2018年8月31日金曜日
紙漉重宝記 その21
P.9 l.4〜l.6まで
(読み)
至 て農 家の心 労 奈くして出来立 也
いたってのう可のしんらう奈くしてでき多つなり
其 上 紙 も少 可ら須゛当時 専 是 を作 る 此
そのうえかみも春く奈からず とうじもつハらこれをつくる。この
高 苧漸 寛 政 の初 より用 来 れる也
た可そようやくかんせいの者じめよりもちひき多れるなり。
紙 漉 草 少 可ら須゛故 常 体 可け目一 〆 目尓て
可ミ春きくさ春く奈可らず ゆえつ年ていかけめいっかんめにて
代 銀 弐匁 五分五六 リン◯右 各 諸 木尓同 く春 芽ぐミ夏 繁 茂し秋
だいぎんにもんめごぶごろくりん。みぎかくしょぎにおなじく者るめぐみ奈つ者んもしあき
(大意)
いたって生育・手入れの心配はなく育てることができる。
その上、出来上がる紙の生産量もわるくなく、現在ではほとんどこの高苧を作っている。
この高苧は寛政の初め頃よりだんだんと用いられて来た。
紙漉きの原料の草木は多いので、通常のひと束で1貫目は
銀2匁5分5、6厘する。右の各楮苧の木は、他の木々と同じく、春に芽を出し夏に繁茂し秋に
(補足)
5行目「寛政の初より」の「より」はフォントがありません。「よ」と「り」が合体して一文字になった字です。合字といます。「占」の字を左斜めにずらしたような感じ。
「也」のくずし字「之」みたいのが何箇所かにでてきます。小さくて見逃しそうですが、句読点のない古文書にあっては、ここがひとつの区切りであることを示しています。
春夏秋冬のくずし字では「春」「夏」がなかなかやっかい。
変体仮名と出てくる漢字のくずし字はほとんど既出のものばかりになりました。
2018年8月30日木曜日
紙漉重宝記 その20
P.9 l.1〜l.3まで
(読み)
故 價 安 く掛 目一 貫 目代 銀 壱 匁 六 分位
ゆえあ多ひやすく可けめいっかんめだいぎんいちもんめろくぶぐらい
◯又 高 苧といへる有 紙 の性 聊 あし
またた可そといへるあり。かみのしやういさゝ可あし
个れども此 木至 て尺 長 く且 種 を取 尓根分 に及 春゛
けれどもこのきい多つてたけながくそのうへ多年をとるに袮王けにをよバず
挽 切 し木を植 置 芽を
ひききりしきをうへをくめを
出し又 糞 の心 遣 ひも真楮 苧能ごとくなら須゛して
だしまたこやしのこころつ可ひもま可うそのごとくならず して
能 出来田 地水 辺 を可まハ春゛
よくできでんち春いへんをかまハ春゛
(大意)
ゆえ価格は安く、一貫目の重量で壱匁六分位する。
また高苧というこうぞの種類がある。紙の製品としてはややわるいが
この木は背丈が非常に高く、その上、根分けをしなくても株を増やすことができ
ひき切った枝を植えるだけで芽を出す。また肥料は真楮苧のように気を使うこともなく
育ち、田地や水辺を選ばずに、
(補足)
掛目は重量のこと。全ページでは「可け目」でした。
代銀はその言葉どおり、「銀」での支払いという意味もあるし、現在の「代金」「価格」ということもあります。ここではどちらなのでしょうか。
「故」は頻出、「m」のようなくずし字も多いです。
「高」、どうしてこんな形のくずし字になるのかというものはたくさんあるのですが、これもその一例。
「有」は頻出。「月」のくずし字をしっかり覚えるとわかりやすいかもしれません。
「聊か」、(いささか)と読みます。ここのくずし字では「耳」が「原」に見えてしまいます。
ここ数ページにわたって、「至」(いたって)が何度もでてきます。書き手が好きな表現なのでしょう。
「年」、「ね」の変体仮名で「種」(多年)の振り仮名で小さく見にくいですが、◯のような感じにくずされます。
三行目真ん中あたり、「真楮苧能ごとく」の「能」は変体仮名。その下の「能出来」は(よく)で本来の意味。
2018年8月29日水曜日
紙漉重宝記 その19
P.8 l.7〜最後まで
(読み)
右 真楮苧 一説 つう可けともいふ 紙漉 立 尓至 てよろし
みぎまこうぞいっせつつうかけともいう。可ミ春き多つるにい多つてよろし。
種 少 く常 体 可け目一 〆 目
多年春く奈くつ年ていかけめいっかんめ
尓付 代 銀 三 匁 弐分ぐらい
につきだいぎんさんもんめにぶぐらい。
又 同 じ種 類 尓かぢ苧あり 紙 尓漉 立 至 てよろし个れども
またおなじし由るいにかぢそあり。可ミに春き多ていたってよろしけれども
紙 の出来立 少 き
可ミのでき多ち春く奈き。
(大意)
今まで述べてきた真楮苧(まこうぞ)は一説に「つうかけ」ともいわれる。紙漉きに大変適している。株分けが少なく、通常の売買ではかり一貫目で料金は三匁二分ぐらいする。
また同じ種類で「かじそ」がある。紙漉きに適してはいるが、紙になる量が少ない。
(補足)
「分」、P7の1行目に二箇所でているものと比べてください。
P7のは小さな「ノ」を3つ縦につなげてくずし、その右側に「ヽ」を打ってます。
P8では『小さな「ノ」を3つ縦につなげてくずし』たところを縦棒「|」にして、右側に点です。
金銭で使われることが多いくずし字のようです。
「常」が独特のくずし字になってます。どんなにくずしても、「冖」の上の「小」はたいてい認められるようなので、これをめどに覚えます。
「小」をなくすと、「道」のくずし字にそっくりです。
「け」のくずし字が「々」のようにみえますが「个」という字です。
おばけのからかさ小僧っていいましたっけ、あれです。
ここでは1〆目(1貫目)で3匁2分となってますが、このあとより詳しく料金について説明されます。
ちなみに1貫=3.75kg です。
三匁弐分は現在ではどれくらいの価値があったのでしょうか。
2018年8月28日火曜日
紙漉重宝記 その18
P.8 l.4〜l.6まで
(読み)
十 月 尓ハ切 捨 るなり 此 株 可゛翌 年 五本 程 づゝ増 木
じゅうがつにはきり春つるなり。この可ぶが よく袮んごほん本どずつざう本゛く
出来る故 年 ゝ 五王り
できるゆへ袮んねんごわり
まし尓繁 茂し後 〃 ハ長 一 間 或 ハ一 間 半 出来至 て宜 き年 ハ
ましに者んもしのちのちは多けいっ个んあるひはいっ个ん者んできい多つてよろしきとしは
二間 ものびると
に个んものびると
志るべし よ川天国 益 の一 つと成 なり
しるべし。よつてこくゑきのひとつとなるなり
(大意)
十月には切り捨てなさい。この株から翌年には5本くらいずつ枝が出てくるからである。
毎年5割増しで枝がでて繁り、その後は高さが1間あるいは1間半になり、育ちが良い時は
2間にもなることを知っておくとよい。したがって国の利益のひとつとなるのである。
(補足)
ここでも漢数字が出てきます。やはり「五」が最重要です。
「又」と少し似てますが、「又」のくずし字は、左下の筆を回すところがそのまま右回りです。
「五」は、左下で少し右に進みそこから左回りに斜め上へまわしてから、クルッと右回りに右下にそのまま流れます。あくまでも私流の覚え方。
「づゝ」は「ゝ」が「く」になってますが、二文字を一文字としてまとめて形として覚えます。
「年ゝ」(ねんねん)はP7では「年ゝ゛」(としどし)としてでてました。
「折々」「後々」などおなじ表現がたくさんあります。
P6真楮苧之圖で文章の内容を確かめてみてください。
地面に近い所で小枝が出ています。
2018年8月27日月曜日
紙漉重宝記 その17
P.8 l.1〜l.3まで
(読み)
谷 間 堤 奈どに生 育 春といへども新 田 尓過 る事 奈し
多尓あひつゝミなどにせいいくすといえども志んでんに春ぐることなし。
折 〃 糞 を入 遍゛し 夏 盤
をりをりこえをいれるべ し。奈つは
日やけをいとふ也 雨 過 る年 ハのび過 天夏 秋 の風 のために傷 む也
ひやけをいとうなり。あめ春ぐるとしはのび春ぎて奈つあきのかぜのためにい多むなり。
其 上 猪鹿の
そのうえしゝの
多めに喰 連奴やう二用 意春べし 至 て好 喰 ふもの也
ためにくらハれぬようによういすべし。い多ってこのミくらうものなり。
者じめ芽ぐミせしも例 年
はじめめぐみせしも連い袮ん
(大意)
谷あい、堤などに生育するが、新田の周りほど適したところはない。ときどき肥料を施すこと。
夏は日差しから守り、多雨の年は丈が伸びすぎ夏・秋の風で枝が傷む。さらに猪や鹿が大変に好んで食べるので注意をすること。芽が出たものであっても毎年、
(補足)
「過」、「辶」はくずすと底辺に横棒だけのようになることが多いです。「咼」はくずすと「3」のような「る」のような、形になってます。
「折〃」、くずし字をこのまま形で覚えてしまいます。
「夏」、「其」+「久」のようにくずしてますが、
「夏秋」では「友」に似てくずしています。
くずし字が一通りだけに限られていることはないようです。
「年」はほとんどくずし字になってませんが、くずし字の方は頻出です。丸く円のような図形に近い。
「猪鹿」で「しし」と読ませてます。
最近、日本全国で猪や熊、猿、その他の動物の被害をニュースで頻繁に見かけます。
江戸時代の文献を読むと、当時も大変な苦労をしていました。
作物ができる時期になると農民総出で夜間など音をたて、大声をだして獣が近づかないよう
夜を徹している様が記されてます。
現代ほど作物の種類も豊富ではなく、被害にあうことは直接生死に係る一大事でした。
2018年8月26日日曜日
紙漉重宝記 その16
P.7 l.7〜最後まで
(読み)
五年 目より苅 取 紙 漉 尓用 由 古 き畑 尓植 る尓出来よろし可ら須゛新 田 の
ごねんめより可りとり可ミすきにもちゆ。ふるき者多けにう由るにできよろしからず。志んでんの
岸 奈どに植 る二よし 尤 塩 気を嫌 ふ とうきびを嫌 ふ
きし奈どにう由るによし。もっとも、志本けをきらう。とうきびをきらう。
こへ少 しき時 ハ枯るゝ
こえ春こしきときは可るる。
過 るも悪 し 他の作 物 尓糞 をし 其 餘情 の自然 尓潤 ふを好 む 山 ぎし
春ぐるもあしし。多のさくもつにこえをし、そのよせいのしぜんにうる本うをこのむ。やまぎし
(大意)
五年目より刈り取り紙漉きに用いる。古い畑に植えたものは出来がよくない。新田の周りの空き地などに植えるとよい。しかし、塩気を嫌うし、とうもろこしのそばもよくない。
肥料が少ないと枯れ、多すぎてもいけない。他の作物の肥料が自然にしみだしてくるくらいがよい。
山岸や
(補足)
「用」はもう何度か出てきました。くずし字は左側の「ノ」がありません。
「取」、「耳」が「夕」の上に点がついているようなくずし字です。
「畑」の「火」、これ慣れないとおやっとおもってしまう。「火」の一画目の点が大きいのです。
「尤」は頻出。最後の行「自然尓潤ふ」の「然」の右上部と同じで、くずし字も同じ。
漢字は部品で成り立ってますので、同じ部品はだいたい同じ様にくずされます。
しかし違うことも多く、これがやっかい。
「作物」の「乍」、既出ですが大切なくずし字です。
これで7ページ目が終わりました。
声を出し、通しで読みます。
ゆっくり、またはやや早口で、口角や舌の動きが古い言い回しに慣れてきます。
2018年8月25日土曜日
紙漉重宝記 その15
P.7 l.4〜l.6まで
(読み)
三 年 目二四 尺 四五寸 と成 四年 目二六 尺 出来 多ちよ記ハ
さんねんめによんしゃくしごすんとなり、よねんめにろくしゃくでき、たちよきは
九 尺 ものびる
きゅうしゃくものびる
なり 餘はこれ尓天考 知類べし 勿論 切 置 し一 株 尓
なり。よはこれにて可ん可゛へしるべし。もちろんきり遠きしひと可ぶに
年 ゝ゛五本 程 つ゛ゝ生へ
としどしごほんほどづ つ者え
益春由へ 五年を 歴連バ枝 ゝ 繁 茂して春さましくなると志るべし
ますゆえ、ごねんをふればゑ多゛えだ者んもしてすさましくなるとしるべし。
(大意)
三年目に四尺四、五寸となり、四年めに六尺になり、勢いのあるものは
九尺にも伸びる。他の地域ではこれを参考にするとよい。勿論、切ったひと株から
毎年五本ほどづつ生えてくるわけであるから、五年も経てば枝々はうっそうと繁茂することを
承知しておくこと。
(補足)
今回は漢数字に注意します。ここででてきているのは「一」から「十」まですべてそろっています。ただすべて一二三四五六七八九十という漢数字で、壱や弐はでてきてません。
これらはあとにまわすことにして、一番形を覚えなければならないのが「五」です。
何度も指でなぞって印象づけます。
筆を左下の向きを変えるところで、クルッと左回りに左斜め上へ返すところを要点にして
おぼえました。
ひらがなの「し」が左側に大きくはみだしす字体もあれば、文章の中央に紐のような字体のもあります。特に何か規則があるというわけではなさそうです。
五行目「五本程づつ」の「程」も頻出。昔の文書では複数になると、その数字が確かでも習慣としてこのようにつけるようです。「五軒程」「五艘程」など。
2018年8月24日金曜日
紙漉重宝記 その14
P.7 l.1〜l.3まで
(読み)
是 を植 付 るにハ古 き根を分け尺 を二寸 七 八 分二切
これをうへつけるにはふるき袮を王け多けをにすんしちはちぶにきり、
根もと二寸 三 四分土中 へ埋ミ
袮もとにすんさんしぶどちうへうづみ
置也 西 国 尓てハ 九十 月 尓これを植 置 なり
をくなり。さいごくにては、くじゅうがつにこれをうへをくなり。
上 方 尓天ハ 正 月 尓植 る 尤 土地
可ミ可゛多にては、しょうがつにうゆる。もっとも、とち
の寒 暖 尓よりて違 うなるべし 植 付 し年 一 尺 本どのびる
の可ん多゛んによりて多可゛うなるべし。うへつけしとし、いっしゃくほどのびる。
二年 目尓二三 尺
にねんめににさんしゃく
と成
となり、
(大意)
こうぞを植え付けるには古い株を分けて、高さ(幹の長さ)を二寸七、八分に切り、
根元は二寸三、四分、土の中へ埋めておく。西国では九、十月に楮苧を植え付ける。
上方では正月に植える。もっとも、土地の寒暖によって違ってくる。
植え付けた年は一尺ほど伸びる。二年目に二、三尺となり、
(補足)
植=「木」+「直」です。また、置=「四」+「直」です。
なので、「直」のくずし字が似たような字になっています。この「直」のくずし字は頻出で、解読してゆくときの大きな手がかりになります。「所」のくずし字と似ているときがあり要注意です。
「植」の旁「直」が2通りのくずし字で、記されてます。
2行目「植置くなり」の「植」の「直」が「求」+「一」のようになってます。
同じ文面の中で同じ字を異なったくずし字で記すことがよくあります。
書き手の気分次第というところなんでしょうか。
「寒」はこれだけだと読めません。「寒暖」なら「暖」はなんとかなりますので、その上にくる漢字と文章の流れで「寒」?と予想がつきます。
その下の「違ふなるべし」、「韋」が「麦」のようにみえます。
一行目「分」のくずし字は頻出です。「彡」の右上に点「`」をうったような字です。
ここではこうぞの園芸書的な趣になっています。
江戸時代も此の頃になると、農作物の育て方や肥料について、さらに農機具の詳しい説明や使い方、作り方などの本が出版されるようになります。
それらの農作業機具の一部はつい最近まで、または今も使われているものがあります。
手紙漉きの道具類は、細かい改良はあるものの、基本的には当時となんら変わっていません。
2018年8月23日木曜日
紙漉重宝記 その13
P.6 全部
(読み)
真楮 苧之図
ま可うそのづ
可ミくさ
かみくさ
(大意)
図そのままです。
(補足)
「苧」の漢字が原本では「艹」+「宇」となってます。「丁」、「干」の違いです。
「図」が楷書で「圖」ときれいに記されてます。
現代では「づ」ではなく「ず」です。恥ずかしながらよく間違えます。
このあとに楮の育て方、手入れの方法が詳しく説明されますが、
地面近くで、主幹が切られ脇枝を育てているのが意識的に描かれています。
「楮」という漢字が、ケンペル(Kaempher)が1702年に自費出版した「廻国奇観」の中に出てきます。紙の作り方についてとても詳しく説明しています。
オランダのレンブラントが銅版画で日本の和紙を使っていました。
2018年8月22日水曜日
紙漉重宝記 その12
P.5 人麻呂の像
(読み)
人 麻呂の像
ひとまろのぞう
石 州 美濃郡 高 角 里 二鎮 座
せきしゅうみのごおりたかつのさとにちんざ
かもやま尓
かもやまに
い王ね志満个る
いわねしまける
我 を可も
われをかも
知ら須といも可
しらすといもか
待つゝ
まつつ
あらなん
あらなん
(大意)
鴨山の岩を枕に横になり、死をむかえている自分のことを
そんなことは知らずに、妻はわたしのことを待っているのだろうな
(補足)
美濃郡高角は現在の島根県益田市高津町で柿本神社があります。
歌の出典は「万葉集」巻2 [題詞]柿本朝臣人麻呂在石見國臨死時自傷作歌一首(223番)。
歌意は[題詞]にあるとおりで、
残念ながら歌心のないわたしには、こんな感じにしか表現できません。
見出しが「人麻呂」になってます。「麿」ではないんですね。
「鎮」の金偏はこんな感じになってます。「鎮」これ一文字でてきたら読めませんけど
単語になって前後の文章を頼りに判別して解読するというのは重要な方法。
塗り絵をしたくなるような絵です。
2018年8月21日火曜日
紙漉重宝記 その11
P.4 紙漉重宝記譜言 l.6〜最後まで
(読み)
間 尓遺跡 せし事 疑 ひなし 隣 郡 濱 田 御領 土州 豫州 大
あい多゛にいせきせしことう多いなし。里んぐん者ま多゛ご連うとしう・よしう・於本
州等 各 々彼 地より伝 ふ 訳 天正 一 位柿 本 人 麿 明 神 是 を
春とうをのゝ可のちよりつ多う。王けてしょういちいかきのもとのひとまろみょうじんこれを
製 春る御 祖神 多れバ これを仰 ぎ尊 敬 春べし 世 人 其 神 慮
せいするをんそしんたれば、これをあをぎそんきやうすべし。よのひとそのしん里よ
を知らざ類を歎 きかくいふのミ
をしらざるを奈げきかくいうのみ
(大意)
地域で漉かれ始めたことは疑いがない。隣郡の濱田御領や土佐・伊予・大洲などは、
先程の地域から伝わったのである。そういったなかでも特に正一位柿本人麿は紙漉きの
御祖神であるので、これを仰ぎ尊敬しなければならない。世間一般の人びとがその神のありがたい配慮を知らないことを歎き、ここに記している次第である。
(補足)
各々(をのをの)ですが、縦書きの繰り返し記号「く」の長いフォントがありません。
また原本では「〃」のようなフォントも「々」を代用しています。
柿本人麻呂を広辞苑で調べるとこのようにでてきます。この原本では「麻呂」が「麿」となっています。てっきり二文字かとおもっていたら一文字でした。逆に古文書では二文字のような漢字が一文字のようなことがよくあります。
遺跡、疑、伝、正、尊敬、歎などのくずし字はじっとながめているとなんとなく元の字が彷彿としてきますが、神、慮、類はどうでしょうか。学校で習った書き順などてんでに無視してることが多いのがくずし字と勝手に解釈しています。
形として覚えるしかありません。しかしながら各人が各様にくずすのでなかなか読めませんが、
これって現代の手書きの文字でも同じことです。
扨(さて)、この頁の最後でもご祖神に感謝し尊敬しろ、庶民のそれらの心なきことがなんとも嘆かわしいと訴えています。
かっての和紙生産地は、高齢の方が数名やっとのことで作られているようです。
弟子をとることもできず、このままでは和紙の伝統が絶えてしまいます。
国や公共団体は無形文化財などの指定はしますが、風前の灯に火をおこそうとはしません。
「予盤紙の問丸尓して文字尓拙く後笑の必然なること越志類されども」そうしないためにも
なにかできることから行動にうつしてゆかねばとおもっています。
2018年8月20日月曜日
紙漉重宝記 その10
P.4 紙漉重宝記譜言 l.3〜l.5まで
(読み)
御国 の古゛と記紙 の
みくにのご ときかみの
生 春゛流事 異国 尓奈し これを扱 ふ買 人 是 等の事 をさとり必
しやうず ることいこくになし。これをあつ可うあきうど、これらのことをさとり可奈ら須゛
於ろそ可に春類事 を傷 むべし 此 紙 石 州 鹿 足 郡 美濃郡 の
おろそかにすることをい多むべし。このかみせきしう可のあしご本り・ミのこ本りの
(大意)
我が国のような紙の製品を作るところは異国にない。この製品を扱う商人たちはこのことを
承知し、決して粗雑にするようなことがないよう反省するべきである。この紙が石州鹿足郡や美濃郡の
(補足)
「き」には「記」「起」「喜」「畿」などがありますが、「記」と「起」のくずし字はよく似ています。偏の「言」と「走」のちょっとした違いだけです。ここでは「起」としました。
「国」のくずし字はいくつかあります。ここでは「囗(くにがまえ)」の中が「氷」のようになってます。
「異」は江戸後期に度々現れた「異国船」という単語ででてきます。
そのときはたいてい、上部「己」+ 下部「大」の異体字が使われることが多いです。
異体字は石州の「州」にも使われています。上部「刀」+「渋いの旁の下半分の4つの点」です。
「刀」が3つの異体字もあります。
ここでも、著者は我が国だけでしか生産されない上質の紙を粗末に扱うな、と訴えています。
2018年8月19日日曜日
紙漉重宝記 その9
P.4 紙漉重宝記譜言 最初〜l.3まで
(読み)
是 を漉 しめ彼地へ 渡 春により大 に悦 び是 を賞 せし事 書 に伝 へて
これを春可しめ可のちへ和多すによりおおいによろこびこれをしやうせしことしよにつ多へて
詳 なり 唐 土 の製 ハ今 の唐 紙の類 のミなり 此 紙 書 画 の類 乃
つまびら可なり。もろこしのせいはいまの多うしのたぐひのみなり。このかみしよぐ和のるいの
外 用 由事 稀 なり 実 者下品 を謂 つ偏゛し
本可もちゆことまれなり。じつはげひんをいひつべ し。
(大意)
この漉かした製品を中国へ渡したところ、大いに悦び賞賛したことが詳しく書物に記され伝わっている。中国製の紙は唐紙のような種類のみである。この紙は書画などの他には用いられることは少ない。実際のところこの紙は下級品というべきものである。
(補足)
「悦ぶ」の「忄」のくずし字が「リ」のようにも「収の偏」にも見えます。
偏に特徴がある馬・足・言・类などならよいのですが、
亻・彳・忄・氵・冫などなど、くずすとなんとなく似てしまうものが多数あり、判読が難しい。
「類」=「类」+「頁」、「頁」は「ミ」をくずした感じ。「类」はこんな感じなんですね。
「す」は「春」「寿」が似てますが、ここででてくる「す」は「春」のほうだとおもいます。
くずし字は、上半分が「十」下半分が「て」または「と」みたいな感じでしょうか。
「は」の「者」のくずし字はこれまたいろいろなのですが、
ここででてくるのは、上半分「す」下半分「マ」みたいな感じになっています。
「用」のくずし字は頻出です。左側の「ノ」がなくなったような形です。
「下品」は「品物が良くない」という意味、現代の下品の意ではありません。
本日はここまで
2018年8月18日土曜日
紙漉重宝記 その8
P.3 紙漉重宝記譜言 l.6〜最後まで
(読み)
されハ周防 の山口 大 内氏 代々相 伝 し天
されば春ハうのやまぐち於本ちうじ、よゝさうでんして
和漢 通 路の名家多り よ川天本朝 の紙 上 品 なる事 を志川帝
王可んつうろのめい可多り。よって本てうの可ミじょうひんなることをしって、
唐 土 より是 を乞ふ 大 内 氏これを許諾 し石 長 坊 の三 州 丹於しへ
もろこしよりこれをこう。おおうちしこれをきよ多゛くしせきちやうハうのさん志うにおしえ
(大意)
さて周防の国、山口の大内氏は日本と中国の交易を代々取り仕切ってきった名門である。
交易により我が国の紙の品質が優れていることを知って、中国はこの紙を求めてきた。
大内氏はこの求めに応じて、石見・長門・周防の三州へ教え、
(補足)
発音です。
周防(すはう) → すおう
大内(おほち) → おおうち or おーうち
相伝(さうでん) → そうでん
許諾(きよだく) → きょだく
石長防(せきちやうはう) → せきちょうぼう
「つ」の「川」が二度でてきます。
よ川天 → よって
志川帝 → しって
「川」はくずしてもわかりやすので間違えることはあまりないはずです。
「品」のくずし字「尓の右側に点」は頻出ですので、しっかり覚える。
「州」のくずし字は何通りかあります。ここでは「刀」+「れ」みたいな形です。
2018年8月17日金曜日
紙漉重宝記 その7
P.3 紙漉重宝記譜言 l.3〜l.6まで
(読み)
経文 の裏 を用 由といふ 其 後 紙 を製 春流といへども 今 乃
きやうもんのうらをもちゆという。そのゝち可ミをせいするといえども、いまの
布 目 土 手本 能古゛とし 然 る越慶雲 和銅の 頃 柿 本 人 麻呂石見 の
ぬのめ・つちて本んのご とし。し可るをけいうん・王どうのころ可きのもとのひとまろい王ミの
国 の守 護多りしと記 民 をして此 製 を教 へ漉 しむるより 此 職 を
く尓のし由ごたりしとき、多ミをしてこのせいををしへ春可しむるより、このしよくを
こ能地丹伝 ふ事 久し
このちにつ多うことひさし。
(大意)
経文の裏を用いたという。其後、紙を漉くようにはなったのだが、今の
布目の跡がついたものや、土が混じった手本紙のよう(に粗雑なもの)だった。
しかし慶雲・和銅の頃、柿本人麻呂が(石見)国の守護であったとき、人びとにこの紙の
製法を教え、漉かせたことにより、この職業がこの地に伝わり長い歴史をもつ。
(補足)
その5のところで「る」を合字としました。ここでも5行目に「漉しむるより」の「る」の
上部がやはり欠けています。しかし、このような「る」のくずし字もあるので、合字ではないかもしれません。「ろ」も上部が欠けているときがあります。
石見の国は現在の島根県です。もちろん今でも石州半紙として有名で和紙を生産しています。
たった7回目で、変体仮名はだいたいでそろった感があります。
変体仮名の歴史を調べてみると、明治新政府は試行錯誤をしながら大変な苦労をしています。
さらに言文一致の表記についても一定の記法を確定しなければならず、長い期間が必要でした。
江戸時代後期の頃、女子や庶民が読むものは、簡単な漢字と変体仮名のものがほとんどでした。
維新後、学校整備や教材の作成、教師の育成などしなければならないことは山程あり、ひとつずつ片付けていったとしても、それがうまくいくとも限らず、その混乱ぶりはまさに「難想像」の状況でした。しかし「教育は国家百年の大計」の志だけは失いませんでした。
本日はここまで
2018年8月16日木曜日
紙漉重宝記 その6
P.3 紙漉重宝記譜言 最初〜l.2まで
(読み)
紙 漉 重 宝 記譜言
可ミ春起てう本うきふ个゛(げ)ん
天 竺 尓天ハ古 しへ経文 を木の葉にかく 梵 語越貝 多羅葉 と唱ふ
てんぢく尓てハい尓しへきやうもんをこの者にかく。本゛んご越者゛いたらえうをと奈う。
唐 土 も昔 しハ木の葉削 竹 丹書 せし事 を伝ふ 本 朝 も大 化 白 雉 の頃
もろこしもむ可しハこの者さくちく丹しよせしことをつ多う。本んてうも多いく王者くをうのころ
(大意)
紙漉きの系図
天竺(インド)では、古代に経文を木の葉に書いた。この葉のことを梵語で貝多羅葉と呼んだ。
唐(中国)も昔は木の葉や竹を削ったものに書いたと伝わっている。我が国でも大化・白雉(はくち)の頃、
(補足)
「葉」のくずし字、「義」の上の部分 + 「ふ」、覚えるしかありません。
唐土の「土」が、「士」になってます。小学校のときに下の部分が長いか短いかでバツになった人は大勢いるとおもいます。木版刷や手書きの古文書の文献はそんな細かいことにこだわりません。
カッコイイ感じかどうかだけ、みえにこだわります。
「伝」のくずし字は人偏はわかりますが旁が読めません。次に出てきたときも自身があまりないです。
「朝」はなんとなくわかります。旁の「月」は頻出でいくつかのくずし方があるので、しっかり印象づけます。
2018年8月15日水曜日
紙漉重宝記 その5
P.2 l.5から最後まで
(読み)
予盤
よは
紙 の問 丸 尓して文 字尓拙 く後 笑 の必 然 なること越
可ミのとひまるにしてもんじにつ多奈く可うせうのひつぜんなることを
志類されども此の書 文 を錺 筆 越巧 尓春る能意にあら
しるされどもこのしよぶんを可ざりふでを多くミにするのいにあら
ざれバ友 人 の毛とめに應 じ其 趣 を記し 天此の序
ざればゆうじんのもとめにおうじそのおもむきを志るしてこのじよ
と成春事 志可り
となすことしかり
(大意)
私は
紙の問屋であり、文章は拙く後々の人びとに必ずや笑われるであろうことは
承知しているが、此の一冊はその文章を巧みに書き飾る考えはなく、
友人の求めに応じたものであることをことわり記し、序文とするものである。
(補足)
「は」は「者」が多いですが、「盤」もよく使います。
「越(を)」も頻出ですので、くずし字はしっかりと形からおぼえます。
「る」は「流」「類」ですが、「流」のほうは形が把握しやすく、「類」は頁(おおがい)のくずし字を頼りにするとよいかもしれません。
「錺」(かざり)という漢字は普段は使いません。読めませんでした。
「も」は読みにくい。
「趣」(おもむき)は頻出します。くずし字はいろいろな形があり、ここの字は楷書に近い。
「走」+「取」 =「趣」 なので、「取」のくずし字があるなとおもったら、偏が「走」に見えなくても、大抵は「趣」です。文章の流れからそれでおかしくなかったら、確定です。
「然」のくずし字は頻出です。「然に」(しかるに)などのようによくでてきます。
「て」は「天」もありますが、P.1 一行目では「帝」でした。
「天」のくずし字は「天」の書き順どおりになっています。
発音です。
後笑(かうせう) → こうしょう
本日はここまで
2018年8月14日火曜日
紙漉重宝記 その4
P.2 l.3からl.6まで
(読み)
予これを家
よこれをいへ
童 丹教 諭せんと其 始終 を画 尓顕 ハし此の一 書 を
和らハにきやうゆせんとそのし志゛うをぐハにあらハしこのいつしよを
奈春 友 人 何 可゛し是を 梓 尓ちり者゛めん事 を乞ふ
なす。由(ゆ)うじん奈尓が しこれをあづさにちりば めんことをこふ。
(大意)
わたしはこのことを幼い者に教え諭そうと、その始終を絵に描きおこし、此の一冊の
本とした。ある友人がその本をみて出版してはどうかとすすめてくれた。
(補足)
「予」の漢字が中心線からはずれて右によってます。5行目の下の「予」も同様です。
どうしてなのでしょうか。
古来、手紙や口上書など文献では、平出(へいしゅつ)、闕字(けつじ)などの作法がありました。
高貴な人や称号、お役人やお役所などが文中に出てくるとき、行を改めて前の行と同じ高さにその文字を書いたり、一文字または二文字空白を空けたりすることです。
この「予」は自分を脇によせて左側に空白を空けています。
道ですれ違うときに脇による感じと似ているような気がします。
みずから一段低くあるいは脇に身を寄せ、相手に対する謙譲のあらわれでしょうか。
「尓」がアルファベットの筆記体の小文字の「y」に似ています。下側がクルッとまわっています。
二行目の下の方、にその「y」に似た字がありますが、これは「又」でした。
振り仮名がないと「に」と読んでしまいそうです。
「顕」のくずし字は振り仮名があっても?。じっと見て辞書で調べてわかりました。
旁の「頁」(おおがい)はこれが典型的なくずし方です。
「是」のくずし字もこれが代表的なものです。P.1の五行目にも「是」がありますが、
こちらは楷書です。変体仮名と正体仮名の使い分けと同じく、くずし字と楷書の使い分けも
どうなっているのかわかりません。
「梓にちりばめん事」、なんて風流な表現なんでしょうか。
木版刷の材木に「あずさ」という種類の木をつかったからだそうです。
一昔前の新聞なら「鉛にちりばめん事」となりそうですが、なんとも趣に欠けます。
発音です。
労苦(らうく) → ろうく
冥慮(めいりよ) → めいりょ
教諭(きやうゆ) → きょうゆ
始終(しじう) → しじゅう
画(ぐは) → が
本日はここまで。
2018年8月13日月曜日
紙漉重宝記 その3
P.2 l.1〜l.3まで
(読み)
きそふといへども其 本 末 を弁 へ春゛其 労 苦越志らざれ
きそうといへどもその本(ほ)んまつを和(わ)きまへば そのらうくをしらざれ
者゛猥 り丹費失 春る事 塵 挨 丹等しき をい多ミ又 ハ
ば ミ多゛りにひしつすることぢん可゛いにひとしきをいたみま多ハ
此 業 の祖神 の冥 慮 を於それざらんや
この王(わ)ざのそじんのめう里よをおそれざらんや。
(大意)
大勢いるけれども、その(紙漉きの)楮を育て製品になるまでを理解し、その苦労を知らないから
紙を塵芥のように目を背けたくなるような消費のしかたは心が傷つけられ、
紙漉き祖神の深いおぼしめしにたいして申し訳なくおもうのである。
(補足)
この頁は3行ずつにします。
読みのところ、原文になるべく対応するように下の行にひらがなをあてはめてますが、
ずれてしまうところもあります。お許しください。
17世紀に来た外国人は早くから日本の和紙の優秀性に気づいていました。
その当時からまた鎖国時代にも大量に輸出され、莫大な利益をあげていたそうです。
しかしその製品にするまでの苦労は並大抵のものではありませんでした。
筆者は此の一冊の中で何度もそのことを強調しつづけます。
2018年8月12日日曜日
紙漉重宝記 その2
P.1 l.5途中〜最後まで。
(読み)
是を 以 帝耕作の 餘力を 考へ 女子もよ 具
こゝをもって可うさくのよ里よくを可ん可゛へ尓よしもよく
これを製し 国 益 と春類紙の 品 多 し 爰 尓 半紙
これをせいしこく恵(え)起(き)とする可ミのし奈於(お)本(ほ)し。こゝにハ者(は)んし
漉 立の 阿らましを記し 生 業 のたより需ん 尓盤枝折
春起多てのあらましを志るしせい个゛(げ)ふのたよりも止めんにはしをり
とも奈らん事 を袮可゛ふ 且 紙 を交 易 春類の職 都會 尓
ともならんことをねが ふ。可つ可ミを可う恵きするのしよくとく王(わ)いに
(大意)
そこで農作業の余力で、女性も上手に紙を漉き、国の利益となっている紙の種類は多いのである。
この書では、半紙の漉き方の概略を記し、手に職を得ようとするものの道標となることを願う。
また、紙を売買する職業の人は都会に、
(補足)
実際の発音についてです。当時というかつい最近戦前頃までは実際の発音とひらがなの記し方が異なっていました。
小人(せうじん) → しょうじん
生業(せいげふ) → せいぎょう
耕作(かうさく) → こうさく
交易(かうえき) → こうえき
都会(とくわい) → とかい
などです。
「枝折」という言葉、万葉の歌の中にもでてくる古い言葉とは知りませんでした。
本の「栞」はここから派生したようです。(広辞苑より)
耕作の作のつくり「乍」のくずし字が特徴的です。
漢字のくずし字は書き順から想像しても変なことが多く、まるごと形として印象づけ慣れ覚えるしかないようです。
乍(ながら)は古文書では頻繁に出てくる漢字で、
乍恐奉願上候(おそれながらねがいあげたてまつりそうろう)など見出しとして頻出します。
変体仮名の元の漢字はひとつだけではなく、「あ」から「ん」までそれぞれ数種類ずつの漢字があてはめられています。
ここでは、「は」が「者」「盤」。「わ」が「和」「王」。「る」が「流」「類」などです。
昔の人がどうやって使い分けていたかは不明で、そのときの気分次第というかおもいつきの感じがします。当て字もおおく難儀します。
四行目に「をまつるや久し」とあります。
この「つる」がくっついています。くっついてしまって一つの文字(合字)になっている「与(より)」(似ている漢字を選びました)のようなものもあります。
一日4行程度でゆくつもりでしたが、なんか多い感じがするので減らすかもしれません。本日はここまで。
2018年8月11日土曜日
紙漉重宝記 その1
このブログ「江戸期頃文献読楽」、本日2018.08.11に開設しました。
まず一冊目はこれを読楽します。
寛政十年(1798年)
紙漉重宝記
国東治兵衛 著
P.1 自序
P.1 見出しとl.1〜l.5途中まで。
(読み)
自序
じじょ
小人 閑居し帝 不善を 奈春の語 宜 な流哉 女子乃 いとま
せうじん可(か)んきよしてふぜんをなすのことバ、むべなるかな。尓(に)よしのいとま
あらん事 禍を まねくの 門 窮国の 表示 なるべし
あらんこと、和(わ)ざハひをま袮(ね)くのもん、きうこくのひやうじなるべし
爰 丹麻苧 楮苧を 青幣 白幣と 唱へ 是を以 神祈
こゝにあさを可(か)うぞをあを尓(に)ぎてしろにぎてとと奈(な)へ、これをもってじんき
をまつるや久し されバ紙 漉 業 能賤し 可らざる事 かく
をまつるやひさし。されば可(か)ミ春き王ざのいやしからざることかく
の古゛とし
のご とし。
(大意)
「小人閑居して不善をなす」という言葉は、そのとおりでる。女子に暇があると
わざわいを招きやすく、国が困窮することの表れになるであろう。
古来より麻糸や楮を編み、青弊・白弊と呼んだもので、神々を祀ったものである。
なので紙漉きの仕事は賤しくもなんともないのである。
(補足)
変体仮名の練習によい一冊です。
画像の変体仮名は(読み)で、もとの漢字(字源)にしました。
ふりがなの中にある変体仮名も同様です。
「う」「か」「ら」の変体仮名がにてます。
「ら」は文章の流れでそれほど間違えないのですが、「か」を「う」と読みそうになると、
おっとこれは「か」だぞと、何度も頭にたたき込んでいます。
それでも間違えてしまうのですが・・・。
まず一冊目はこれを読楽します。
寛政十年(1798年)
紙漉重宝記
国東治兵衛 著
P.1 自序
P.1 見出しとl.1〜l.5途中まで。
(読み)
自序
じじょ
小人 閑居し帝 不善を 奈春の語 宜 な流哉 女子乃 いとま
せうじん可(か)んきよしてふぜんをなすのことバ、むべなるかな。尓(に)よしのいとま
あらん事 禍を まねくの 門 窮国の 表示 なるべし
あらんこと、和(わ)ざハひをま袮(ね)くのもん、きうこくのひやうじなるべし
爰 丹麻苧 楮苧を 青幣 白幣と 唱へ 是を以 神祈
こゝにあさを可(か)うぞをあを尓(に)ぎてしろにぎてとと奈(な)へ、これをもってじんき
をまつるや久し されバ紙 漉 業 能賤し 可らざる事 かく
をまつるやひさし。されば可(か)ミ春き王ざのいやしからざることかく
の古゛とし
のご とし。
(大意)
「小人閑居して不善をなす」という言葉は、そのとおりでる。女子に暇があると
わざわいを招きやすく、国が困窮することの表れになるであろう。
古来より麻糸や楮を編み、青弊・白弊と呼んだもので、神々を祀ったものである。
なので紙漉きの仕事は賤しくもなんともないのである。
(補足)
変体仮名の練習によい一冊です。
画像の変体仮名は(読み)で、もとの漢字(字源)にしました。
ふりがなの中にある変体仮名も同様です。
「う」「か」「ら」の変体仮名がにてます。
「ら」は文章の流れでそれほど間違えないのですが、「か」を「う」と読みそうになると、
おっとこれは「か」だぞと、何度も頭にたたき込んでいます。
それでも間違えてしまうのですが・・・。
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