2026年2月19日木曜日

繪本寶能縷 その15

P12 国文学研究資料館蔵

(読み)後半

朝 大己貴    神

て うをあ奈むちの

ちょうおあなむちのかみ


活 玉依 姫 尓

いく満よりひめ

いくまよりひめに


通  給 ふ時 父

可よひ

かよいたもうときふ


母志らんとて

ぼしらんとて


績 麻を針

うミを

うみおをはり


を以 て神 人 の

をもってしんじんの


短裳 に係 て

もすそ 可け

もすそにかけて


旦  糸 のすじを

あし多いと

あしたいとのすじを


尋  もこめし尓

多づね

たずねもこめしに


三諸 山 尓畄  ると

ミもろ

みもろやまにとどまると


いへり

いえり


勝 川 春  章  画

かつかわしゅんしょうえ

(大意)

(我が)国では大己貴神が活玉依姫に通われる時

父母は相手が誰であるか知ろうとして

績麻を針にとおし、神の短裳に縫い付けた。

翌朝、糸のあとをたぐっていくと

三諸山にたどりついたいう

(補足)

「大己貴神」『おおあなむちのかみ おほあなむち― 【大己貴神・大穴牟遅神】

大国主神(おおくにぬしのかみ)の別名。おおなむちのかみ』

「活玉依姫」、『活玉依媛 いくたまよりひめ. 記・紀にみえる美女。 陶津耳(すえつみみ)の娘。「古事記」では活玉依毘売とかく

「績麻」、『うみお ―を【績麻】青麻(あおそ)を裂いてつなぎ,糸としたもの。うみそ。』

「旦」、『あした。あさ。あけがた』

「三諸山(みもろやま)」、『奈良県大和三輪山(みわやま)』

 娘さんは横座りのようですが、右の御婦人は立膝のようにみえます。当時、女性は立膝であってもお行儀が悪いということはなかったようです。娘さんは長煙管で先につめているところのようです。反物に臭いや汚れがついてしまいそうですけどねぇ、心配。

 御婦人が反物を広げて検分してます。反物の巻いてある方、左手にしている方、は裏地になります。絵師・彫師・摺師はちゃんと裏地のようにかき分けているところが、たいしたものだなと感心させられます。

 現在の生糸産業を調べてみました。「AIの概要」によると、

『現在の日本の生糸(きいと)産業は、かつての主要産業としての面影はなく、極めて厳しい存続危機的状況にあります。かつて世界一を誇った生産量は激減し、国内に流通する生糸のほとんどは輸入に頼っているのが現状』

とあって、詳しく調べれば調べるほど、危機的ではなく、もう終わっているという状況で「5年後に蚕糸業はなくなる」というほどでありました。

 興味のある方は「蚕糸業をめぐる事情令和8年1月農林水産省」という冊子で最新の状況が報告されています。

 

2026年2月18日水曜日

繪本寶能縷 その14

P12 国文学研究資料館蔵

(読み)前半

かゐこやしない草 㐧 十  二

かいこやしないそうだいじゅうに


扨 縫 針 の者じめハ

さてぬひ者り

さてぬいばりのはじめは


いづ連といふことを

いずれということを


志ら袮とも衣

     い

しらねどもい


裳  の製   しゟ

しやう こしらへ

しょうのこしらえしより


道 なるへし唐

      とう

みちなるべしとう


の大 昊 と申

 多いこう

のたいこうともうす


帝  九  針 を作

ミ可どきゅうはりをつくる

みかどきゅうはりをつくる


といふ又 礼 記

     らいき

というまたらいき


のうち尓針

のうちにはり


尓紉  て縫 ん

 をつけ ぬハ

におつけてぬわん


とあり我

   和可

とありわが


(大意)

 さて、縫い針がいつからつかわれていたかはわからないのだが、

衣服を作り始めた頃からだろうと考えられる。

中国の大昊(太昊)という帝(みかど)は九針を作ったという。

また、礼記には針に糸を通し縫ったようだとある。

(我が国では)

(補足)

「縫針」、『ぬいばり【縫い針】衣服を縫うのに用いる針』

「唐の大昊という帝」、唐には「大昊」という皇帝はいないので、ここの「大昊」は「古代の黄河流域にあった部族連合と巴(中国語版)の伝説上の祖先」でしょうか。唐は唐土とおなじで中国ということ。

「九針を作」、実際に9針を縫ったというのではなく、中国語では九は縁起の良い数字、あるいは皇帝や天を象徴する数字なので、太昊という帝(みかど)がそのような針仕事をされたということでしょう。

「紉」、『縫い合わせる、つづる、縄(なわ)、結ぶ、針に糸を通すという意味を持つ漢字です。音読みでは「ジン」「ニン」、訓読みでは「なわ」「むすぶ」と読み、「縫紉(ほうじん)」』

 原本は昨日の㐧十一までで、ここの㐧十二はオリジナルということになります。

商家の女将さんと娘さんに売り込みにやってきたのは、右奥に「丸に井桁三(まるにいげたさん)」の紋が見えますので「三井越後屋呉服店」のようです。

 ちりめんの反物を手に商い中、後ろの反物は「本しこみ」とあるのでしょうか、よくわかりません。娘さんの前に出しているのは、仕立て上がりの着物の図面だとおもいます。このような売り込みもしたのですね。

 

2026年2月17日火曜日

繪本寶能縷 その13

P11 国文学研究資料館蔵

絵本直指寳(えほんねざしだから)P11

(読み)後半

尓て波雅 産 

   王可む

にてはわがむ


㚑 を祭 るべき

すび

すびをまつるべき


もの可又 㐧 廿   二

ものかまただいにじゅうに


代 雄 略  天 皇 の

  由う里やくてんのう

だいゆうりゃくてんのうの


御后  ミつ可ら

 きさ起

おきさきみずから


養  蚕し給 ふ事

こ可゛ひ

こが いしたもうこと


日本 紀尓見へ多り

にほんきにみえたり


唐 土 尓てハ

もろこし

もろこしにては


黄  帝 能后

くハうてい きさ起

こ うていのきさき


西 陵  氏を始  と

せい里やうし 者じめ

せいりょうしをはじめと


春ること

すること


通 鑑  尓出 多り

つう可゛ん いて

つうが んにいでたり


勝 川 春  章  画

かつかわしゅんしょうえ

(大意)

雅産㚑(わがむすび)を祭るべきではないだろうか。

また第二十二代雄略天皇のお后みずから養蚕なさったことが

日本書紀にある。中国では、黄帝の后西陵氏が始めたと

通鑑にみることができる。

(補足)

「雄略天皇」、「略」の漢字の偏である「田」と旁である「各」が上下になっています。

「養蚕」、『こがい ―がひ【蚕飼い】

蚕(かいこ)を飼うこと。養蚕。季春「―する此頃妻のやつれかな」正岡子規』。「養」もまた、「良」の部分が旁の位置にきて、その上の部分が左側つまり偏に位置しています。

 くずし字ではこのように、漢字の部品の位置を意識的に変えて記されていることがよくみられます。

「通鑑」、『「資治通鑑(しじつがん)」の略』。『しじつがん しぢつがん 【資治通鑑】

中国の編年体の通史。二九四巻。北宋の司馬光編著。1084年完成。紀元前403年(戦国時代の始まり)から五代末の959年までの歴史を膨大な史料を駆使し,一貫した見識のもとに記す。書名は君王の政治に資する鑑(かがみ)となる書の意で,神宗から賜ったもの』。

 原本では機織りして生地になった部分と糸の部分をきちんと描きわけています。しかし、この本ではなぜか垂直方向は細かく糸として描かれていますが、水平方向は一面白一色になってしまっています。手抜きとはおもえないのですけど、どうしたことでしょう?

 桜の花がらの着物がきれいです。

 

2026年2月16日月曜日

繪本寶能縷 その12

P11 国文学研究資料館蔵

絵本直指寳(えほんねざしだから)P11

(読み)前半

かゐこやしない草 㐧 十  一

かいこやしないそうだいじゅういち


蚕  乃神 を祭 る

可いこ 可ミ まつ

かいこのかみをまつる


事 日 本 の古 しへ

古とひのもと い尓

ことひのもとのいにしえ


を考   れ者゛軻遇

 可んぐふ   可ぐ

をかんぐうれば かぐ


突智埴 山 姫 尓

つち者尓  ひめ

つちはにやまひめに


逢 て雅  産 㚑

あひ 和可゛む春び

あいてわが むすび


を産 此 神

 うむこの

をうむこのかみ


乃頭  尓蚕  と

 可しら 可いこ

のかしらにかいこと


桑 となれりと

くハ

くわとなれりと


神 代  巻 尓見へ

じんだいのまきにみえ


多れ者゛本 朝

      てう

たれば ほんちょう

(大意)

桑の神を祭ることを、古の日本をふりかえって考えてみると

軻遇突智(かぐつち)が埴山姫(はにやまひめ)に逢って、

雅産霊(わがむすび)を産み、この神の頭に蚕と桑の葉が生ったと、

日本書紀の神代の巻に記されているので、わが国では

(補足)

「軻遇突智」、『かぐつち 【軻遇突智】記紀神話の神。伊弉諾尊(いざなきのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)との間に生まれた火の神』

「埴山姫」、『埴山姫(ハニヤマヒメ)はイザナミが火の神カグツチを産んだ際に火傷を負い、その火傷が原因が死ぬ間際に水の神ミズハノメと共に産み落とされたとされる土の神で、土に関連する農業や陶磁器製造業、造園業、土木関係などの職業と特に縁が深いとされている女神』

「雅産霊」、『雅産霊命(わくむすびのかみ/わくむすび)は、日本神話に登場する食物と生成の神。古事記では和久産巣日神、日本書紀では稚産霊と表記され、イザナミが火の神カグツチを生んだ際に誕生。頭や身体から蚕や桑、五穀を生み出したことから、農業、豊作、蚕の守護神として信仰される』

「神代巻」、『じんだいのまき。日本書紀において、天地開闢から神の時代、神武天皇即位前までの神話を扱った巻。第1巻・第2巻に相当』

 原本では、機織り機が精緻に図面のように描かれています。見取り図そのもの。木工職人がこれを見れば、そのまますぐに組み立てられるとおもいます。

 一番手元の経糸を吊り下げている部分、上部のところが前後に調節できるよう凹凸が刻まれています。

 また右手に持っているのは「杼(ひ)」(shuttle)、右から左へ、バタンと経糸をかえして、左から右へ、を繰り返します。

 わたしの母は1920年、農家の生まれでした。機織りを教え込まれて、少女の頃に自分の普段着の着物生地を織って、その切れ端を大事にしていました。

 

2026年2月15日日曜日

繪本寶能縷 その11

P10 国文学研究資料館蔵 

絵本直指寳(えほんねざしだから)P10

(読み)

かゐこやしない草 㐧 十

かいこやしないそうだいじゅう


蔟   より糸 を

ま由者り  いと

まゆはりよりいとを


於ろし色 白 く

   いろ

おろしいろしろく


いさ起よきを

いさぎよきを


細 糸 のま由とし

本そいと

ほそいとのまゆとし


いろ黒 きを

いろくろきを


粗 糸 の

あらいと

あらいとの


ま由とす

まゆとす


真綿 丹

ま和多

まわたに


引 ても

ひき

ひきても


上  中  下を

じょうちゅうげを


ゑらミ

えらみ


和可ち

わかち


形 を

なり

なりを


津くりて

つくりて


束  綿

多ハ年和多

たばねわた


幾 者゛く

いく

いくば く


把とするなり

はとするなり


北 尾重 政 画

きたおしげまさえ

(大意)

(補足)

「真綿」、『まわた【真綿】

糸にできない屑繭(くずまゆ)を引き伸ばし乾燥した綿。軽くて強く,暖かい。引き綿・布団綿としたり,紬糸(つむぎいと)の原料とする。絹綿。』

「束綿」、『たばね‐わた【束綿】

越前国(福井県)から産出された真綿。色はきわめて白く、品質が上等であったため多く進物などに利用された。』

「把」、『たば 【束・把】

いくつかのものをひとまとめにしたもの。まとめてたばねたもの。細長いものや平たく薄いものをまとめる場合にいう。「稲の―」「札―」「薪(まき)を―にする」』

 ここの娘4人は、美人画であっても、タスキをきりりと締め、力強くせっせせっせと働いている雰囲気を出しています。

 二人の娘が白布のようなものを引っ張って伸ばしているのが真綿です。繭を割って、煮て柔くなっているので、だましだまし破れないように少しずつ全体に伸ばして布状にしていきます。この当時は大きなナスの形のようなのが出来上がりのようで、それを干して完成でした。

 現在では額縁のような四角のものに引っ掛けて雑巾程度の大きさにして乾燥させて完成です。布団や座布団の中にそれら布状のものを重ね入れて、真綿布団や真綿座布団になります。「綿」とありますが、もちろん純正の「絹」です。

 

2026年2月14日土曜日

繪本寶能縷 その10

P9 国文学研究資料館蔵

絵本直指寳(えほんねざしだから)P9

(読み)

かゐこやしない草 㐧九



生 繭 を塩 尓浸 春こと

奈まま由 し本 ひ多


あり大きなる壺 の内 底

      つ本 うちそこ


丹竹 乃簀を入其 上 に

 多け す  そのうへ


桐 乃葉を敷 又其上耳

きり 者 しき


繭 を敷 ならべ又其上

ま由 しき   


耳桐 の葉を敷 て

 きり 者 しき


ふり可けよく蓋

      ふ多


をして上を泥

     とろ


尓て塗 ふさ起゛

  ぬり


七日すぎて



とり出 し

  い多゛


釜 耳入湯

可ま  由


の中 よ里

 奈可


篗 に可けて

王く


糸 尓久り

いと


取 な里

とる


北尾重政 画


(大意)

(補足)

「ふり可け」、原本にはこの語句の前に「塩(し本)を」があります。

「篗」、『わく 2【籰・篗】〔「枠(わく)」と同源〕

紡いだ糸を巻き取る道具。二本または,四本の木を対にして横木で支え,中央に軸を設けて回転するようにしたもの。おだまき。』

 わたしも子どもの頃、このくるくるまわす手伝いが面白くて大好きでした。もっともこんな大きな仕掛けではなく、繭を入れてる鍋に火をくべていますが、そのようなものではなく、鍋にお湯をはったものでした。

 この作業は原本のほうが仕事の内容としては正確です。鍋の中の繭から糸をほぐしとるこの画をよくみると、繭玉に一番近いところは数本が一緒にほぐされて、それから一本になっています。実際にやったことがある人ならすぐ理解できるとおもいますけど、たいていこんな具合になります。また、巻きとっているお姉さんの手つきもこの通りで、右手は右巻きに回すのですけど、左手の繭玉からの糸をたぐる調子にあわせておこなわないと、うまく巻き取ることはできません。糸巻きの部分もちゃんと巻き取った糸が一本一本描かれています(仕掛けの右下に巻き取り終わったふたつのおだ巻も)。そして、一巻分巻き取りおわった糸を吊るして干してあるのも、実際の作業どおりです。

 重政の画では、糸を巻き取っているところでは右回しにしているはずなのに、巻き取る糸の位置がおかしなところに描かれていたり、巻き取った糸も白い布のように描かれてしまっています(かまどのそばに二つあるおだ巻きも)。巻き取る仕掛けに重しの石をのせているところはそれっぽいのですけど、残念ながら精出して仕事をしているようには見えません。絵師は実際にこの作業を見たことがないのだろうということがわかってしまいます。美人絵を描くのが第一義ですから、まあ、無理なことでしょう。

 美人絵はもちろん、美しい。

 

2026年2月13日金曜日

繪本寶能縷 その9

P8 国文学研究資料館蔵

絵本直指寳(えほんねざしだから)P8

(読み)

かゐこやしない草 㐧 八

かいこやしないそうだいはち


蚕  糸 をはき

可いこいと

かいこいとをはき


お者里て

おわりて


蛾  乃蝶  丹

ひゞる ちやう

ひびるのちょうに


なりて飛

   とぶ

なりてとぶ


古れを蚕 蛾と

   さん可゛

これをさんがと


いふ奈り

いうなり


春  章  画

しゅんしょうえ

(大意)

(補足)

 中学生か高校生のときに「ちょうちょう」は昔は「てふてふ」と書いたのだと教わりました。原本では「てふ」、この本では「ちやう」となって、どちらでもよさそうです。

 この画では蚕蛾が飛んでいます。現在では蚕は繭を作ることに特化して品種改良されてしまって、飛ばないし蛾になっても口が退化してしまって(そのように改良した?)、蛾になっても生きていけないそうです。

 振袖姿の娘さん、柄の花は何でしょうねぇ。

 

2026年2月12日木曜日

繪本寶能縷 その8

 

P7 国文学研究資料館蔵

絵本直指寳(えほんねざしだから)P7

(読み)

かゐこやしない草 㐧 七

かいこやしないそうだいしち


蚕  種 を

可いこ多年

かいこだねを


とることハ

とることは


蔟   物 より

ま由者りもの

まゆはりものより


取 時 形  乃

とると起可多ち

とるときかたちの


よ起蚕  をゑらんで

  可いこ

よきかいこをえらんで


糸 尓てくゝり

いと

いとにてくくり


釣 置 ハ蛾  の

つりをけ ひゞる

つりをけばひびるの


蝶  尓奈り出 る

て ふ

ちょうになりいずる


牝牡を一ツ尓して

めを

めをひとつにして


紙 耳移 し置 バ

可ミ うつ をけ

かみにうつしおけば


段  々 子を産 付 る奈り

多゛ん\/こ うミつけ

だ んだんこをうみつけるなり


これをうハ子といふ

     こ

これをうわこという


北 尾重 政 画

きたおしげまさえ

(大意)

(補足)

 本文は原本と全く同一。

画は原本の左頁の庭の松や花を、三人のお姉さんがいる座敷の縁側の庭にもってきました。

 お姉さんたちは、タスキもはずして蛾とたわむれて楽しそうに過ごしているところ。立ち姿のお姉さんの着物柄が蚕蛾になっています。

 3人ともに体の線がやわらかくなめらかに描かれていて、蚕を世話する農夫にはとてもみえません。


2026年2月11日水曜日

繪本寶能縷 その7

P6 国文学研究資料館蔵

絵本直指寳(えほんねざしだから)P6

(読み)

かゐこやしない草 㐧 六

かいこやしないそうだいろく


蚕  まゆを作 る

かいこまゆをつくる


時 をはい子と

ときをはいしと


いふ廣 き蓋 乃

いうひろきふたの


類 尓椎 柴 奈ど

るいにしいしばなど


の物 を敷 入 天ひ

のものをしきいれてひ


きり多る蚕  を

きりたるかいこを


置 て菊 をおく

おきてきくをおく


ひ尓してまゆを

ひにしてまゆを


張 春なりさて

はりすなりさて


四五日 もして

しごにちもして


のちま由を

のちまゆを


一 川徒ゝもぎ

ひとつずつもぎ


は奈し天

はなして


取 奈り

とるなり


ま由張 物 を

まゆはりものを


蔟 といふ奈り

ぞく

ぞくというなり


春  章  画

しゅんしょうえ


(大意)

(補足)

「けい子」、けいしorけいこ、どちらでしょう。辞書にもありませんでした。

「ひきる」、蚕が成熟して繭を作る状態になること。

「蔟」、『まぶし【蔟】蚕が繭をつくるとき,糸をかけやすいようにした仕掛け。わら・竹・紙などで作る。蚕蔟(さんぞく)』

「一川徒ゝ」、「つ」の変体仮名は「川」「津」「徒」などがあります。「一つ」の「つ」がなめらかな曲線になってなくて、これは変体仮名「川」が「つ」になりかけてる形で、(カタカナの「ツ」はそのまま「川」のかたち)川をくずすとまんなかのたて棒が極端に短くなった形になります。

 この蚕場で働いている姿を描写しているのは右側のお姉さんのみです。他の二人はモデル(着物の裾はぞろぶいて、こんな格好で働けるわけがない、タスキもゆるゆる)を、蚕場にたたせてみせただけでしょう。原本と同じ構図ですけど。

 P5で「白い花二輪を左手にした女将さん」とかきましたが、ここでも左のおねえさんが同じものを手にしているところ見ると、繭玉のようでした。

 色っぽい二人と、右側の無地の着物に前掛け、姉さんかぶりでたすき掛けをしっかりしているお姉さん、上手に対比させています。

 

2026年2月10日火曜日

繪本寶能縷 その6


P5 国文学研究資料館蔵 

絵本直指寳(えほんねざしだから)P5

(読み)

かゐこやしない草 㐧 五

かいこやしないぐさだいご


蚕  春でに

可以

かいこすでに


大 眠  起 して

おおねむりおきして


後 盤桑 の

あとはくわの


葉を

はを


くるゝこと

くるること


前 ゝ よりハ

まえまえよりは


多 きゆへ

おおきゆえ


桑 能葉

くわのは


きざみ

きざみ


可へ春尓

かえすに


いと満なくして

いとまなくして


其 まゝ

そのまま


く王する

くわする


体 奈り

ていなり


北 尾重 政 画

きたおしげまさえ


(大意)

(補足)

 㐧五では画の様子がそれまでとちょっと変わります。

白い花二輪を左手にした女将さんのような御婦人が「どうだい、はかどっているかへ」とでもきいているように中をのぞいています。この方、黒の下駄をはいていて外にいるのに裾をひきずっています。また右手も竹の隙間から中に手を入れて格子を握っているところなど、絵師のこだわりがあるようです。

 中ではタスキをかけて桑の葉をやるのにいそがしそう。この二人、帯が前帯になっているのがよくわかります。子どもと女将さんは後帯。

 外は大きな百合の花が咲いています。旧暦の6月頃でしょうか。

 

2026年2月9日月曜日

繪本寶能縷 その5

 

P4 国文学研究資料館蔵 

絵本直指寳(えほんねざしだから)P4

(読み)

かゐこやしない草 㐧 四

かいこやしないそうだいし


蚕  㐧 四 度め乃

可以こ

かいこだいよんどめの


休  をバ大 袮ぶりとも

やすミ

やすみをばおおねぶりとも


いふなり

いうなり


追 付 起

をつつけをき

おっつけおき


出 べき

いずべき


時 を

とき

ときを


うかゝい

うかがい


其 用 意を

そのようい

そのよういを


なす体 那り

  てい

なすていなり


北 尾重 政 画

きたおしげまさえ


(大意)

(補足)

「追付(をつつけ)」、『おっつけ【追っ付け】(副)

① 時間があまりたたないうちに,その事態が実現するさま。そのうち。まもなく。「―帰ります」』。わたしの世代より上のかたがたが日常に用いていました。

 こちらの本には原本の「に王の休とも」がありません。ここまで原文とほとんど同一なことを考えると、見落としの可能性が大であるような気がします。

 絵の構成は、蚕棚の位置が異なるだけで、あとはほとんど同じです。茅葺きの門などそのままです。

 女性の帯を止める位置が、前だったり後ろだったりで混在しています。ちょうど変わり目の時代でした。

 

2026年2月8日日曜日

繪本寶能縷 その4

P3 国文学研究資料館蔵

絵本直指寳(えほんねざしだから)P3

(読み)

かゐこやしない草 㐧 三

かいこやしないそうだいさん


蚕  三 度の

可いこ

かいこさんどの


や春ミ乃

やすみの


のち

のち


桑 をくるゝに

くわをくるるに


志多可ひ

したがい


次㐧 尓

しだいに


大 きに

おおきに


なり

なり


ま春\/

ますます


多 く

おおく


なる

なる


故 耳外 の

ゆへ 本可

ゆへにほかの


竹 箔

多けす多゛れ

たけすだ れ


やう乃

ようの


毛の尓うつし

ものにうつし


桑 乃葉を

くハ ハ

くわのはを

割 ミ製 するに

きさ せい

きざみせいするに


いと満なし

いとまなし


勝 川 春  章  画

かつかわしゅんしょうえ


(大意)

(補足)

「桑をくるゝに」、食るるにでしょうか。

原本のほうの絵は働く娘たち、こちらはもっと色気たっぷりのなまめかしさも(左の娘さん)ほうふつとさせての娘三人です。

 採ってきた桑の葉の籠にあけているところ、空になりつつある籠の中の桑の葉が動きを与えていますけど、隙間のできた籠をとおして娘さんの着物が描いてあれば完璧でありました。しかし、よくみるとこの娘んさんの後ろの腰に煙管がさしてあって、なかなか細かい。

 また、桑の葉を刻んでいる包丁の鉄の濃淡、こちらはお見事です。

 

2026年2月7日土曜日

繪本寶能縷 その3

P2 国文学研究資料館蔵

絵本直指寳(えほんねざしだから)P2

(読み)

かゐこやしない草 㐧 二

かいこやしないそうだいに


蚕  和づらいなやむ事

可いこ

かいこわずらいなやむこと


ありて桑 を志可\/食

   くハ     くハ

ありてくわをしかしかくわ


ぬこと四度あり是 を眠

    ど     袮ふり

ぬことよどありこれをねむり


ともよどむ共 休  とも

ともよどむともやすむとも


㐧 二度め能やすミを高

          多可

だいにどめのやすみをたか


休  共 二ど居共 なけの

       ゐ

やすみともにどいともなけの


や春ミと毛いふ㐧

やすみともいうだい


三 度めのや春ミを

さんどめのやすみを


ふ奈の休  ともいふ

ふなのやすみともいう


すべてや春ミ能時

すべてやすみのとき


ハ桑 をあ多ふる

はくわをあたうる


こと其 加減 ありと

ことそのかげんありと


いへ里

いえり


古ゝ尓

ここに


図するハ

ずするは


く王をつむ

くわをつむ


体 なり

ていなり


北 尾重 政 画

きたおしげまさえ


(大意)

(補足)

 原本である『絵本直指寳(えほんなざしだから)』と読みくらべると、文章はP1でもこのP2でもほとんどそのまま使用しているのがわかります。しかし、漢字や変体仮名の使い方が異なっていたりしています。

 原本の「たけ乃や春ミ」がここでは「なけのや春ミ」となっていて、これは単純なまちがいでしょう。

 原本ではお姉さんたちはかいがいしく楽しそうにおしゃべりしながら働いています。こちらの彩色の絵では、ちょっとすましていて、真ん中のお姉さんは慣れた手つきでキセルで一服。

 この絵では桑の木が大きく、樹木と呼ぶような大きさです。これでは大変なので桑の木は小型化されて、現在我々がみるような背丈くらいの大きさになりました。

 

2026年2月6日金曜日

繪本寶能縷 その2

P1 国文学研究資料館蔵

絵本直指寳P1

(読み)

かゐこやしない草 㐧一

かいこやしないそうだいいち


蚕  種  乃紙 尓産 付

可いこ多゛年 可ミ うミつけ

かいこだ ねのかみにうみつけ


多る可゛春 三 月 中  氣

          ち うき

たるが はるさんがつちゅうき


穀 雨前 後に生 れ

こくうぜんご う満

こくうぜんごにうまれ


出 るをかへるといふ

いづ

いずるをかえるという


なり既 尓帰 り出

  春て

なりすでにかえりで


て一 番 二番 などと

ていちばんにばんなどと


別 ち折 敷へ入

ワ可 おしき

わかちおしきへいれ


桑 の葉をこ満

ぅわのはをこま


可尓きざみ

かにきざみ


あ多ふるなり

あたうるなり


これを

これを


黒 子

くろこ


と毛

とも


壱 つ

ひとつ


春゛へ

ず え


と毛

とも


いふ那り

いうなり


勝 川 春  章  図

かつかわしゅんしょうえ


(大意)

(補足)

 わたしのこのBlogは変体仮名を読めるようにしたいという動機が第一で、それはいまでも変わりありません。ですので、(読み)のところでは変体仮名の部分はその元字をつかっています。たとえば助詞の「に」は、変体仮名では「尓」「丹」「耳」などがあり、それぞれ変体仮名のかたちはことなっていて、これらをすべてひらがなの「に」にしてしまっては、どの変体仮名を「に」としたのかがおぼえられません。

 ということで、(読み)が、ここではふりがなもつけているのでいっそう読みにくくなってしまっていますが、そのような考えにしたがって記述しています。

「かゐこやしない草」、「草」の読みは「くさ」、「そう」のどちらもでもよさそうです。

「中氣」、二十四節気 (にじゅうしせっき)は一年を春夏秋冬の4つの季節に分け、さらにそれぞれを6つに分けて、節気(せっき)と中気(ちゅうき)を交互に配しています。三月中気は、二十四節気の「穀雨(こくう)」を指し、新暦の4月20日頃、旧暦の3月に含まれる「中気(ちゅうき)」であり、春の終わりから夏の始まりへと向かう、穀物を育てる恵みの雨が降る時期とされています、とありました。

「折敷」、『「へぎ」を折り曲げて縁とした角盆,または隅切り盆。足を付けたものもある。近世以降,食膳としても用いる』

 女二人、どことなく唐土の雰囲気が感じられるのはどうしてでしょうか?

庭の木にいくつか花が咲いています。時期は現在の4月中旬すぎですから、桜ならすでに葉桜、う〜ん🤔・・・なんだろう。

 江戸時代幕末まで、生糸は長崎で中国から輸入されてましたが、幕末1859年横浜開港より輸出され、1909年には中国を抜いて、世界一の輸出生糸生産国となりました。


 

2026年2月5日木曜日

繪本寶能縷 その1

 

表紙 国文学研究資料館蔵 

裏表紙

(読み)

繪本  寶   能縷

えほんたからのいとすじ

(大意)

(補足)

 『日本古典文学大辞典解説』に詳しい解説があります。天明6年(1786)江戸前川六左衛門刊。養蚕・製糸・機織から販売に至る経過を絵解きした彩色摺り絵本。

 元来、北尾重政・勝川春章合作の、安永期(1772ー1781)の中判錦絵シリーズ『かゐこやしない草』全12枚に、序と奥付を付し、絵本体裁に仕立てた後摺り改題本である。

 本書は、橘守国(1679-1748)・作の絵本『絵本直指宝(えほんねざしだから)』(延享2年(1745)大阪柏原屋清右衛門刊)巻一に収めた蚕家織婦図にその構図のほとんどを仰ぎ説明文までも大部分借り用いている。

以上、『日本古典文学大辞典解説』より。

 表紙裏表紙ともに、繭玉のかたちをほぼそのまま意匠化したすばらしい図柄になっています。このまま、のれんやふろしき、着物や帯柄、何にでもつかえそうです。繭玉は真っ白なものばかりとおもいきや、薄肌色のものもけっこうあって、ここに使われている繭玉がまったくその色合いなのには驚かされました。

 ジジイはまだ小学校にあがる前ころでしょうか、母の実家(埼玉県北部)によくあずけられました。お蚕さんを育てる時期にあずけられると、まだ小さい子どもとはいえ、子どもにでもできることは何でも手伝いをさせられました。

 小さい背中に籠を背負って、裏の桑畑に行って、教えられたとおりの桑の葉を選んで背中にポイっとほうりこむのです。重たくなってきたら家に戻り、籠をひっくり返し、また背負ってと同じことを繰り返しました。

 お蚕さんはとにかく猛烈な食欲であっというまに採ってきた桑の葉がなくなってゆきます。ワサワサ、わさわさ、正方形の大きなお盆のようなところに入れられているお蚕さんの食べるときの音がこれまた印象的でした。数匹ではきっと聞こえてこないでしょうけど、何百頭、何千頭ともなると桑の葉を食べる音がすごいのです。そしてお蚕さんのいる部屋はほんのりと暖かい。

 また、ジジイの小学校は横浜でしたが、横浜はシルクのスカーフを輸出したりしていて、有名でありました。だからなのでしょうが、横浜開港記念日だったか、小学校で全校生徒に繭玉をひとつづつ配るというような、いまでは考えられないような記念品でした。

 この本を読んでいると、お蚕さんの養蚕や製糸などの手伝いをなつかしく思い出させてくれます。