2026年1月2日金曜日

江漢西遊日記六 その91

P105 東京国立博物館蔵

(読み)

射貫 の穴 見ユ松 井田ニ泊 ル

いぬきのあなみゆまついだにとまる


十  一 日 曇 ル後 雨 正  六ツ時 立ツ妙  義山 へ三 十 町

じゅういちにちくもるのちあめしょうむつどきたつみょうぎさんへさんじっちょう


安 中 能宿  なり板 者な高 崎 能キ処  なり

あんなかのしゅくなりいたはなたかさきよきところなり


上  州  絹 を賣ル亦 能キ天 氣となる十  二里十

じょうしゅうきぬをうるまたよきてんきとなるじゅうにりじゅう


九  町  を経て深 谷ニ泊 ル榛(ハル)名山 ヘ五里あるよし

きゅうちょうをへてふかやにとまる  はる なさんへごりあるよし


不行

ゆかず


十  二日 天 氣朝 六 時 深 谷を出て熊  谷宿

じゅうににちてんきあさむつどきふかやをでてくまがやしゅく


を過 レハ熊  谷能土手三 十 町  ありサイカチ

をすぎればくまがやのどてさんじっちょうありさいかち


能木多 し右 ノ方 大 山 冨士を見ル爰 より

のきおおしみぎのほうおおやまふじをみるここより


押(ヲシ)と云フ処  ニ近 し此 日十  一 里二十  八 町  大(ヲゝ)

  おし というところにちかしこのひじゅういちりにじゅうはっちょう  おお

(大意)

(補足)

「松井田」「安中」「板者な(板鼻)」「高崎」「深谷」「熊谷」「押(ヲシ)(忍)」、

「十一日」、寛政1年4月11日、1789年5月5日。

 熊谷をすぎて、丹沢や富士山が見え、ますます一刻もはやく江戸につきたい気持ちは高ぶるばかり。

 天気にも恵まれ、11日12日連日約50kmを一気に江戸へ向かいます。ここまでくれば、街道の道も整備されているし、またほとんど平らなのでどんどん進むことができたのでしょう。


 

2026年1月1日木曜日

江漢西遊日記六 その90

P104 東京国立博物館蔵

(読み)

おとかめ漸(ヨウ)\/王び事 して去りぬ狂  哥一 首 ニ

おとがめ  よう ようわびごとしてさりぬきょうかいっしゅに


お直 クし能の里うちし多とおとか免ハ皆 下(シタ)

おちょくしののりうちしたとおとがめはみな  した


\/能曲 りか袮なり塩 な多゛と云 処  尓泊 ル十  一

したのまがりかねなりしおなだ というところにとまるじゅういち


里余  の路 なり

りあまりのみちなり


十 日曇  雨 なし正  六 時 尓出  立 一 里半 行キ岩

とおかくもりあめなししょうむつどきにしゅったついちりはんゆきいわ


田村 尓て夜明 ル闇 夜野火誠  ニ火事の如 シ

たむらにてよあけるやみよのびまことにかじのごとし


小田井軽 井沢(サハ)坂 本 の間  薄 井峠  七 年

おたいかるい  さわ さかもとのあいだうすいとおげしちねん


以前 浅 間山 焼 る此 邊  小石 降ル山 \/皆

いぜんあさまやまやけるこのあたりこいしふるやまやまみな


小石 ニて埋 ル樹 木 枯レル此 山 路 誠  ニ難 所

こいしにてうまるじゅもくかれるこのやまみちまことになんしょ


なり此 邊  より妙  義山 見得る亦 ユリ若 大 臣

なりこのあたりよりみょうぎさんみえるまたゆりわかだいじん

(大意)

(補足)

「お直クし」、お勅使。

「塩な多゛」、塩名田宿。「十一里余の路なり」とあって、かなりの強行軍です。

「十日」、寛政1年4月10日、1789年5月4日。

「岩田村」、岩村田です。「小田井」、「軽井沢」、「坂本」、「薄井峠」、碓氷峠。 

「七年以前浅間山焼る」、天明大噴火(てんめいだいふんか)は、江戸時代の1783年8月5日(天明3年7月8日)に発生した浅間山の大噴火。

「ユリ若大臣」、百合若大臣。『妙義山の射貫岩は、昔、ここで百合若大臣が松井田の里はずれから弓を射て、その時踏ん張った足跡石が路傍に残り、真正面にある岩には、彼が射通したという穴があいている』といった、怪異妖怪噺。