P22 東京国立博物館蔵
(読み)
と云 人 江戸屋しきニテ度 々 結メ多る人 ニて懇(コン)
というひとえどやしきにてたびたびつめたるひとにて こん
意之(コレ)へ尋 ル酒 出春鮪 鰯(イハシ)のさかななり
い これ へたずねるさけだすまぐろ いわし のさかななり
此 日平 戸松 浦侯 へ我 等参 候 事 を申
このひひらどまつらこうへわれらまいりそうろうことをもうし
上 ルとぞ
あげるとぞ
十 九日 風 雨 雪 あられ亦 ハ日照 し青 天
じゅうくにちふうせつゆきあられまたはひでりしせいてん
を見ル甚 タ寒 し旅 館 主 人 の云 爰 ハ盗賊(トウソク)ハ
をみるはなはださむしりょかんしゅじんのいうここは とうぞく は
なき所 と云フ然 とも戸も風屏(ひようふ)モなくてハ寒 し
なきところというしかれどもとも びょうぶ もなくてはさむし
夜 尓入 正 右衛門方 より申 来 ル明日明後日
よるにいりしょうえもんかたよりもうしきたるあすあさって
能うち壱岐能守 お目尓かゝられ可申 と申
のうちいきのかみおめにかかられもうしべしともうし
来ル
くる
(大意)
略
(補足)
「結メ」、詰め。
「平戸松浦侯」、第9代松浦静山(まつらせいざん)。宝暦7(1757)年〜天保12(1841)年。文政4(1821)年以降書き続けた『甲子夜話』は江戸時代の随筆として有名。ウイキペディアに『清(静山)は17男16女に恵まれた。そのうちの十一女・愛子は公家の中山忠能に嫁いで慶子を産み、この慶子が孝明天皇の典侍となって宮中に入り、明治天皇を産んでいる。よって清は明治天皇の曽祖父にあたる』とありました。
「参候事」、「候」が「ら」のように見えますけど、ながれから「候」のくずし字というより、簡略記号。
「十九日」、天明8年11月19日。西暦1788年12月16日。
天候は相変わらずめちゃくちゃのようであります。
「風屏」、屏風ですけど、逆さまになっちゃってます。
「壱岐能」、安永3年(1774年)4月18日将軍徳川家治に御目見する。同年12月18日従五位下・壱岐守に叙任する。安永4年(1775年)2月16日祖父の隠居により、家督を相続した。