまえより


追寄(オヒヨセ)尓可ゝ里三 四 日以前 よりハ

   おいよせ にかかりさんよっかいぜんよりは


人 歩七 八 百  人 も出堤(ツゝミ)の上 尓

にんぷしちはっぴゃくにんもで  つつみ のうえに


立て声 を可ける原 中 尓牧士(ボクシ)

たてごえをかけるはらなかに   ぼくし


野馬 を追 立 漸〃(ゼン\/)挟(セマ)き野へ

のうまをおいたて   ぜんぜん   せま きのへ


追詰(ツメ)追巡(マハ)し大 勢 可ゝ里尓て

おい つめ おい まわ しおおぜいかかりにて


おひ伏(フセ)せ王ら轡(クツワ)を可け首(クビ)ゟ

おい  ふせ せわら  くつわ をかけ  くび より


尾へ太縄(フトナハ)を可けて引 出すこの

おへ   ふとなわ をかけてひきだすこの


時 近在(ザイ)与り見 物 群集(クンシ ウ)す

とききん ざい よりけんぶつ   ぐんしゅう す

(大意)

(補足)

「両度」、『りょうど りやう―【両度】二度。ふたたび。「―の合戦」』

「挟(セマ)き」、ふりがなに「セマ」きとあるので「狭い」の「犭」でしょうけど、「木」にも「扌」にもみえます。よくわかりません。

 今年2026年はそういえば午年で、それも丙午です。昔は丙午年生まれを避けたため出生数が減少したということもあったそうですが、いまでもそんな迷信が生きているのかしら。

 諸外国のカウボーイ(これは牛だけど)やガウチョ(これも牛だっけ)たちはロープなど使って捕まえてますが、ここでは素手‼️なんとも荒っぽい。

桜の堤脇ではおしゃれなカンカン帽に紫の羽織、この方は元締めでしょうね。


 

2026年9月15日火曜日

大日本物産圖會その86

P86 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P86_1

(読み)

磐 城 國 養 蠶 之圖四

いわきのくにようさんのずよん


蚕掃立(カヒコハキタテ)与り七 八 日 目頃 𥸮(クハ)

    かいこはきたて よりしちはちにちめころ  くわ


を喰止(クヒヤ)ミ色 少 し白 くかしら

を   くいや みいろすこししろくかしら


太(フト)く奈る之 を獅子の居休(イヤスミ)と

  ふと くなるこれをししの   いやすみ と


いふ此 時 早 く居可らを取 可へ

いうこのときはやくいがらをとりかえ


て与し明  朝  八 時尓可へんと思 ハゝ

てよしみょうちょうはちじにかえんとおもわば


前 夜𥸮 を喰 せて居可らを

ぜんやくわをくわせていがらを


取 替  べし此 時 縁(ヘリ)通 り尓居多る

とりかえるべしこのとき  へり とおりにいたる


蚕  を中 尓置(オキ)中 尓在りしを縁(ヘリ)へ

かいこをなかに  おき なかにありしを  へり へ


入 可へ棚(タナ)も上  下へ入 可へ連盤゛

いれかえ  たな もじょうげへいれかえれば


蚕  一 調(テ ウ)尓与く揃(ソロ)ふと云

かいこいっ  ちょう によく  そろ うという

(大意)

(補足)

「磐城國」、『旧国名の一。1868年(明治1)陸奥(むつ)国を分割して成立。福島県東部と宮城県南部に相当する』。

「蚕掃立(カヒコハキタテ)」、『はきたて【掃き立て】② 養蚕で,孵化(ふか)したばかりの毛蚕(けご)を,羽箒(はぼうき)(脚立の左脇にある)などを使って集め,新しい蚕座(さんざ)に移し広げること。季春』。

「明朝八時」、ちょっと前なら「明けの辰刻」だったでしょうけど、明治で時刻も洋式になりました。

 蚕棚の構造がこれ以上簡単なものがないほどです。藁の丸いお盆のようなものが蚕座(さんざ)、子どものころ手伝ったものは四角いものでした。

 庭の作業はこのあと「陸中国養蚕之図六」にでてきますが、これも蚕を育てる道具です。

藁の垣根から裏門へは遠近法が使われていてます。

 忙しくしている皆さんの藍色の着物がきれいです。

 

2026年9月14日月曜日

大日本物産圖會その85

 

P85 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P85_1

(読み)

下 野 足 利 辺 高 機 之圖

しもつけあしかがへんたかはたのず


當 国 足利(アシカゝ)又 ハ上  州  桐生(キリ フ)

とうごく   あしかが またはじょうしゅう   きりゅう


辺  尓て高 機(ハタ)を以 て繻子(シユス)

あたりにてたか  はた をもって   しゅす


純子(ドンス)ホ の帯(ヲビ)地を織(オリ)出須

   どんす などの  おび ぢを  おり だす


図の如 く一 人高 きところ尓

ずのごとくひとりたかきところに


ありて綾(アヤ)をとり種々(イロ\/)の模(モ)

ありて  あや をとり   いろいろ の  も


様(ヤウ)を織(オリ)い多゛須その業(ワザ)精(セイ)

  よう を  おり いだ すその  わざ   せい


妙(メ ウ)奈りまた當 処 より織 出す

  みょう なりまたとうしょよりおりだす


絹(キヌ)ハ地多ひら尓して美麗(ビレイ)也

  きぬ はじたいらにして   びれい なり


之(コレ)足 利 絹 と云(イヒ)て名産(メイサン)と須

  これ あしかがきぬと  いい て   めいさん とす

(大意)

(補足)

「繻子」、『しゅす【繻子】繻子織りにした織物。絹を用いた本繻子のほか,綿繻子・毛繻子などの種類がある。天正年間(1573〜1592)に京都で中国の製法にならって初めて織られた。サテン』

「繻子織り」、『しゅすおり【繻子織り】織物の基本組織の一。たて糸とよこ糸の交わる点を少なくし,布面にたて糸あるいはよこ糸のみが現れるようにした織物。布面に,たてまたはよこのうきが密に並び,光沢があって肌ざわりがよい』

「緞子」、『どんす【緞子】〔「どん」「す」ともに唐音〕繻子(しゆす)織りの一。経(たて)繻子の地にその裏組織の緯(よこ)繻子で文様を表した光沢のある絹織物。室町中期,中国から渡来』

「綾」、『あや【文・綾】① 物の表面に表れたいろいろの形・色合い。模様。特に,斜交する線によって表された模様をいう。「―を描く」⑥ 斜文組織で文様を織り出した絹の紋織物。光沢があり,模様が浮き出て美しい。綾織物』

「足利絹」、『足利織物(あしかがおりもの)栃木県足利市およびその付近で生産される織物の総称。この地方では古くから農家の副業として足利絹、足利木綿が織られていたが、宝永(ほうえい)年間(1704~1711)に西陣から高機(たかばた)が導入され、紗綾(さや)絹が織れるようになり、桐生(きりゅう)と対抗しながら風通(ふうつう)、緞子(どんす)、紋織り朱子(しゅす)など多品種にわたる生産がみられた。1888年(明治21)にジャカード機が輸入され、輸出絹布などが織られたが、代表的製品は桐生の帯地に対し、足利は銘仙(めいせん)であった。銘仙は、絹の先染(さきぞめ)織物の一つで、縞(しま)、格子、絣(かすり)などの文様銘仙、本銘仙があった』。

 日本山海名物図会巻三に「京西陣織屋」の画があります。

 画の角度が異なっているので、参考にしたかもしれませんけど、絵師独自のもののよう。

高機の織面が斜めになっているのは、日本山海名物図会のものを見ると、器械自体が傾いているようです。

 織り糸の細かさを一本一本目でおってしまいます。拡大してみても切れることなくちゃんとつながっていました。お見事。

 高機のてっぺんで仕事中の小僧を母娘が指さして何か話しかけています。こういったちょっとした間をいれるのがうまいですね。奥の部屋では「蚕卵紙(さんらんし)」の商談中。


2026年9月13日日曜日

大日本物産圖會その84

P84 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P84_1

(読み)

下   野國 養蠶(ヤウサン)圖三

しもつけのくに   ようさん ずさん


蚕(カヒコ)の養(ヤシナ)ひ方 其 國 の寒暖(カンタン)尓

  かいこ の  やしな いかたそのくにの   かんだん に


よりて大同小異(タイトウセ ウイ)ありと雖 ども

よりて     だいどうしょうい ありといえども


先 一 枚 の種子(タネ)半 分 も生  ぜし

まずいちまいの   たね はんぶんもしょうぜし


時 折敷(ヲシキ)へ入連𥸮(クハ)の葉(ハ)を細(コマ)

とき   おしき へいれ  くわ の  は を  こま


可尓きざミてあ多ふ之(コレ)を黒(クロ)

かにきざみてあたう  これ を  くろ


子(コ)といふ其 黒蚕(クロコ)𥸮 の葉尓取

  こ というその   くろこ くわのはにとり


あ可゛るを細(ホソ)き箸(ハシ)尓て挟(ハサ)ミ別(ヘツ)の

あが るを  ほそ き  はし にて  はさ み  べつ の


噐(ウツハ)尓配(クバ)り入ること凡  種 一 枚 の

  うつわ に  くば りいることおよそたねいちまいの


蚕  を三 尺  四方 位  尓薄(ウス)くちらし

かいこをさんじゃくしほうくらいに  うす くちらし


二 日目よりハ羽 王けとて前 の如 く

ふつかめよりははねわけとてまえのごとく


日尓三 度ツゝ蚕下(コシカ)切 て養  ふ奈り

ひにさんどずつ   こしか きりてやしなうなり

(大意)

(補足)

「下野國」、〔「しもつけの(下毛野)」の略〕① 旧国名の一。栃木県全域にあたる。野州(やしゆう)。

「一枚の種子(タネ)半分も生ぜし」、蚕卵紙で孵化するので一枚と云っている?

「𥸮」、桑ですけど、さがしたらフォントがありました。

「蚕下」、『こした【蚕下】カイコの糞(ふん)。蚕糞(さんふん)』。

 詞書きの内容がそのまま画となっています。①とってきた桑の葉を②大きな桶のなかで庖丁で細かく切り③それを四角い箱、折敷の中のまだ小さい蚕に与えます④部屋では蚕棚で蚕を育て⑤食べ残した桑の葉や蚕の糞を箸で取り除きつつ別の噐に移しています。

 働いているのは全員女性で、よく見ると眉を剃っている(既婚)御婦人と、まだ未婚で緑色っぽい蝶々の簪を挿して桃割れの娘さんがいます。

 ちょうど詞書きの巻物にかくれてしまってますが、大きな桑の木があって、登ってとるためでしょう、はしごがかけられています。

 全員がたすき掛け姿で、昔の人はこれを男女関係なくササッと手早くしたものです。子どものときにこれが手早くできれば大人の仲間入りになるとおもって何度も練習したものです。それを見ていたばあちゃんが大笑いしていたの思い出しました。

 

2026年9月12日土曜日

大日本物産圖會その83

P83 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P83_1

(読み)

飛州  猪   捕 之圖

ひしゅういのししとりのず


野猪(ヤチヨ)ハ當 国 諸 郡 より

   やちょ はとうごくしょぐんより


出ると雖(イヘト)も大 野郡 加賀(カゝ)

でると  いえど もおおのぐん   かが


の國 との境(サカヒ)奈る白 山 の近 辺

のくにとの  さかい なるはくさんのきんぺん


最(モツト)も多 し大 勢 の人 夫鉦(カネ)

  もっと もおおしおおぜいのにんぷ  かね


太鼓(タイコ)竹 本らホ 尓て山 々

   たいこ たけぼらなどにてやまやま


より猪(しゝ)鹿(シカ)熊(クマ)奈とを狩(カリ)

より  しし   しか   くま などを  かり


出す猟師(リヤウシ)丘(オカ)尓ありて

だす   りょうし   おか にありて


獣(ジ ウ)るゐの逃(ニゲ)由くところを

  じゅう るいの  にげ ゆくところを


鉄砲(テツハウ)尓て打(ウチ)とめる那り

   てっぽう にて  うち とめるなり

(大意)

(補足)

「野猪」、『やちょ【野猪】いのしし』。野鳥は普段使われる単語。でも「野猪」というのがあるとは知りませんでした。

「竹本ら」、『たけ‐ぼら【竹法螺】. 〘 名詞 〙 竹を切って管(くだ)として吹き鳴らすもの。筒貝(つつがい)』

 右側の猟師は猪をねらい、左の二人は鹿を撃たんとしています。猪が全身の毛並みを逆立てて逃げる様のなんと細かい描写。目が必死そのもの、ひらいた口から真っ赤な舌と白い牙が目立ちます。うしろの二頭の鹿は、猪にくらべるとどこかのんびりで表情も笑っているようになごやか。

 山々の様子がどこも濃淡をつけてまるで狩りなど行われていないような雰囲気できれいです。ちょろちょろ流れる小川があって、これは山を描くときの絵師のお約束。

 

2026年9月11日金曜日

大日本物産圖會その82

P82 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P82_1

(読み)

飛騨 國 養 蠶 之圖二

ひだのくにようさんのずに


何(イヅ)連の年 尓ても八 十  八 夜前 後

  いず れのとしにてもはちじゅうはちやぜんご


尓ハ蚕(カヒコ)生 連出る奈り蚕  少 し出

には  かいこ うまれでるなりかいこすこしで


加ゝらハ正  午十  二時頃 暖(アタゝ)可なる

かからばしょうごじゅうにじごろ  あたた かなる


時 を見合 せ種 を取 出し白 紙

ときをみあわせたねをとりだしはくし


五六 枚 本ど尓て包(ツゝ)ミその上 を

ごろくまいほどにて  つつ みそのうえを


抜出綿(ヌキデワタ)やう奈る物 尓さつとつゝミ

    ぬきでわた ようなるものにさっとつつみ


或  ハ骨柳(コリ)王ら多゛やうの物 尓入

あるいは   こり わらだ ようのものにいれ


暖  可奈る処  へ上ゲおき日尓二三 度

あたたかなるところへあげおきひににさんど


づゝ種 を取 ひろけまた元 の如 く

ずつたねをとりひろげまたもとのごとく


奈すなりすべて蚕  を手掛 る

なすなりすべてかいこをてがける


尓ハ手を洗(アラ)ひ清浄(セイジヤウ)を旨(ムネ)と須

にはてを  あら い   せいじょう を  むね とす

(大意)

(補足)

「飛騨國」、岐阜県北部に当たる。飛州。

「抜出綿」、『古くなった衣服や布団などから抜き取った古い綿(わた)のこと。単に「抜綿(ぬきわた)『ぬきわた【抜き綿】古着・古布団などから抜き取った綿。ぬきでわた。』」や「抜出(ぬきで)」とも呼ばれる』。

「骨柳」、『(こつごおり/こつやなぎ)は、コリヤナギなどの枝を使って編んだ「柳行李(やなぎごうり)」の古い呼び名』。

 天井から吊るしているのは「常陸國養蠶之圖一その80」でもでてきた「蚕卵紙(さんらんし)」。庭にある脚立で吊り下げたのでしょうね。木にのぼっている人は桑の葉をとっているよう。桑の木は葉をとりやすく管理しやすいように背丈ぐらいの高さにしますが、当時は普通の樹木のようにしていたのでしょうか。

 右側では蚕卵紙の裏を箸でたたいています。卵から孵化した蚕を落としているようです。床柱に枝がついていておしゃれです。お茶を運ぶ娘さんの裾にじゃれつく🐱がいて、暖かい縁側です。右奥の家屋内でも同じ作業をしていて、村中でお蚕さんをやっている様子です。

 わたしは子どものころよく母の実家に預けられていました。埼玉県北部にある実家ではお蚕さんもやる農家で、その地域の農家の裏の畑は桑畑がずっと広がっていました。桑の葉を背中の籠に入れてとってくるのは子どもたちの仕事でよく手伝ったものです。その葉をすごい勢いで体半分を振り回すようにしてむしゃむしゃと食べていくさまは見ていて飽きませんでした。蚕棚があって、その部屋から蚕たちが食べる音がするくらいなのです。そしてその部屋はほんのりと暖かった。すぐに桑の葉はなくなってしまうので、新鮮な葉をとってきて、おやつに手作りのまんじゅうをほおばったものでした。

 

大日本物産圖會その81

P81 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P81_1

(読み)

常  州  鯉 ヲ抱 取ル圖

じょうしゅうこいをだきとるず


鯉(コイ)ハ上  州  武州  利根(トネ)川 尓多 く

  こい はじょうしゅうぶしゅう   とね がわにおおく


就中(ナカンツク)當 國 の川 々 尓て漁(リヤウ)す

   なかんずく とうごくのかわかわにて  りょう す


るものを佳味(カミ)と須網(アミ)を川

るものを   かみ とす  あみ をかわ


中 尓張(ハリ)まハし漁者(ギヨシヤ)水 中

なかに  はり まわし   ぎょしゃ すいちゅう


に飛(トビ)入 鯉 を抱(イダ)き阿げる尓

に  とび いりこいを  いだ きあげるに


水 ぎハまで浮 あ可゛り籮篭(ビク)

みずぎわまでうきあが り   びく


へ収(オサ)め或  ハ舟 中  へ抛(ナケ)あ个゛る

へ  おさ めあるいはせんちゅうへ  なげ あげ る


水 中  鯉 を加ゝへ奈可゛ら㔫 り

すいちゅうこいをかかえなが らひだり


の手尓て鯉 の目をおさへふさ

のてにてこいのめをおさえふさ


ぎ抛 あ个゛る也 水 者奈連の際(キハ)

ぎなげあげ るなりみずばなれの  きわ


大  尓手練(シユレン)安りといふ

おおいに   しゅれん ありという

(大意)

(補足)

「㔫」、「左」のエがヒになった漢字、フォントがないかと探したらありました。

 水中のザンバラ髪になってうしろになびく髪の毛一本一本が水の勢いも流れもあらわし、また髪の毛を透かして月代や肩甲骨をみせて、絵師・彫師・摺師のなせる業。水の濃淡も勢いや深さを変化させていて、かれらの画への強い意志を感じます。力を存分にふるった一枚であります。

<<20260911記>>

 昨日急に画像がアップロードできなくなり、昨日分を本日アップロードします。

 

2026年9月9日水曜日

大日本物産圖會その80

P80 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P80_1

(読み)

常陸  國 養 蠶 之圖一

ひたちのくにようさんのずいち


蚕(カヒコ)ハ本邦(ホンハウ)諸 國 尓製(セイ)春と雖(イヘト)

  かいこ は   ほんぽう しょこくに  せい すと  いえど


も當 國 最   多 しと須種子(タネ)随(ズイ)

もとうごくもっともおおしとす   たね   ずい


分(ブン)揃(ソロヒ)よく面(オモテ)一 様 尓して生 気強(ツヨ)

  ぶん   そろい よく  おもて いちようにしてせいき  つよ


く卵(タマゴ)の中 少 し凹(クボ)ミ種 の地合

く  たまご のなかすこし  くぼ みたねのじあい


よく志満り蛾の者多らき種

よくしまりがのはたらきしゅ


子のちらしよくあし起臭(ニホ)ひ

しのちらしよくあしき  にお い


なく取 あつ可ひ尓落(オチ)ざるを

なくとりあつかいに  おち ざるを


最(サイ)上  と須第 一 其 年 上  〃  の桑(クハ)

  さい じょうとすだいいちそのとしじょうじょうの  くわ


を喰 せ上  作 の蚕  尓てとりし種

をくわせじょうさくのかいこにてとりしたね


を極 上  と須随 分 種 元 を吟

をごくじょうとすずいぶんたねもとをぎん


味して上  種 を求(モト)むべし

みしてじょうしゅを  もと むべし


(大意)

(補足)

「常陸」、ほぼ茨城県北東部に当たる。常州(じようしゆう)。

「蠶」、『もともと「蚕」の字はミミズを意味する別の漢字でしたが、古くから「蠶(かいこ)」の略字として使われていたため、現在の新字体に採用された』とあって、この「蠶」は初めてみました。「旡」+「旡」+「日」+「虫」+「虫」。「旡」は「すでのつくり」or「むにょう」というのだそうです。

「蚕」、『チョウ目カイコガ科の蛾。開張約4センチメートル。全身灰白色,はねに褐色の帯の入る品種もある。胴の太い割にははねが小さく,飛べない。幼虫は体長7センチメートルほどの白いイモムシで,桑の葉を食べる。繭から絹糸をとるため数千年前から中国で飼育され,のちに世界中に広まり多くの改良品種ができた。日本では春蚕(はるご)をはじめ夏蚕(なつご)・秋蚕(あきご)などと称して農家での養蚕が盛んであった。カイコガ。家蚕(かさん)。季春』。成虫になっても品種改良が何千年も続けられて飛べないんですね。

 画の上部、竿にぶら下げているのが「蚕卵紙(さんらんし)『カイコの蛾(が)に卵を産みつけさせる厚紙。たねがみ。蚕紙。季春』」。紙に糸をとおしてそれを竿にかけているようです。

 

2026年9月8日火曜日

大日本物産圖會その79

P79 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P79_1

(読み)

下 総  國 醤  油製 造 之圖

しもうさのくにしょうゆせいぞうのず


醤  油盤葛飾郡(カツシカコホリ)野田

しょうゆは    かつしかこおり のだ


海 上  銚  子等 より出すこと

かいじょうちょうしとうよりだすこと


夥(オビタゞ)し小麥 を炒り大 豆

  おびただ しこむぎをいりだいず


尓和して麹(カウシ)を徒くり塩

にわして  こうじ をつくりしお


を咊(クワ)し天大 桶 尓いれ天

を  か  しておおおけにいれて


熟(シユク)せしと起布 の袋  に

  じゅく せしときぬののふくろに


包 ミて〆 器に入 て搾(シボ)り樽

つつみてしめきにいれて  しぼ りたる


尓詰 天諸 國 尓出す就中

につめてしょこくにだすなかんづく


野田の「萬」ハ上  品 尓して八 升  六

のだの亀甲万はじょうひんにしてはっしょうろく


合 入 を一 樽 と定 む

ごういりをひとたるとさだむ

(大意)

(補足)

「咊(クワ)し」、『(か、わ)。「和」の古字(昔使われていた漢字)or異体字』。

「布の袋に包ミて〆器に入て搾(シボ)り」、右の大きな箱が〆器。箱の丈夫に竿があって、その左端に何本もの綱網に重しの石がたくさん見えています。

「八升六合入を一樽」、一樽で約16kg。樽の側面には亀甲(きっこう)印の中に「万」。現在のキッコーマンです。樽が積んであるところは壁に濃淡を付けて薄暗がりの表現が見事です。左奥には積み出し船と川面が見えています。

 この画は現在でも大手のキッコーマン醤油の明治初期の工場のようです。利根川と江戸川にはさまれて絶好の立地に恵まれた野田は醤油で繁栄し、現在でも一大生産地です。そしてもうひとつ、煎餅が野田の名物でもあります。

 この画が出版された13年後の明治23年に利根川と江戸川を結ぶ利根運河が開通しました。もともと江戸時代初期、江戸川は利根川の上流の関宿で東京湾に至るように大工事で分流されましたが、貨物など交通量増加のため(浅瀬もあって不便でもあった)、もっと手前でむすぶこの運河が作られました。

 若かりし頃、この運河がどんなふうになっているか、何度か江戸川と利根川をいったりきたりしたことを思い出しました。小さな竹竿ですすめる和船があるとどこか江戸情緒を感じたものです。

 この画を見ているだけで、醤油の香りを感じてしまい、口の中がジュワッとしてしまいます。

 

2026年9月7日月曜日

大日本物産圖會その78

P78 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P78_1

(読み)

上総  國 建 干 網 之圖

かずさのくにたてぼしあみのず


當 國 望陀(マウダ)郡 木更 津海 濱

とうごく   もうだ ぐんきさらずかいひん


より吾妻 川 尼 の濱 尓て建

よりあずまがわあまのはまにてたて


干 網 とと奈へて満 潮  のとき

ぼしあみととなえてまんちょうのとき


沖 へ出ること一 里余  尓して六 尺

おきへでることいちりあまりにしてろくしゃく


毎 尓杭 を打 これへ網 を張 廻 ス

ごとにくいをうちこれへあみをはりまわす


こと凡  一 千 尺  志可して潮 の引くに

ことおよそいっせんしゃくしかしてしおのひくに


從  ひ磯 辺の魚 皆 此 網 中 ニ集

したがいいそべのうおみなこのあみなかにあつま


里漁 人 これをひらふ多漁  の時

りぎょじんこれをひろうたりょうのとき


交 魚 何 千 頭 と云 を志ら須゛

こうぎょなんぜんとうというをしらず


又 客  ありて網 を求  ると起ハ

またきゃくありてあみをもとめるときは


潮 の引 多るとき其 魚  をミ奈

しおのひきたるときそのさかなをみな


自  ら客  尓とらするそのさ満東

みずからきゃくにとらするそのさまとう


京  の潮 干狩 のごとし

きょうのしおひがりのごとし

(大意)

(補足)

「建干網」、『たてぼしあみ。干満の差を利用した伝統的な沿岸漁法、またはそのために用いる網のこと。満潮時に浅瀬や入り江の口に網を張っておき、引き潮で取り残された魚介類をタモ網や素手で捕まる』。

「望陀(マウダ)郡」、『千葉県(上総国)にあった古代からの郡で、現在の木更津市や袖ケ浦市、君津市などの小櫃川流域にあたる』。

「多漁の時交魚何千頭と云を志ら須゛」、『魚がたくさん獲れるときには、交じり合う魚の数が何千匹にのぼるか分からないほどである』。

「こと」、いままでもたくさんでてきていました。「こ」と「と」をくっつけたような字です。合字(ごうじ)といいます。「より」のごうじ「ゟ」はフォントがあるのですが、「こと」はありませんので、画像ではこれ。

詞書き最後の「ごとし」は濁点がついただけです。

 いままでの画の左右の枠外には画工と出版人の住所名前はありましたが、日付はありませんでした。右枠外に「御届明治十年八月十日」とあります。

『青淵』No.671 2005年(平成17)2月号(実業史研究情報センター長 小出 いずみ)に

『上野で開催された第1回の内国勧業博覧会の始まる10日あまり前のことでした。博覧会の出品には掲載されておらず、また、博覧会場で今日のミュージアムショップのようにして販売されていたのか、確かめられませんが、博覧会目当てに発売された、と考えてよい』とあります。

 屋形船のように大げさでなく、漁師が使う小舟にお茶席で使う緋毛氈のような敷物で即席の宴会席をしつらえて飲んで歌って踊ってご機嫌ご機嫌♫

 その小舟の舳先の先におしりを見せて魚を手づかみしていて、わざと大きくこれみよがしにお尻を見せているのはこの人だけです。明治政府の裸をみせるなというお達しなんぞ、クソくれぇだとケツをまくっているのです。

 木更津から望む富士山はほぼ真西に見えます。でっかいです。ほぼこの画のとおりかな。

 

2026年9月6日日曜日

大日本物産圖會その77

P77 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P77_1

(読み)

上 総 國 九十  九里鰛  漁  之図

かずさのくにくじゅうくりいわしりょうのず


鰛(イワシ)ハ當 國 九十  九里の海濱(カイヒン)

  いわし はとうごくくじゅうくりの   かいひん


尓て十  月 頃(コロ)より五月 迄 漁(リヤウ)

にてじゅうがつ  ころ よりごがつまで  りょう


すること尤  も盛  奈り皆 地曳 網

することもっともさかりなりみなじびきあみ


なり魚 の来るを見て磯 辺ゟ

なりうおのくるをみていそべより


二三 里沖(ヲキ)へ網(アミ)を張 こと五百  尋(ヒロ)より

にさんり  おき へ  あみ をはることごひゃく  ひろ より


七 百  尋 尓至 る陸 尓て其 網 を

ななひゃくひろにいたるおかにてそのあみを


曳 もの凡  二百  余人 浪 の寄(ヨセ)る

ひくものおよそにひゃくよにんなみの  よせ る


随(シタガ)ひて曳 あげたるを持 て魚

  したが いてひきあげたるをもってうお


を春くひ磯 辺尓土手の如 く

をすくいいそべにどてのごとく


つミ上ケ大 漁  と起ハ皆 干鰛(ホシカ)

つみあげたいりょうときはみな   ほしか


と奈し或  ハ油  を絞(シボ)り魚 油と須

となしあるいはあぶらを  しぼ りぎょゆとす

(大意)

(補足)

「鰛」、「いわし」で変換するとこの「鰛」は鰮の俗字と説明があり、「鰮」は鰛の正字とあります。この「鰯」が一番なじみがあります。

 百枚をこえる「大日本物産図会」の画のなかで、登場人物の多さではこの画はトップ3に入りそう。奥の漁師たちは20人、手前で曳くのが22人、そしてさらに手前の取り巻きは17人で合計59人。もしかしたらトップかもしれません。画面左端に椅子に腰掛けその周りに人たちはどうみても網元とその仲間たちでしょう。

 地曳網漁で何十人もの漁師たちは全員褌一丁のものはいません。みな半纏を着ての漁なんてありえません。文明国となるべく明治政府は裸の出版物などを規制していたためでしょうね。

 若かりし頃、三浦半島で5月に観光地曳網をしたことがあります。重かったです。で、その後とれたものを料理してくれるのですけど、スミイカの刺身がとびっきりうまかったなぁ。

 

2026年9月5日土曜日

大日本物産圖會その76

P76 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P76_1

(読み)

武蔵  國 浅 草 海苔製 圖

むさしのくにあさくさのりせいず


海苔(ノリ)ハ本 邦 第 一 の名産(メイサン)尓

   のり はほんぽうだいいちの   めいさん に


志て荏原(エバラ)郡 品 川 大 森 より

して   えばら ぐんしながわおおもりより


出須往古(ワウコ)浅 草 川 尓産 せし

だす   おうこ あさくさがわにさんせし


を以 て浅 草 の名あり冬節(フユ)海(カイ)

をもってあさくさのなあり   ふゆ   かい


濱(ヒン)尓枹(ナラ)﨔(クヌギ)等 の枝 を立 奈らべ

  ひん に  なら   くぬぎ とうのえだをたてならべ


潮(ウシホ)の引 を待(マツ)て枝 尓附 多る苔 を

  うしお のひきを  まっ てえだにつきたるこけを


採(ト)り他物(ゴミ)を撰(エ)り叩(タゝキ)て紙 の如 く

  と り   ごみ を  え り  たたき てかみのごとく


漉(スキ)あげ簀成(スナリ)尓干シ拾  枚 を一 帖

  すき あげ   すなり にほしじゅうまいをいちじょう


と定  て諸 国 に出す近 世 ガラス

とさだめてしょこくにだすきんせいがらす


の瓶(ビン)尓貯(タクハ)へて夏日(ナツ)食  用 尓供  ず

の  びん に  たくわ えて   なつ しょくようにきょうず

(大意)

(補足)

「枹」、「なら」は普通「楢」のほうになじみがあります。「木」+「包」のならはあまり目にしません。また、三味線や太鼓の「ばち」とも読むみたい。

「﨔」、けやきと読みますが、ここでは「クヌギ」と読ませてます。

「叩(タゝキ)」、本文では「扌」+「卩」。

 赤札が3枚あって、右より「のりを漉」。これは紙漉きと同じ要領。向かい側では両手に庖丁をもってトントコトントコ、海苔を刻んでいます。真ん中「のりをえる」。濱の近くの浅瀬で海苔ひびについた海苔を小舟にのって採っていますが、これらにはいろいろなものが付着しているのでそれらを取り除きます。これが「える」です。両手を伸ばして大あくびのお兄さん、朝が早いからね。左側「のりを干ス」。これも紙漉きとおなじ。

 店の看板に「名産御膳乾海苔所」、この画は明治なので、ちょっと前までは徳川家に納めていた名店だったのだという看板の名残。

 濱には人力車、また店をのぞきながら歩く弁当持ちの職人さんふうの人はどこか和洋折衷の姿です。沖には外国船も見えて、江戸近辺は文明開化の真っ最中であります。

「近世ガラスの瓶(ビン)尓貯(タクハ)へて夏日(ナツ)食用」とあって、やはり湿気は大敵だったようですね。ガラス瓶がなかった頃は茶箱に入れていたというか、海苔屋さんには茶箱がズラッと並んでました。

 

2026年9月4日金曜日

大日本物産圖會その75

P75 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P75_1

(読み)

東 京  錦  繪製 造 之図

とうきょうにしきえせいぞうのず


錦  繪ハ武州  東 京  の名 産 尓し

にしきえはぶしゅうとうきょうのめいさんにし


て奉書(ホウシヨ)或  ハ絹雁皮紙(キヌガンヒシ)ホ に刷(スル)

て   ほうしょ あるいは     キヌガンビシ などに  する


と雖(イヘト)も伊豫(イヨ)の国 西条(サイデ ウ)より出

と  いえど も   いよ のくに   さいじょう よりだ


す政紙(マサシ)尓て摺(スル)もの多 し板 ハ

す   まさし にて  する ののおおしいたは


櫻(サクラ)木を用 ひ一ト色 毎 尓一 枚

  さくら ぎをもちいひといろごとにいちまい


宛 を刻 し先墨板(スミイタ)より摺始(スリハシ)

ずつをこくしまず  すみいた より   すりはじ


めて色 毎 尓春り合 せ上  品 のものハ

めていろごとにすりあわせじょうひんのものは


三 十 篇 より四 十 篇 の色 を春り

さんじっぺんよりよんじっぺんのいろをすり


合 せ終(ツヒ)尓一 枚 の錦  繪と奈る宇ちハ

あわせ  つい にいちまいのにしきえをなるうちわ


ハ房刕(バウシ ウ)より出す処  の女竹 を凡  六

は   ぼうしゅう よりだすところのめたけをおよそろく


十  尓割(ワリ)て窓(マド)をあミ錦  繪を張 縁(ヘリ)を

じゅうに  わりて   まど をあみにしきえをはり  へり を


とる也

とるなり

(大意)

(補足)

赤札が3枚あって左より「ドウサ引の紙を掛ル」。ドウサとは『どうさ だう―【礬水・礬砂・陶砂】膠(にかわ)とミョウバンを溶かした水。紙などに引いて,墨・インク・絵の具のにじみ止めとする』。『どうさがみ だう―【礬水紙】絵の具がにじむのを防ぐために,礬水を引いた紙。書画に用いる』。次の赤札「ゑを摺」。3枚目「団扇張」その右上でははみ出た竹を押し切りで落としています。「縁(ヘリ)をとる」作業です。

 店の中の作業場から店頭というおもしろい構図、なので店頭に飾ってある浮世絵・錦絵は裏側が透けてます。錦絵を四隅でとめていますが、この頃は洗濯ばさみはなかったはずでどうやっているのでしょう?人力車が左奥に半分見えています。

「政紙」、『まさがみ。「柾紙」「正紙」とも書かれ上質な奉書紙の一種。特に上質のものは浮世絵の刷りなどにも用いられた』。

「墨板」、『墨板(すみばん)」とは、浮世絵などの木版画において輪郭線や黒色部分を表現するための最も基本となる版木(主版)のこと。この墨板をもとに色を重ねるための「色板(面)」が作らる』。

「凡六十尓割(ワリ)て窓(マド)をあミ」、『うちわの「窓」とは、日本三大うちわの一つである「房州うちわ」などで見られる、骨と骨の間隔を整えて糸で編んだ、紙が貼られていない格子状の部分(持ち手から扇面にかけて細かく(48〜64等分に)割いた竹の骨を、糸で美しく編み交ぜて作る)のこと』。天井にぶら下がって干してある団扇。

「房刕」、フォントがないので「刕」を使用。ここでは下の刀は「冫」とその裏返し。

 子どものころ、錦絵を張った房州団扇がいくつかありましたが、その価値も知らずに最後は竹の骨だけになってしまいました。

 

2026年9月3日木曜日

大日本物産圖會その74

P74 東京都立図書館蔵

P74_1

(読み)

播 磨 國 赤穂 塩 濱 之図

はりまのくにあこうしおはまのず


塩(シホ)ハ當 國 赤穂(アカホ)尓て製(セイ)

  しお はとうごく   あこう にて  せい


春るを国 内 第 一 等 の品 と須

するをこくないだいいっとうのしなとす


晴天(セイテン)尓潮(ウシホ)を汲(ク)ミ砂上(スナノウヘ)尓蒔(マキ)

   せいてん に  うしお を  く み   すなのうえ に  まき


砂 の乾(カハ)くを待(マツ)て是 をあつ

すなの  かわ くを  まつ てこれをあつ


免水 に漉(コ)し志たゝる

めみずに  こ ししたたる


志保を平釜(カマ)尓天煮(ニ)

しおをひら がま にて  に


俵(タハラ)尓徒くる又 や起塩(シホ)者奈

  たわら につくるまたやき  しお はな


塩 等 の種々(しゆ\゛/)ありて其 色

しおとうの   しゅじゅ  ありてそのいろ


潔白(ケツハク)奈ること雪 のごとし

   けっぱく なることゆきのごとし

(大意)

(補足)

「国内」、「国」のくずし字は最頻出。筆順は「ふ」とおなじ。

「あつ免」、変体仮名「免」(め)。よくでてきます。

「志たゝる志保」、変体仮名「保」(ほ)、超初心者のとき、読めなくて苦労しました。

「徒くる又や起塩者奈塩等」、変体仮名がいくつもでてきてます。

「種々(しゆ\゛/)」、いままで「しゅしゅ」と濁らずに使ってました。

「潔白」、『けっぱく【潔白】① 心やおこないが正しいこと。うしろぐらいところがないこと。また,そのさま。「清廉(せいれん)―な人」「身の―を明らかにする」② 清くて白いさま。「―ナウツワモノ」〈和英語林集成〉』。②の使い方を知りませんでした。

 時代がいっきに数千年戻ったようで、縄文時代の竪穴住居のよう。縄文人も塩は必須だったのできっとこんなふうにとっていたのかも。

 松を手前に大きくもってくるのは広重一派定番の技法。松の樹皮の色合いが微妙、松葉の緑が開ききった扇子のようです。

 藁葺き小屋から立ち上る煙を透き通して見えるよう濃淡をつけてます。銭湯の壁絵にしてもよさそう、どこかホッとする画。

 

2026年9月2日水曜日

大日本物産圖會その73

P73 東京都立図書館蔵

P73_1

(読み)

播 州  姫 路革 店 之図

ばんしゅうひめじかわてんのず


姫路革(ヒメヂカハ)ハ飾磨(シカマ)郡 姫 路に

    ひめじかわ は   しかま ぐんひめじに


て製 須獣(ケモノ)の皮(カワ)をさらし揉(モミ)

てせいす  けもの の  かわ をさらし  もみ


て種々(しゆ\〃/)の色 尓染(ソメ)め奈し

て   しゅじゅ  のいろに  そめ めなし


草 木 花果鳥 虫 等 の

そうぼくかかとりむしとうの


もやうを写(ウツ)し金 銀 彩

もようを  うつ しきんぎんさい


色  して巾着(キンチヤク)莨入(タバコイ)連

しょくして   きんちゃく    たばこい れ


ドル入 文 庫硯  筥 其 外

どるいれぶんこすずりばこそのほか


種 々 の器物(キブツ)を夥(オビタゞ)しく造(ツク)る

しゅじゅの   きぶつ を  おびただ しく  つく る


美麗(ビレイ)尓して最(イト)堅強(ケンカ ウ)奈り

   びれい にして  いと    けんきょう なり

(大意)

(補足)

「飾磨郡」、かつて兵庫県(播磨国)に存在した郡。

「金銀彩色」、「彩」が「粉」のようにも見えます。この二つをごっちゃにして「采」+「分」となって、まちがえたのでは。

「文庫革」、『明治初期から姫路で親しまれてきた皮革伝統工芸品。真っ白になめした牛革に型押しをし、一筆一筆彩色を施した後,真菰(まこも)という植物の粉をふりかけ古びをつける』。

「最(イト)堅強(ケンカ ウ)」、「最」を「イト」と当て字で読ませる、ここまでくれば笑えます。

 左隅、金槌を持つ二人の職人さんはなめした皮をピンと張って天日干しで固定しているところ。右側には和傘を持つ若者と洋傘を置いて小僧にお茶を振る舞われている丁髷姿のおじさん。店の中は丁髷と断髪して七三分けした使用人がいて、文明開化が進行中。

 店頭看板に「革細工品々ひめじや」。「姫路革却うり」、米相場で使われる言葉に「却(かえ)うり」があるようですけど、よくわかりませんでした。

 ひめじやの暖簾(のれん)が、厚い木綿生地に藍色で染めてその風合いや生地の質感がでていて、いつもうまいもんだなぁと感心してしまいます。その上の瓦の灰色も濃淡をつけて奥行きが、これまたうなります。

 

2026年9月1日火曜日

大日本物産圖會その72

P72 東京都立図書館蔵

P72_1

(読み)

同 西瓜 畑  之圖

どうすいかばたけのず


葛 飾 千葉の両  群 尓て

かつしかちばのりょうぐんにて


お本く畑  尓作 る蔓草(ツルクサ)

おおくはたけにつくる   つるくさ


尓して実の大  さ冬 瓜

にしてみのおおきさとうがん


のことく七 八 月 のころ熟(シユク)

のごとくしちはちがつのごろ  じゅく


し其 そと皮 ハ青 黒 色  ニ

しそのそとかわはあおぐろしょくに


志て中 ハ紅 色 奈りま多

してなかはべにいろなりまた


外 皮 白 青 色 尓して中

そとかわしろあおいろにしてなか


黄奈るものあり水 多 くし

きなるものありみずおおくし


て味 甘 し暑熱(シヨネツ)を消(セ ウ)す

てあじあまし   しょねつ を  しょう す


もの那り

ものなり

(大意)

(補足)

「同」、下総国。『しもうさ しもふさ 【下総】千葉県北部と茨城県の南西部にあたる。しもふさ。しもつふさ』

 スイカ畑。関東ロームの黒色を耕した土ではなく、水はけの良い砂地のように見えます。投げ上げている西瓜が枠をはみだしそう。この大きさだとここまでの高さに放り上げることは難しいというかできません。やったことがあるのでわかります。

 話題に取り上げた品々はなんでも誇張して大きく、または極端な遠近法を用いたりするのが浮世絵・錦絵の定番。でも下に落ちて割れているのは、そんなこともあったでしょうから、こどもは食べようと小走りに、大人はとっくにかじっています。

 畔道の木陰にお稲荷さんがあって、西瓜が供物にされていそう。天秤棒で前後に二個ずつ下げて、これは重たい。西瓜農家は何をするにも力仕事です。それにしても西瓜を見上げる二人の表情がほがらかでうまいなぁ。

 西瓜もすっかり高級品となてしまって、手が出なくなりました。

 

2026年8月31日月曜日

大日本物産圖會その71

P71 東京都立図書館蔵

P71_1

(読み)

同 鰤 磯 場之圖

どうぶりいそばのず


網 磯 近 く奈るとき数 百  人

あみいそちかくなるときすうひゃくにん


あつまりて網 を引 あげ網

あつまりてあみをひきあげあみ


中 尓群(ムラガ)る魚 を打 鎰(カキ)或(アルヒ)盤

なかに  むらが るうおをうち  かき   あるい は


手どり尓して砂上  へ投(ナゲ)あげ

てどりにしてさじょうへ  なげ あげ


腹(ハラワタ)をぬき大 桶(ヲケ)耳以連天

  はらわた をぬきおお  おけ にいれて


塩 づけとなし又 志本を

しおづけとなしまたしおを


腹 中  にミ多し土中  耳

はらぢゅうにみたしどちゅうに


うづミてむしろをふせ

うずみてむしろをふせ


て水 気を去(サ)りふ多ゝび

てみずけを  さ りふたたび


塩 を本どこし薦(コモ)尓包(ツゝミ)て

しおをほどこし  こも に  つつみ て


諸邦(シヨハウ)尓出す

   しょほう にだす

(大意)

(補足)

「同」、丹後国。

「群る」、「君」と「羊」の位置が上下になってます。偏と旁が上下になるのは古文書でよくあります。

「打鎰(カキ)」、「鎰」は『重さの単位。二十両。また、二十四両。かぎ。錠前のかぎ。』の意。ここでは『漁業における「打鉤(うちかぎ)」とは、長い木の柄の先端に鋭い鉄製のカギ(鉤)を取り付けた道具、およびそれを使って魚を捕獲・引き揚げる手法のこと』。

「或(アルヒ)盤」、変体仮名「盤」(は)、ほとんどが変体仮名「者」(は)ですけど、この「盤」もたまにでてきます。

 手づかみで鰤を浜に投げ上げる漁師たちの動作も表情も一人ひとりことなっていていいですねぇ。その上では網を綱引きのように引き上げてますが、やはりみなさん一人としておなじふうに描かれていません。

 題名は鰤でそれが主役のはずですが、やはり漁師たちでした。

 

2026年8月30日日曜日

大日本物産圖會その70

P70 東京都立図書館蔵 

P70_1

(読み)

丹 後 國 鰤(ブリ)追 網 之圖

たんごのくに  ぶり おいあみのず


鰤(ブリ)ハ丹 後 國 与謝(ヨサ)の入 海 に

  ぶり はたんごのくに   よさ のいりうみに


とるものを上  品(ヒン)と須魚 つ年

とるものをじょう  ひん とすうおつね 


尓此(コゝ)尓あそび長  ずるに及(オヨン)で

に  ここ にあそびちょうずるに  およん で


出んとする時 をう可ゞひ追(オヒ)

でんとするときをうかがい  おい


網(アミ)を以 て捕(ト)る網 ハうミの

  あみ をもって  と るあみはうみの


入 口 尓者り数 十 艘 ふ年を

いりぐちにはりすうじっそうふねを


奈らべ舳(フナバタ)をたゝき魚 をおひ

ならべ  ふなばた をたたきうおをおい


いれ尚 魚 のもれざる多め三

いれなおうおのもれざるためみ


重尓あミを可け轆轤(ロクロ)にて

えにあみをかけ   ろくろ にて


ひ起阿けるなり

ひきあげるなり

(大意)

(補足)

「丹後」、『京都府の北部に相当』。現在のこのあたり。

 遠近で轆轤をまわす様子を描く、これも広重の遠近画法の一種でしょう。近接の漁師たちの表情がことなっていて、力の入れ具合がわかるというもの、こちらもう〜んとうなってしまう。網の一方では遠くの浜で轆轤をまわす全体の様子が見えます。

 旭日旗のようなおひさまは朝日か夕日か、まぁ漁のならいで朝日でしょうね。

 鯨漁やこのような大規模な漁では必ず采配を振るう漁師がいて細かな指示を与えていました。

 浜の漁師たちを題材にした絵描きさんはたくさんいましたが、この一枚もいいなぁ。