2024年10月28日月曜日

時代世話二挺鼓 その13

P7 国立国会図書館蔵

(読み)

和多くし可゛

わたくしが


里やう里ハ

りょうりは


於まへの

おまえの


やう尓

ように


でバ本う

でばぼう


て うハ

ちょうは


いりませぬ

いりませぬ


でばと

でばと


いふものハ

いうものは


者゛くち者゛の

ば くちば の


个んく王尓

けんか に


ふり

ふり


まハすものさ

まわすものさ


大 根ハ里 う\/

だいこはりゅうりゅう


志あげを

しあげを


ごろうじ路

ごろうじろ

(大意)

秀郷「わたくしの料理はお前様のように、出刃包丁はいりませぬ。出刃というものは、博打場の喧嘩に振りまわすものさ。大根(だいこ)はりゅうりゅう仕上げを御覧じろ」

(補足)

「大根〜」、「細工は流流仕上げを御覧じろ」の洒落。『十分工夫をこらしてあるから,心配せずに仕上がりを待って,それから批判してくれ。細工は流々』

 将門の使う出刃は綴じのところにかくれてしまってます。

大根のなます刻むなら菜切り包丁でよいのに、わざわざ出刃を使っているのは、「出羽守」つまり水野出羽守忠友を暗示するためだろうと、ありました。

 また「博打場の喧嘩」とは、田沼失脚後の松平定信の老中就任に対する反対運動のゴタゴタをにおわせているのではとありました。

 

2024年10月27日日曜日

時代世話二挺鼓 その12

P6P7 国立国会図書館蔵

(読み)

なんときつい

なんときつい


もの可これでハ

ものかこれでは


仕出しやの

しだしやの


里やうり

りょうり


者゛ん尓

ば んに


い川ても

いっても


よ可らふ

よかろう

P7

そのとき

そのとき


ひでさと

ひでさと


すこしも

すこしも


さ王可゛須

さわが ず


く王い中

か いちゅう


より

より


神 明 まへの

しんめいまえの


なこや

なごや


て

で


可川多

かった


者や

はや


王ざ

わざ


八 人 まへを

はちにんまえを


出し

だし


さんじ尓

ざんじに


八 人 まへの

はちにんまえの


なますを

なますを


こしらへ

こしらえ


个れハ

ければ


将 門 よりハ

まさかどよりは


一 人 まへ

いちにんまえ


於ゝき由へ

おおきゆえ


大 き尓

おおきに


へこませる

へこませる

(大意)

将門「どうだ、たいしたものだろう。この腕前ならば仕出し屋の料理番にいってもつとまろう」

 そのとき秀衡少しもあわてずに、ふところより神明前のなこ屋で買った早業八人前を出し、あっという間に八人前のなますをこしらえてしまった。将門よりは一人前多かったので、大いにへこませた。

(補足)

「なんときついもの可」、助六劇(助六所縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら))のせりふに「なんときついものか、大門へぬっとつらを出すと、仲の町の両がわから、なじみの女郎の吸付煙草で・・・」とあって、読者をニヤリとさせる。

「きつい」、『⑥ 大したものだ。素晴らしい。「お娘御の三味線は―・いものでござる」〈咄本・鯛の味噌津』

「そのときひでさとすこしもさ王可゛須」、謡曲「船弁慶」の「そのとき義経すこしもさわがず」をふまえて、やはり読者をにっこりさせる。

「神明まへの」、飯倉神明社のこと。芝増上寺の東にあった。

「なこや」、神明前の有名な刃物店。

「者や王ざ八人まへ」、絵を見ると、百均でも販売しているような野菜千切り器か。京傳はなこ屋で販売しているこれをみて、秀郷が早業の達人という設定を思いついたのだろう、とありました。

「将門よりハ」、ここだけ読めと言われても、ちょっとムリです。

 約230年前に大根スライサーが販売されていたなんて、驚きです。

 

2024年10月26日土曜日

時代世話二挺鼓 その11

P6P7 国立国会図書館蔵

P6

(読み)

まさ門 ハ

まさかどは


ひでさと可゛

ひでさとが


ミ可多尓

みかたに


つ可んといふを

つかんというを


まことゝ

まことと


於もひ

おもい


王可゛者や

わが はや


王ざを

わざを


ミせん

みせん


ずと天

ずとて


一 人尓て

ひとりにて


七 人 まへの

しちにんまえの


なますを

なますを


う川て

うって


ミせる

みせる


六 人 の

ろくにんの


可げ本゛うし

かげぼ うし


うしろ尓て

うしろにて


てつ多゛ふ

てつだ う


人 尓ハ

ひとには


い川可う

いっこう


ミへ須゛

みえず

(大意)

 将門は秀郷が(負けたら)味方につこうというのを本当のこととおもい、自分の早業を見せようと、一人で七人前のなますを作ってみせた。

 六人の影法師が後ろで手伝っているのだが、まわりの人には少しも見えることはない。

(補足)

「う川」、『う・つ【打つ】⑨→1の動作によって物を作るなどの仕事をする。㋖ 刃物でたたくような動作で切る。また,そうして作る。』

 将門の影武者六名(一人は綴じ代に半分かくれてます)、まるで間違いさがしの絵のようです。版画なのでひとりの型を彫ってあとはペタンぺたんと押したわけではなく、六名をそっくりに彫っています。

 まな板の脚板がちゃんとアリをきってとめてあるのが細かい。このまな板中央が少し持ち上がっていて凸面になってます。当時のまな板はこのような作りだったのかもしれません。現在でもそのようなまな板は販売されています。

 

2024年10月25日金曜日

時代世話二挺鼓 その10

P4P5 国立国会図書館蔵

(読み)

P5

此 ごろひやうハんの

このごろひょうばんの


多和ら藤 太とハ

たわらとうたとは


きさ満の事 可王しハ

きさまのことかわしは


こん尓やく志満の

こんにゃくしまの


つう多゛可ら奈を

つうだ からなを


なん里やうの

なんりょうの


於多いじんと申

おだいじんともうす


いごハ

いごは


於ミ

おみ


志り

しり


く多゛

くだ


され

され


P4

どれもミん奈

どれもみんな


へん奈名多゛

へんななだ


大 もん

だいもん


じやの

じやの


帳  者の

ちょうばの


ぬりふ多゛尓

ぬりふだ に


あろうと

あろうと


いふ奈多゛

いうなだ

(大意)

替え玉二「この頃評判の俵藤太とはおぬしのことか。わしはこんにゃく島の通だから、名を南鐐のお大尽と申す。以後お見知りおきくだされ」

秀郷「どれもみんな変な名だ。大文字屋の帳場の塗札にあるような名だ」

(補足)

「此ごろひやうハんの多和ら」、当時、「評判の俵」という、俵が斜面をころがる玩具があったのに掛けた、とありました。

「こん尓やく志満」、霊岸島(現在の中央区日本橋)の埋立地の俗称。

「なん里やう」、『なんりょう ―れう【南鐐】

② 二朱銀の通称。表面に「以南鐐八片換小判一両」と刻まれていた』。こんにゃく島の私娼の枕代は二朱なので南鐐一枚で買える。つまりわずか二朱という安上がりで大臣ぶって大きな顔をする客という意味、とありました。

「大もんじや」、吉原京町一丁目の大文字屋市兵衛。吉原連狂歌の中心人物。先代以来の狂名は加保茶元成(かぼちゃのもとなり)。したがって吉原の狂歌連中の名前が帳場にでも掛けてあったのかもしれない、とありました。


 

2024年10月24日木曜日

時代世話二挺鼓 その9

P4P5 国立国会図書館蔵

(読み)

こい川ハ

こいつは


よ可ろう

よかろう


なんち

なんじ


まけ多

まけた


とき

とき


志゛ぶくりツこ

じ ぶくりっこ


なし多゛

なしだ


ぞよ

ぞよ

P4

王連ら両  人 ハ

われらりょうにんは


た王らの

たわらの


きよくもち

きょくもち


かりのうへの

かりのうえの


うハぬりと申

うわぬりともうす


いごハ

いごは


於ミしり

おみしり


く多゛され

くだ され

(大意)

将門「そいつはよかろう。お前が負けたときには、グズグズ文句を云うのはなしだぞよ」

替え玉一「われら両人は、俵曲持、借上上塗ともうす。以後おみしりおきくだされ」

(補足)

「志゛ぶくりツこ」、『じぶく・る(動ラ五[四])

ぐずぐずと文句をいう。すねて理屈をこねる。「『どうせ私は意久地が有りませんのさ』とお勢は―・りだした」〈浮雲•四迷〉』。辞書には何でものってますねぇ。

「きよくもち」、『きょくもち【曲持ち】

曲芸として,手・足・肩・腹などで,樽(たる)・臼(うす)・米俵・人などを持ち上げて自由にあやつる芸』。ここでは、田沼一味が米問屋と結託して悪さをしたことの暗示か、とありました。

「かりのうへのうハぬり」、これはそのままで「恥の上塗り」を掛けている。田沼一味が御用金貸付の名目で私服をこやしたことをにおわせている、とありました。

 この三人の替え玉の顔はやけに現実感があって、実際の誰かの似顔絵のように見えてしょうがありません。右側の偽公家の着物柄はひょうたんのようなものも見えます。ひょうたんには酒を入れることもありますから、呑み助をどこかから連れてきたのかも。

 

2024年10月23日水曜日

時代世話二挺鼓 その8

P4P5 国立国会図書館蔵

P4

(読み)

ひてさとハく川と

ひでさとはぐっと


あんじて个らいハ

あんじてけらいは


ミ奈うしろの

みなうしろの


山 の中 尓志のバせ

やまのなかにしのばせ


志゛ふんひとり

じ ぶんひとり


将 門 尓多いめんする

まさかどにたいめんする


志ん王うさ満ハ

しんのうさまは


者や王ざのめい

はやわざのめい


じんとうけ給  る

じんとうけたまわる


王多くしもすこし

わたくしもすこし


於本へ可゛ござ

おぼえが ござ


連ハ者や

ればはや


王ざ

わざ


くらへ

くらべ


をい多し

をいたし


て王多

てわた


くし可゛

くしが


まけ多ら

まけたら


於ミ可多

おみかた


尓つき

につき


ませ う

ましょう


於まへ可゛

おまえが


於まけ

おまけ


なす川多ら

なすったら


此 多いりを

このだいりを


つぶして

つぶして


可へり川こ

かえりっこ


尓しやう

にしよう


じやァ

じゃぁ


ござり

ござり


ません可

ませんか

(大意)

 秀郷は一計を案じて、家来を皆うしろの山の中にしのばせ、自分ひとりで将門に対面する。

秀郷「新王様は早業の名人と承ります。わたくしも少しおぼえがござりますので、早業くらべをいたして、わたくしが負けたらお味方に付きましょう。親王様がお負けなすったら、この内裏をつぶして、帰ることにしようじゃござりませんか」

(補足)

 大意でまとめることもなく、ほぼそのままで現在使われている文章になっています。

秀郷の武者姿というか鎧甲冑・衣服までなんとも細かく描いています。

 

2024年10月22日火曜日

時代世話二挺鼓 その7

P4P5 国立国会図書館蔵

P4

(読み)

平 志ん

へいしん


王う

おう


まさ門 ハ

まさかどは


王 ゐを

おおいを


のぞミ

のぞみ


とうこく尓

とうごくに


多いりを

だいりを


うつし

うつし


これを

これを


於可者゛しよだいりと

おかば しょだいりと


なづけ志しんでん

なづけししんでん


せい里やうでんの

せいりょうでんの


於川可ふせ尓

おっかぶせに


於者゛奈てん

おば なでん


梅 もとでん奈ぞと

うめもとでんなぞと


いふをこしらへ

いうをこしらえ


くげの可へ玉 を

くげのかえだまを


可ゝへきやう可しの

かかえきょうかしの


やう奈名を

ようななを


なのらせ

なのらせ


个る今

けるいま


あづま

あずま


百 く王ん

ひゃっかん


と天

とて


て奈らひ

てならい


子の

この


奈らふハ

ならうは


これ也

これなり

(大意)

 平新王将門は王位をのぞみ、東国に内裏をうつし、これを岡場所内裏と名付け、紫宸殿・清涼殿をまねて、尾花殿・梅本殿などという建物をこしらえた。そして公家の替え玉を召しかかえ、狂歌師のような名前をなのらせた。今、「東百官」という手習いで子どもたちが習うのはこの名である。


(補足)

「於川可ふせ」、『おっかぶせ【押っ被せ】

② にせ物。まがい物。「太平記の―,名づけて通人講釈といふ」〈洒落本・弁蒙通人講釈〉』

「於者゛奈てん梅もとでん」、尾花屋と梅本は深川仲町一流の茶屋だが、田沼が浜町に、一味の井上伊織が深川に豪奢な別邸を建てたことを暗示してた、とありました。

「梅」のくずし字はよくでてきます。「木」+「あ」のようなかたち。

「あづま百く王ん」、『あずまひゃっかん あづまひやくくわん 【東百官】

① 天正年間(1573〜1592)以後,関東武士が京都の朝廷の官名をまねて通称として用いたもの。伊織(いおり)・多門・頼母(たのも)・左内・藤馬・数馬・左門・右門など。

② 江戸時代の子供の手習い本で,百種の人名を集めたもの』。将門が制定したと誤り伝えられた。

「也」は「候」と同じく最頻出なので、そのくずし字はたくさんあります。そして出てくる箇所は限られているので、前後の流れからそれらしいくずし字があったら、そのように読むのがよさそうです。

 三人の公家は替え玉なので、髭やもみあげがだらしなく品格も何もなさそうな人物に描かれています。しかしそれら髷の生え際や髭などは一本一本丁寧に描かれています。しかし、この三人、かえって身近にいる隣のおじさんといった感じで親しみがある。

 一番手前の偽公家の着物(直衣(のうし))の模様は「くくり猿(布に綿を入れて猿の形に縫ったもの。手足をくくられている。)」というもの。猿真似を暗示している、とありました。