2026年9月9日水曜日

大日本物産圖會その80

P80 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P80_1

(読み)

常陸  國 養 蠶 之圖一

ひたちのくにようさんのずいち


蚕(カヒコ)ハ本邦(ホンハウ)諸 國 尓製(セイ)春と雖(イヘト)

  かいこ は   ほんぽう しょこくに  せい すと  いえど


も當 國 最   多 しと須種子(タネ)随(ズイ)

もとうごくもっともおおしとす   たね   ずい


分(ブン)揃(ソロヒ)よく面(オモテ)一 様 尓して生 気強(ツヨ)

  ぶん   そろい よく  おもて いちようにしてせいき  つよ


く卵(タマゴ)の中 少 し凹(クボ)ミ種 の地合

く  たまご のなかすこし  くぼ みたねのじあい


よく志満り蛾の者多らき種

よくしまりがのはたらきしゅ


子のちらしよくあし起臭(ニホ)ひ

しのちらしよくあしき  にお い


なく取 あつ可ひ尓落(オチ)ざるを

なくとりあつかいに  おち ざるを


最(サイ)上  と須第 一 其 年 上  〃  の桑(クハ)

  さい じょうとすだいいちそのとしじょうじょうの  くわ


を喰 せ上  作 の蚕  尓てとりし種

をくわせじょうさくのかいこにてとりしたね


を極 上  と須随 分 種 元 を吟

をごくじょうとすずいぶんたねもとをぎん


味して上  種 を求(モト)むべし

みしてじょうしゅを  もと むべし


(大意)

(補足)

「常陸」、ほぼ茨城県北東部に当たる。常州(じようしゆう)。

「蠶」、『もともと「蚕」の字はミミズを意味する別の漢字でしたが、古くから「蠶(かいこ)」の略字として使われていたため、現在の新字体に採用された』とあって、この「蠶」は初めてみました。「旡」+「旡」+「日」+「虫」+「虫」。「旡」は「すでのつくり」or「むにょう」というのだそうです。

「蚕」、『チョウ目カイコガ科の蛾。開張約4センチメートル。全身灰白色,はねに褐色の帯の入る品種もある。胴の太い割にははねが小さく,飛べない。幼虫は体長7センチメートルほどの白いイモムシで,桑の葉を食べる。繭から絹糸をとるため数千年前から中国で飼育され,のちに世界中に広まり多くの改良品種ができた。日本では春蚕(はるご)をはじめ夏蚕(なつご)・秋蚕(あきご)などと称して農家での養蚕が盛んであった。カイコガ。家蚕(かさん)。季春』。成虫になっても品種改良が何千年も続けられて飛べないんですね。

 画の上部、竿にぶら下げているのが「蚕卵紙(さんらんし)『カイコの蛾(が)に卵を産みつけさせる厚紙。たねがみ。蚕紙。季春』」。紙に糸をとおしてそれを竿にかけているようです。

 

2026年9月8日火曜日

大日本物産圖會その79

P79 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P79_1

(読み)

下 総  國 醤  油製 造 之圖

しもうさのくにしょうゆせいぞうのず


醤  油盤葛飾郡(カツシカコホリ)野田

しょうゆは    かつしかこおり のだ


海 上  銚  子等 より出すこと

かいじょうちょうしとうよりだすこと


夥(オビタゞ)し小麥 を炒り大 豆

  おびただ しこむぎをいりだいず


尓和して麹(カウシ)を徒くり塩

にわして  こうじ をつくりしお


を咊(クワ)し天大 桶 尓いれ天

を  か  しておおおけにいれて


熟(シユク)せしと起布 の袋  に

  じゅく せしときぬののふくろに


包 ミて〆 器に入 て搾(シボ)り樽

つつみてしめきにいれて  しぼ りたる


尓詰 天諸 國 尓出す就中

につめてしょこくにだすなかんづく


野田の「萬」ハ上  品 尓して八 升  六

のだの亀甲万はじょうひんにしてはっしょうろく


合 入 を一 樽 と定 む

ごういりをひとたるとさだむ

(大意)

(補足)

「咊(クワ)し」、『(か、わ)。「和」の古字(昔使われていた漢字)or異体字』。

「布の袋に包ミて〆器に入て搾(シボ)り」、右の大きな箱が〆器。箱の丈夫に竿があって、その左端に何本もの綱網に重しの石がたくさん見えています。

「八升六合入を一樽」、一樽で約16kg。樽の側面には亀甲(きっこう)印の中に「万」。現在のキッコーマンです。樽が積んであるところは壁に濃淡を付けて薄暗がりの表現が見事です。左奥には積み出し船と川面が見えています。

 この画は現在でも大手のキッコーマン醤油の明治初期の工場のようです。利根川と江戸川にはさまれて絶好の立地に恵まれた野田は醤油で繁栄し、現在でも一大生産地です。そしてもうひとつ、煎餅が野田の名物でもあります。

 この画が出版された13年後の明治23年に利根川と江戸川を結ぶ利根運河が開通しました。もともと江戸時代初期、江戸川は利根川の上流の関宿で東京湾に至るように大工事で分流されましたが、貨物など交通量増加のため(浅瀬もあって不便でもあった)、もっと手前でむすぶこの運河が作られました。

 若かりし頃、この運河がどんなふうになっているか、何度か江戸川と利根川をいったりきたりしたことを思い出しました。小さな竹竿ですすめる和船があるとどこか江戸情緒を感じたものです。

 この画を見ているだけで、醤油の香りを感じてしまい、口の中がジュワッとしてしまいます。

 

2026年9月7日月曜日

大日本物産圖會その78

P78 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P78_1

(読み)

上総  國 建 干 網 之圖

かずさのくにたてぼしあみのず


當 國 望陀(マウダ)郡 木更 津海 濱

とうごく   もうだ ぐんきさらずかいひん


より吾妻 川 尼 の濱 尓て建

よりあずまがわあまのはまにてたて


干 網 とと奈へて満 潮  のとき

ぼしあみととなえてまんちょうのとき


沖 へ出ること一 里余  尓して六 尺

おきへでることいちりあまりにしてろくしゃく


毎 尓杭 を打 これへ網 を張 廻 ス

ごとにくいをうちこれへあみをはりまわす


こと凡  一 千 尺  志可して潮 の引くに

ことおよそいっせんしゃくしかしてしおのひくに


從  ひ磯 辺の魚 皆 此 網 中 ニ集

したがいいそべのうおみなこのあみなかにあつま


里漁 人 これをひらふ多漁  の時

りぎょじんこれをひろうたりょうのとき


交 魚 何 千 頭 と云 を志ら須゛

こうぎょなんぜんとうというをしらず


又 客  ありて網 を求  ると起ハ

またきゃくありてあみをもとめるときは


潮 の引 多るとき其 魚  をミ奈

しおのひきたるときそのさかなをみな


自  ら客  尓とらするそのさ満東

みずからきゃくにとらするそのさまとう


京  の潮 干狩 のごとし

きょうのしおひがりのごとし

(大意)

(補足)

「建干網」、『たてぼしあみ。干満の差を利用した伝統的な沿岸漁法、またはそのために用いる網のこと。満潮時に浅瀬や入り江の口に網を張っておき、引き潮で取り残された魚介類をタモ網や素手で捕まる』。

「望陀(マウダ)郡」、『千葉県(上総国)にあった古代からの郡で、現在の木更津市や袖ケ浦市、君津市などの小櫃川流域にあたる』。

「多漁の時交魚何千頭と云を志ら須゛」、『魚がたくさん獲れるときには、交じり合う魚の数が何千匹にのぼるか分からないほどである』。

「こと」、いままでもたくさんでてきていました。「こ」と「と」をくっつけたような字です。合字(ごうじ)といいます。「より」のごうじ「ゟ」はフォントがあるのですが、「こと」はありませんので、画像ではこれ。

詞書き最後の「ごとし」は濁点がついただけです。

 いままでの画の左右の枠外には画工と出版人の住所名前はありましたが、日付はありませんでした。右枠外に「御届明治十年八月十日」とあります。

『青淵』No.671 2005年(平成17)2月号(実業史研究情報センター長 小出 いずみ)に

『上野で開催された第1回の内国勧業博覧会の始まる10日あまり前のことでした。博覧会の出品には掲載されておらず、また、博覧会場で今日のミュージアムショップのようにして販売されていたのか、確かめられませんが、博覧会目当てに発売された、と考えてよい』とあります。

 屋形船のように大げさでなく、漁師が使う小舟にお茶席で使う緋毛氈のような敷物で即席の宴会席をしつらえて飲んで歌って踊ってご機嫌ご機嫌♫

 その小舟の舳先の先におしりを見せて魚を手づかみしていて、わざと大きくこれみよがしにお尻を見せているのはこの人だけです。明治政府の裸をみせるなというお達しなんぞ、クソくれぇだとケツをまくっているのです。

 木更津から望む富士山はほぼ真西に見えます。でっかいです。ほぼこの画のとおりかな。

 

2026年9月6日日曜日

大日本物産圖會その77

P77 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P77_1

(読み)

上 総 國 九十  九里鰛  漁  之図

かずさのくにくじゅうくりいわしりょうのず


鰛(イワシ)ハ當 國 九十  九里の海濱(カイヒン)

  いわし はとうごくくじゅうくりの   かいひん


尓て十  月 頃(コロ)より五月 迄 漁(リヤウ)

にてじゅうがつ  ころ よりごがつまで  りょう


すること尤  も盛  奈り皆 地曳 網

することもっともさかりなりみなじびきあみ


なり魚 の来るを見て磯 辺ゟ

なりうおのくるをみていそべより


二三 里沖(ヲキ)へ網(アミ)を張 こと五百  尋(ヒロ)より

にさんり  おき へ  あみ をはることごひゃく  ひろ より


七 百  尋 尓至 る陸 尓て其 網 を

ななひゃくひろにいたるおかにてそのあみを


曳 もの凡  二百  余人 浪 の寄(ヨセ)る

ひくものおよそにひゃくよにんなみの  よせ る


随(シタガ)ひて曳 あげたるを持 て魚

  したが いてひきあげたるをもってうお


を春くひ磯 辺尓土手の如 く

をすくいいそべにどてのごとく


つミ上ケ大 漁  と起ハ皆 干鰛(ホシカ)

つみあげたいりょうときはみな   ほしか


と奈し或  ハ油  を絞(シボ)り魚 油と須

となしあるいはあぶらを  しぼ りぎょゆとす

(大意)

(補足)

「鰛」、「いわし」で変換するとこの「鰛」は鰮の俗字と説明があり、「鰮」は鰛の正字とあります。この「鰯」が一番なじみがあります。

 百枚をこえる「大日本物産図会」の画のなかで、登場人物の多さではこの画はトップ3に入りそう。奥の漁師たちは20人、手前で曳くのが22人、そしてさらに手前の取り巻きは17人で合計59人。もしかしたらトップかもしれません。画面左端に椅子に腰掛けその周りに人たちはどうみても網元とその仲間たちでしょう。

 地曳網漁で何十人もの漁師たちは全員褌一丁のものはいません。みな半纏を着ての漁なんてありえません。文明国となるべく明治政府は裸の出版物などを規制していたためでしょうね。

 若かりし頃、三浦半島で5月に観光地曳網をしたことがあります。重かったです。で、その後とれたものを料理してくれるのですけど、スミイカの刺身がとびっきりうまかったなぁ。

 

2026年9月5日土曜日

大日本物産圖會その76

P76 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P76_1

(読み)

武蔵  國 浅 草 海苔製 圖

むさしのくにあさくさのりせいず


海苔(ノリ)ハ本 邦 第 一 の名産(メイサン)尓

   のり はほんぽうだいいちの   めいさん に


志て荏原(エバラ)郡 品 川 大 森 より

して   えばら ぐんしながわおおもりより


出須往古(ワウコ)浅 草 川 尓産 せし

だす   おうこ あさくさがわにさんせし


を以 て浅 草 の名あり冬節(フユ)海(カイ)

をもってあさくさのなあり   ふゆ   かい


濱(ヒン)尓枹(ナラ)﨔(クヌギ)等 の枝 を立 奈らべ

  ひん に  なら   くぬぎ とうのえだをたてならべ


潮(ウシホ)の引 を待(マツ)て枝 尓附 多る苔 を

  うしお のひきを  まっ てえだにつきたるこけを


採(ト)り他物(ゴミ)を撰(エ)り叩(タゝキ)て紙 の如 く

  と り   ごみ を  え り  たたき てかみのごとく


漉(スキ)あげ簀成(スナリ)尓干シ拾  枚 を一 帖

  すき あげ   すなり にほしじゅうまいをいちじょう


と定  て諸 国 に出す近 世 ガラス

とさだめてしょこくにだすきんせいがらす


の瓶(ビン)尓貯(タクハ)へて夏日(ナツ)食  用 尓供  ず

の  びん に  たくわ えて   なつ しょくようにきょうず

(大意)

(補足)

「枹」、「なら」は普通「楢」のほうになじみがあります。「木」+「包」のならはあまり目にしません。また、三味線や太鼓の「ばち」とも読むみたい。

「﨔」、けやきと読みますが、ここでは「クヌギ」と読ませてます。

「叩(タゝキ)」、本文では「扌」+「卩」。

 赤札が3枚あって、右より「のりを漉」。これは紙漉きと同じ要領。向かい側では両手に庖丁をもってトントコトントコ、海苔を刻んでいます。真ん中「のりをえる」。濱の近くの浅瀬で海苔ひびについた海苔を小舟にのって採っていますが、これらにはいろいろなものが付着しているのでそれらを取り除きます。これが「える」です。両手を伸ばして大あくびのお兄さん、朝が早いからね。左側「のりを干ス」。これも紙漉きとおなじ。

 店の看板に「名産御膳乾海苔所」、この画は明治なので、ちょっと前までは徳川家に納めていた名店だったのだという看板の名残。

 濱には人力車、また店をのぞきながら歩く弁当持ちの職人さんふうの人はどこか和洋折衷の姿です。沖には外国船も見えて、江戸近辺は文明開化の真っ最中であります。

「近世ガラスの瓶(ビン)尓貯(タクハ)へて夏日(ナツ)食用」とあって、やはり湿気は大敵だったようですね。ガラス瓶がなかった頃は茶箱に入れていたというか、海苔屋さんには茶箱がズラッと並んでました。

 

2026年9月4日金曜日

大日本物産圖會その75

P75 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P75_1

(読み)

東 京  錦  繪製 造 之図

とうきょうにしきえせいぞうのず


錦  繪ハ武州  東 京  の名 産 尓し

にしきえはぶしゅうとうきょうのめいさんにし


て奉書(ホウシヨ)或  ハ絹雁皮紙(キヌガンヒシ)ホ に刷(スル)

て   ほうしょ あるいは     キヌガンビシ などに  する


と雖(イヘト)も伊豫(イヨ)の国 西条(サイデ ウ)より出

と  いえど も   いよ のくに   さいじょう よりだ


す政紙(マサシ)尓て摺(スル)もの多 し板 ハ

す   まさし にて  する ののおおしいたは


櫻(サクラ)木を用 ひ一ト色 毎 尓一 枚

  さくら ぎをもちいひといろごとにいちまい


宛 を刻 し先墨板(スミイタ)より摺始(スリハシ)

ずつをこくしまず  すみいた より   すりはじ


めて色 毎 尓春り合 せ上  品 のものハ

めていろごとにすりあわせじょうひんのものは


三 十 篇 より四 十 篇 の色 を春り

さんじっぺんよりよんじっぺんのいろをすり


合 せ終(ツヒ)尓一 枚 の錦  繪と奈る宇ちハ

あわせ  つい にいちまいのにしきえをなるうちわ


ハ房刕(バウシ ウ)より出す処  の女竹 を凡  六

は   ぼうしゅう よりだすところのめたけをおよそろく


十  尓割(ワリ)て窓(マド)をあミ錦  繪を張 縁(ヘリ)を

じゅうに  わりて   まど をあみにしきえをはり  へり を


とる也

とるなり

(大意)

(補足)

赤札が3枚あって左より「ドウサ引の紙を掛ル」。ドウサとは『どうさ だう―【礬水・礬砂・陶砂】膠(にかわ)とミョウバンを溶かした水。紙などに引いて,墨・インク・絵の具のにじみ止めとする』。『どうさがみ だう―【礬水紙】絵の具がにじむのを防ぐために,礬水を引いた紙。書画に用いる』。次の赤札「ゑを摺」。3枚目「団扇張」その右上でははみ出た竹を押し切りで落としています。「縁(ヘリ)をとる」作業です。

 店の中の作業場から店頭というおもしろい構図、なので店頭に飾ってある浮世絵・錦絵は裏側が透けてます。錦絵を四隅でとめていますが、この頃は洗濯ばさみはなかったはずでどうやっているのでしょう?人力車が左奥に半分見えています。

「政紙」、『まさがみ。「柾紙」「正紙」とも書かれ上質な奉書紙の一種。特に上質のものは浮世絵の刷りなどにも用いられた』。

「墨板」、『墨板(すみばん)」とは、浮世絵などの木版画において輪郭線や黒色部分を表現するための最も基本となる版木(主版)のこと。この墨板をもとに色を重ねるための「色板(面)」が作らる』。

「凡六十尓割(ワリ)て窓(マド)をあミ」、『うちわの「窓」とは、日本三大うちわの一つである「房州うちわ」などで見られる、骨と骨の間隔を整えて糸で編んだ、紙が貼られていない格子状の部分(持ち手から扇面にかけて細かく(48〜64等分に)割いた竹の骨を、糸で美しく編み交ぜて作る)のこと』。天井にぶら下がって干してある団扇。

「房刕」、フォントがないので「刕」を使用。ここでは下の刀は「冫」とその裏返し。

 子どものころ、錦絵を張った房州団扇がいくつかありましたが、その価値も知らずに最後は竹の骨だけになってしまいました。

 

2026年9月3日木曜日

大日本物産圖會その74

P74 東京都立図書館蔵

P74_1

(読み)

播 磨 國 赤穂 塩 濱 之図

はりまのくにあこうしおはまのず


塩(シホ)ハ當 國 赤穂(アカホ)尓て製(セイ)

  しお はとうごく   あこう にて  せい


春るを国 内 第 一 等 の品 と須

するをこくないだいいっとうのしなとす


晴天(セイテン)尓潮(ウシホ)を汲(ク)ミ砂上(スナノウヘ)尓蒔(マキ)

   せいてん に  うしお を  く み   すなのうえ に  まき


砂 の乾(カハ)くを待(マツ)て是 をあつ

すなの  かわ くを  まつ てこれをあつ


免水 に漉(コ)し志たゝる

めみずに  こ ししたたる


志保を平釜(カマ)尓天煮(ニ)

しおをひら がま にて  に


俵(タハラ)尓徒くる又 や起塩(シホ)者奈

  たわら につくるまたやき  しお はな


塩 等 の種々(しゆ\゛/)ありて其 色

しおとうの   しゅじゅ  ありてそのいろ


潔白(ケツハク)奈ること雪 のごとし

   けっぱく なることゆきのごとし

(大意)

(補足)

「国内」、「国」のくずし字は最頻出。筆順は「ふ」とおなじ。

「あつ免」、変体仮名「免」(め)。よくでてきます。

「志たゝる志保」、変体仮名「保」(ほ)、超初心者のとき、読めなくて苦労しました。

「徒くる又や起塩者奈塩等」、変体仮名がいくつもでてきてます。

「種々(しゆ\゛/)」、いままで「しゅしゅ」と濁らずに使ってました。

「潔白」、『けっぱく【潔白】① 心やおこないが正しいこと。うしろぐらいところがないこと。また,そのさま。「清廉(せいれん)―な人」「身の―を明らかにする」② 清くて白いさま。「―ナウツワモノ」〈和英語林集成〉』。②の使い方を知りませんでした。

 時代がいっきに数千年戻ったようで、縄文時代の竪穴住居のよう。縄文人も塩は必須だったのできっとこんなふうにとっていたのかも。

 松を手前に大きくもってくるのは広重一派定番の技法。松の樹皮の色合いが微妙、松葉の緑が開ききった扇子のようです。

 藁葺き小屋から立ち上る煙を透き通して見えるよう濃淡をつけてます。銭湯の壁絵にしてもよさそう、どこかホッとする画。