P52 東京国立博物館蔵
P53
(読み)
全 身 黒 腹 ノ方 少 シ
ぜんしんくろはらのほうすこし
白 シ鼻 ノ先 白 キハ
しろしはなのさきしろきは
瀬と云 貝 也
せというかいなり
夜半 出テ鯨 ノ背ニ登 ル
やはんでてくじらのせにのぼる
坐シタルハ余レ
ざしたるはわれ
立 タルハ又 之助
たちたるはまたのすけ
僕 弁 喜
しもべべんき
P53
十 二月 十 五日 朝 鯨
じゅうにがつじゅうごにちあさくじら
来 ルト云 知ラセ未 飯
きたるというしらせいまだめし
不喰 故 ニアツキ飯 ニ水
くわずゆえにあつきめしにみず
ヲカケ一 椀 喰ヒ舟 ニ
をかけひとわんくいふねに
乗ル鯨 所 々 ヘニケ見
のるくじらところどころへにげみ
へス晩 七 時 比 舟 ヲ生 月 へ
へずばんななつどきころふねをいきつきへ
返ヘサントスル時 大 嶋 ノ方
かえさんとするときおおしまのほう
ニテ頻 リニ印 ヲ以 マネグ
にてしきりにしるしをもってまねく
夫 より大 嶋 ノ方 コギ行 事
それよりおおしまのほうこぎゆくこと
四里程 モアラント思 ヒケリ
しりほどもあらんとおもいけり
(大意)
略
(補足)
「夜半出テ」、鯨の尾の上の方に、満月が出ています。明るかったでしょう。
「十二月十五日」、天明8年12月15日。西暦1789年1月10日。この日は月齢13.6で満月は12日でしたから、この画のとおりお月さんは丸く見えたはずです。
「鯨来ルト云」、「未飯不喰故」、「舟ニ乗ル」、来未乗の三文字が少しずつ違うだけで難しい。全部「来」と読んでいました。
「西遊旅譚四」にもかなり詳しく、鯨に関する記述と画があります。
『夜半出天 鯨乃背に の本゛る 鯨番人』
『鯨切解圖』
『鯨漁之圖』
「江漢西遊日記」、「西遊旅譚」ともに鯨に関する文章・画はかなりの頁をさいて、詳細に記述していて、江漢さんが好奇心全開、からだをはって知ろうとしているのがよくわかります。
P52、月夜の浜によこたわる鯨。目を哀しそうに描いているのが、江漢さんらしい。