2026年4月7日火曜日

日本山海名物圖繪巻之二 その2

P2P3 国文学研究資料館蔵

(読み)

綠 礬製 法

ろう者せい本う

ろうはせいほう


礬  石 白 きハ明  者゛んと奈りあお起ハろう者と奈る

者゛んせき

ば んせきしろきはみょうば んとなりあおきはろうはとなる


山 より堀 出し多る石 をく多゛起小屋能中 尓て水 を可け

    本り

やまよりほりだしたるいしをくだ きこやのなかにてみずをかけ


くさら可してこれを釜 尓てたき其 あ王を本しふ多尓入 て本春也 中 尓毛

くさらかしてこれをかまにてたきそのあわをほしふたにいれてほすなりなかにも


性  のよ起を紺 手といふ丹 礬 の色 のごとし

       こんで   多ん者ん

しょうのよきをこんでというたんはんのいろのごとし


其 次 をあさぎ手と云 色 真青

              まあを

そのつぎをあさぎてといういろまあお


奈り下品 ハくろミなり紺 出浅 黄出のろう者ハ外科 の膏 薬 尓用 由る也 下

           こんであさぎで     げくハ

なりげひんはくろみなりこんであさぎでのろうははげか のこうやくにもちゆるなりげ


品 のろう者ハ染 物 尓用 由染 汁 尓是 を加  連ハくろミを出須といへども

ひんのろうははそめものにもちゆそめしるにこれをくわえればくろみをだすといえども


染 地よハるなり

そめぢ

そめじよわるなり

(大意)

(補足)

「綠礬」、『りょくばん【緑礬】硫酸鉄(Ⅱ)の七水和物の通称。硫酸鉄のこと』。『硫酸鉄、天然には緑礬(りよくばん)として産出。媒染剤・還元剤・防腐剤として用いるほか,青色顔料(紺青)・インクの原料に用いる』

「丹礬」、『たんばん【胆礬】〔「たんぱん」とも〕銅の硫酸塩鉱物。三斜晶系に属し,青色,半透明。化学的には,結晶水を五分子もった硫酸銅の結晶。板状または塊状・葡萄(ぶどう)状などを呈する。銅鉱山などに産する』

 緑礬(りょくばん)は薄緑色の半透明なきれいな色の鉱石です。石なのに水に溶けるのですね。顔料・外科の膏薬・染料と幅広く使われていたことがわかります。

女性が4人いて、うち3人が前帯、1人は後帯でこの方は歳が若そうです。江戸中期頃、未婚女性は後ろ結び、既婚女性は前結びとなっていたようで、後期になると区別なく後ろ結びが主流になったとありました。


 

2026年4月6日月曜日

日本山海名物圖繪巻之二 その1

P1 国文学研究資料館蔵

(読み)

紺 青  緑 青 製 法

こんしやうろくせ うせい本う

こんじょうろくしょうせいほう


銀 山 銅 山 の精 氣より出  生  春る也 慶 長  年 中

         せいき

ぎんざんどうさんのせいきよりしゅっしょうするなりけいちょうねんじゅう


摂 州  多田の銀 山 より

せっしゅうただのぎんざんより


本り出須それよりして諸 国 尓お本く本り出須也 其 以前 ハ唐 より

ほりだすそれよりしてしょこくにおおくほりだすなりそれいぜんはとうより


王多る者゛可り尓て日本 尓ハ堀 出須事 なし

わたるば かりにてにほんにはほりだすことなし


然 シ元 明 天 皇 和銅 六 年

しかしげんめいてんのうわどうろくねん


上野  国 より紺 青  を献 上  し朱 雀院 長  久  二年 尓

かずさのくによりこんじょうをけんじょうしすざくいんちょうきゅうにねんに


摂 津 国 より紺 青  を献 上  春ること

せっつのくによりこんじょうをけんじょうすること


扶桑 略  記尓見え多れハ昔  より我 国 尓あること知 べし製 法 ハ山 より

ふそう里やくき

ふそうりゃくきにみえたればむかしよりわがくににあることしるべしせいほうはやまより 


掘 出し多るをうす尓てつきく多゛起水 飛春る也

ほりだしたるをうすにてつきくだ きすいひするなり

(大意)

(補足)

「紺青」、『① 鮮やかな明るい藍(あい)色。濃く深みのある青色。② 青色顔料の一。。日光や酸に強い。ベルリン青。ベレンス。プルシアン-ブルー。』

「元明天皇」、『げんめいてんのう ―てんわう 【元明天皇】[661〜721]第四三代天皇(在位[707〜715])。名は安閇(あべ)。天智天皇の皇女。母は蘇我倉山田石川麻呂の娘。草壁皇子の妃。文武・元正両天皇の母。在位中に,和同開珎鋳造,平城遷都や「古事記」「風土記」の編纂が行われた』

「朱雀院」、『すざくいん ―ゐん 【朱雀院】平安時代の後院の一。嵯峨天皇以後,代々の天皇が譲位後に住んだ御所。朱雀大路の西,三条の南に八町を占めていた』

「扶桑略記」、『ふそうりゃっき ふさうりやくき 【扶桑略記】歴史書。三〇巻,うち一六巻分と抄本とが現存。皇円著。平安末期成立。神武天皇から堀河天皇までを漢文・編年体で記す。六国史以下の国史・記録類,諸寺の僧伝・縁起などを抄録する。仏教関係の記事が多い』

「水飛」、『すいひ【水簸】土粒子の大きさによって水中での沈降速度が異なるのを利用して,大きさの違う土粒子群に分ける操作。陶土を細粉と粗粉に分けたり,砂金を採集する場合などに用いる』

 おもに日本画に用いられている紺青の製法についての説明です。

しかし、18世紀中頃に輸入されたベルリン藍ことベロ藍、歌川広重をはじめ北斎や同時代の絵師たちがさかんに使いました。

 

2026年4月5日日曜日

日本山海名物圖繪巻之一 その23

P37 国文学研究資料館蔵

(読み)

銅 山 ふ起金 渡 し方

可奈やま  可ね

かねやまふきがねわたしかた


ふ起あげ多る金 をこり尓作 りて荷物 とし京  大 坂

            つく

ふきあげたるかねをこりにつくりてにもつとしきょうおおさか


等 へ出春也 銅 鉄 皆 同 し◯鋼鉄 ハ鉄 をよくきたひ

                 者可ね

とうへだすなりどうてつみなおなじ はがねはてつをよくきたい


多る也 五車 韻 瑞 尓鋼  ハ堅 鉄 なりとあり刀 釼 をつくるゆえ耳

たるなりごしゃいんずいにはがねはけんてつなりとありとうじんをつくるゆえに


刃金 といふ

はがねという


むしろ包  便  る所

むしろつつみべんずるところ

(大意)

(補足)

「五車韻瑞」、『ごしゃいんずい ―ゐんずい 【五車韻瑞】

中国の韻書。一六〇巻。明の凌稚隆の撰。「韻府群玉」にならって経・史・子・集・賦の五部に分け,熟語と出典を示す』

「むしろ包便る所」、便は使のようにもみえますが、おくりがなが「る」なのでどうかと。

 ずいぶん大きな竿天秤です。ちゃんと目盛りが手を抜くことなく刻んであります。

 第一巻はこれで終わりです。

ことあるごとに絵師の人物等が稚拙であることを述べてきましたが、これはこのBlogの直前の「繪本寶能縷」の絵がきわめて美しかったからでもあります。

この絵師の役割は、鉱山で働く人々や職人さんたちがどのように協働しているのか、諸道具をどのように使っているのかがわかるように描き記したものと考えれば、充分にその役割ははたされているようにおもわれます。

 さて、第二巻は農林系加工品となります。

 

2026年4月4日土曜日

日本山海名物圖繪巻之一 その22

P35 国文学研究資料館蔵

(読み)

灰 吹

者いぶき

はいぶき


灰 吹 ハ竿 銅   を南 蛮 吹 尓して銀 を志本る也 灰 をこねて

     さをあ可ゝね

はいぶきはさおあかがねをなんばんぶきにしてぎんをしぼるなりはいをこねて


ふいごの口 へ土手をつきてふく也 故 尓灰 吹 といふ銀 の上  品 を南

                                    奈ん

ふいごのくちへどてをつきてふくなりゆえにはいぶきというぎんのじょうひんをなん


鐐  と云 又 軟 挺 とも云 尒雅 尓い者く白 金 古連を鈷といふ其 美なる

里やう     なんてい    じ可゛

りょうというまたなんていともいうじが にいわくしろがねこれをこというそのびなる


毛のを鐐  と云 云ゝ  又 印 子と云 ハ

               いんす   

ものをりょうといううんぬんまたいんすというは


准 南 王 劉  安 上  金 の上 尓劉  の字を

王い奈ん王う里 うあん

わいなんおうりゅうあんじょうきんのうえにりゅうのじを


き佐満せられ多る金 なり続 博 物 志尓見へ多り

            ぞく者くふ川し

きざませられたるきんなりぞくはくぶつしにみえたり


たゝら可べ 水 本゛うき尓てミづう川所   春者゛い 春者゛いおけ

たたらかべ みずぼ うきにてみずうつところ すば い すば いおけ


たてつち者゛

たてつちば

(大意)

(補足)

「灰吹」、『はいふきほう はひ―はふ 【灰吹き法】

金・銀などを精錬する方法。炉(反射炉の一種)の下面にくぼみをつけて灰を詰め,その上に載せた金・銀と鉛との混合物を加熱して鉛を溶かし出して灰に吸収させ,金・銀を採取する』。『はいふきぎん はひ― 【灰吹き銀】

灰吹き法で精錬した銀。室町中期以降,銀地金(ぎんじがね)として用いられた』

「南鐐」、『なんりょう ―れう【南鐐】

① 上質の銀。精錬された美しい銀。南挺(なんてい)。「―を以て作りたる金の菊形」〈義経記•6〉

② 二朱銀の通称。表面に「以南鐐八片換小判一両」と刻まれていた。南挺』

「尒雅」、『じが 【爾雅】

中国最古の辞書。三巻。経書,特に詩経の訓詁解釈の古典用語を収集整理したもの。紀元前二世紀頃成立。現存の書は釈詁・釈言・釈訓など一九編に分類されている。十三経の一』

「准南王劉安」、『りゅうあん りう―【劉安】

[前178頃〜前122]中国,前漢の学者。漢の高祖の孫。淮南王(わいなんおう)に封ぜられ,「淮南子(えなんじ)」を撰し,武帝から尊重されたが,のちに謀反が発覚し自殺した』

「続博物誌」、『はくぶつし 【博物志】

① 中国,晋(しん)代の民俗風物誌。一〇巻。張華著。山川・物産・外国・異人・異俗・獣鳥虫魚・薬物・服飾・器名などについて記した書。宋代の「続博物志」はこの書にならって李石が著したもの』

 右から2番目の職人さんが左手で、くじを引かせるような仕草をしています。これは説明文にあるように、小さな箒(ほうき)で水をうっているところなのでした。

 

2026年4月3日金曜日

日本山海名物圖繪巻之一 その21

P33 国文学研究資料館蔵

(読み)

鉄  蹈鞴

てつのたたら

てつのたたら


鉄 をふく尓ハふいご尓てハ湯尓奈り尓くし故 尓たゝら尓か

てつをふくにはふいごにてはゆになりのくしゆえにたたらにか


けて湯尓和可春なり

けてゆにわかすなり


哥 飛とすぢ尓者げむ心  の力  奈里満可゛ねもつゐ尓湯とぞ奈り个る

うたひとすじにはげむこころのちからなりまが ねもついにゆとぞなりける


満可゛ねふく志川゛のいとなミいと満なや身能い多づきも思 ひ志らずて

まが ねふくし ずのいとなみいとまなやみのいたずきもおもいしらずて

(大意)

(補足)

 大きな白い壁はもちろんたたら壁。こんなにおおきなふいごを使っていたのですね。

 左の三人はまぁ力をいれて踏んでいるように描かれています。この絵師は人物をうしろからとらえるのがとても苦手なようで(いままで見てきた絵でも同じです)、右側三人のとくにその左端の黒い半纏の職人の脚の構えがちとおそまつであります。

 

2026年4月2日木曜日

日本山海名物圖繪巻之一 その20

P31 国文学研究資料館蔵

(読み)

鉄 山 の繪

てつさんのえ


鉄 ハ掘 出し多る土 な可゛らに水 尓奈可゛して鉄 を取ルなり

てつはほりだしたるつちなが らにみずになが しててつをとるなり


あさき流  川 尓むしろを志起その上 ヘ本り多゛したる山 土 を

あさきながれかわにむしろをしきそのうえへほりだ したるやまつちを


奈可゛しかくれバ鉄 ハむしろの上 尓と満り土ハ皆 な可゛れ行 奈り◯

なが しかくればてつはむしろのうえにとまりつちはみなが れゆくなり


石 見備 中

いわみびっちゅう


備 後の三 ケ国 お本く鉄 あり備 中  に真金 ふくことといへる哥 あり古今

びんごのさんかこくおおくてつありびっちゅうにまがねふくことといえるうたありこきん


集  尓のせ多り延 㐂天 皇 の御 時 すで尓備 中  尓お本く可ねを堀 多ると

しゅうにのせたりえんぎてんのうのおんときすでにびっちゅうにおおくかねをほりたると


見へ多り可ねハ金 銀 銅 鉄 の惣 名  尓て鉄 ハ黒 金 奈り

みえたりかねはきんぎんどうてつのそうみょうにててつはくろがねなり


ゐごや

いごや

(大意)

(補足)

 説明文にふりがながまったくありません。表題「鉄山」の読みは、目次にあって「て川さん」。

「鉄」の旁が「失」のような「矢」のような、調べてみると俗字で「鉃」でも「てつ」でした。

「掘出し」、「堀」の旁は「屈」で、その中は「出」です。ちゃんと「出」のくずし字になっています。

「延㐂天皇」、『醍醐(だいご)天皇のこと。えんぎ【延喜】年号(901年7月15日〜923.閏4.11)。昌泰の後,延長の前』

 土砂に交じる砂鉄の取り出し方の説明です。日本全国各地に「たたら浜」というような地名がありますがみな砂鉄の砂でした。その地域では刀や鉄製品が作られていました。

 砂鉄から鉄を精製するのに大量の樹木が伐採されて森が破壊されてしまい、そこに住まう様々な生き物たちが抗議に立ち上がるというアニメがありました。

 

2026年4月1日水曜日

日本山海名物圖繪巻之一 その19

P29 国文学研究資料館蔵

(読み)

南 蛮 鞴(革匍)

奈ん者んふき

なんばんぶき


奈ん者゛んぶきハたゝら可べ尓つけ者ぐちをして二て うふいごにて

なんば んぶきはたたらかべにつけはぐちをしてにちょうふいごにて


ふく也 銅 よりな満里を志本゛り取 尓用 由る也 又 銅 より銀 を

ふくなりどうよりなまりをしぼ りとるにもちゆるなりまたどうよりぎんを


志本゛り取 尓もこれを用 由る也◯金 山 の下財 辛 苦して宝  を本り

                 可奈やま げさい志んく

しぼ りとるにもこれをもちゆるなりかなやまのげざいしんくしてたからをほり


出しての世和多り唯 おの連可゛口 を養  ふのミ多分 の利ハ皆 金 山 司乃

                        たふん

だしてのよわたりただおのれが くちをやしなうのみたぶんのりはみなかなやましの


徳 用 となれ里唐 の羅隠 可詩尓採 得 百  花  成 密 後 不知 

        とう らいん   とりゑてひゃくくハを?てミつのちす志ら

とくようとなれりとうのらいんがしに


辛 苦 為  誰   甘     といへる蜂 の身能上 と同 しかるへし

志ん??ため尓多れ可゛あま可らしむ    者ち

                 といえるはちのみのうえとおなじかるべし


つけ者ぐち たゝらかべ 二て うふいご

つけはぐち たたらけべ にちょうふいご

(大意)

(補足)

 その17の「真鞴大工所作」のフイゴと異なる漢字が使われています。フォントがありませんが偏と旁は「革」+「匍」。

「採得百花成密後不知辛苦為誰甘」、『百花を摘み集めて蜜を作り、その苦労が誰のためなのかも知らず、ただ甘く味わう』。百花を集めて蜜を作り上げた後、いったい誰のために苦労し、誰のために甘い蜜を造っているのか?

 著者はここまで淡々と職人たちの働く様子や諸道具について述べてきましたが、ここでは彼らの過酷な現場と生活の辛苦にふれています。唐の羅隠の詩が胸にしみます。

 つけ者ぐちから流れ出る金属の細かな様子が上手に描かれています。