2024年10月14日月曜日

江戸生艶氣樺焼 その54

P30 東京都立中央図書館蔵

(読み)

王可きときハけつきいま多゛

わかきときはけっきいまだ


さ多まらすいましむる事 いろ\/

さだまらずいましむることいろいろ


ありといふことを志らぬ可春べてあんじ可

ありということをしらぬかすべてあんじが


こうするとミ奈こうし多もの多゛於そろしき

こうずるとみなこうしたものだ おそろしき


とろ

どろ


本゛うと

ぼ うと


までミを

までみを


やつせし

やつせし


王れ\/可

われわれが


くふうの

くふうの


きやう

きょう


げん

げん


いこハ

いごは


きつと

きっと


多し奈ミ

たしなみ


おれ

おれ


きのすけや

きのすけや


王るい

わるい


志あんとも

しあんとも


まう

もう


つきあふ

つきあう


まい可

まいか


そち者゛かりでハ

そちば かりでは


奈いよの中 二多いふ可ういふ

ないよのなかにだいぶこういう


こゝろいきのもの可゛あるて

こころいきのものが あるて

(大意)

弥二右衛門「若いときは血気いまだ定まらず、(色恋は)あれこれ注意せねばならぬことがあるということを知らぬのだ。思いつきが度を過ぎると、すべてがこうなってしまうものなのだ。恐ろしい泥棒の姿にまでなって、われわれが仕組んだ狂言、以後は必ずや自分のおこないに気をつけろ。喜之介や悪い志庵とも、もうつきあうでないぞ。お前ばかりではない、世の中にだいぶこのような性格のものがいるのだよ」。

(補足)

「王可きときハ〜」、論語季氏第十六の七『少之時。血氣未定。戒之在色』

「こゝろいき」、『③ 性格。気性。気質。「世の中に大部かういふ―の者が有るて」〈黄表紙・江戸生艶気樺焼〉

④ なったつもり。また,気どり。「艶二郎は役者・女郎などの―にて」〈黄表紙・江戸生艶気樺焼〉』

 京傳はもともと絵師でした(北尾政演は絵師としての名前)ので、ここの親父殿からの説教の場面もどこかなごやかな雰囲気をかもしだして、描かれています。

 

2024年10月13日日曜日

江戸生艶氣樺焼 その53

P30 個人蔵

(読み)

もとより志ん多゛い二ふそくも奈く

もとよりしんだ いにふそくもなく


春へ者んじやう二さ可へ

すえはんじょうにさかえ


志可し一 生  のうき(奈)の

しかしいっしょうのうき な の


多ち於さめ二今 まで

たちおさめにいままで


の事 をくさぞうし尓して

のことをくさぞうしにして


せけんへひろめ多く

せけんへひろめたく


京  でんを多のミて世上  の

きょうでんをたのみてせじょうの


う王きびとをきやう

うわきびとをきょう


くんしける

くんしける

(大意)

もとよりお金の心配はなく、後々まで繁盛し栄えた。

しかし、生涯色男であった(ありたかった)締めくくりとして、

今までのことを草双紙にして、世間へ広めたく

京傳に頼み込んで、世の中の浮気人の教訓とした

(補足)

 ここまでの文章がこの物語のまとめとなります。それにしても画の隙間いっぱいに文字だらけ。

 艶二郎の顎下に何か袋の表書き見たいのが見えます。ひとつは「興」のようにみえますけど、もうひとつはなんでしょうか。

 

2024年10月12日土曜日

江戸生艶氣樺焼 その52

P30 東京都立中央図書館蔵

P30 個人蔵

(読み)

ゑん二郎 ちやうと

えんじろうちょうど


かん

かん


どう

どう


の

の


日のべ

ひのべ


きれ

きれ


けれ

けれ


バ

ば


こり\/としてうちへ可へりてミれバ

ころごろとしてうちへかえりてみれば


ゆ可う二三めぐり尓て者可゛れ多る

いこうにみめぐりにてはが れたる


小袖

こそで


可けてあるゆへふしぎ尓於もう於り可ら一 まより

かけてあるゆえふしぎにおもうおりからひとまより


於や弥二ゑもん者゛んとう候  兵へ多ちいでい个ん春る

おややじえもんば んとうそうろべえたちいでいけんする


ゑん二郎 ハ者じめてよの中 をあきらめ本んとう

えんじろうははじめてよのなかをあきらめほんとう


のひとゝ名りうき奈もおとこの王るいも

のひととなりうきなもおとこのわるいも


ふせ うして本可へゆくきも奈くふう婦と奈り

ふしょうしてほかへゆくきもなくふうふとなり

(大意)

 艶二郎はちょうど勘当の日延もきれたので、さんざんな気分で家へ帰ってみると、衣桁に三囲(神社)で脱がされ奪い取られた小袖がかけてあるので、不思議におもっていると、隣の部屋より親の弥二右衛門と番頭の候兵衛が出てきて、意見をした。

 艶二郎ははじめて世の中のことがはっきりわかり、真面目な人となり、浮名も男(艶二郎)のぶさいく(団子っぱな)は我慢してほかへ嫁く気もなく夫婦となった。

(補足)

「あきらめ」、『あきら・める 4【明らめる】

① 物事の事情・理由をあきらかにする。「創造の神秘を―・めて見なさい」〈肖像画四迷〉

② 心をあかるくする。心を晴らす。「陸奥(みちのく)の小田なる山に金(くがね)ありと申(もう)したまへれ御心を―・め給ひ」〈万葉集4094〉』。「諦める」ではない。

「ふせうして」、『ふしょう ―しやう【不請】

③ 不満足であるが,我慢すること。辛抱すること。「何卒私の心をも察して―してお呉なはい」〈人情本・春色梅美婦禰5〉』

 艶二郎が亀のようになってかぶっているのは例の毛氈、この「毛氈をかぶる」は辞書で調べると『① 〔歌舞伎で,死人になった役者を毛氈で隠し舞台からおろしたところから〕しくじる。放蕩などをして主家や親から追い出される。「親玉へ知れると―・る出入だ」〈浄瑠璃・神霊矢口渡〉② 〔遊女が見世に出ている時,毛氈を敷いたことから〕女郎買いをして金を使う。「それ毛氈かぶるが放蕩息子(どらむすこ)」〈黄表紙・稗史億説年代記〉』とあって、ここでは①の意で、艶二郎の色男ぶる悪企てすべてがしくじったことを示しているとありました。

 辞書にものっているくらいの事柄ですが、何も知らなかったら、裸の艶二郎は寒いのでちょうど持っていた毛氈をかぶっているだけとして、話の真髄にふれることはできませんでした。 

2024年10月11日金曜日

江戸生艶氣樺焼 その51

P29 個人蔵

(読み)

うしハね可゛い可ら者奈を

うしはねが いからはなを


とふ春とゑん二郎 可゛

とうすとえんじろうが


王るあんじの志んぢ う

わるあんじのしんじゅう


此 とき世上  へ者゜つと

このときせじょうへパ ッと


うき奈多ち志ぶうちハの

うきなたちしぶうちはの


ゑ尓まで

えにまで


可いてい多゛しけり

かいていだ しけり


於連ハ本んのすいきやうでし多

おれはほんのすいきょうでした


事 多゛可らぜひ可゛奈い可゛

ことだ からぜひが ないが


そちらハさぞさむ可ろう

そちらはさぞさむかろう


せけんの道 行 ハきものをきて

せけんのみちゆきはきものをきて


さいごの者゛へ行 可゛こつちのハ

さいごのば へゆくが こっちのは


者多゛可でうちへ道 行 とハ

はだ かでうちへみちゆきとは


大 き奈うら者ら多゛

おおきなうらはらだ


ひぢりめんのふんどし可゛

ひじりめんのふんどしが


こゝで者へ多も

ここではえたも


於可しい\/

おかしいおかしい


本んの

ほんの


まき

まき


ぞへ

ぞえ


で

で


奈ん

なん


ぎ

ぎ


さ

さ

(大意)

「牛は願いから鼻を通す」と。艶二郎のくだらぬおもいつきの心中は、このとき世間へあっという間になまめいた噂がたち、さえない画まで描かれて出されてしまった。

艶二郎「おれはほんの酔狂でしたことだからしかたがないが、おまえはさぞ寒かろう。世間の道行は着物を着て最後の場へ行くが、こっちのは裸でうちへ道行とはまったくあべこべだ。緋縮緬のふんどしがここで目立ったのもゆかいだゆかいだ」

浮名「まったく、まきぞえになって、こまったもんさ」

(補足)

「うしハね可゛い可ら者奈をとふ春」、『牛は願いから鼻を通す

〔牛はその天性によって鼻木を通される意〕自ら望んで災いを受けることのたとえ』

「道行」、このくずし字が何箇所かにあります。「道」、「行」両方とも頻出ですが、意外と(特に単独で出てくると)これなんだっけとなるくずし字です。これを機会にしっかり印象付けたのでもう大丈夫(のはず)。

「者へ多も」、現在の「ばえる」(映える)とまったくおなじ意味。

 文章だけで手一杯なはずですが、鳥居脇の松はとても丁寧だし、傘も骨が一本一本ほんの少しはみ出して描いてあるところなどこだわっています。

 

2024年10月10日木曜日

江戸生艶氣樺焼 その50

P28 個人蔵書

P29 個人蔵書

(読み)

春そもよふゆ可りのいろも七 ツやの奈尓奈可れ

すそもようゆかりのいろもななつやのなにながれ


多るすミ多゛川 多可゛い尓むりをいをざ起の

たるすみだ がわたが いにむりをいおざきの


かねハ四ツ目や長  命 寺きミ尓ハ

かねはよつめやちょうめいじきみには

(P29)

む年をあくる日のま多

むねをあくるひのまた


四ツ過 のひぢりめん

よつすぎのひじりめん


ふんどし

ふんどし


奈可き

ながき


者るの

はるの


日の

ひの


日高

ひだか


の

の


てら尓

てらに


あらすして

あらずして


者多゛可のてやい

はだ かのてあい


いそき行 引  三 重

いそぎゆくひきさんじゅう

(大意)

裾模様、それは紫色の碇も流れてしまって、目の前にはあの隅田川が流れてる。互いに無理を云い、長命寺の鐘が四ツ時で、君(浮名)は明日には解き放されて胸もスッキリするだろうけど、まだ四ツ過ぎで作りたての緋縮緬の湯もじ(腰巻)と長い褌姿、ながい春の日は、日高の寺ではあるまいし、はだかの二人は急ぎ行く。ぺぺんぺんぺん。

(補足)

「ゆ可り」、紫色。碇とゆかりのシャレ。

「七ツや」、質屋。流れるの縁語。

「いをざ起」、五百﨑。向島あたりの古称。無理を「云う」に掛けた。

「四ツ目や」、『よつめや【四つ目屋】

江戸両国にあった淫薬・淫具専門の薬屋。主人を四つ目屋忠兵衛といい,四つ目結(ゆい)を紋とした。長命丸が特に知られていた』

「長命寺」、向島五丁目の隅田川にのぞむ天台宗の寺。

「日高のてら」、和歌山県日高郡の日高川そばの道成寺。謡曲「道成寺」の「急ぐ心からまだ暮れぬ日高の寺に着きにけり」をふまえた。日高は長き春日の縁語。

「者多゛可」、「日高」と「はだか」の語呂合わせ。

「引三重」、浄瑠璃の終末部の三味線の手。

 こういった洒落や引掛けや語呂合わせなど手の込んで調子よく語るところを現在の言葉で言い換えることはとても難しいというか、ほとんど無理です。説明するとリズムがすべてこわれるし、全体的な雰囲気をつかんで感じるのが一番だと思います。

 この頁をまたぐ長い語りを大声で発声してリズムよくペペンペンペンとうなると気分がよいです。

 艶之助、毛氈敷物肩にして、長いふんどし(それでも褌の紐に刀をさしている)、浮名は緋縮緬腰巻き姿、こんなになっても相合い傘で土手路歩く二人のポッコリおなかがかわいらしい。傘に手ぬぐい頬かむり刀に敷毛氈と、道行き小道具失わず。

 

2024年10月9日水曜日

江戸生艶氣樺焼 その49

P28P29 東京都立中央図書館蔵

P28 個人蔵書

(読み)

とんと於ち奈バ名や多ゝんどこの女 郎し由可志らミ

とんとおちなばなやたたんどこのじょろしゅかしらみ


ひもむすびの可ミもあちらむ可さん志よ志゛やうゆの

ひもむすびのかみもあちらむかさんしょじ ょうゆの


やき春゛るめびんとひぞるも今 ハ者やむ可しと

やきす るめぴんとひぞるもいまははやむかしと


名りし中 の丁  そと八 もんじもこふ奈れバうち七 もんじ二

なりしなかのちょうそとはちもんじもこうなればうちしちもんじに


多どりゆく奈ミ多゛二ま志゛る水 者゜奈尓ぬらさん

たどりゆくなみだ にまじ るみずば なにぬらさん


さんそでハも多ぬゆへ下多の於びをぞ志本゛りける

さんそではもたぬゆえしたのおびをぞしぼ りける


身に志ミ王多るこち可ぜ尓とり者多゛だちし此 す者多゛

みにしみわたるこちかぜにとりはだ だちしこのすはだ


とのごのか保ハう春ゞミ尓かく多満づさとミる

とのごのかおはうすずみにかくたまづさとみる


かり尓多よりきかんとかくふミのか奈でか奈てこ

かりにたよりきかんとかくふみのかなでかなてこ

(大意)

 どこの女郎衆かしらは知らぬこと、縁結びの神も(虱ときいては)そっぽを向かざんしょ、山椒醤油の焼きスルメ、焼いて焦がれてピンとはったり身悶えしたり、今やはや過去の中ノ町、外八文字で道中したもが、こうとなった今は、格も下がって内七文字の足どりだ。涙にまじる水鼻を、拭う袖ももたぬゆえ、下帯までに、たれてしまった鼻水を、しぼりける。身にしみわたる東風に鳥肌立ってるこの素肌、あなたの顔色は薄墨のように、かく玉づさと見ゆる、雁にたよりをきこうとかくふみの仮名でかくは(裾模様)

(補足)

 浄瑠璃風に七五調子ですので声に出して読むと気分がよいです。この部分も一行一行調べないとよくわかりません。なのでまたながくなりそう。

「志らミひも」、『しらみひも【虱紐】体に締めていれば虱よけになるという紐。江戸時代,江戸芝金杉通りの鍋屋茂兵衛が売り出したもの』。知らないに引っ掛けている。

「う春ゞミ尓かく多満づさとミるかり尓」、『津守国基 つもりのくにもと治安三~康和四(1023-1102)薄墨にかく玉づさと見ゆるかな霞める空にかへる雁がね(後拾遺71)』を引用。【通釈】薄墨色の紙に書いた手紙のように見えるなあ。霞んだ空を、並んで帰ってゆく雁の群は。

【語釈】◇薄墨 薄墨紙の略。◇雁がね もと雁の鳴き声を言ったが、ここでは単に雁のこと。

【補記】曇り空を薄墨紙に、列をなして飛ぶ雁を手紙の文字になぞらえた。古来雁が書信を届ける使者に擬えられたことに因む見立てであって、ただ似て見えるというだけの歌ではない。後世、多くの模倣歌を生んだ、とありました。

「か奈でか奈てこ」、肩に金てこの語呂合わせ。

 大きな鳥居の上部だけ見えていますが、これは(その45)で紹介した三囲神社の画にも描かれていたものです。土手の上からのぞいています。

 

2024年10月8日火曜日

江戸生艶氣樺焼 その48

P28P29 東京都立中央図書館蔵

P28 個人蔵書

(読み)

仇 氣やゑん二郎

あだきやえんじろう


浮 名やうき奈

うきなやうきな


道 行 興    鮫 肌

    きやう可゛さめ者多゛

みちゆききょうが さめはだ


〽朝(あし多)尓色(いろ)をして夕(ゆふべ)尓死(しす)とも可(可)なり

   あした に  いろ をして  ゆうべ に  しす とも  か なり


とハさてもうハき奈ことの者ぞそれハろん

とはさてもうわきなことのはぞそれはろん


ごの可多いもじこれハふんごのや王ら可奈者多゛と

ごのかたいもしこれはぶんごのやわらかなはだ と


者多可のふ多りしてむ春びしひもをひとりして

はだかのふたりしてむずびしひもをひとりして


とくにと可れぬう多がひハふしんの土手のた可ミ可ら

とくにとかれぬうたがいはふしんのどてのたかみから


とんと於ち奈バ名や多ゝんどこの女 郎し由可志らミ

とんとおちなばなやたたんどこのじょろしゅがしらみ

(大意)

仇氣やゑん二郎(色男の艶二郎)

浮名やうき奈(色女のうきな)

道行興鮫肌

「朝に色をして夕に死すとも可なり」とは、ほんとに色恋にぴったりの言葉ではないか。あれは論語のおかたい文句であるが、これは豊後のやらかな、肌とはだかの二人でむすんだ紐を一人でとこうにもほどけずに、不審(普請)な泥棒が出た土手の上から川に落ちたら、どこの女郎かと評判になるだろう。


(補足)

 この部分は、浄瑠璃の道行きの文をまねて、ほぼすべての行にたくさんのもじり(引っ掛け)をいれていて、ほとんどが参考資料のうけうりになります。説明されればう〜んなるほどと、わかったふりができますけど、当時の人でもすぐにわかったかどうかはどうなんでしょうねぇ。

 道行心中を約束通りに止めることがかなわず、泥棒に身ぐるみ剥がされてしまい、そのおもいもよらぬ展開に興がさめ(鮫)、素っ裸にされて寒さで鳥肌になってしまった、というのが題名の意味です。

「朝(あし多)尓色(いろ)をして〜」、『朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり

〔論語里仁〕人としての道を悟ることができれば,すぐに死んでも悔いはない』のもじり。

「ふんごのや王ら可奈多゛と者多可」、当時「河東上下、外記袴、半太羽織に義太股引、豊後かはいや丸裸」と評された軟弱な曲節。それをうけて「やわらかな肌とはだか」とした、とありましたが・・・。よくわからないので、もう少し調べました。

 『其比の流行たとへに、土佐上下に外記袴、半太羽織に義太が股引、豊後可愛や丸裸かと皆人申けり、其比は土佐節、外記節、半太夫節、義太夫、豊後、何も流行たるものなり、(山田桂翁『宝暦現来集』天保二年(1831)自序)』

 土佐(河東)節を上下〔かみしも〕姿に譬えると、外記節は羽織袴、半太夫節は羽織姿であるのに対し、義太夫節は半纏股引で、豊後節に至っては「丸裸か」だという。きっとこれですね。

「ふ多りしてむ春びしひもをひとりして」、伊勢物語三十七段(下紐)。

男から女への歌「我ならで下紐解くな朝顔の 夕影待たぬ花にはありとも」(私以外の人に、下紐を解かないで下さいよ、あなたが朝顔のように夕日を待たない、変わりやすい花であっても)、

女の返歌「ふたりして結びし紐をひとりして あひ見るまでは解かじとぞ思ふ」(二人で一緒に結んだ紐ですから、私一人では、あなたとお逢いするまでは、決して解くつもりは、ないと思っています)

 高校の古文でこのようなのを学びたかったな。

「とんと於ち奈バ名や多ゝん」、 河東節松の内『とんと落ちなば名や立たん、どこの女郎衆の下紐を結ぶの神の下心』とあるのをつかっている、とありました。

 わずか五、六行の文なのに、補足はその何倍にもなってしまいました。

さてまだだ続きます。