P105 東京国立博物館蔵
(読み)
射貫 の穴 見ユ松 井田ニ泊 ル
いぬきのあなみゆまついだにとまる
十 一 日 曇 ル後 雨 正 六ツ時 立ツ妙 義山 へ三 十 町
じゅういちにちくもるのちあめしょうむつどきたつみょうぎさんへさんじっちょう
安 中 能宿 なり板 者な高 崎 能キ処 なり
あんなかのしゅくなりいたはなたかさきよきところなり
上 州 絹 を賣ル亦 能キ天 氣となる十 二里十
じょうしゅうきぬをうるまたよきてんきとなるじゅうにりじゅう
九 町 を経て深 谷ニ泊 ル榛(ハル)名山 ヘ五里あるよし
きゅうちょうをへてふかやにとまる はる なさんへごりあるよし
不行
ゆかず
十 二日 天 氣朝 六 時 深 谷を出て熊 谷宿
じゅうににちてんきあさむつどきふかやをでてくまがやしゅく
を過 レハ熊 谷能土手三 十 町 ありサイカチ
をすぎればくまがやのどてさんじっちょうありさいかち
能木多 し右 ノ方 大 山 冨士を見ル爰 より
のきおおしみぎのほうおおやまふじをみるここより
押(ヲシ)と云フ処 ニ近 し此 日十 一 里二十 八 町 大(ヲゝ)
おし というところにちかしこのひじゅういちりにじゅうはっちょう おお
(大意)
略
(補足)
「松井田」「安中」「板者な(板鼻)」「高崎」「深谷」「熊谷」「押(ヲシ)(忍)」、
「十一日」、寛政1年4月11日、1789年5月5日。
熊谷をすぎて、丹沢や富士山が見え、ますます一刻もはやく江戸につきたい気持ちは高ぶるばかり。
天気にも恵まれ、11日12日連日約50kmを一気に江戸へ向かいます。ここまでくれば、街道の道も整備されているし、またほとんど平らなのでどんどん進むことができたのでしょう。



