P40 東京国立博物館蔵
(読み)
目つらしき本 なり法 師其 画ニ指(ユヒ)サシ平 家
めずらしきほんなりほうしそのえに ゆび さしへいけ
投落(ホツラク)次第 を物 語(カタ)り春昔 シを思 ヒ出し目
ぼつらく しだいをもの がた りすむかしをおもいだしめ
尓涙 を浮 へ多り早 友 明 神 ハ向 フ地なり爰
になみだをうかべたりはやともみょうじんはむこうちなりここ
より望 ム尓十 町 許 尓見ユル瀬戸口 なり平 家
よりのぞむにじっちょうばかりにみゆるせとぐちなりへいけ
蟹 ハ世尓数 アル蟹 と違 ヒ背能甲 怒 レル顔
がにはよにかずあるかにとちがいせのこういかれるかお
色 アリ硯 石 ハ赤 キと青(アヲ)アリ此 山 能浅 村
いろありすずりいしはあかきと あお ありこのやまのあさむら
山 ヨリ出ルとぞ又 大 積 山 ト云 よりモ出ル稲
やまよりでるとぞまたおおつぼやまというよりもでるいな
荷町 と云 処 遊 女 アリこー(ウ)シ造 り見世付 ハ
りちょうというところゆうじょありこ う しつくりみせつけは
遊 女列(レツ)をなさ川皆 横 立 ニ居て至極 ザ川
ゆうじょ れつ をなさずみなよこだちにいてしごくざっ
トし多る所 なり
としたるところなり
(大意)
略
(補足)
「投落(ホツラク)」、没落。
「早友明神」、『主に北九州市門司区の和布刈(めかり)神社を指す別名です。和布刈神社は、「早鞆の瀬戸」という場所にある』。早鞆瀬戸(はやとものせと 【早鞆瀬戸】関門海峡東端の最狭部の水道。海底を国道が走り,関門橋がかかる。壇ノ浦合戦の古戦場)
すでに赤間関(下関)にいるので、「早友明神ハ向フ地なり」です。
「大積山」、大積山(おおつぼやま)は、現在の北九州市門司区付近にかつて存在した、赤間硯(あかますずり)の硯石の産地として知られる山。大積山産の石材は頁岩(赤色)で、赤間硯によく似た性質を持っていたとされています。
稲荷町で遊女屋をみつけて、歴史探訪から現実にもどったようです。


