P89 東京国立博物館蔵
(読み)
とぞ時 の鐘 あり宵(ヨイ)の中(ウチ)二三 町 の間 植(ウヘ)
とぞときのかねあり よい の うち にさんちょうのあいだ うえ
木其 外 喰 物 諸 道 具捅 ざる様 能物
きそのほかくいものしょどうぐおけざるようのもの
小道 具等 を賣る是 ヲ夜市 と云ツて皆
こどうぐとうをうるこれをよいちといってみな
買ヒ尓行 夫 故 昼 ハ野菜 其 外 世代(セタイ)道
かいにゆくそれゆえひるはやさいそのほか せたい どう
具賣リ歩 く者 なし此 市 所 々 尓あり
ぐうりあるくものなしこのいちところどころにあり
四条 橋 結メの町 ハ毎 夜なり其 外 寺 町
しじょうはしづめのまちはまいよなりそのほかてらまち
の丸 太町 堀 川 立 賣 の邊 なり
のまるたちょうほりかわたちうりのあたりなり
十 九日 天 氣六 右衛門 頼 ミの画認 メる
じゅうくにちてんきろくえ もんたのみのえしたためる
廿 日天 氣暖 色 小袖 一 ツニて宜 し閑院(カンニン)の宮(ミヤ)
はつかてんきだんしょくこそでひとつにてよろし かんにん の みや
様 へ銅 版 江戸の圖八 景 能目か年御覧 尓
さまへどうはんえどのずはっけいのめがねごらんに
(大意)
略
(補足)
「捅」、桶。原文の漢字の読みは(トウ)。「世代」、世帯。「橋結」、橋詰。いつもながら誤字をまったく気にしてない様子。
「十九日」、寛政1年3月19日 1789年4月14日。
「閑院(カンニン)の宮(ミヤ)」、閑院宮(かんいんのみや)。日本の皇室における宮家の一つ。世襲親王家の四宮家の一つ。家領千石。当時の主は第二代典仁親王。他三家は伏見・有栖川・桂(八条・京極)。












